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	<title>アオザイ通信</title>
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	<description>【2022年更新終了】ベトナム・ホーチミンから現地駐在員によるリアルなベトナムをお送りします。- since2001</description>
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	<title>アオザイ通信</title>
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	<item>
		<title>【2022年7月】２４年後のサイゴンでの再会：国民的音楽家チン・コン・ソンの映画「Em Va Trinh」、動員数100万人突破</title>
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		<dc:creator><![CDATA[aozai]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 15 Jul 2022 04:34:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
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					<description><![CDATA[２４年後のサイゴンでの再会● ６月半ば過ぎ、以前[ベトナムSKETCH]の編集長を務められていたNAさんから私に連絡がきました。 「NSくんと言う方から、あなたに連絡をしたいと言う内容の、以下のような連絡が私のほうに届き [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h3 class="wp-block-heading"><strong>２４年後のサイゴンでの再会●</strong></h3>



<p>６月半ば過ぎ、以前<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">[ベトナムSKETCH]</span></strong>の編集長を務められていたNAさんから私に連絡がきました。</p>



<p><span style="color: #dc143c" class="text-color">「NSくんと言う方から、あなたに連絡をしたいと言う内容の、以下のような連絡が私のほうに届きました。近々、そのNSくん本人から連絡が入るかもしれません」</span>と。その<strong>≪以下のような連絡≫</strong>とは、次なる内容でした。</p>



<p>…<span style="color: #0000ff" class="text-color">≪以前にマングローブの件で、お世話になった。連絡を取りたいのだが≫</span>…と。</p>



<p>NAさんについては、以前<strong><span style="color: #ff7f50" class="text-color"><a href="https://g-tierra.com/aozai/201505-2/">【2015年5月号】の＜石川文洋さんに会う＞</a></span></strong>の中でも触れさせて頂きましたが、以前このベトナムと日本を繋ぐ情報誌<strong>「Vietnam SKETCH」</strong>の編集長を務められていた日本人の方です。実に素晴らしい仕事をされていました。でも、今はこのベトナムにはおられません。</p>



<p>NAさんから私はその話を伺い、「以前にマングローブの件で、世話をしたNSくん」…。<br>と、ふと考え込みました。我が社の関係で「マングローブ植林」に来た子どもたちであれば、今までの全ての参加者たちは20年以上前から記録に残していますので、今でも鮮明に覚えています。</p>



<p>しかし、それ以外の日本人の関係者で「マングローブ」と言えば、十数年前か、ここ最近ぐらいに出会った友人・知人であれば、私もすぐに思い出したのでしょうが、そのNSくんとの出会いは、たぶん20年以上も前になるだろうな…とは思いました。やはり年を重ねたせいか、その時にはすぐには思い出せず、しばらくの間、（はて、誰だったかな…？）と、昔の記憶をたどりました。</p>



<p>それから、私の記憶が溜まった「井戸」の中にツルベを投げ入れて、上に手繰り寄せて中を覗き込んだら、<span style="color: #ff7f50" class="text-color">（思い出したぁー!!あのNSくんだぁー!!）</span>と、懐かしい記憶が蘇りました。私自身が年を取ったからでもあるのでしょうが、ずいぶん昔の記憶を呼び戻す時には、そういう現象が起き得るのですね。</p>



<p>そして、その後すぐにNSくん本人から連絡が届いて、６月25日（土）に「スシコ」で会うことになりました。会う時間は夕方の４時半。この同じ日に彼は、また別の会合が有り、そちらにも顔を出さないといけないとのことなので、少し早い時間になりました。</p>



<p>私が４時10分頃に着くと、彼は先に到着し、私を待っていてくれていました。バイクから降りた私は、すぐに彼と固い握手をお互いに交わしました。現在、NSくんは46歳になったそうですが、いやぁー、昔の雰囲気と変わらず、明るく、快活な青年のままでした。彼は今現在はハノイの銀行の駐在員を務めていて、６年半のベトナム勤務を終えて、近々日本に帰国する予定だと話してくれました。</p>



<p>彼がサイゴンに来たのは、私と同じ1997年で、当時彼は「大阪外大」の学生でした。その後、大学を卒業した後は「M銀行」に就職し、6年半前からベトナムに駐在員として赴任したというのでした。あの時以来、二人とも長い間会うことも無く、お互いにどこにいるかも知らずに過ごしてきましたが、この日に<span style="color: #ff7f50" class="text-color">「スシコ」</span>で感動的な<span style="color: #ff7f50" class="text-color"><strong>《24年後の再会》</strong></span>が実現出来た次第です。私自身も嬉しくて堪りませんでした。</p>



<p>NSくんと話してゆきながら、「あぁー、そうでしたね！」と、二人の共通の思い出の中で、今も最も強く印象に残っているのは、1998年4月9日～14日の期間で、<strong><span style="color: #008000" class="text-color">『マングローブ植林行動計画・アクトマン（ACTMANG）』</span></strong>の主催で、ベトナム南部のカンザー地区で、三人の<span style="color: #dc143c" class="text-color"><strong>【日本人歌手によるコンサート】</strong></span>が開かれた時のことでした。</p>



<p>あの時は、「アクトマン（ACTMANG）」代表の向後さんの呼びかけに応えて、カンザー地区で「マングローブ植林」と「日本の歌手のコンサート」の実現のために、わざわざ日本から、三人の日本人の歌手がベトナムに来られました。その三人の日本人の歌手の方々とは、<span style="color: #1e90ff" class="text-color"><strong>【喜納昌吉さん】、【加藤登紀子さん】、【新井英一さん】</strong></span>です。</p>



<p>その時、ベトナムの事情や言葉も分からない日本人の歌手の方々のために、通訳やサポートを兼ねた<span style="color: #ffa500" class="text-color"><strong>「ボランティア・スタッフ」</strong></span>として、日本人とベトナム人の若者を募集しました。<br>そこにNSくんも応募してくれて、彼にはあの時【喜納昌吉さん】の付き人を務めてもらいました。あの時の【運営案】は、浅野さんに依頼されて、私自身が作りましたので、私も良く覚えています。</p>



<p>この日は、共通の思い出が多いその時のことも、楽しく、懐かしく話してくれました。付き人として世話した「喜納庄吉さん」が、市民劇場近くで大きな船の模型を購入された時のエピソードも話してくれました。私もあの辺りはいつもバイクで通っていましたので、その店も良く知っています。</p>



<p>そこには大・中・小の船の模型が売られていました。喜納さんはその店の中でも一番大きな船の模型を気に入り、すぐに購入し、その後日本に船便で送られたというのです。その配送の手続きの時も、NSくんが手伝ってあげたそうです。ですから、喜納さんのお家にはたぶん今もその大きな船が飾られていることでしょう。</p>



<p>そして、あの時「ボランティア・スタッフ」として活躍してくれたメンバーの中の数人とは以前「スシコ」に集まり、楽しい＜再会＞が実現出来たのでした。その＜再会＞の時のことは、<span style="color: #0000ff" class="text-color"><strong><a href="https://g-tierra.com/aozai/201702-2/">【2017年2月号】＜十五年後の懐かしい再会＞</a></strong></span>に載せています。あの時の再会の時には、「ボランティア・スタッフ」として頑張ってくれたメンバーのほとんどが参加してくれていました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img fetchpriority="high" decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/07/20220625nakamoto001-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2531" width="385" height="289" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/07/20220625nakamoto001-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/07/20220625nakamoto001-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/07/20220625nakamoto001-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/07/20220625nakamoto001-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/07/20220625nakamoto001.jpg 2048w" sizes="(max-width: 385px) 100vw, 385px" /><figcaption><strong>「二人で乾杯！！」</strong></figcaption></figure></div>



<p>しかし、NSくんは皆んなが集まった、あの時の＜懐かしい再会＞の時には来ていませんでした。NSくんとは1998年のその「コンサート」以後は会うことは無く、彼の連絡先も分からなかったからです。それが、24年後のこの日、「スシコ」で＜感動の再会＞が実現出来たのでした。何という稀有なことでしょうか。この日の私の感激は言うまでもありません。</p>



<p>NSくんがベトナムに来た時は21歳。私が出会った時、彼は22歳。あれから長い歳月が流れました。私達はお互いに向い会った席に腰を下ろし、<strong>《乾杯!!》</strong>しました。そして、彼に今の年齢を尋ねましたら、彼は「今年46歳になりました！」と、笑いながら話してくれました。しかし、髪が少し薄くなったとは言え、彼の風貌は昔のまま明るく、爽やかな笑顔を湛えていました。</p>



<p>彼と話していた時、あの当時の＜共通の知人＞の名前が多く出てきて、私自身がそれを聞いて「あぁー、そう、そうだったね！」と懐かしく回想した人が数人いました。その中の一人に「SJくん」がいます。当時、彼も我々と同じく1997年にサイゴンに来ていましたが、彼も語学留学生として「人文社会科学大学」でベトナム語を勉強していました。</p>



<p>彼との出会いで印象深い思い出は、このサイゴンで知り合ってしばらく経った時、たまたまあの浅野さんが彼に会ったことがあります。その時、ベトナム語の達人でもある、あの浅野さんが「おぉー、あなたはベトナム語の発音が大変上手ですねー！！」と褒めていたことです。<br>あのベトナム語の達人の浅野さんからそのように褒められたのですから、大したものです。SJくんは短い期間ながらも、ベトナム語を流暢に話していたのでした。私も彼には会いましたが、快活で、＜明るい好青年＞という印象でした。</p>



<p>その後数年が経ち、SJくんはこのサイゴンで「ベトナムの家庭料理」をみんなに提供したいという夢を持ち、2001年にベトナム料理のレストラン<span style="color: #ffa500" class="text-color"><strong>『Huong Lai（フーン ライ）』</strong></span>を開きました。その店名にも彼のこだわりが有り、彼は花の【ジャスミン】が好みらしく、彼自らその店名を“ジャスミンの香り”を意味する『Huong Lai』と名付けたということです。</p>



<p>しばらくすると、その『Huong Lai』はベトナム料理の美味しさが評判になり、日本人やベトナム人の間で大変有名なレストランになりました。私も友人と一緒に行ったことがありますが、評判通り大変美味しい料理でした。その時には、彼も奥の部屋から出て来て、私達に明るくニコッと挨拶をしてくれました。</p>



<p>しかし、この日NSくんに会い、SJくんについて、彼が開いたレストランのエピソードで感動したのは、そのことだけではありませんでした。SJくんはそこで働くスタッフの採用時に、単に普通の若者たちを募集していたのではなく、<strong>【孤児や元ストリート・チルドレン、貧困家庭出身の若者】</strong>など、<strong><span style="color: #008000" class="text-color">＜社会的に恵まれない若者を採用＞</span></strong>していたというのでした。</p>



<p>そのことは、私自身も友人たちからも聞いていた情報で知ってはいました。しかし、この日NSくんからさらに直接詳しい話を聴いた時、私が「えっ、そうだったのですか！」と驚いたことが有りました。それは次のことです。その＜社会的に恵まれない若者を採用＞していた時の、<span style="color: #800080" class="text-color"><strong>「ストリート・チルドレン」</strong></span>のことに関してです。</p>



<p>このサイゴンで、「ストリート・チルドレン」を支援している有名な組織としては<span style="color: #800080" class="text-color"><strong>「FFSC」</strong></span>が有ります。その代表者はベトナム人の<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「チャン・バン・ソイ」さん</span></strong>と、その奥さまである<span style="color: #0000ff" class="text-color"><strong>「吉井美知子」さん</strong></span>です。最初にソイさんは、子供たちが無料で授業が受けられる施設を1984年に設立されました。「吉井美知子」さんは1993年に渡越され、ソイさんと知り合い、結婚されました。</p>



<p>その後、お二人で<span style="color: #0000ff" class="text-color"><strong>NGO団体「ストリート・チルドレン友の会（FFSC）」</strong></span>を設立されたのでした。それからのお二人のその献身的な活動内容は日本でも次第に認められて、「FFSC」は『社会貢献支援財団』より2013年に<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">【社会貢献賞】</span></strong>を授けられました。その時のことは<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「平成25年度：社会貢献者表彰」</span></strong>として発表されました。以下のURLを参照ください。</p>



<p><a href="https://www.fesco.or.jp/winner/h25/winner.php?wid=12067&amp;fbclid=IwAR0Tf4GdZ4lT-Z2jdMB94cowa92j5KvRG7wCZvhmdzEVGTJ7i1oTM4o2j-s">https://www.fesco.or.jp/winner/h25/winner.php?wid=12067&amp;fbclid=IwAR0Tf4GdZ4lT-Z2jdMB94cowa92j5KvRG7wCZvhmdzEVGTJ7i1oTM4o2j-s</a></p>



<p>そして、私自身もその「ソイさん」と「吉井 美知子さん」のお二人には二度ほどお会いしました。その「FFSC」の施設を日本人とベトナム人の数人で訪問したことがあるからです。<br>それは、今から22年も前の2000年10月末のことでした。その時の私のレポートは以下に載せています。以下のURLを参照してください。</p>



<p>・・・<span style="color: #0000ff" class="text-color"><strong>＜ストリート・チルドレン施設訪問記２＞</strong></span>・・・<br>　　　　<a href="http://www2m.biglobe.ne.jp/~saigon/ffsc2.htm">http://www2m.biglobe.ne.jp/~saigon/ffsc2.htm</a></p>



<p>SJくんは、その「FFSC」から、自分のレストランで働くスタッフとして、＜恵まれない若者＞を優先して採用していたというのでした。今回初めて私はそれを知り、本当に胸が熱くなりました。（あのSJくんは「FFSC」の活動内容を知り、ベトナムの恵まれない若者たちに手を差し伸べてくれていた、何という<span style="color: #008000" class="text-color"><strong>【心優しい日本人の青年】</strong></span>だったのか・・・）と、その時初めて知った次第でした。</p>



<p>しかし、残念ながら、このサイゴンでも長く続いた<span style="color: #ff0000" class="text-color"><strong>「コロナ禍」</strong></span>で、レストランであれ、ホテルであれ、お客さんの足も遠のき、多くの人たちに惜しまれながら、2020年８月には「臨時休業」になり、最終的には「閉店」になりました。SJくんの悲しみと口惜しさは如何ばかりでしょうか。最近彼に会っていないだけに、彼の胸中を想像しています…。</p>



<p>この日は、共通の思い出が多いその時のことなどを、NSくんは楽しく、懐かしく話してくれました。私たちの話は、お互いの最初の出会いから、結婚の思い出話、子ども達の教育のこと。そして、今現在の仕事のことなど・・・、いろいろ話しました。話は尽きませんでした。</p>



<p>しかし、惜しいことには、夕方５時半過ぎには彼はまた別の会合に顔を出す予定とのことなので、この日NSくんとは一時間ほどの<span style="color: #800080" class="text-color"><strong>《感激の再会》</strong></span>になりました。でも大変<strong><span style="color: #800080" class="text-color">《充実した再会》</span></strong>でした。彼は本当に嬉しい、懐かしい思い出を私に贈ってくれました。</p>



<p class="has-text-align-center">　<span style="color: #008000" class="text-color"><em><strong>“NSくん、有難う!!またの再会楽しみに!!”</strong></em></span></p>



<h2 class="wp-block-heading">ベトナムBAOニュース</h2>



<h3 class="wp-block-heading">■国民的音楽家チン・コン・ソンの映画「Em Va Trinh」、動員数100万人突破■</h3>



<p>ベトナムの国民的音楽家<span style="color: #0000ff" class="text-color"><strong>チン・コン・ソン(Trinh Cong Son)</strong></span>をテーマにした映画<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「Em Va Trinh(わたしとチン)」</span></strong>が、先行上映を含めて公開10日間で動員数100万人を突破した。今年公開されたベトナム映画の中で、最速での100万人突破となった。</p>



<p>「Em Va Trinh」は今月17日に公開された。公開の1週間前から先行上映が行われ、先行上映5日間の興行収入は240億VND(約1億4000万円)だった。</p>



<p>ボックスオフィス・ベトナム(Box Office Vietnam)のデータによると、24日時点で興行収入は798億VND(約4億6400万円)となっている。製作側は、公開3週目には1000億VND(約5億8000万円)に達すると見込んでいる。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-full is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/07/large_image_04607e89d9.jpg" alt="" class="wp-image-2536" width="314" height="212" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/07/large_image_04607e89d9.jpg 1000w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/07/large_image_04607e89d9-300x203.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/07/large_image_04607e89d9-768x519.jpg 768w" sizes="(max-width: 314px) 100vw, 314px" /></figure></div>



<p>当初は、チン・コン・ソンの若き日を描いた「Trinh Cong Son」と、チン・コン・ソンの生涯にわたる恋愛を描いた「Em Va Trinh」が2本立てで公開される予定で、６月10日から2本が先行上映されていたが、６月17日以降は「Em Va Trinh」のみが上映されている。</p>



<p>理由として、上映時間95分の「Trinh Cong Son」と同136分の「Em Va Trinh」は一部の内容が重複しており、「Trinh Cong Son」の先行上映5日間の興行収入が16億VND(約930万円)に留まったためだ。</p>



<p>「Em Va Trinh」では、チン・コン・ソンと恋に落ちた日本人女性のミチコ(Michiko)役を、ユーチューブ(YouTube)チャンネル<span style="color: #ffa500" class="text-color"><strong>「aNcari Room」</strong></span>で人気の<strong><span style="color: #008000" class="text-color">中谷あかりさん</span></strong>が演じている。</p>



<p>◆ 解説 ◆</p>



<p>7月３日（日）に、今話題になっている映画「Em Va Trinh」を、私の教え子たち数人と一緒に観に行きました。教え子たちと一緒に行った訳は、普段は教室の中で日本語を教えている日本人の私しか接することが少ない彼らに、その映画の中に出演している日本人の女性でもいいので、日本女性の仕草、そして、<span style="color: #0000ff" class="text-color">「日本人の考え方・生き方」</span>そのものに親しみを感じて欲しかったからでした。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/07/20220703emvatrinh001-766x1024.jpg" alt="" class="wp-image-2533" width="283" height="378" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/07/20220703emvatrinh001-766x1024.jpg 766w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/07/20220703emvatrinh001-224x300.jpg 224w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/07/20220703emvatrinh001-768x1026.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/07/20220703emvatrinh001-1149x1536.jpg 1149w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/07/20220703emvatrinh001.jpg 1302w" sizes="(max-width: 283px) 100vw, 283px" /></figure></div>



<p>しかし、映画と言えば、ここ最近（どころか、20年近くも）、私はベトナムでも日本でも映画などは全然観ていませんでした。それが「良し、久しぶりに観に行くか！！」と思ったのは、こちらの日本語情報誌<strong>「VIETJO」</strong>に、上記の記事が載ったからです。</p>



<p>その映画の中の主役である「チン・コン・ソンさん」が、このベトナムでは大変<span style="color: #ffa500" class="text-color"><strong>「有名な作曲家」</strong></span>であることは、私自身も知ってはいました。でも、その詳しい活動内容や、彼の人柄までは知りませんでした。</p>



<p>しかし、この記事を読んで、（えっ！）と大いに驚いたことが書いてありました。それを読んで眼を見張りました。大変感激しました。何故なら、その「チン・コン・ソンさん」と恋に落ちた<span style="color: #800080" class="text-color"><strong>「日本人女性」＝ミチコ(Michiko)さん</strong></span>と書いてあるではないですか。</p>



<p>この「VIETJO」の記事に載っている<span style="color: #800080" class="text-color"><strong>【日本人女性のミチコ(Michiko)さん】</strong></span>とは、私が今月号の「２４年後のサイゴンでの再会」の中でも紹介した、「ストリートチルドレン」の子どもたちを支援する団体「FFSC」を設立された「吉井 美知子さん」」、その人のことなのでした。</p>



<p><span style="color: #8a2be2" class="text-color">（あのミチコさんとチン・コン・ソンさんにはそういう麗しい恋愛ドラマが有ったのか!!）</span></p>



<p>それを知り、もうー、涙が出るくらいに感動したのです。それまでは、美知子さんに、そういう「ラブ・ストーリー」が有ることなど全然知りませんでした。そして、私自身が「美知子さん」に直接お会いして、長時間いろいろなお話を伺うことが有っただけに、その時のことも思い出して、大変感無量でした。</p>



<p>今回初めて私はこの映画を観ましたが、本当に感動しました。映画の内容を紹介することはルール違反になるので、ここで詳しくは説明しません。しかし、どうしても皆さんに紹介したい「一場面」が有ります。その場面では、実は私自身涙が溢れてきたのでした…。<br>それは以下の場面です・・・。</p>



<p><span style="color: #800080" class="text-color">【演奏会が始まり、司会者にチン・コン・ソンさんが紹介されて、ギターで曲を演奏しよう　としたまさにその時、場内が突然停電になり、真っ暗闇に包まれました。その時、チン・コン・ソンさんは落ち着いて、いつもの演奏の時と同じように、静かにギターを奏で始めたのでした。最初は一瞬ざわついた観客も落ち着き、静かに聴き始めました】</span></p>



<p>その場面を観た時に、</p>



<p><span style="color: #ff0000" class="text-color">（チン・コン・ソンさんはあのベトナム戦争が続いていた暗～い時代に、自分の使命として、音楽を通して国民に明るさを与えられていたのだな・・・）</span></p>



<p>と、あの象徴的な場面を観て、私はそう感じました。</p>



<p>何故<span style="color: #800080" class="text-color"><strong>【国民的音楽家チン・コン・ソン】</strong></span>と、このベトナムで今も慕われているのか、その理由の一端が分かったような気がしたのでした。</p>



<p>そして、この映画でチン・コン・ソンさんの恋人役:(Michiko)さんを見事に演じておられた日本人女性<span style="color: #008000" class="text-color"><strong>「中谷あかりさん」</strong></span>の演技が実に素晴らしいものでした。映画の中で、二人が初めて出逢った場面の演技といい、そのベトナム語の見事さといい、映画初出演とは思えないほどでした。</p>



<p>「中谷あかりさん」はベトナム在住歴約6年になるそうです。私自身は「中谷あかりさん」にはまだお会いしたことは有りませんが、彼女のことに関しては同じ＜VIETJO＞に以前、次のようなことが載っていましたので、私も強い関心を抱いていました。</p>



<p><span style="color: #800080" class="text-color"><strong>【ベトナム語で動画配信の日本人女性YouTuber、「ベトナムと日本の架け橋に」】<br>　　　～～友人との縁がきっかけでベトナムへ～～</strong></span></p>



<p><a href="https://www.viet-jo.com/news/special/180112150628.html">https://www.viet-jo.com/news/special/180112150628.html</a></p>



<p><span style="color: #008000" class="text-color">「彼女とベトナムとの縁は、1人のベトナム人の友人だった。今その友人は日本に住んでいるが、ベトナムを気に入ったあかりさんは、ベトナムに一定の期間住もうと決めた」</span></p>



<p>・・・<span style="color: #0000ff" class="text-color">「日本の大学で環境学を専門に学んでいたとき、ベトナム人留学生の女の子と出会い、後に私の1番の親友になりました。その友人の紹介で、何度か旅行でホーチミン市に来て、卒業後にベトナムに住むことに決めました。この国に心を打たれ、自分自身に挑戦したかったからです」と、あかりさん</span>・・・</p>



<p>日本で「中谷さん」が通っていた大学には、実は私の教え子たちも数人留学していたことが有りますので、もしかしたら、その「親友」とは、私も知っている人物かもしれません。そう想像しただけでも、何か嬉しい気持ちになりました。</p>



<p>中谷さんは、今年の９月から<strong>ホーチミン市人文社会科学大学</strong>で「ベトナム学科」に入学予定ということです。いつかまた「中谷あかりさん」が活躍する次の映画の公開を私達日本人も期待しています。たぶんベトナムの人たちも楽しみにしていることでしょう。</p>
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		<title>【2022年3月】Tay Ninh省への旅／ハノイ：「オレンジゾーン」急増、多くの学校が完全オンライン授業に</title>
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		<dc:creator><![CDATA[aozai]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 15 Mar 2022 05:10:20 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[2022年1月～12月]]></category>
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					<description><![CDATA[春さんのひとりごと Tay Ninh省への旅 2022年が明けて三カ月が過ぎましたが、昨年のサイゴンでは、実に不自由な生活を強いられてきた日々が続きました。「勝手に外出が出来ない」「自由に買い物にも行けない」規制が出され [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">春さんのひとりごと</h2>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>Tay Ninh省への旅</strong></h3>



<p>2022年が明けて三カ月が過ぎましたが、昨年のサイゴンでは、実に不自由な生活を強いられてきた日々が続きました。<strong>「勝手に外出が出来ない」「自由に買い物にも行けない」</strong>規制が出されて、それに違反した場合は<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">＜罰金＞</span></strong>です。そういう生活が昨年<strong>６</strong>月から10月まで続いたのでした。そして、ようやく迎えた2022年の<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">『テト』</span></strong>でしたが、恒例のサイゴン川での「打ち上げ花火」は昨年に続いて今年も中止。</p>



<p>新年が明けてからは「コロナ」の感染者がだんだん少なくなってきてはいました。しかし、「コロナ」が完全に終わったわけではないので、『テト』を迎えたとはいえ、以前の『テト』比べると、いつものような期待感は少なかったですね。それまでは、<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">（今年の『テト』はここに行こう、あそこに行こう！）</span></strong>と、『テト』の時の予定を話すのが楽しみでしたが、そういう話題も出ませんでした。</p>



<p>結局、今年の『テト』で私たちの家族や女房の家族たちと一緒にサイゴン市内で出かけたのは、「9月23日公園」や「Tao Dan(タオ　ダン)公園」で開かれていた「花市」、「Dam Sen(ダム セン)公園」の中にあるプールだけでした。「9月23日公園」と「Tao Dan公園」で開かれていた「花市」は、やはり「コロナ」のためか例年よりも規模が小さくなっていました。毎年いつも出掛けていた<strong>「釣り堀」</strong>などは、そこの場所自体が＜休業＞になっていました。</p>



<p>「Dam Sen公園」へのプール行きは女房の妹の子どもの強い希望で行きましたが、着いてみると大変な人数の多さでした。この時は、以前より「コロナ感染者」は少し減ってきていたとは言え、まだまだ「コロナ」は続いていた時期です。やはりみんな今までのストレスが溜まっていたからでしょうか、開放感に溢れているような感じで、大人も子供たちもキャーキャー騒いで楽しんでいました。</p>



<p>しかも、みんな水浴びする目的で来ていますので当然ですが、マスクなどしている人はいません。みんな外していました。<span style="color: #ff0000" class="text-color">（「テト」明けは大丈夫だろうか。コロナがまた広がらないだろうか・・・）</span>と心配にはなりました。（３月初旬からの「コロナ感染者」の数を見ていますと、やはりその予感は不幸にも当たりました）。</p>



<p>今年の「テト休み」は、ベトナム政府の通達では２月６日で終わりでしたが、まだ公立の「学校」は始まっていませんでした。それで、女房の妹から「うちの家族は２月７日・８日の一泊二日で<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">Tay Ninh（タイニン）省</span></strong>まで車で行くけど、みんなで一緒に行かない？」と言う誘いが有りました。</p>



<p>それを聞いた私と女房は<strong>「わぁー、それは嬉しい。行くよ、行きますよ！」</strong>と快諾しました。今年の『テト』では、上記の市内の公園に出かけただけなので、このTay Ninh省への旅が唯一の「観光」になりました。そして、今までそこに泊まったことも無かったのです。今回初めて一夜をそこで過ごしました。</p>



<p>実は、私が日本語を教えていた生徒たちの「故郷」がTay Ninh省にある生徒たちも多いのです。私は最初の授業では生徒に<strong>「自己紹介」</strong>をしてもらいますが、「名前」と「故郷」を訊いた後、彼らが自分の故郷をクラスのみんなや私に紹介する時に<br><strong>「Tay Ninh省には<span style="color: #800080" class="text-color">Ba Den(バーデン)山</span>という有名な山が有ります。Ba Den山は大変美しいですよ。みなさんもぜひ一度来てみてください！」</strong><br>と、話してくれたことが何回もありました。それを聞いた私は「そうですか」とは答えていました。Tay Ninh省は今までカンボジアへの旅に行く途中で、そこを通過したことはありましたが、今までそこを「観光」で訪問する機会はありませんでした。</p>



<p>それで、今回が初めての<strong>「Tay Ninh省での宿泊」</strong>と「<strong>Ba Den山への登山」</strong>になりました。<br>そして、そのTay Ninh省で初めて過ごした夜には、思わぬ<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">《ハプニング》</span></strong>も起きた<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「Tay Ninh省への旅」</span></strong>にもなりました。</p>



<p><strong><span style="font-size: 18px" class="font-size">●Tay Ninh省を目指して●</span></strong></p>



<p>２月８日の午前11時にサイゴン市内の４区を車で出発。全員で８人が一台の車に乗り込<br>みました。私の方の家族が３人。女房の妹の家族が４人と、女房の母親の総勢８人です。実は、前日には「朝９時には家を出るよ」と聞いていたのですが、女房の妹の二人の子供たちも一緒に連れて行くので、どうしても準備に手間取り、予定よりもえらく遅れました。<br>二人の子とは小学校２年の女の子と、保育園に通っている、まだ５歳の男の子です。</p>



<p>運転手は女房の妹の旦那で、名前はHung(フン)くん。まだ40歳を超えたばかりです。彼はベトナムの新聞社に勤めているので、ベトナム各地に行き、海外にも行ったことが数多くあります。Tay Ninh省へも何回も行ったことがあるそうで、昨年も訪問したと言います。ベトナム各地の有名な「観光地」にも詳しいので、道中の移動も彼に任せておけば安心です。</p>



<p>彼の車は普通車なので、大人であれば本来は「四人乗り」ですが、私の家族と母親の四人が後ろの席に座り、前の助手席には女房の妹が男の子を膝の上に乗せ、横の肘掛けの上にその女の子が我々のほうを見る姿勢で腰かけています。一泊二日での車での移動中は車内ではずっとこのやり方でした。（交通警察に見つからないかな…）と、私などは道中心配でしたが、結局最後まで何事も無く過ぎました。</p>



<p>Tay Ninh省へは片道２時間ほどで到着します。久しぶりの車での移動なので、やはり気分も明るくなりました。「コロナ禍」が続いている時は、遠出することは無く、サイゴン市内をバイクで移動するだけでしたので、車の外に見える沿道の景色を懐かしく思い出していました。車内では二人の子供たちとの会話も弾んで、席は窮屈でしたが、旅の間全然退屈しませんでした。</p>



<p>そして、ちょうどお昼12時にCu Chi(クチ)郡のレストランに到着。名前は<strong>Xuan Dao(スアン ダオ)</strong>。Cu Chi郡は牛肉が名物なのですが、Hungくんはその店をよく知っているらしく、迷いもせずにそこに着きました。店の看板にも「牛肉」の文字が掲げてあります。店内はすでに多くのお客さんたちで混んでいました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh002.jpg" alt="" class="wp-image-2475" width="194" height="146" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh002.jpg 800w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh002-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh002-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 194px) 100vw, 194px" /></figure></div>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh001.jpg" alt="" class="wp-image-2474" width="198" height="148" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh001.jpg 800w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh001-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh001-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 198px) 100vw, 198px" /><figcaption><strong>Xuan Dao(スアン ダオ)</strong></figcaption></figure></div>



<p>メニューもすべてHungくん任せで、料理が来るまで、我々はずっとお茶を飲んでいるだけです。そして、出てきた「牛肉料理」は「焼いた牛肉」と「炒めた牛肉」です。やはり、Cu Chiの名物だけあって、肉も大変柔らかく、美味しいものでした。二人の子供たちも喜んでパクパク食べています。やはり、子供たちと一緒の食事は、二人が食べている様子を 見ているだけでも、気分的に楽しいものです。</p>



<p>午後１時過ぎにレストランを出て、ちょうど３時にTay Ninh市内のホテルに到着。名前は「Hotel Victory」。私たちが泊まった部屋は５階に有り、二部屋で隣同士でした。私達３人が一部屋。Hungくんたちの家族とその母親が一部屋です。５階の部屋のカーテンを開けると、なだらかな形をした山容の<strong>「Ba Den山」</strong>が見えました。見た感じでは、さほど高いような山ではありません。</p>



<p>車での移動で疲れたこともあり、ホテルでシャワーを浴びて一休み。夕方５時前に、私<br>たちが寝ている部屋のドアを叩く音が。私の娘が先に起きてドアを開けると、そこには元気な二人子供たちが立ち、「今から外に遊びに行くよー。早く準備して！」と叫んでいました。やはり、大人たちとは違い、遊びに行く時には子供たちは大変元気です。</p>



<p>最初に、５時過ぎに<strong>「カオダイ教」</strong>の総本山を見学に行くことにしました。Tay Ninh市内には「カオダイ教」の総本山が有ります。私自身はベトナムに来た当初、ツアー会社のSinhCaféのバスでそこを観光旅行した思い出があります。その時は、「カオダイ教」がどんな宗教で、何故そのTay Ninh省に「総本山」が有るのかは知りませんでしたが、今回のTay Ninh省訪問の前に「カオダイ教」について調べてみました。すると、Wikipediaにはその説明が載っていますが、少し読み難いので、私のほうで以下のように分かりやすく編集し直しました。</p>



<p>『カオダイ教は、ベトナムの新宗教。<span style="color: #1e90ff" class="text-color"><strong>1926年</strong></span>、Pham Cong Tac(ファム・コン・タック)とLe Van Trung(レー・ヴァン・チュン)によって唱えられた。五教（儒教、道教、仏教、キリスト教、イスラム教）の教えを土台にしたことから、<span style="color: #1e90ff" class="text-color"><strong>カオダイ＝高台</strong></span>と名付けられた。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/Cao-dai-temple1.jpg" alt="" class="wp-image-2462" width="198" height="232" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/Cao-dai-temple1.jpg 600w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/Cao-dai-temple1-256x300.jpg 256w" sizes="(max-width: 198px) 100vw, 198px" /><figcaption><strong>「カオダイ教総本山」</strong><br>Wikipediaより</figcaption></figure></div>



<p>ホーチミン市から北西約100kmのタイニン省に<strong><span style="color: #800080" class="text-color">総本山</span></strong>がある。信徒数は約100万から300万と言われ、タイニン省の人口の7割あるいは3分の2がカオダイ教の信者だと言われる。</p>



<p>カオダイとはベトナム道教の最高神玉皇上帝のことであり、総本山教会堂の祭壇中央に信者を見下ろすように設置されている目玉は、カオダイの神の目である。これは天眼と呼ばれ「宇宙の原理」「宇宙の至上神」の象徴とする。</p>



<p class="has-text-align-center">この目玉はカオダイ教のシンボルマークでもある。総本山の建物は南国的かつ色彩的な外観であり、内部には色とりどりのネオンが取り囲み、祭壇は派手でけばけばしい』　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＝＝Wikipedia＝＝</p>



<p>その<strong><span style="color: #800080" class="text-color">「カオダイ教の総本山」</span></strong>の建物の前に車を停めました。辺り一帯は広い公園になっていて、多くの家族連れでにぎやかでした。「総本山」の入り口にはゲートが有ります。その門の入り口に居た守衛さんにHungくんが「今から家族たちでお寺の中を見学したいのですが」と申し出ると、やはり今も続く「コロナ」のせいで、多くの人たちが観光することはまだ許されていないとのことで、今回内部を見学することは出来ませんでした。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignleft size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh011-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2464" width="301" height="226" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh011-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh011-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh011-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh011-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh011-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 301px) 100vw, 301px" /><figcaption><strong>虎の置物に乗って遊ぶ子供たち</strong></figcaption></figure></div>



<p>仕方がないので、またみんなで車に乗って、Tay Ninh市内にある公園に遊びに行くことにしました。Tay Ninh市内には幾つもの公園や広場があり、多くの子供たちや大人がそこで楽しみ、遊んでいました。道路の歩道上に水牛や犬や猿や虎などの動物の大きい置物が有り、それに跨ってキャーキャー喜んでいました。</p>



<p>さらにまた、別の公園に行くことにして車を走らせました。夕方６時半頃に車が着いた所は広い芝生がある公園でした。入場料などは要りません。車はその公園の外の道路上に停めました。すでに多くの大人や子供たちが芝生の上を走り回って遊んでいました。食べ物などを売っている店も有ります。</p>



<p>公園の中心部には５ｍほどの高さの円錐形状の小山があり、階段が有るので、子供たちはそこを登ったり、降りたりして遊んでいます。公園内にはバイクは侵入禁止なので、大人たちも安心して遊ばせています。私が嬉しかったのは、Tay Ninh市の空気が大変澄んでいたことでした。清々しい空気が少ないサイゴンに住んでいる私には、それがよく分かりました。二月ですので、暑くもなく、寒くもなく、快適でした。</p>



<figure class="wp-block-gallery aligncenter columns-3 is-cropped wp-block-gallery-1 is-layout-flex wp-block-gallery-is-layout-flex"><ul class="blocks-gallery-grid"><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="800" height="600" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh007.jpg" alt="" data-id="2523" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh007.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2455/20220207tayninh007/" class="wp-image-2523" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh007.jpg 800w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh007-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh007-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="800" height="600" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh004.jpg" alt="" data-id="2478" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2455/20220207tayninh004/" class="wp-image-2478" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh004.jpg 800w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh004-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh004-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /><figcaption class="blocks-gallery-item__caption"><strong>Tay Ninh市内の公園</strong></figcaption></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="800" height="600" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh014.jpg" alt="" data-id="2482" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2455/20220207tayninh014/" class="wp-image-2482" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh014.jpg 800w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh014-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh014-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></figure></li></ul></figure>



<p>その後、７時過ぎに夕食に行くことにしました。夕食の場所もHungくんに任せました。７時半に車が着いた所は「焼肉の店」でした。そこは多くのお客がすでに居て、店の外までモウモウたる煙が流れていて、外からは店内が霞んで見えました。こういう店が「美味い店」なのでしょう。先ほどまで過ごしていた公園の清々しい空気から一転して、辺りが霞んだ煙に包まれた状態に変わりましたが、まあこれもまた面白かったです。</p>



<p>私たちの席は店の真ん中ほどの場所に案内されました。当然、前後左右からもモウモウたる焼肉の煙が流れてきます。扇風機を回していますので、私たちのテーブルの上で焼いた煙も、当然隣の席のほうに流れてゆくわけです。お互い様ですから「こっちに煙を流すな！」と文句を言う人は居ません。しかし、ここを出た後は、服も体も煙臭くなっていることでしょう。そこで食べた焼き肉は「牛肉」がメインでしたが、ここのもまた柔らかくて、大変美味しいものでした。二人の子供たちも気に入ったようで、パクパクと次々に食べていました。</p>



<p>この時、店は多くのお客さんたちで混んでいたので、店員さんも忙しそうにしていました。<br>私はノドが大変乾いてきました。それで、店員さんを席に呼ぶことはせずに、自分でビールを取りに行くことに。飲み物が入っている冷蔵庫からタイガービールを取り出し、そこに居た店員さんに「これを貰うよ！」とジェスチャーで示しました。店員さんもコクリと頷きました。しかし、ビールを飲むのは私だけです。みんなはジュースかお茶を飲んでいます。Hungくんも車の運転があるので、ビールはダメです。</p>



<p>ちょうど９時にそこでの食事は終わりましたが、そのままホテルに帰って寝るにはまだ少し早いので、また車に乗って、そのまま「喫茶店」に行くことに。その「喫茶店」でまさかのハプニングが起きたのでした。その「喫茶店」もHungくんの馴染みの店のようでした。室内と店の外にテーブル席が有りました。外のテーブル席のほうが広々としていて、多くのお客さんたちが座っています。</p>



<p>私たちも外のテーブル席のほうが涼しそうでもあり、そこに座りました。そして、そこでは道路側に近い場所にドラムやギターなどの楽器を持った人たちがいて演奏していました。小さい台の上では有名な人なのか、素人なのか知りませんが、一人の女性が歌を歌っていました。その女性が歌い終わると、また別の男性が歌い始めました。「喫茶店」にしては粋な演出と言うべきです。サイゴンでは室内ではまだしも、屋外でのこういう演出は見たことがありません。</p>



<p>みんなは飲み物だけを頼んで、その演奏を聴きながらしばらく休んでいました。するとしばらくして、私のほうに一人の若い男性がツカツカと近寄って来て、私にこう話しかけてきたのでした。　　　</p>



<p>　　　　　　　　　　　<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「先生、おひさしぶりです！！」　</span></strong></p>



<p>突然のことで私も驚きました。その顔をよく見ると確かに見覚えが有ります。彼が私にこう話しました。「今２階席に友人といまして、下のほうを何気なく見ていましたら、<span style="color: #ff0000" class="text-color">（どこかで見たような人だなぁ…）</span>という気がしたので、良く見るとやはり先生ではないですか!もー、大変驚きました!!」と、そう言うではないですか。それを聞いて、私自身が大いに驚きました。</p>



<p>彼の名前は<strong><span style="color: #800080" class="text-color">Khoa(コア)くん。</span></strong><span style="color: #800080" class="text-color">「今から６年前に先生に教えてもらいましたよ！」</span>と言って、その当時彼が自分で撮った私の写真も見せてくれました。確かに、その写真に私も見覚えがありました。しかし、あまりに意外なことで、しばらく私はポカーンとしていました。<br>Hungくんも私の女房も私達二人の関係が分かり、大いに驚いた様子で、彼にいろいろ質問していました。</p>



<p>私が「日本語」を教えてきた生徒たちの中で、Tay Ninh省には多くの教え子がいましたが、今まではそこを通過するだけでした。さらに、この日私がTay Ninh省に旅行に行くことは家族以外誰も知らないし、誰にも教えてもいません。況や、教え子たちが知るはずもありません。それが、今年初めてここに泊まり、市内にあるこの喫茶店にたまたま入り、そこで教え子に<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">《再会》</span></strong>出来るとは<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「何たる偶然、何たる幸運！！」</span></strong>と言うべきでしょうか。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninhgapminhkhoa-768x1024.jpg" alt="" class="wp-image-2465" width="237" height="315" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninhgapminhkhoa-768x1024.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninhgapminhkhoa-225x300.jpg 225w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninhgapminhkhoa-1152x1536.jpg 1152w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninhgapminhkhoa-398x530.jpg 398w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninhgapminhkhoa-424x565.jpg 424w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninhgapminhkhoa-533x710.jpg 533w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninhgapminhkhoa-544x725.jpg 544w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninhgapminhkhoa.jpg 1536w" sizes="(max-width: 237px) 100vw, 237px" /><figcaption><strong>Khoaくんとの《偶然の再会》</strong></figcaption></figure></div>



<p>私たちが話していた時も、前のほうでは歌手が歌っていました。それで<span style="color: #800080" class="text-color">、<strong>(そうだ、今から二人で‟サライ”を歌おう！)</strong></span>とふと思い、Khoaくんに話すと「‟サライ”ですか…。ボクはもう忘れてしまいました」と言うので、それは諦めました。彼に「今どんな仕事をしているの」と訊きましたら、「銀行に勤めています」と答えました。</p>



<p>その後、彼が私を誘い「あちらのほうで、二人で写真を撮りましょう」と誘うので、そちらに行きました。別れ際に私は「仕事も頑張ってね。ご両親にもよろしく！」とKhoaくんに挨拶して、そこで別れました。彼もニコッと頷きました。友人と二人で去ってゆく彼の背中を、しばらくじっと見つめていました。</p>



<p>そして10時過ぎにホテルに到着。今日の車での移動で、女房と娘たちはさすがに疲れたらしく、シャワーを浴びた後は二人ともスヤスヤと寝ました。私も少し疲れてはいましたが、ホテルに帰っても<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">《Khoaくんとの再会》</span></strong>の印象があまりに強く、この日のことを回想していました。寝床に就いても、この日の夜は嬉しい余韻が続いていました。たぶんカオダイ教の神さまが今日の《再会》を私にプレゼントして頂いたのでしょう。</p>



<p><span style="font-size: 18px" class="font-size">●<strong>Ba Den山に登る●</strong></span></p>



<p>この日はBa Den山に登る予定で、朝６時半に起床。ホテルの部屋のカーテンを開けると、左手にそのBa Den山がはっきり見えました。山水画でよく見るような峩々たる山ではなく、なだらかな山容をしています。Tay Ninh省を故郷とする生徒たちに<strong>「そこは何が有名なの？」</strong>と訊くと、みんな決まったように言う答えが「Ba Den山です！」なのでした。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh003-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2460" width="322" height="241" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh003-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh003-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh003-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh003-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220207tayninh003-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 322px) 100vw, 322px" /><figcaption><strong>ホテルの窓から見えた「Ba Den山」</strong></figcaption></figure></div>



<p>７時にホテルを出ましたが、（Ba Den山の頂上に着いたら寒いかも？）とみんなが言うので、長袖も準備しました。朝食はホテル近くの店で「フ―ティウ」を食べ、７時40分にそこを出て、８時にBa Den山の麓の駐車場に到着。すでにこの時間帯には、駐車場に多くの車が停めてありました。</p>



<p>その駐車場からBa Den山がはっきりと見えます。Ba Den山の高さは情報誌によってマチマチで、「986ｍ」だったり、「964ｍ」だったりします。その差は20ｍほども違いますが、公式には「986ｍ」が正しいです。実際に、ベトナム語で書かれた「標識」の写真も見ました。私達のような観光客は、まあ覚えやすく、「1000ｍ弱」だと覚えておけばいいでしょう。サイゴン市内から、そのBa Den山までは約100ｋｍです。</p>



<p>そのBa Den山に登るには、以前はみんな「徒歩」で登っていたわけです。後日談になりますが、あの<strong><span style="color: #800080" class="text-color">「日本語会話クラブ」</span></strong>のリーダーのTan(タン)くんが、私がBa Den山に登ったことを知り、「以前私は歩いて頂上まで登り、頂上で一泊しましたよ」と言いました。それは、2020年以前のことのようでした。</p>



<p>しかし、今は「ロープウェイ」が出来ているので、みんなはそれを利用しています。「登山目的」で歩いている人も見かけましたが少数です。「ロープウェイ」は2020年1月18日から運行したそうです。この時は知りませんでしたが、後で調べると、<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">『ベトナム情報誌：VIETJO』</span></strong>にそのことが載っていました。以下です。</p>



<p><strong>☆バーデン山観光区でロープウェイ運行開始、世界最大の乗り場でギネス記録☆</strong></p>



<p>2020/01/22　配信&nbsp;</p>



<p>『観光不動産開発のサングループ(Sungroup)は18日、東南部地方<a rel="noreferrer noopener" href="https://www.viet-jo.com/home/province.php?id=54&amp;name=%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8B%E3%83%B3%E7%9C%81" target="_blank">タイニン省</a>にあるバーデン山観光区の「サンワールド・バーデンマウンテン(Sun World Ba Den Mountain)」案件に含まれるロープウェイの運行を開始した。同ロープウェイの「バーデン山麓駅」は同日、ギネスワールドレコーズ(Guiness World Record)により、<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">世界最大のロープウェイ乗り場</span></strong>として認定された。<br><br>これは「バン・ソン(Van Son)」と「ハン寺(Chua Hang)」と名付けられたロープウェイ2路線から成るもので、世界をリードするロープウェイ建設企業であるドッペルマイアー(Doppelmayr)によって設計された。第1期の投資総額は2兆VND(約96億円)超。 このうち「バン・ソン」は全長1847m、同省のバーデン山の麓と頂上を約8分で結ぶ。出発点から到着点までの距離は886m。輸送能力は毎時4400人。113台あるキャビン1台の定員は10人。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignleft size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden001.jpg" alt="" class="wp-image-2485" width="253" height="190" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden001.jpg 800w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden001-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden001-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 253px) 100vw, 253px" /><figcaption><strong>駐車場から眺めた「Ba Den山」</strong></figcaption></figure></div>



<p>一方の「ハン寺」は全長1210m、バーデン山の麓とバーデン寺を約5分で結ぶ。出発点から到着点までの距離は259m。輸送能力は毎時4400人。78台あるキャビン1台の定員は10人となっている。始発駅にあたる「バーデン山麓駅」は標高42mに位置し、面積は約1万1000平方メートル。波打つような独特のデザインの屋根が特徴』</p>



<p>私たちが「バーデン山麓駅」に着くと、入り口には「ロープウェイ」の値段が表示された看板が立てかけてあります。それを見ると「大人25万ドン」となっていますが、Hungくんはここの担当者とも知り合いのようで「割引してくれたよ！」とニコッとしていました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden004.jpg" alt="" class="wp-image-2486" width="243" height="182" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden004.jpg 800w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden004-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden004-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 243px) 100vw, 243px" /><figcaption><strong>「ロープウェイ」の切符売り場</strong></figcaption></figure></div>



<p>さらに、上記にも「１台の店員は10名」となっていますが、私達の家族８名全員を１台の「ロープウェイ」に乗せるようにも計らってくれました。</p>



<p>最初に乗った「ロープウェイ」からは、前方にも後方にも、次々と移動している「ロープウェイ」が見え、遠くのほうにはTay Ninh市内が望めます。子供たち二人もガラス窓の下に流れる景色を興味深く見つめています。上から降りてきてすれ違う「ロープウェイ」の中のお客さんに手を振ると、向こうも同じように手を振って挨拶してくれました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignleft size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden012.jpg" alt="" class="wp-image-2489" width="211" height="158" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden012.jpg 800w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden012-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden012-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 211px) 100vw, 211px" /></figure></div>



<p>そして、「ロープウェイ」に乗ってやはり５分ほどで、山の中腹にあるお寺に着きました。お寺の門の上には<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「霊山仙石寺」</span></strong>と言う文字が記してありました。「ロープウェイ」を出ると、寒くもなく、暑くもなく、快適でした。そこは多くの観光客で込み合っていました。観光客に自由に線香を手向けてもらえるように、お寺の入り口には線香が準備してありましたので、私たちもそれを拝借しました。</p>



<p>ここにあるお寺は仏教のお寺だそうで、カオダイ教の寺院ではありません。山の中腹に立つと、水平線の向こうまでずーっと緑の平地が続いています。所々に点々として小さい粒のような建物も見えますが、眼下に広がる視界にはずーっと田園風景が続いています。そういう場所の中に、このBa Den山がポツンと聳えているので、地元の人たちの<strong><span style="color: #008000" class="text-color">＜山岳信仰＞</span></strong>の対象になったのだろうな…と想像できます。</p>



<figure class="wp-block-gallery alignright columns-2 is-cropped wp-block-gallery-2 is-layout-flex wp-block-gallery-is-layout-flex"><ul class="blocks-gallery-grid"><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="800" height="600" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden019.jpg" alt="" data-id="2491" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden019.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2455/20220208nuibaden019/" class="wp-image-2491" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden019.jpg 800w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden019-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden019-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="600" height="800" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden021-rotated.jpg" alt="" data-id="2492" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden021-rotated.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2455/20220208nuibaden021/" class="wp-image-2492" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden021-rotated.jpg 600w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden021-225x300.jpg 225w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></figure></li></ul><figcaption class="blocks-gallery-caption"><strong>山の中腹にあるお寺「霊山仙石寺」</strong></figcaption></figure>



<p>この中腹には大小幾つものお寺が建てられていて、それらを歩いて回りました。ベトナムの人たちはこういうお寺にも頭をこすり付けて「仏様」を拝んでいる人たちもいます。私はそこまではしませんでしたが、両手を合わせて静かに拝みました。昨年も日本に「帰国」が出来ないままでしたが、実はその昨年の９月に私の母が天国に旅立ちましたので、手を合わせながら、母を偲びながら<strong><span style="color: #800080" class="text-color">「母の霊よ、安かれ」</span></strong>と…。</p>



<p>山の中腹の「仙石寺」の訪問を終えた後、また「バーデン山麓駅」に戻り、次は山頂にある<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「ヴァン・ソン寺（Chua Van Son）」</span></strong>に登ることにしました。「Van Son 」とは漢越語で、「Van＝雲」「Son＝山」と言う意味です。漢字で書けば<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「雲山」</span></strong>となり、山の頂上に<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「雲山寺」</span></strong>という仏教寺院があるとのことでした。</p>



<figure class="wp-block-gallery alignright columns-2 is-cropped wp-block-gallery-3 is-layout-flex wp-block-gallery-is-layout-flex"><ul class="blocks-gallery-grid"><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="600" height="800" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden020-rotated.jpg" alt="" data-id="2494" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2455/20220208nuibaden020/" class="wp-image-2494" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden020-rotated.jpg 600w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden020-225x300.jpg 225w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="800" height="600" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden023.jpg" alt="" data-id="2496" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden023.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2455/20220208nuibaden023/" class="wp-image-2496" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden023.jpg 800w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden023-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden023-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></figure></li></ul><figcaption class="blocks-gallery-caption"><strong>お寺の境内にあった石碑</strong>・<strong>&nbsp;堂内で参拝していた人</strong></figcaption></figure>



<p>さらに、Hungくんの話では「頂上に着けば、昨年は建立中で、まだ完成していなかった大きな<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">《観音様》</span></strong>が見られるよ」と言うのでした。よく聞けば、彼は昨年も家族と一緒にこのBa Den山に来ていたのでした。道理で辺りの地理にも詳しく、ここの係員とも顔見知りだったわけです。私の家族は初めてここを訪問しましたので、彼が頼もしいガイドのようになりました。</p>



<p>Ba Den山の頂上へ行くのも、当然また「ロープウェイ」です。「ロープウェイ」と言えば、2018年10月に<strong><span style="color: #800080" class="text-color">「中国への旅」</span></strong>で<strong><span style="color: #008000" class="text-color">《天門山》</span></strong>に登った時も「ロープウェイ」を利用しました。《天門山》の「ロープウェイ」の長さは、何と7500ｍもありました。《天門山》の「ロープウェイ」が高さもはるかに高かったです。「ロープウェイ」自体は、《天門山》もBa Den山も、騒音も無く、室内も清潔で、大変快適でした。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignleft size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden027.jpg" alt="" class="wp-image-2497" width="230" height="173" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden027.jpg 800w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden027-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden027-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 230px) 100vw, 230px" /><figcaption><strong>「ロープウェイ」から見た景色</strong></figcaption></figure></div>



<p>9時45分に家族みんなで「ロープウェイ」に乗り、私の時計では約10分で頂上に着きました。そして、大きな、高い《観音様》が眼の前に立っておられました。その足元には大きくて、広い、お皿のような形の【台座】が置かれ、その上に《観音様》がおられます。身には紺青色の地味な衣装をまとった、実に美しい姿です。全然ケバケバしい雰囲気はありません。そこにいた多くの人たちが、《観音様》の前で両手を合わせて拝んでいました。</p>



<p>そこもまた多くの観光客で賑わっていました。みんながマスクを付けています。《観音様》の足元には階段があり、みんなはそこを歩いて、頂上の観音様の近くまで進んでゆきます。台座のお皿の一番上にある広場に着くと、頂上からは景色がはっきり見えました。この日は快晴で、ずーっと地平線の先のほうまで見えました。山の頂上を流れる風が柔らかく、涼しいものでした。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden029-rotated.jpg" alt="" class="wp-image-2499" width="200" height="236"/><figcaption><strong>&nbsp;山頂に立つ「観音様」</strong></figcaption></figure></div>



<p>広場になっている所には木製のベンチが置いてあり、みんなが休憩しています。私たちもそこに座って一休み。すると、隣にある建物の中で「映画」が上映されるとのことで、観光客が次々と入ってゆきます。私たちもそうしました。中に入ると館内は真っ暗でした。しばらくすると、電気が消えて真っ暗になりました。</p>



<p>すると、天井全体がスクリーンになり、そこに映画が上映されました。映画の内容は宇宙の創造から仏さまの誕生までを簡単に描いたストーリーでした。10分足らずの短い映画でしたが、子供たちにはあまり面白い映画ではなかったようです。アニメ風の映画であれば、興味深く観ていたでしょうが。</p>



<p>そこを出て、《観音様》の周りに広がる、キレイな公園の場所でしばらく寛ぐことにしました。そこにはたくさんの木が植えてあり、色とりどりの花が咲いています。空には青空が広がり、その足元には赤・青・黄・白・ピンク色の花々が咲き乱れ、その中に《観音様》が静かに立っておられます。建物の中で見る《観音様》よりも、こういう雰囲気の中で仰ぎ見る《観音様》は実に神々しく、優美に見えます。私自身も自然と手を合わせて、その《観音様》を拝んでいました。</p>



<figure class="wp-block-gallery alignright columns-3 is-cropped wp-block-gallery-4 is-layout-flex wp-block-gallery-is-layout-flex"><ul class="blocks-gallery-grid"><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="600" height="800" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden030-rotated.jpg" alt="" data-id="2501" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2455/20220208nuibaden030/" class="wp-image-2501" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden030-rotated.jpg 600w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden030-225x300.jpg 225w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="800" height="600" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden032.jpg" alt="" data-id="2502" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2455/20220208nuibaden032/" class="wp-image-2502" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden032.jpg 800w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden032-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden032-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="600" height="800" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden039-rotated.jpg" alt="" data-id="2505" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden039-rotated.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2455/20220208nuibaden039/" class="wp-image-2505" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden039-rotated.jpg 600w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden039-225x300.jpg 225w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></figure></li></ul><figcaption class="blocks-gallery-caption"><strong>「観音様」</strong></figcaption></figure>



<p>最初からBa Den山の頂上に立つ《観音様》を拝む目的で来たわけではありませんでしたが、今振り返ると、そこが今回の旅の「終着点」だったような気がしてきました。ここに立つ《観音様》を拝んでいた人たちの中にも、たぶん私と同じように「両親」や「親族」や「友人」を亡くした人がいたことでしょう。その時の悲しみを抱えたまま、ここに立つ《観音様》を眼の前にした時、こころ癒されたのではないでしょうか。</p>



<p>Ba Den山の頂上での観光を終え、11時を過ぎた頃、また「ロープウェイ」に乗って、「バーデン山麓駅」まで下りました。私の時計では、下りも10分弱で着きました。また車に乗って、そのままホテルに行きました。大きな荷物はまだそこに置いているし、真昼にホテルを出ると暑いので、ホテルで少し休むためです。</p>



<figure class="wp-block-gallery alignleft columns-2 is-cropped wp-block-gallery-5 is-layout-flex wp-block-gallery-is-layout-flex"><ul class="blocks-gallery-grid"><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="800" height="600" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden047.jpg" alt="" data-id="2507" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden047.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2455/20220208nuibaden047/" class="wp-image-2507" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden047.jpg 800w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden047-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden047-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="800" height="600" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden048.jpg" alt="" data-id="2508" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden048.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2455/20220208nuibaden048/" class="wp-image-2508" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden048.jpg 800w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden048-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden048-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></figure></li></ul><figcaption class="blocks-gallery-caption"><strong>Tay Ninh市内にある遊園地</strong></figcaption></figure>



<p>ホテルで少し休んで、２時ちょうどにホテルを出発。そのままサイゴンに向かうのかと思いきや、Hungくんは車をキレイな遊園地の前に停めました。遊園地の名前は<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「Long Dien Son(ロン・ディエン・ソン)」</span></strong>。園内には広い池や小川が有りました。Hungくんは子供たちにしばらく自由に遊んでもらうためにそこに行ったようです。確かに、子供たちがその小川で水遊び出来るような滑り台も有りましたが、この時には誰も遊んではいませんでした。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden054.jpg" alt="" class="wp-image-2512" width="166" height="221" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden054.jpg 600w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden054-225x300.jpg 225w" sizes="(max-width: 166px) 100vw, 166px" /><figcaption><strong>遊園地での家族全員の</strong><br><strong>記念写真</strong></figcaption></figure></div>



<p>園内にはレストランのような施設も有りましたが、誰もいません。そもそも店員もいないのです。私たちは休むだけでいいので、そこでしばらく休憩。そこの椅子に座って、ふと左側を見ると、先ほどまで私達が訪れていたBa Den山が遠くに見えました。遠くに見えたBa Den山をあらためて見つめていますと、教え子たちが「バーデン山は大変美しいですよ！」と言ったことに「本当にそうだったよ！」と返事したい気持ちになりました。</p>



<p>Ba Den山の自然を出来るだけそのまま残しながら、お寺や《観音様》を建立し、観光客に来てもらう、そういう「構想」で造られたような気がします。観光地の中には「一度行けばもういいよ」という所も有りますが、Ba Den山はリピーターも多いと思います。そして、「Long Dien Son」でのしばしの休憩を終え、夕方４時前にそこを出て、サイゴンに向かいました。車の中から遠くに見えるBa Den山に別れを告げました。</p>



<p class="has-text-align-center"><strong><span style="color: #008000" class="text-color">“Ba Den山よ、さようなら！！”</span></strong></p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignleft size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden052.jpg" alt="" class="wp-image-2511" width="177" height="133" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden052.jpg 800w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden052-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2022/03/20220208nuibaden052-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 177px) 100vw, 177px" /><figcaption><strong>遊園地から見えた</strong><br><strong>「Ba Den 山」</strong></figcaption></figure></div>



<p>途中、Hungくんが「知人と仕事の話がある」と言うので、喫茶店に一度立ち寄りました。それが終わってサイゴン市内に入り、12区に有るHungくんの弟くんの家に寄り、そこで晩御飯をご馳走になりました。そこを出て、最終的に４区に着いたのは夜の８時を過ぎていました。</p>



<p>こうして、今年最後の「テト休み」が終わりました。私自身は、今年観光としては初めて訪問したTay Ninh省とBa Den山バーデン山でした。最初に記したように、私の教え子たちの故郷がTay Ninh省にある生徒も多く、彼らが自分の故郷を紹介する時に「バーデン山は大変美しいですよ！」と言っていましたが、事実その通りでした。さらには、教え子の一人とも約6年ぶりに巡り合い、<strong>＜偶然の再会＞</strong>が出来ました。大変いい<strong>【思い出】</strong>が出来た＜Tay Ninh省への旅＞になりました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ベトナムBAOニュース</h2>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>ハノイ：「オレンジゾーン」急増、多くの学校が完全オンライン授業に</strong></h3>



<p>ハノイ市人民委員会が6日に発表した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の村・街区・町レベルの感染流行状況レベルに関する通知第169号/TB-UBNDによると、326行政区が<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「レベル3(高リスク＝オレンジゾーン)」</span></strong>となっており、前週に比べて4倍以上に増加した。<br>一方、<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「レベル1(低リスク＝グリーンゾーン)」と「レベル2(中リスク＝イエローゾーン)」</span></strong>の行政区は前週に比べて大幅に減少した。</p>



<p>これにより、新たにオレンジゾーンに引き上げられた行政区内の教育施設300校近くが、7日から完全オンライン授業となっている。「レベル4(超高リスク＝レッドゾーン)」の行政区でも同様の措置を取る。なお、グリーンゾーンとイエローゾーンの行政区は、対面授業を継続する。</p>



<p class="has-text-align-right">　＜VIETJO＞</p>



<p><strong>◆</strong><strong>解説</strong><strong>◆</strong></p>



<p>今年の「テト」の時遊びに行った「Dam Sen公園」では、多くの人たちみんながマスクなどは無しで遊んでいましたので、<span style="color: #ff0000" class="text-color">（「テト」明けは大丈夫だろうか。コロナがまた広がらないだろうか・・・）</span>と危惧したことを書きましたが、最近のベトナムでの「コロナ感染者数」の増大は、残念ながら怖れていたような状況になっています。</p>



<p>３月初旬のサイゴンは「感染者数」が連日3千人を超えた日もありました。ハノイの「感染者数」はさらに多く、３月２週目には一日３万人台を超えました。それが、この＜VIETJO＞の記事内容に繋がるわけです。しかし、実はちょうど一カ月前には、同じVIETJO＞の記事になりますが、以下のような内容が載っています。</p>



<p><strong>＜複数の省・市でテト明け7</strong><strong>日に学校再開、一部はオンライン授業継続＞</strong></p>



<p class="has-text-align-right">2022/02/08　配信</p>



<p>『<a href="https://www.viet-jo.com/home/province.php?id=5&amp;name=%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%9F%E3%83%B3%E5%B8%82" target="_blank" rel="noreferrer noopener">ホーチミン市</a>では、中学2年生(日本の中学1年生に相当)から高校3年生までが7日から登校を再開した。該当の学年は、テト前に数か月ぶりに対面授業を再開した。園児と小学1年生から中学1年生(日本の小学6年生に相当)までの対象者については、教育施設は保護者から承諾を得た上で対面授業を再開することが可能となっている。<br><br>南中部沿岸地方<a href="https://www.viet-jo.com/home/province.php?id=4&amp;name=%E3%83%80%E3%83%8A%E3%83%B3%E5%B8%82" target="_blank" rel="noreferrer noopener">ダナン市</a>でも、中学2年生から高校3年生までが同じく7日から登校を再開した。<a href="https://www.viet-jo.com/home/province.php?id=1&amp;name=%E3%83%8F%E3%83%8E%E3%82%A4%E5%B8%82" target="_blank" rel="noreferrer noopener">ハノイ市</a>では、中学2年生から高校3年生までが8日から、郡・町の学校の小学1年生から中学1年生までが10日から登校をそれぞれ再開する。なお、区の学校の小学1年生から中学1年生は、新たな通知が出るまでオンライン授業を継続する』</p>



<p>つまり、ハノイでは「テト」後わずか一カ月でまた<strong>「多くの学校がオンライン授業」</strong>に戻ってしまったわけです。サイゴンではまだそこまでの状況にはなっていません。しかし、実に身近な一例で、同じように「オンライン授業」になった小学生が現れました。今月号に載せた、私の甥っ子の<strong>「小学２年生の女の子」</strong>です。</p>



<p>２月の「テト」が終わり、サイゴン市内の学校が「登校再開」したのは「2月14日」からでした。彼女は低学年でもあり、「コロナ」による長い「休校」が続いていた時は、<strong>「家で遊べる楽しさ」</strong>と<strong>「友達に会えない寂しさ」</strong>が半分ずつのような表情だったとはHungくんの話です。「休校」の時には、家の前の路地で毎日三輪の自転車を漕いで遊んでいました。<br>でも、学校が「再開」したら、やはり友達との「再会」が楽しそうな様子でした。</p>



<p>それが、３月二週目の月曜日に、私の女房が家の中にいる彼女を見ました。「あれ、学校は？」と訊くと、何と彼女の返事は「担任の女の先生がコロナになったので、治るまでお休みよ」と言うものでした。先生が「コロナ」に罹ってしまったら、クラスの生徒たちに感染する危険性が高いので、「休校」もやむを得ないでしょう。「二週間ぐらい先生は休んで様子をみる」とのことでした。それで、彼女は今「オンライン」で授業を受けています。</p>



<p>実は、このような事態「学校が始まると、先生や生徒がコロナに罹る怖れ」については、私自身も大変心配していました。昨年の１月末に、サイゴン市内の４区にある<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「Vinh Son Vinh Hoi小学校」</span></strong>を訪問しました。我が社・ティエラから依頼された、ティエラで学んでいる生徒たちの善意の寄付金<strong><span style="color: #800080" class="text-color">「がんばりポイント」</span></strong>を「テト」休みが明けてから学校に届けるためです。</p>



<p>今年も同じような依頼が有りました。それで、そのことの是非について、あのSaint Vin Son小学校の責任者であられた藤牧さんとも相談しました。結論は「今年はまだ訪問しないほうがいいでしょう」となりました。昨年私がそこを訪問した時には、藤牧さんも奥さんのOanh先生も一緒でした。</p>



<p>今年も同じようにそこを訪問したその後に、生徒さんや先生たちの中から一人でも「コロナ感染者」が出た場合、「あの時、外部から来た日本人たちのせいでは…」と私たちの責任になる可能性もあるし、もしそう思われたら、今後二度と訪問出来なくなるかもしれません。それで、今年の訪問は断念した次第です。</p>



<p>昨年、同じように寄付金を持参した<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「カンザー森林保局」</span></strong>にも「コロナのために、今年は行けず、来年お伺いします」と伝えました。最近のベトナムは「Withコロナ」に切り替わりつつありますが、学校や仕事や日常生活が<strong>「普通」</strong>に戻るまでには、まだしばらく時間が掛かることでしょう。</p>



<p><br></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>【2021年5月】Japan-Vietnam Festival開催／南部解放記念日とメーデー、4月30日～5月3日の4連休</title>
		<link>https://g-tierra.com/aozai/post-2346/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[aozai]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 13 May 2021 05:43:05 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[2021年1月～12月]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://g-tierra.com/aozai/?p=2346</guid>

					<description><![CDATA[「第7回ジャパン ベトナム フェスティバル」が、今年2021年4月17日（土）・18日（日）の両日、サイゴン市内の中心部にある「９月２３日公園」で開催されました。 この「ジャパン ベトナム フェスティバル」は2013年か [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<div class="wp-block-image"><figure class="alignleft size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7676-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2358" width="238" height="178" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7676-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7676-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7676-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7676-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7676-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 238px) 100vw, 238px" /></figure></div>



<p><strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「第7回ジャパン ベトナム フェスティバル」</span></strong>が、今年2021年4月17日（土）・18日（日）の両日、サイゴン市内の中心部にある<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「９月２３日公園」</span></strong>で開催されました。</p>



<p>この「ジャパン ベトナム フェスティバル」は2013年からスタートして、その後毎年開催されていましたが、昨年2020年は「コロナ」のために中止。中共発の「コロナ」は、こういうイベントの中止にまでその影響を及ぼしたのです。そして、それから一年を経て、今年は無事に「開催実現」の運びになりました。それで、18日に女房と二人でお昼過ぎに出かけてきました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7677-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2357" width="249" height="188" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7677-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7677-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7677-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7677-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7677-2048x1536.jpg 2048w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7677-530x398.jpg 530w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7677-565x424.jpg 565w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7677-710x533.jpg 710w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7677-725x544.jpg 725w" sizes="(max-width: 249px) 100vw, 249px" /><figcaption><strong>「朱の鳥居の門」</strong></figcaption></figure></div>



<p>バイクを駐車場に預けて、会場の近くまで歩いて行きました。会場の入口には<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「朱の鳥居の門」</span></strong>が建ててあり、観客はそこから入場していました。入場料は有りません。無料でした。そして、この日、ここでも多くの人たちがマスクをしていました。私たちもそうしました。</p>



<p>しかし、今年は以前と比べて出店数も少なく、規模も小さくなりました。仕方がありません。その会場入口には「コスプレ」の衣装に身を包んだ若者たちがたくさんいて、お客さんたちが喜ぶ歓声に応えて、ポーズを決めていました。その衣装や化粧や髪の色などが実に派手で、今から舞台に出てゆくかのような雰囲気でした。</p>



<p>しかし不思議なのは、どこでこういう派手な衣装を着替えてきたのかということです。まさか、家からあのままの姿でバイクに乗って会場まで着いたのではないだろうとは思いますが、それが不思議でした。この会場のすぐ近くには地下街に飲食店が有り、そのフロアーにはトイレもあるので、もしかしたらその中で着替えて来たのかもしれません。</p>



<p>この日、この場で「コスプレ」の衣装を着ていたのはほとんどがベトナム人の若者たちです。「ジャパン ベトナム フェスティバル」では良く見る光景です。「コスプレ」自体は古くからあるようですが、「コスプレ」と言う言葉自体は日本の漫画やアニメやゲームから出来た<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「和製英語」</span></strong>のようです。しかし、私自身は日本では見たことがなく、このベトナムで初めて見ました。</p>



<figure class="wp-block-gallery aligncenter columns-3 is-cropped wp-block-gallery-6 is-layout-flex wp-block-gallery-is-layout-flex"><ul class="blocks-gallery-grid"><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7680-1024x768.jpg" alt="" data-id="2360" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2346/cimg7680/" class="wp-image-2360" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7680-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7680-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7680-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7680-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7680-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7684-1024x768.jpg" alt="" data-id="2361" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2346/cimg7684/" class="wp-image-2361" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7684-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7684-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7684-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7684-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7684-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7685-1024x768.jpg" alt="" data-id="2362" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2346/cimg7685/" class="wp-image-2362" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7685-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7685-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7685-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7685-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7685-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li></ul></figure>



<figure class="wp-block-gallery aligncenter columns-3 is-cropped wp-block-gallery-7 is-layout-flex wp-block-gallery-is-layout-flex"><ul class="blocks-gallery-grid"><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7688-1024x768.jpg" alt="" data-id="2365" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2346/cimg7688/" class="wp-image-2365" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7688-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7688-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7688-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7688-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7688-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7689-1024x768.jpg" alt="" data-id="2366" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2346/cimg7689/" class="wp-image-2366" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7689-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7689-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7689-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7689-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7689-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7690-1024x768.jpg" alt="" data-id="2367" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7690-scaled.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2346/cimg7690/" class="wp-image-2367" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7690-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7690-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7690-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7690-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7690-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li></ul><figcaption class="blocks-gallery-caption"><strong>コスプレ姿の若者たち</strong></figcaption></figure>



<p>会場内では右手の小皿の上にお菓子や飴などを載せてタダで配り、お客さんたちがそれを歩きながら摘まんで食べていました。私も幾つかそれを頂きました。いろんなブースが有りましたが、その中の一つには竹細工で作成した「昆虫」や「金魚」などを販売していました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7693-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2368" width="303" height="228" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7693-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7693-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7693-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7693-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7693-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 303px) 100vw, 303px" /><figcaption><strong>書道の実演</strong></figcaption></figure></div>



<p>さらにまたそのすぐ隣では「書道」の実演をしていました。二つの台に二人ずつ座り、書道で使う筆を持って墨で漢字を書いていました。手前の女性が書いていたのは「恋」という漢字でした。その漢字を日本人と思われる女性が相手の女性の手を添えて指導していました。大変微笑ましかったですね。</p>



<p>会場の中にはいろんな食べ物や飲み物も販売されていました。<strong>「SUSHI BAR」</strong>も出店していました。私の馴染みの<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「SUSHI KO」</span></strong>は三年前にはこの会場に店を出していましたが、今年は有りませんでした。私が知っている日本料理屋さんでは「SUSHI BAR」が唯一だったので、それを見た時、大変嬉しかったです。この日は大変暑かったので食べ物は買わず、私はアイスクリームを食べました。</p>



<p>会場内の一番奥の場所には大きな「舞台」が設営してあり、その舞台上で二人の男性が大きな声と派手なジェスチャーをしながら動き回っていました。よくよく見ると、二人とも一度だけ見たことがある日本人でした。以前、この場所とは違う会場で「ジャパン ベトナム フェスティバル」が行われた時にも見ましたので、これが二度目になります。</p>



<figure class="wp-block-gallery aligncenter columns-2 is-cropped wp-block-gallery-8 is-layout-flex wp-block-gallery-is-layout-flex"><ul class="blocks-gallery-grid"><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7697-1024x768.jpg" alt="" data-id="2372" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2346/cimg7697/" class="wp-image-2372" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7697-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7697-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7697-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7697-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7697-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7698-1-1024x768.jpg" alt="" data-id="2373" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7698-1-scaled.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2346/cimg7698-1/" class="wp-image-2373" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7698-1-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7698-1-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7698-1-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7698-1-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7698-1-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li></ul><figcaption class="blocks-gallery-caption"><strong>会場内の舞台</strong></figcaption></figure>



<p>その二人の日本人とは、このベトナムで活躍している、有名なお笑いコンビ<strong><span style="color: #800080" class="text-color">＜ダブルウィッシュ＞</span></strong>です。彼ら二人のことについては以前、<strong><a href="https://g-tierra.com/aozai/201606-2/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">2016年6月号の「ベトナムスケッチ」</a></strong>でも紹介されました。</p>



<p><strong>　◆ベトナムの日本人：お笑い芸人・ダブルウィッシュ　「井出一博さん」「中川新介さん」◆</strong></p>



<p>彼らのその<a href="https://www.vietnam-sketch.com/2016062080516?fbclid=IwAR1F5CIGWO9-Uxaq0Nm7QpLXg8SyZ1AodczF22zIPA5bOSxlMqvXI7YQ4zo" target="_blank" rel="noreferrer noopener"><strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「紹介記事」</span></strong></a>を初めて読んだ時、その中にある次の内容が強く印象に残っています。</p>



<p><span style="color: #008000" class="text-color">“2015年6月、「有名になるまで日本には帰ってくるな」という指令のもと、「住みますアジア芸人」としてベトナムへ。普段は口にこそ出さないが、＜お笑い芸人の節目＞とされる10年目を強烈に意識していたと言い、「世に出るチャンスをつかみにきた」と中川さん。井出さんも「やれることは何でもやってみたかった」と当時の心境を振り返る。”</span></p>



<p>私たち二人がその舞台近くに着いた時には、すでに彼ら二人の「漫才」は始まっていて、多くの観客たちが椅子に座って聴いていました。椅子に座っていた人たちはそのほとんどがベトナム人のようでしたが、少人数ながら日本人らしき人たちもいました。そこに集まっていたベトナム人、日本人の人たち全員が彼ら二人の演技を爆笑しながら見ていました。</p>



<p>この日彼ら二人は<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「ベトナム語の発音の難しさ」</span></strong>をネタにして、いろいろな単語を例に出し、日本人がベトナム語の単語を普通に発音してもなかなかベトナム人には通じないことを「身振り・手振り」を交えて演じ、観客の大爆笑を誘っていました。その同じ場面が舞台上の大画面のテレビに映し出されていましたので、ベトナムの人たちにも良く理解出来ていたのでした。</p>



<p>さらに、この会場内では、その「ベトナム人に通じない単語」の具体的な例を、ベトナムの人たちにも分かるようにベトナム語が書いてある「厚紙」を持ち込んでいました。それを観客に見せましたので、もし彼らのベトナム語の発音が通じなくても、その「厚紙」の単語を見れば、ベトナムの人たちにも分かるように周到に準備していたのでした。そのことに、私は感心しました。</p>



<p>彼ら二人はベトナム在住がもうすぐ６年目に入る頃ですが、なかなかどうして見事なベトナム語を話します。女房も大変感心していました。彼ら日本人の若者二人が、異国のベトナムで活躍している姿を見ていて、涙が出るほど嬉しい限りです。</p>



<p><strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「ローカル劇場に挑戦してベトナム人相手にネタを磨き、確実に笑いをとりにいきたいと二人は意気込む」</span></strong></p>



<p>とも、そのベトナムスケッチの中で紹介されていましたが、なかなかどうして、あの日、あの場では<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「確実に笑い」</span></strong>をとっていました。後で家に戻って調べると、画面に映っていたのと同じ場面の動画がYouTubeでも観ることが出来ました。これが傑作でした。YouTubeは<a href="https://www.youtube.com/watch?v=NrJcxTlB1B8&amp;t=58s" target="_blank" rel="noreferrer noopener">このアドレス</a>です。</p>



<p>私が彼ら二人に特に<strong><span style="color: #008000" class="text-color">＜親近感＞</span></strong>を抱いたのは、彼ら二人の日本での「故郷」が<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「熊本」</span></strong>だということを知ったからでした。<strong>「井出さん」「中川さん」</strong>の二人ともが「熊本出身」だというのです。このサイゴンで「熊本出身」の人たちに会うことは少ないので、それだけでも大変嬉しかったのです。</p>



<p>それで、この日、彼ら二人をまた見ることが出来たので、私は<span style="color: #ff0000" class="text-color">（舞台 での演技が終わったら、あの二人と直接話したいなー）</span>と期待していたのですが、それが終わると、彼ら二人は表から出てくることはなく、舞台の裏のほうにそのまま消えてゆきましたので、それは叶いませんでした。でも<span style="color: #ff0000" class="text-color">（いつか、そのうち会えるのでは・・・）</span>と期待しています。</p>



<p>その後、会場内をしばらくグルグルと回って、いろいろ見学した後、午後３時半過ぎに私たちは会場を後にしました。また来年も「ジャパン ベトナム フェスティバル」が同じ場所で行われ、＜ダブルウィッシュ＞の芸を観ることを楽しみにしています。</p>



<figure class="wp-block-gallery aligncenter columns-3 is-cropped wp-block-gallery-9 is-layout-flex wp-block-gallery-is-layout-flex"><ul class="blocks-gallery-grid"><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7711-1024x768.jpg" alt="" data-id="2374" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2346/cimg7711/" class="wp-image-2374"/></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7706-1024x768.jpg" alt="" data-id="2375" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2346/cimg7706/" class="wp-image-2375" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7706-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7706-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7706-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7706-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7706-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7710-1024x768.jpg" alt="" data-id="2376" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7710-scaled.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2346/cimg7710/" class="wp-image-2376" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7710-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7710-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7710-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7710-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7710-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li></ul><figcaption class="blocks-gallery-caption"><strong>舞台上のダブルウィッシュ</strong></figcaption></figure>



<p>●<strong>「コロナ禍」は今も続く・・・。そして、皆さんへのお知らせ●</strong></p>



<p>５月最初の土曜日に、藤牧さんが「スシコ」に来られました。そして、そこで話されたことで、私自身が大変驚いた話がありました。藤牧さんは私に次のように話されたのでした。<span style="color: #1e90ff" class="text-color">「あのSinh Caféもシャッターが下りていましたよ！！外から見た様子では、たぶん今後もずっと休業することでしょう」</span>と、そのように話されたのでした。それを聞いた私は「ええーっ！本当ですか！！」とビックリしました。</p>



<p><br>このベトナムでは大手の旅行会社とも言うべき<strong><span style="color: #800080" class="text-color">「通称Sinh Café」</span></strong>ですが、今は<strong>「TheSinh Tuorist」</strong>と名前を変えてサイゴン市内の１区のDe Tham通りに事務所が有りました。さらにはベトナム全土にもその支店が有ります。さらには、ハノイにはニセモノの「Sinh Café」までも有ります。それだけ、有名な「Sinh Café」を利用したい人たちが多いということです。</p>



<p>私もベトナムに来た当初、ベトナム北部まで旅行した時、そのSinh Caféのバスには大変お世話になりました。ハノイまでの片道切符一枚を買うだけで、途中の観光地が気に入れば、そこに何泊してもいいし、いつ次の観光地に行っても良く、その前日に翌日の出発日を連絡すれば、ホテルまでバスが迎えに来てくれるという便利さがあったからです。ベトナム南部の「メコンデルタ・ツアー」などの時にも良く利用させて頂きました。</p>



<p>欧米人の旅行者などにも大変人気が有り、多くの人たちがSinh Caféのバスツアーを利用していました。毎日・毎日「Sinh Café」の事務所前からは大型バスが旅に出発し、旅から戻って来たバスが事務所前に到着して大変賑わっていました。そのSinh Caféが休業しているとは・・・、どうにも<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「信じられない思い」</span></strong>でした。</p>



<p>それで、　藤牧さんに会った翌日の午後、早速直接確かめに行きました。すると、やはり、藤牧さんの言葉の通り「Sinh Café」の事務所は「休業」していました。事務所の表入り口にはシャッターが下り、そのシャッターにはベトナムで店や事務所が「休業」した時には良く見られる、<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「ペンキでの落書き」</span></strong>が有りました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7739-1-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2380" width="320" height="239" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7739-1-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7739-1-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7739-1-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7739-1-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7739-1-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /><figcaption><strong>シャッターが下りていたThe Sinh Tourist</strong></figcaption></figure></div>



<p>こういう「落書き」が書かれているというのは、「今後もずっと休業します！」と言う意味です。数日間だけの「休業」であれば、管理人や隣近所の眼が有りますから、わざわざそこにペンキを持ち込んで「落書き」などをすることは出来ません。ですから、「今後もずっと休業します」というのが分かる訳です。</p>



<p>しかし、私はその「落書き」されているシャッターを見て、大変悲しくなりました。あの大手の旅行会社のSinh Caféもやはり「コロナ禍」の影響を免れなかったのです。</p>



<p>ベトナム国内では「コロナ」の拡大を防ぐことが出来ていても、外国からの「旅行者」が来ないことには、Sinh Caféのような旅行会社は営業を続けることが出来なくなったのでしょう。</p>



<p>しばらくその前に立ち止まっていますと、「Sinh Café」の事務所の中で元気良く働いていた若い人たちを思い出しました。その時、一陣の風がサーッと吹き、事務所前に落ちていた紙クズが風に吹かれて飛んでゆきました。（やはり、このまま休業してしまうのだろうなぁー）と思いました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7734-1-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2384" width="336" height="253" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7734-1-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7734-1-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7734-1-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7734-1-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7734-1-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 336px) 100vw, 336px" /><figcaption><strong>人の姿が無い歩行者天国</strong></figcaption></figure></div>



<p><br>そして、そこを後にして、<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「人民委員会」</span></strong>の建物が有る<strong>Nguyen Hue通り</strong>の<span style="color: #1e90ff" class="text-color"><strong>「歩行者天国」</strong>に</span>行きますと、日曜日というのにほとんど人通りが有りませんでした。今まで何回もその場所を訪問していますが、そういう光景を見たのはこの時が初めてでした。それもまた<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「信じられない光景」</span></strong>でした。</p>



<p>日本から流れて来ているニュースでも、ますます「コロナ」が猛威を振っていますね。この「コロナ」はいつまで続くか分かりませんが、日本の皆さんたちも、くれぐれもお気を付けください。</p>



<p>それで、私から<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">＜皆さんたちへのお知らせ＞</span></strong>が有ります。今回世界中を襲った中共発の「コロナ」のせいで、世界中で多くの人たちが亡くなり、多くの会社や企業が<strong>「休業」「廃業」「営業停止」「倒産」</strong>の状態に陥りました（あの「Sinh Café」も含めて）。さらにその余波は、今後もまだ続いてゆくことでしょう。</p>



<p>2019年にティエラの生徒たちが宿泊したサイゴン市内のホテルは、今も「売家」の紙が貼りつけられていて、風になびいているままです。日本は<span style="color: #ff00ff" class="text-color">＜緊急事態宣言＞</span>が主要都市に出されました。こちらベトナムでも、またまた５月１０日からサイゴン市内の小中高は休校になりました。ちょうど<span style="color: #0000ff" class="text-color">「夏休み」</span>に入る時期と重なりますので、また長い休みが続くことでしょう。</p>



<p>それで、私自身今年に入ってずーっと悩み、考え続けていました。2020年初めから今に至るまでずっと続いてきた<span style="color: #ff0000" class="text-color">「コロナ禍」</span>のせいで、</p>



<p><strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">　◎日本から友人や知人が来ることが出来ない。あの「石川文洋さん」にも、昨年も今年も会えません。</span></strong></p>



<p><strong>　<span style="color: #0000ff" class="text-color">◎ベトナムから国外へのみならず、ベトナム国内も自由に、好きな所へ行けない、旅行にも行けない。自由に移動できない。</span></strong></p>



<p><strong>　<span style="color: #0000ff" class="text-color">◎友人・知人に声掛けしてパーティーをすることもままならない。</span></strong></p>



<p><strong>　<span style="color: #0000ff" class="text-color">◎こちらの新聞に載るニュースや記事も「コロナ」「コロナ」の記事ばかりでウンザリ。</span></strong></p>



<p>・・・などのために、最近は＜私の身辺に起きたテーマ＞がどうしても多くなりました。私が今まで載せてきた<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「意外な人との出逢い」「面白い出来事」「面白い観光地への旅」「日本帰国時の出来事」</span></strong>・・・などについて触れることが出来なくなりました。</p>



<p>それで、今後は<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「何か面白いことが起きた時」「面白い人に出逢った時」「どこか面白い場所を訪問した時」「大事な出来事が起きた時」</span></strong>などなどの時にUPするようにして、<strong><span style="color: #800080" class="text-color">「回数としては不定期」</span></strong>になるかもしれませんが、そのほうがいいかな・・・と考えました。「不定期」になるとした時、今後載せる時は<strong>「三ケ月」</strong>か<strong>「半年」</strong>か<strong>「一年」</strong>に一度ぐらいの回数になるかもしれませんが、皆さまにもご了解頂きたく思います。</p>



<p><strong><span style="color: #800080" class="text-color">「バックナンバー」</span></strong>を見ますと、最初は<span style="color: #800080" class="text-color">「2001年7月」</span>からスタートしました。ですから、約２０年間近く続いてきたわけです。飽きっぽい私にしては、今振り返ると、あっという間の２０年間でした。そのような事情により、今月号の、今回の内容で一旦<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「中休み」</span></strong>したいと思います。２０年間お付き合い頂いた皆さま方に、厚くお礼を申します。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ベトナムBAOニュース</h2>



<p><strong>■南部解放記念日とメーデー、4月30日～5月3日の4連休■</strong></p>



<p>労働傷病兵社会省が発表した2021年の祝日・休暇スケジュールによると、今年の<strong>「</strong><a href="javascript:void(0)"><strong>南部解放記念日</strong></a><strong>(4月30日)」</strong>は金曜日、<a href="javascript:void(0)">メーデー</a>(5月1日)は土曜日にあたるため、5月3日(月)を<a href="javascript:void(0)">振替休日</a>として4月30日(金)から5月3日(月)までの4連休となる。</p>



<p><br><br>同スケジュールが適用されるのは土曜日と日曜日が休暇日となっている公的機関・組織のみで、一般企業などは各社でスケジュールを調整する。<br><br>2021年の祝日は、南部解放記念日とメーデーを除くと残すところ9月2日の<strong>「</strong><a href="javascript:void(0)"><strong>建国記念日</strong></a><strong>」</strong></p>



<p>のみとなる。なお、2021年からは改正労働法の施行に伴い建国記念日の祝日の日数が2日間に増えるため、今年は9月2日(木)から5日(日)までの4連休となる。</p>



<ul><li><strong>解説 ◆</strong></li></ul>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7726-768x1024.jpg" alt="" class="wp-image-2385" width="198" height="261"/><figcaption><strong>「統一会堂前の立て看板」</strong></figcaption></figure></div>



<p><strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「南部解放記念日」</span></strong>でお休みとなった<strong>５月２日（日）</strong>に<strong>＜統一会堂＞</strong>前にバイクで行きました。ここは４６年前に当時の名称＜大統領官邸＞に戦車が突入した所です。今は亡き、あの山元さんは戦車が突入したその瞬間を見ておられました。あの時、あの場で、戦車が突入した瞬間を見ていた日本人は何人かおられたようですが、私たちに直接その話をして頂いたのは「故・山元さん」だけです。</p>



<p>今年見た「統一会堂」前では政府主催の式典も無く、何の行事も行われず、それを祝う集会もなく、ただただ寂しい限りでした。「統一会堂」前にある公園の中には、立て看板が幾つか立ててありました。ですから、今年も大人数が集まる「記念式典」は有りませんでしたが、「南部解放記念日」を祝う看板だけは飾られていたわけです。</p>



<p>あの「石川文洋さん」には2019年にお会いした後、昨年今年も再会出来ていませんが、「コロナ」が収束するまでは、石川さんもベトナム訪問は無理かもしれません。でも、石川さんとの再会がいつになるか分かりませんが、その日が早く来るのを願っています。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
		<media:thumbnail url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/05/CIMG7711-scaled-150x150.jpg" width="150" height="150" />	</item>
		<item>
		<title>【2021年4月】６８歳の誕生日パーティー／Cai Beでの＜法要＞後の会合／雨季の足音迫るホーチミン、今年も運河で魚が大量死</title>
		<link>https://g-tierra.com/aozai/post-2212/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[aozai]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 13 Apr 2021 02:10:53 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[2021年1月～12月]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://g-tierra.com/aozai/?p=2212</guid>

					<description><![CDATA[春さんのひとりごと 昨年に続いて、やはり、今年の『日本帰国』も無理になりました。実に、悲しい限りです。昨年末から「日本にカエルぞ・カエルぞ！」と念じながらカエルさんを食べ、日本行きのエネルギーを蓄えるために、ネズミさんも [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">春さんのひとりごと</h2>



<p>昨年に続いて、やはり、今年の<strong><span style="color: #000080" class="text-color">『日本帰国』</span></strong>も無理になりました。実に、悲しい限りです。昨年末から「日本にカエルぞ・カエルぞ！」と念じながらカエルさんを食べ、日本行きのエネルギーを蓄えるために、ネズミさんも食べました。でも、今年も『日本帰国』は諦めました。</p>



<p>毎年の『日本帰国』時には、熊本や姫路での友人たちとの再会。かつて、日本で教えていた当時の生徒たちとの再会。ベトナムの教え子たちとの再会。中学生時代の恩師のお宅へのご挨拶。今は亡き、小学生時代の恩師のご遺影に帰朝の報告・・・などが出来ていましたが、昨年に続いてそれらが無理になりました。</p>



<p> そして、最大の心残りは、高齢の母親に会えないことです。今、私の母親は「施設」の中で過ごしていますが、妹たちが面倒を見てくれています。私が誕生日を迎えた日に、その妹たちに<span style="color: #0000ff" class="text-color">「こちらベトナムで、今日６８歳の誕生日を迎えたよ。家族みんなは元気で暮らしているから心配しないでね！」</span>と言うメッセージを伝えてもらうようにお願いしました。</p>



<p>●<strong>６８歳の誕生日パーティー</strong>●</p>



<p>先月の<strong>「３月３０日」</strong>が私の６８歳の誕生日でした。今まではあまり私の「誕生日」を祝うことは少なく、何事も無く過ぎていました。私の「誕生日」を祝ったことで記憶に残っているのは、2016年に「スシコ」で行った時のことです。その時には、女房の家族たちや友人たち、知人たちも参加してくれました。</p>



<p>しかし、今年の「誕生日」には<strong><span style="color: #000080" class="text-color">＜二つのサプライズ＞</span> </strong>が有りました。一つ目は学校での出来事。この日、私の最後の時間割はいつもの授業ではなくて、<strong>「会話試験」</strong>を行っていました。その日は、７人の生徒たちの「<strong>会話試験」</strong>を行いました。最後の一人の「試験」が、ちょうどいつもの授業時間と同じ頃に終わりました。</p>



<p>すると、ベトナム人の先生がドアを静かに開けて、<span style="color: #0000ff" class="text-color">「試験は終わりましたか。実は、今から四階の部屋で誕生日パーティーをしますので、すぐに来てください！」</span>と私に言うのでした。その時は<span style="color: #ff0000" class="text-color">「誰の」</span>とは言われなかったので、まさか自分の「誕生日パーティー」だとは露知らず、てっきり（今日は、誰か生徒の誕生日なのかな・・・）と思い、「分かりました。すぐに行きます」とだけ答えました。</p>



<p>そして、すぐ四階に上がりました。すると、生徒たち全員が部屋の中に集合し、先生たちと事務員の方たちも集まっていました。その事務員の中のリーダーの女性・<strong>Thuy(トゥイ)さん</strong>が私に向かって、<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「お誕生日おめでとうございます！こちらへどうぞ！」</span></strong>と、大きな声で言いました。Thuyさんは日本の沖縄で実習生として働いた経験があり、日本語は大変上手です。</p>



<p>そこには、テーブルの上にバースデー・ケーキが置いてあり、そのケーキの上にベトナム語で「誕生日おめでとう！」の言葉と、私の名前がローマ字で書いてあったのでした。そこで初めて、<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">（今日の誕生日パーティーは私のことだったのか！）</span></strong>と知った次第でした。</p>



<p>そして、Thuyさんが私にライターを渡して「では、ケーキの上のローソクに火を点けてください」と言うので、そうしました。数本のローソクに火を点け終わると、また彼女が「ではフーッと吹いて、火を消してください」と言い、私がローソクの火を消し終わると、生徒たち全員とベトナム人の先生と事務の人たちが一斉に拍手してくれました。胸がジーンとしてきました。ほんの十分前までは想像もしていなかった<strong><span style="color: #8a2be2" class="text-color">＜サプライズ＞</span></strong>でした。</p>



<p>しかし、それにしても（どうして私の誕生日を知ったの？）と不思議に思いました。先生たちや事務の人たちに「私の誕生日」のことなど全然言ってもいなかったからです。（たぶん、生徒たちから聞いたのだろうな・・・）と思いました。そう受け止めて、その厚意を有難く頂きました。</p>



<p>「生徒の誕生日」に関してですが、以前教えていた学校では、生徒の誕生日が来ると、日本帰国時に<strong>「100円ショップ」</strong>でまとめて買っておいた<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「三色のボールペン」</span></strong>を「誕生日のお祝い」としてプレゼントしていました。生徒達の「誕生日」の情報は出席簿に記入してありましたので、(ははぁ～、今月は誰と誰の誕生日がくるなー・・・)、と事前に知ることが出来ました。</p>



<p>ある年のこと、同じようにある生徒の誕生日が来た時、その生徒に「三色のボールペン」をプレゼントしたら、その一ヶ月ほど後の私の誕生日に、一冊のノートをプレゼントしてくれました。そのノートには、そのクラスの生徒たち全員が寄せ書きをしてくれていました。その時は、本当に嬉しかったです。</p>



<p>生徒たちが寄せ書きしてくれた、そのノートの最初のページを見ると<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「2016年」</span></strong>と書いてあります。そのノートはいつもカバンに入れて、今も持ち歩いています。今でも生徒たちに<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「昔の生徒たちの思い出」</span></strong>を語る時に、それも活用することがあります。今の学校においてもそうしていますので、そのノートを見た生徒たちの情報からベトナム人の先生たちも知ったようでした。</p>



<figure class="wp-block-gallery aligncenter columns-3 is-cropped wp-block-gallery-10 is-layout-flex wp-block-gallery-is-layout-flex"><ul class="blocks-gallery-grid"><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/ノート-1024x768.jpg" alt="" data-id="2218" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/ノート-scaled.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/?attachment_id=2218" class="wp-image-2218" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/ノート-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/ノート-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/ノート-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/ノート-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/ノート-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/誕生日に生徒たちが寄せ書きしてくれたノート-1024x768.jpg" alt="" data-id="2219" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/誕生日に生徒たちが寄せ書きしてくれたノート-scaled.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/?attachment_id=2219" class="wp-image-2219" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/誕生日に生徒たちが寄せ書きしてくれたノート-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/誕生日に生徒たちが寄せ書きしてくれたノート-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/誕生日に生徒たちが寄せ書きしてくれたノート-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/誕生日に生徒たちが寄せ書きしてくれたノート-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/誕生日に生徒たちが寄せ書きしてくれたノート-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/誕生日に生徒たちが寄せ書きしてくれたノート2-1024x768.jpg" alt="" data-id="2220" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/誕生日に生徒たちが寄せ書きしてくれたノート2-scaled.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/?attachment_id=2220" class="wp-image-2220" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/誕生日に生徒たちが寄せ書きしてくれたノート2-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/誕生日に生徒たちが寄せ書きしてくれたノート2-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/誕生日に生徒たちが寄せ書きしてくれたノート2-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/誕生日に生徒たちが寄せ書きしてくれたノート2-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/誕生日に生徒たちが寄せ書きしてくれたノート2-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li></ul><figcaption class="blocks-gallery-caption"><strong>誕生日に生徒たちが寄せ書きしてくれたノート</strong></figcaption></figure>



<p></p>



<p>テーブルの上に置いてあったケーキは、少なくとも２～３時間前には準備していたはずでしょう。その優しい気持ちが嬉しくなりました。でも、ケーキはやはり甘いので、私自身は少しだけ食べたら十分で、あとは生徒達みんなで食べてもらいました。そして、みんなに「有難うね！」と、お礼の挨拶をしてその部屋を出ました。学校を出て、バイクで家に帰る道中でも、ジーンとした余韻がずーっと続いていました。</p>



<p>そして、家に戻り、女房と娘に会い、この日の学校での出来事を話しますと、二人ともニコニコしながら聴いていました。女房は当然私の誕生日を知っていますので、</p>



<p>「それは良かったわねー。では、今日は家族みんなでSUSHI KOで誕生日のお祝いをしましょう！」と言ってくれました。しかし、最近の「コロナ禍」の状況下、<strong>「密」</strong>になることにみんなが過敏になっているので、今回は誰にも声掛けはしませんでした。</p>



<p>それで、夕方６時過ぎに「SUSHI KO」へ行き、家族三人だけで私の<strong>「６８歳の誕生日パーティー」</strong>をしました。食べ物と飲み物が届いて一時間ほど過ぎた頃、「SUSHI KO」のオーナーの<strong>Linh(リン)さん</strong>が私たちのテーブルに来て<strong>「<span style="color: #8a2be2" class="text-color">お誕生日おめでとうございます！」</span></strong>と笑顔で挨拶してくれました。<span style="color: #dc143c" class="text-color">（よくぞ私の誕生日を覚えているなぁー）</span>と感心しました。Linhさんはその挨拶だけをされた後、バイクに乗って去られました。そして、ここで<strong><span style="color: #8a2be2" class="text-color">＜二つ目のサプライズ＞</span></strong>が起きたのでした。</p>



<p><strong>2016年に</strong>「SUSHI KO」<strong>で誕生日祝いをした時にも、 Linhさんは私の誕生日を事前に知っていて、「誕生日にはここでパーティーをしてください。サービスしますから」と誘って頂いたので、その厚意に甘えて、「６３歳の誕生日祝い」を</strong>「SUSHI KO」<strong>で行いました。その時のことは、<a href="https://g-tierra.com/aozai/201604-2/" data-type="URL" data-id="https://g-tierra.com/aozai/201604-2/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">【2016年４月号】＜SUSHI KOで誕生日祝い＞</a>に載せています。</strong></p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/家族三人で誕生日のお祝い-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2221" width="305" height="230" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/家族三人で誕生日のお祝い-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/家族三人で誕生日のお祝い-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/家族三人で誕生日のお祝い-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/家族三人で誕生日のお祝い-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/家族三人で誕生日のお祝い-530x398.jpg 530w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/家族三人で誕生日のお祝い-565x424.jpg 565w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/家族三人で誕生日のお祝い-710x533.jpg 710w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/家族三人で誕生日のお祝い-725x544.jpg 725w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/家族三人で誕生日のお祝い.jpg 1920w" sizes="(max-width: 305px) 100vw, 305px" /><figcaption><strong>家族三人で誕生日のお祝い</strong></figcaption></figure></div>



<p>この日は家族三人でたくさんの料理を食べ、私もビールを何本も飲みました。でも、娘は翌日大学の授業が始まる時間が早いので、先に女房と一緒にバイクで帰りました。私はその後もしばらく、一人だけでビールを飲んでいました。そして、自然と「SUSHI KO」<strong>が開店した当時のことを回想していました。</strong><strong></strong></p>



<p>「SUSHI KO」一号店が四区に開店したのは<span style="color: #dc143c" class="text-color"><strong>「2013年5月」</strong></span>のことでした。ですから、もうすぐ８年目に入るわけです。「路上屋台のスシ屋」が下町の四区に出現した時の、日本人やベトナム人の驚きと、その後の繁盛ぶりは、<span style="color: #0000ff" class="text-color"><a href="https://g-tierra.com/aozai/post-1218/" data-type="URL" data-id="https://g-tierra.com/aozai/post-1218/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">【2013年6月号】＝BAO＝＜到る所に増えてきた「日本食レストラン」＞</a></span>でも触れています。そして、最近「SUSHI KO」六号店も開店したとLinhさんから聞きました。</p>



<p>私はしばらく一人でビールを飲み続けて９時半を過ぎた頃、（そろそろ帰るか）と思い、店員さんに「お勘定をお願いします！」と言いますと、「いえ、いえ、今日は結構です。お代は頂きません」と言うではありませんか。この日家族で食べたぶんと飲んだぶんも「払わなくていいですよ！」と言うのです。大いに驚きました。</p>



<p>私は「ええーっ、そんなことは出来ないよ。今日のぶんはキチンと払いますよ」と言っても、店員の返事は「いえ、いえ、今日はあなたの誕生日だと聞いたので、本当に結構です」と、 頑として払わせてくれませんでした。2016年の誕生日祝いを「SUSHI KO」で行った時には人数が多かったこともあり、<strong><span style="color: #ff7f50" class="text-color">＜割引のサービス＞</span></strong>をしてくれました。</p>



<p>しかし、この日は＜割引＞ではなくて、「お代は頂きません。結構です！」と言うのです。<strong><span style="color: #800080" class="text-color">（おそらくオーナーのLinhさんがそう店員に言付けして、先に帰ったのだろうなぁー）</span></strong>と想像しました。それで、有難くその厚意を受けることにました。私の「６８歳の誕生日パーティー」は「学校」での生徒や先生と事務員の方たち、そして、「SUSHI KO」の店員さんたちの<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「温かい気持ち」</span></strong>に包まれて、この日が終わりました。</p>



<p>●<strong>Cai Beでの＜法要＞後の会合</strong>●</p>



<p>今年３月６・７日にメコンデルタの<strong>Cai Be(カイ ベー)</strong>で行われた<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「元日本兵・古川さんの46回目の法要」</span></strong>では、元日本兵古川さんの6人の子どもさんたち全員を集めてのインタビューが実現しました。これは実に<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「貴重な記録」</span></strong>を収録出来たと思います。特にインタビューの模様を<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「撮影」</span></strong>し、古川さんの６人の子どもたちへの「質問⇒答え」を<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「音声」</span></strong>として記録することが出来ました。</p>



<p>ただし、６人の子どもさんたちは当然ベトナム語で答えていますので、それを日本語に「変換」しないといけません。その作業を行うに当たっても、Cai Beでの法要の時に、６人の子どもたちへの<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">＜通訳＞</span></strong>を担当してくれたTam(タム)さんが、また活躍してくれました。Tamさんは<strong><span style="color: #000080" class="text-color">「映像関係のNTさん」</span></strong>の会社で正社員としてはまだ採用されてはいませんが、その大変な作業を手伝ってくれました。</p>



<p>彼女はNTさんが撮影した時の音声を起こして、６人の<strong>「答え」</strong>を全部ベトナム語に打ち込みました。そして、次にNTさんが<strong><span style="color: #800080" class="text-color">「Googleの翻訳機能」</span></strong>に打ち込んで日本語に翻訳し、それをメールで私にも送って頂きました。しかし、「Googleの翻訳機能」を使った人たちは分かるでしょうが、<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「完璧な正確さ」</span></strong>は望めません。手直しが必要です。</p>



<p>それで、私もその「原文」の草稿を手直ししました。それを<strong>「基礎資料」</strong>として、中村さん、NTさん、そして私の三人で「これからどうすべきか？」について、「SUSHI KO」で会合することにしました。そこに、私も「原文」を校正したのを持ち込みました。全部で６ページぐらいになりました。</p>



<p>そして、今回<strong>「Tamさんの音声起こし」</strong>⇒<strong>「ベトナム語原文」</strong>⇒<strong>「Googleの翻訳」</strong>⇒<strong>「日本文の手直し・校正」</strong>を通して出来上がったものをじーっと読んでゆくと、<strong><span style="color: #ff7f50" class="text-color">「新しい発見」</span></strong>や<strong><span style="color: #ff7f50" class="text-color">「意外な事実」</span></strong>が浮かび上がってきました。故・山元さんからは直接伺っていないような事実も出て来たのでした。</p>



<p>私たち三人が「SUSHI KO」に集まったのは４月２日(金)でした。私が先に着き、席をセットしました。その後NTさんが到着。ほどなくして、中村さんも着かれました。Cai Beでの＜法要＞以来ですから、約一か月ぶりの<strong><span style="color: #8a2be2" class="text-color">＜再会＞</span></strong>です。＜再会＞を祝って三人で<strong><span style="color: #008000" class="text-color">＜乾杯！＞</span></strong>。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/Cai-Beでの＜法要＞後の三人での会合.jpg" alt="" class="wp-image-2222" width="296" height="222" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/Cai-Beでの＜法要＞後の三人での会合.jpg 720w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/Cai-Beでの＜法要＞後の三人での会合-300x225.jpg 300w" sizes="(max-width: 296px) 100vw, 296px" /><figcaption><strong>Cai Beでの＜法要＞後の三人での会合</strong></figcaption></figure></div>



<p>三人とも今回の「資料」には事前に眼を通してここに来ていますので、当然私が抱いた感想・・・<strong>「新しい発見」</strong>と<strong>「意外な事実」</strong>に関しては同じような感想を持っていました。特に、生前に山元さんとも親しく付き合っていた中村さんはそうでした。中村さんは「あの話は今回初めて聞いたねー」と、しばし考え込む様子でした。私自身もその中村さんの気持ちが良く理解出来ました。</p>



<p> 中村さんは古川さんの次男の<strong>「Vu(ヴー)さんの日本訪問の実現」</strong>のために、<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「カイベの想い」</span></strong>というグループを創られました。そのことは、<strong><a rel="noreferrer noopener" href="https://g-tierra.com/aozai/202008/" data-type="URL" data-id="https://g-tierra.com/aozai/202008/" target="_blank">【2020年8月号】＜山元さんの『遺志』の実現に向けて＞</a></strong>に載せています。そこには今、日本側、ベトナム側併せて16人ほどの人たちが参加しています。</p>



<p>しかし、今回行った<strong><span style="color: #800080" class="text-color">「インタビュー内容の全貌」</span></strong>を知っているのは、この時ここにいた私たち三人だけです。三人で話し合ったことは、その方たちにも、今の状況と今後の方向性を決めてゆくためには、今回の情報を<strong>＜公開＞</strong>してゆくほうが良いだろうと言うことになりました。</p>



<p>「Vuさんの日本訪問の実現」のためには、ベトナム側にいる私たちだけのメンバーの力だけでは不十分で、日本側にいる方々の協力も仰がないと動いてゆかないだろうと思うからです。そういう意味では、まだスタート・ラインの位置に立っていると言えます。特に、今回の<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「コロナ禍」</span></strong>が早く収まらないと、日本への<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「入国」</span></strong>、ベトナムへの<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「帰国」</span></strong>も難しいでしょうから。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ベトナムBAOニュース</h2>



<p><strong>■</strong><strong>雨季の足音迫るホーチミン、今年も運河で魚が大量死■</strong></p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large"><img decoding="async" width="300" height="225" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/ベトナムBAOニュース.jpg" alt="" class="wp-image-2214"/></figure></div>



<p>このところまとまった雨が降るようになり、雨季に差し掛かかりつつある<a rel="noreferrer noopener" href="https://www.viet-jo.com/home/province.php?id=5&amp;name=%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%9F%E3%83%B3%E5%B8%82" target="_blank">ホーチミン市</a>。2日と4日の両日には猛暑の中で大雨が降り、同市を流れるニエウロック・ティゲー運河で、同運河に生息する魚の大量死が発生した。同運河では、例年同様の現象が起きている。</p>



<p>大量の魚の死骸が水面に浮かんで悪臭を放っていたため、当局は魚の死骸の回収と処分を急いでいる。5日までに回収した魚の死骸は14tに達しており、死んだ魚のほとんどがティラピアやコイなどだった。<br><br>魚の大量死は、急な大雨で下水道や住宅地から大量の廃水やゴミが運河に流れ込んだことや、運河の底に溜まっていた有毒ガスが拡散したことが原因と見られている。<br><br>ニエウロック・ティゲー運河は、タンビン区～フーニュアン区～3区～ビンタイン区～1区を流れる全長8.7kmの運河。かつては汚染がひどく「悪臭の漂う運河」と呼ばれていたが、浚渫や水質改善、両岸の植樹などの改修プロジェクトが2011年に完了して、今では魚が生息できるようになっている。<br></p>



<p class="has-text-align-right"><strong>＜VIETJO＞</strong></p>



<p class="has-text-align-left">◆　<strong>解説　◆</strong></p>



<p>サイゴンが雨季に入る季節は、例年ですと５月ぐらいからですが、今年は少し早くなって来ているかな・・・という感じがします。今年に入って最初の雨は<strong>３月２４日</strong>でした。でも小雨でした。その翌日の<strong>２５日</strong>にも小雨が降りました。そして、我々3人が「SUSHI KO」で会合した<strong>４月２日</strong>の深夜には大雨が降りました。</p>



<p>雨が降った日付けが正確に分かるのは、あの故・山元さんに見習って、カレンダーに書き込んでいるからです。山元さんはCai Beにいる間、毎日の天気と温度を記録されていたそうです。大したものです。でも、私が記録するのは<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「乾季」</span></strong>と<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「雨季」</span></strong>の変わり目だけです。毎日が<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「晴れ」</span></strong>、毎日が<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「雨」</span></strong>が続くようでしたらカレンダーには記録しません。</p>



<p>実はこの記事の中にある<strong>４月４日（日）</strong>に、足腰を鍛えるために家を出て、散歩に行きました。最近は歳を重ねたせいか、休みの日に家の中にばかりいると、どうも体調がオカシクなります。「歩く」という簡単な動作がキツクなります。あの藤牧さんが毎日意識して長時間散歩されているのが最近よく理解出来てきました。</p>



<p>４月４日のその日は、昼の１時半過ぎに家を出て、家の周りからぐるりと回り、最終的には「SUSHI KO」の前を通る道を目指して、テクテクと歩きました。歩いている時、上の空を見るとだんだんと薄暗くなってきました。そして、ポツポツと小雨が降り出しました。<span style="color: #0000ff" class="text-color">（ありやぁ～、もしかしたら大雨が降るかもしれないな・・・）</span>とは予想しました。</p>



<p>それで、いつも歩くスピードよりも少し速くして、ちょうど２時頃に「SUSHI KO」に到着。まだこの時には強い雨は降っていませんでした。私がそこに着いてすぐに、いつも日曜日にテニスをしているらしい日本人のグループも来ました。直接会話したことは無いので分かりませんが、バッグに入っている、その持ち物を見てそう思いました。</p>



<p>「SUSHI KO」に座って生ビールを一杯頼んで、それをキューッと飲み干して一息つきました。すると、15分後ぐらいして、この記事にあるような「大雨」が降ったのでした。それはまさに<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「豪雨」</span></strong>とも呼ぶべき「大雨」でした。「SUSHI KO」の前の道路も冠水しました。この時、私は傘も雨具も持って来ていなかったので、このような「豪雨」の中では外に出ることは出来ず、家にも戻れません。</p>



<p>いつもは生ビールを一杯だけ飲んでそこを去るのですが、この日はサイゴンビールをさらに一本頼み、それでもまだ雨が止まないので、さらにまた一本追加。結局サイゴンビールを三本飲み終わった頃に雨が弱くなり、ようやくそこを出ることが出来ました。私以外の日本人たちも同じように「SUSHI KO」の中で足止めされていました。</p>



<p>そして、その三日後に出た、この　<strong>＜VIETJO＞</strong>の記事を読んで大変驚きました。<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">（あの時の大雨でお魚さんたちがたくさん死んだのか、何と可哀そう！何とモッタイない！）</span></strong>と。もし、来年同じ時期に「豪雨」が降れば、また同じような現象が起きることでしょう。この記事中にある<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「ティゲー運河」</span></strong>というのは、私が住んでいる四区の前を流れていますので、その時にはそのことを予想して、タモ網を持って駆けつけたいと思います。</p>



<p><br></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
		<media:thumbnail url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/04/家族三人で誕生日のお祝い-150x150.jpg" width="150" height="150" />	</item>
		<item>
		<title>【2021年3月】＜元日本兵・古川さんの46回目の法要＞、／カラオケ騒音問題、年末までに解決目指す</title>
		<link>https://g-tierra.com/aozai/202103-2/</link>
					<comments>https://g-tierra.com/aozai/202103-2/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[aozai]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 17 Mar 2021 01:06:27 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[2021年1月～12月]]></category>
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					<description><![CDATA[春さんのひとりごと 今年も、メコンデルタのCai Be(カイ ベー)で行われた「元日本兵・古川さんの46回目の法要」に参加させて頂きました。今年は3月6～7日の2日間に亘って行われました。今までの「法要」はCai Beに [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">春さんのひとりごと</h2>



<p>今年も、メコンデルタのCai Be(カイ ベー)で行われた<span style="color: #0000ff" class="text-color">「元日本兵・古川さんの46回目の法要」</span>に参加させて頂きました。今年は3月6～7日の2日間に亘って行われました。今までの「法要」はCai Beに赴き、「宴会」と地元の人たちの「カラオケ大会」を聴き、＜楽しく過ごす＞ことで終わっていました。しかし、今回の法要では、私たち日本人側に<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「大きな目的」</span></strong>が有りました。</p>



<p>今年の法要に参加したのは、日本人側は<strong><span style="color: #00bfff" class="text-color">「さすらいのイベント屋の中村さん」</span></strong>。中村さんはいつものようにハノイから飛行機で飛んで来られました。そして、<strong><span style="color: #000080" class="text-color">「映像関係のNTさん」</span></strong>。<span style="color: #000080" class="text-color">NT</span>さんは<span style="color: #000080" class="text-color">2019年</span>の<strong><span style="color: #008000" class="text-color">＜ベトナム南北縦断の旅＞</span></strong>の時、ハノイからNhin Binhまで私と同行して頂いた方です。NTさんのおかげで、ハノイからNhin Binhまで道に迷うこと無く、バイクで走ることが出来ました。</p>



<p>NTさんは2019年の「古川さんの４４回目の法要」の時、今は亡き山元さんから誘われました。Cai Beで行われる、その＜法要＞の時に、「動画」を撮るつもりで張り切っておられました。しかし、その時どうしても都合が付かず、参加出来ませんでした。<span style="color: #008000" class="text-color">「あの時参加しておけば、生前の山元さんが青春時代を過ごしたCai Beで、ご本人自らの口から語って頂けたのに、本当に残念です。惜しい機会を逃しました」</span>と、今でも残念がっておられます。</p>



<p>さらには、NTさんの会社に新しく勤めることになる予定の<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">Tam(タム)さん</span></strong>という若い女性も参加することになりました。TamさんはNTさんから3月6・7日のCai Beでの＜元日本兵・古川さんの法要＞の話を聞いた時、大変強い関心を抱き、「私も是非参加させてください」と申し出てくれたそうです。それを聞いた時、私も嬉しくなりました。</p>



<p>NTさんの話では<span style="color: #0000ff" class="text-color">「Tamさんは＜日本語能力試験＞のN4を持っていますよ」</span>とのことでした。それを聞いた私は「わぁー、それはいいですね。私もTamさんに会えるのが楽しみですと伝えてください！」とNTさんに伝言しました。＜日本語能力試験＞の「N4レベル」でも、日本語を理解できるベトナム人の参加者の歓迎は<strong><span style="color: #800080" class="text-color">＜大歓迎！＞</span></strong>でした。と言うのも、今回の私たちの、「大きな目的」の手助けをしてくれるのでは・・・という期待が有ったからです。</p>



<p>本当はもう一人の日本人と、その奥さんでベトナム人の方も＜参加希望＞の予定でした。しかし、当日になって、急に奥さんの体調が悪くなり＜不参加＞になりました。昨年私と一緒にCai Beまで行ったKSくんとその奥さんです。KSくんの奥さんも＜Cai Beでの法要＞の話を知り、強い興味を持たれたそうです。それを聞いた時、私自身は大変感動しました。その前日まで、二人は参加の予定でした。しかし、当日になって、上記の理由で奥さんの具合が悪くなり、残念ながら参加出来なくなりました。 </p>



<p>今年の＜法要＞の前に、私からはVuさんにその３日前に、「３月６日」当日参加者の人数を連絡しました。寝具の手配などが有るからです。＜法要＞が終わった日の夜は、古川家の家族たちが、サイゴンから来た私たちや、遠くから参加した人たちの寝具を敷いてくれたり、蚊帳を吊ってくれたりします。私たちは一泊ぶんの衣類を持ち込むだけで良いのです。</p>



<p><strong>●サイゴン</strong><strong> </strong><strong>⇒</strong><strong> Cai Be</strong><strong>へ</strong><strong> </strong><strong>●</strong><strong></strong></p>



<p>昨年と同じく、今年の＜法要＞もバスには乗らないで、バイクで移動することにしました。そちらのほうが便利だからです。四人だけでの移動になりますので、NTさんと事前に打ち合わせしたのは「私のバイクの後ろに中村さんを乗せて一台」「NTさんのバイクの後ろにTamさんを乗せて一台」、合計二台のバイクで行きましょう！と決めました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/4人で出発-1-769x1024.jpg" alt="" class="wp-image-2142" width="241" height="319"/><figcaption>サイゴンを四人で出発！！</figcaption></figure></div>



<p>当日は、中村さんが泊まっている「１区のLe Lai通りにあるホテル前に朝７時に集合！」と決めました。この日、私は朝5時半に起きて身支度をして、朝6時50分にそのホテル前に到着。すると、すでに中村さんはホテルの前に立って待っておられました。そして、その僅か2分後にNTさんとTamさんも到着。</p>



<p>TamさんはNTさんのバイクの後ろに座っていて、そこに着くなりバイクから降りて、我々二人に頭を下げて「おはようございます！」とキレイな日本語で挨拶してくれました。彼女は小柄で、明るい笑顔をしていました。この後、Cai Beでの＜法要＞で彼女と一緒に過ごしていた時に感じたことですが、彼女は大変<strong>「素直で、好奇心が強い性格」</strong>でした。結果として、今回の「大きな目的」を進めてゆく時、彼女が大活躍をしてくれました。</p>



<p>予定時間通り、朝７時にサイゴンを出発。NTさんのバイクが先導で、私たちが後に続きます。NTさんがGoogleマップで示したルートでは<span style="color: #dc143c" class="text-color">「市内から７区のNguyen Van Linh(グエン バン リン)通りに入り、その道をずっと進むと国道一号線に合流します。それが近道です」</span>とのことなので、そのルートでバイクを走らせました。</p>



<p>そして、９時ちょうどに<strong>My Tho(</strong><strong>ミー　トー</strong><strong>)</strong>市内に入った時の目印となるロータリーに着きました。サイゴン市内からここまで67km。この時、私のバイクのガソリンの針の表示が赤線の位置に来ましたので、NTさんに「ガソリンが無くなりそうなので、すぐ近くのガソリン・スタンドで休憩しましょう」と言いました。</p>



<p>不思議だったのは、同じ距離を走りながら、NTさんのバイクはガソリンがほとんど減っていなかったのです。私が「昨日ガソリンを満タンに入れたのに、二時間ほど走っただけで、もう無くなりました」と言うと、NTさんも笑っておられました。NTさんが「そのバイクはいつ買いましたか」と訊くので、「十年前です」と答えると、「あー、そのせいでしょうね。車もバイクも古いと燃費が悪くなりますよ」と言われるのでした。（そうなのか！）と私も納得しました。</p>



<p>しかし、バイクで二時間も走ると、同じ姿勢を続けているので、足腰がくたびれてきます。特に、後ろに座っている人はそうです。実際、バイクに二人乗りで移動する時には、バイクを運転している本人よりも、後ろに座っている人のほうが、重心が不安定なので大変疲れるものです。それで、二時間に一回ぐらいは休憩を入れる必要が有ります。</p>



<p>そして、My Tho市内に入ってすぐにガソリンを入れた時、たまたまガソリン・スタンドのすぐ横にカフェー屋が有りましたので、そこで休むことにしました。昼間でもあるし、バイクでの移動中ですから、みんなアイスコーヒーやジュースしか頼みません。飲み物がテーブルに置かれた時、この日初めて会ったTamさんと落ち着いて話すことが出来ました。</p>



<p>私がTamさんに「今何歳ですか？」と訊くと、「23歳です」との答え。「日本語はどのくらい勉強しましたか」と訊くと、横からNTさんが「彼女はYouTubeで日本語を勉強したそうですよ」と教えてくれました。その後、Tamさん本人が「最初の4ヶ月間は日本語のセンターに行きましたが、忙しくなってそこを休んだ後は、YouTubeで勉強しました」との答えでした。それを聞いて、私は感心しました。結構＜会話＞が上手かったからです。</p>



<p>彼女のお父さんはサイゴンの出身で、お母さんの故郷は<strong>Dong Thap(ドン タップ)省</strong>の<strong>Sa Dec(サー デック)</strong>と言いましたので、「そうですか！Sa Decには2019年に友人の結婚式でそこを通りましたよ。大変キレイな町でしたね！」と言うと、彼女も喜んでいました。「友人の結婚式」と言うのは、<strong><span style="color: #008000" class="text-color"><a href="https://g-tierra.com/aozai/201804-2/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">2018年4月号＜元日本兵・古川さんの奥さんの法要に今年も参加＞</a></span></strong>に載せたNHくんのことです。彼の新婦の故郷がSa Dec なので、私もそこに行ったのでした。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7534-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2111" width="249" height="188" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7534-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7534-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7534-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7534-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7534-2048x1536.jpg 2048w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7534-530x398.jpg 530w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7534-565x424.jpg 565w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7534-710x533.jpg 710w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7534-725x544.jpg 725w" sizes="(max-width: 249px) 100vw, 249px" /><figcaption><strong>「フーティウ４３」のお店</strong></figcaption></figure></div>



<p>そして、彼女が言うには「母と一緒に私の田舎からまたサイゴンに戻り、このMy Tho市内に入った時、必ず立ち寄る美味しい<span style="color: #ff0000" class="text-color">Hu Tieu(フー ティウ)</span>の店が有ります。地元で40年ぐらい続いている大変有名な店です。ここから歩いて２・３分の場所です。皆さん朝ご飯を食べていないし、この後そこに行きませんか」と誘ってくれました。我々三人の日本人全員の答えは「では、是非そこに行きましょう！」となりました。 </p>



<p>そこは確かに歩いて２分ほどの場所にありました。店内はさほど広くはなく、30人も入れば満席になる椅子の数でした。店の名前は<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「Hu Tieu43」</span></strong>。番地がそのまま店の名前になっているという、ベトナムには多い名前の付け方です。私はこの十年ほど、朝から熱いスープと麺がドンブリに入って出てくる<strong>「フォー」</strong>や<strong>「フーティウ」</strong>などは食べていません。食べ終わった後、暑くて・暑くて堪らないからです。それで、最近はいつもパン食です。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignleft size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7530-1-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2143" width="240" height="180" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7530-1-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7530-1-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7530-1-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7530-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 240px) 100vw, 240px" /><figcaption><strong>朝食のフーティウ</strong></figcaption></figure></div>



<p>でも、この日は(久しぶりに食べてみるか！)と、食欲が湧きました。注文は、ここを良く知るTamさんに任せました。彼女は<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「五目フーティウをください！」</span></strong>と店員に頼んでいました。フーティウのスープの麺と一緒に、いろいろな具材が入っているものが出てくるだろうな・・・とは想像出来ました。しばらくしてそれがテーブルの上に置かれました。やはり、フーティウの麺の上にワンタンや豚肉などが載っていて、実に美味しい「五目フーティウ」でした。でもやはり、たくさんの汗が出てきましたが・・・。</p>



<p>そこを出る前に、Vuさんに「今、朝ごはんを食べ終わり、今からCai Beに向かいます！」とメッセージを送りました。10時少し前にそこを出て、またバイクに乗りCai Beのフェリー乗り場を目指します。昨年は国道一号線ではなくて、クリーク沿いの道<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「864号線」</span></strong>をKSくんと一緒に走りましたが、今年もそうしました。事前にガソリン・スタンド横のカフェー屋で、NTさんにはその道路が書いてある地図を見せましたので、間違えずにそのルートに入ることが出来ました。</p>



<p>そして、11時ちょうどにNha Beフェリー乗り場に到着。この日はお客さんが多かったですが、11時15分には対岸の<strong>Tan Phong(</strong><strong>タン</strong><strong> </strong><strong>フォン</strong><strong>)</strong><strong>村</strong>に渡ることが出来ました。フェリー代は徒歩の人が3千ドン、バイク一台と運転手一人で6千ドンです。ここから「古川家」まで行くルートは曲がりくねっていて複雑なので、いつも誰かにフェリー乗り場まで来てもらっています。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/竜眼の小道-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2130" width="242" height="182" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/竜眼の小道-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/竜眼の小道-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/竜眼の小道-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/竜眼の小道-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/竜眼の小道-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 242px) 100vw, 242px" /><figcaption>竜眼の小道</figcaption></figure></div>



<p>それまで少し時間有るので、みんなは飲み物を頼んでいました。私はノドも乾いていなかったので、フェリー乗り場内の売店で「缶ビール」を一ケース購入しました。15分ほどして、古川さんの長男・Tuanさんの長男が到着。私たちの荷物が多いのを見て、私のバイクに積んでいた「缶ビール」のケースを自分のバイクに移してくれました。それから出発。</p>



<p>そして、30分ほど走ると「古川家」のすぐ近くにある、いつも竜眼がたわわに実っている道に入りました。今年もやはり今まで以上にたくさんの竜眼が実を付けていました。「古川家」に到着したのはちょうどお昼の12時。サイゴン市内からここまで112kmでした。その後、すぐに四人で<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「古川家の祭壇」</span></strong>の方に行き、お線香を上げました。NTさんとTamさんは初めてでしたから、私がそこに案内しました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/古川さん山元さん遺影-1-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2144" width="303" height="227" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/古川さん山元さん遺影-1-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/古川さん山元さん遺影-1-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/古川さん山元さん遺影-1-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/古川さん山元さん遺影-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 303px) 100vw, 303px" /><figcaption><strong>「古川さんご夫妻」「山元さん」「澤口さん」</strong><br><strong>三人の遺影が飾ってある＜祭壇＞</strong></figcaption></figure></div>



<p>この「祭壇」には<span style="color: #008000" class="text-color"><strong>「古川さんご夫妻」</strong>、<strong>「山元さん」</strong></span>、そして、<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「澤口さん」</span></strong>の遺影が置いて有ります。その四人の遺影に向かつて、お線香を上げさせて頂きました。特に、私はここ最近、毎年＜法要＞には参加していますので、「古川さんご夫妻」の遺影に対しては、<span style="color: #1e90ff" class="text-color">「また今年もこちらに来ました。今日と明日までお世話になります。本当に有難うございます」</span>と、言葉に出して「感謝」」のご挨拶させて頂きました。その後、「古川さんご夫妻」の遺影の横に飾ってある「山元さん」と「澤口さん」、お二人の遺影にもお線香を上げさせて頂きました。</p>



<p>　　</p>



<p>　　</p>



<figure class="wp-block-gallery aligncenter columns-3 is-cropped wp-block-gallery-11 is-layout-flex wp-block-gallery-is-layout-flex"><ul class="blocks-gallery-grid"><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7550-1-1024x768.jpg" alt="" data-id="2147" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7550-1.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2104/cimg7550-1/" class="wp-image-2147" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7550-1-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7550-1-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7550-1-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7550-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7553-2-1024x768.jpg" alt="" data-id="2148" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7553-2.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2104/cimg7553-2/" class="wp-image-2148" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7553-2-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7553-2-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7553-2-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7553-2.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7554-1-1024x768.jpg" alt="" data-id="2149" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7554-1.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/post-2104/cimg7554-1/" class="wp-image-2149" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7554-1-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7554-1-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7554-1-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/CIMG7554-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li></ul><figcaption class="blocks-gallery-caption">日本人３人で遺影にお焼香</figcaption></figure>



<p>その後、一つのテーブルに座りました。しかし、いつものように、「料理」や「果物」などが私たちが座っているテーブルに次々と運ばれてきそうな気配でした。それで、Tamさんが「朝ご飯は先ほど食べて来たばかりなので、結構ですよ」と言いますと、お茶や果物だけをテーブルの上に置いてくれました。実際、私たちは少し前に食べたばかりなので、それほどお腹も空いていませんでしたから、それで十分でした。しかし、テーブルの上に出てきた「マンゴー」を一つ摘まむと、十分に熟れていて、実に美味しいものでした。ついつい、三つほど食べてしまいました。</p>



<p>そして、中村さんとNTさんと私たちは、今回のCai Be訪問の「大きな目的」についての詰めをしました。今回の「大きな目的」とは、「古川さん」の6人の子どもたちを一同に集めて、「古川さんの思い出」について「インタビュー」するというのが「大きな目的」だったのです。それは、Vuさんの「日本訪問」に向けて、<strong><span style="color: #800080" class="text-color">【確かにVuさんは元日本兵・古川さんの子どもです】</span></strong>という<strong><span style="color: #ff7f50" class="text-color">＜基礎資料＞</span></strong>を固めるために必要だったからです。</p>



<p>我々日本人から見ると、<strong>「出生証明書」</strong>があれば簡単じゃないの・・・と思いますが、戦争当時の混乱期の中で、それが無い人たちもいたようです。事実、私の女房の親族にも、出産を産婦人科ではなく、自宅で行ったので、未だに「出生証明書」を貰っていない知人がいると言います。</p>



<p>中村さんは今回の「インタビュー」のために質問事項を作成し、それを私やNTさんにも事前に送って頂きました。NTさんはそれを日本語が出来るTamさんにお願いして、ベトナム語に翻訳してもらい、それを人数分コピーして、この日持ち込んで来てくれていたのでした。本当に、今回の＜法要＞では中村さん、NTさん、Tamさんに大活躍して頂きました。</p>



<p>これをベトナム語に翻訳してくれたTamさん自身がベトナム語で<strong>＜質問＞</strong>し、6人の子どもさんたちがそれに<strong>＜返答＞</strong>し、NTさんが<strong>＜映像で記録＞</strong>してゆけば、<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">【貴重な記録】</span></strong>が完成することでしょう。「インタビュー」は、少し涼しくなる頃の、「夕方5時頃にしましょう！」と決めました。そのことをVuさんにも伝えて、「5時頃にはみんなどこにも行かないで、家の中に居てくださいね」とお願いしました。Vuさんも「分かりました！」と肯いてくれました。</p>



<p>それだけの打ち合わせをして、午後2時過ぎに一旦昼寝をしました。この日、みんな朝早く起きて、バイクの移動でここまで来て、少し疲れていました。昼間ですので、寝具も蚊帳も無く、私などはタイルの上に枕一つでゴロ寝です。NTさんとTamさんはハンモックに揺られて寝ていました。でも、ハンモックは寝返りが打てないので、私は使いません。そのタイルの上に寝転がりながら、<span style="color: #dc143c" class="text-color">（やはり、この日6日（土）に来て良かったな・・・）</span>と思いました。</p>



<p>実は、事前にVuさんから来た今年の＜法要＞の日程は、3月7日（日）でした。その日が地元の人たちも含めて、たくさんの人たちが参加するからと言う理由でした。しかし、その日程ですと、7日（日）にCai Beに泊まり、8日（月）にサイゴンに戻ることになります。NTさんも私も8日(月)は平日で仕事が有りますから、それは無理でした。</p>



<p>さらには、今回の＜法要＞の「大きな目的」として<strong>「六人の子どもたちへのインタビュー」</strong>が有りましたから、出来るだけ静かな雰囲気の中で行わないと、落ち着いた「インタビュー」は出来ません。毎年恒例の＜法要＞では、食事会としての＜宴会＞が盛大に行われ、大音響で歌いまくる＜カラオケ大会＞が始まるからです。それが、恒例のパターンです。</p>



<p>＜カラオケ大会＞が始まれば、とてもとても「インタビュー」など出来るものではありません。でも、この日は地元の人たちは来ていなくて、一テーブルだけ、身内の方たちだけの参加でしたので、静かなものでした。私たちが話していたすぐ傍で、幼い子どもたちだけが賑やかにはしゃぎ回っていました。その子どもたちにも「日本人・古川さん」の血が流れているのです。じーっと眺めながら、そういう感慨が湧いてきました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/ドリアンの実２-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2137" width="234" height="176" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/ドリアンの実２-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/ドリアンの実２-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/ドリアンの実２-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/ドリアンの実２.jpg 1280w" sizes="(max-width: 234px) 100vw, 234px" /><figcaption>ドリアンの実</figcaption></figure></div>



<p>午後3時に私は眼が覚めました。中村さんはすでに先に起きておられて、パソコンで「インタビュー」の質問事項の再チェックをされていました。私は果樹園のほうに歩いて行き、竜眼やドリアンを眺めていました。家の眼の前にあるドリアンはまだ実が小さかったですが、竜眼は枝が垂れるほど実が付いていて、家族の人がそれを枝ごと手で折り、私たちのテーブルの上に「はい、どうぞ食べて！」と置いてくれました。それを食べると、外側の皮は固かったですが、中の実は大変みずみずしくて、美味しいものでした。</p>



<p>さらに、大きいドリアンの実も持って来てくれて、私たちの眼の前でそれに包丁を入れ、ドリアンの実を取り出し、私たちに振る舞ってくれました。この大きなドリアンもこの果樹園の中で育ったものだと言いました。それを食べましたが、濃厚なクリームを味わっているようで、何とも絶品でした。日本人の中には特にドリアンの匂いを苦手とする人もいますが、ここにいる私たち三人の日本人は平気で、採れたてのドリアンをバクバクと食べました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/祭壇の前に「古川さんの六人の子どもたち」-2-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2164" width="217" height="163" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/祭壇の前に「古川さんの六人の子どもたち」-2-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/祭壇の前に「古川さんの六人の子どもたち」-2-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/祭壇の前に「古川さんの六人の子どもたち」-2-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/祭壇の前に「古川さんの六人の子どもたち」-2.jpg 1280w" sizes="(max-width: 217px) 100vw, 217px" /><figcaption>祭壇の前に<br>「古川さんの六人の子どもたち」</figcaption></figure></div>



<p>夕方５時から「インタビュー」を始める予定なので、「古川さんご夫妻」の祭壇の近くに六つの椅子を置いて、そこに座ってもらうことにしました。前四つの椅子に<strong>「長女</strong><strong>A</strong><strong>さん」「次女</strong><strong>B</strong><strong>さん」「三女</strong><strong>Hue</strong><strong>さん」「長男</strong><strong>Tuan</strong><strong>さん」</strong>。後ろ二つの椅子に<strong>「次男</strong><strong>Vu</strong><strong>さん」「四女</strong><strong>Thuy</strong><strong>さん」</strong>という具合です。良く考えれば、今まで何回も「古川家の法要」に参加していながら、こうして「古川さんの六人の子どもさんたち」全員が集まり、座っているのを見たのは、この時が初めてでした。</p>



<p>Tamさんが自分で翻訳したコピーを手に持ち、NTさんがビデオをセットし、中村さんはパソコンをテーブルの上に置きました。Tamさんが質問する時、言葉だけでは説明できない質問には、そのパソコンの中にある昔の写真や新聞記事を見てもらうためにです。三人の呼吸がだんだんと合ってきました。私自身は横でただそれを眺めていました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/いよいよ「インタビュー」のスタート！！-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2139" width="220" height="166" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/いよいよ「インタビュー」のスタート！！-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/いよいよ「インタビュー」のスタート！！-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/いよいよ「インタビュー」のスタート！！-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/いよいよ「インタビュー」のスタート！！.jpg 1280w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /><figcaption>インタビュースタート！</figcaption></figure></div>



<p>そして、予定通り５時過ぎに「インタビュー」がスタートしました。Tamさんがまず口火を切り、中村さんたちが<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「Vuさんの日本訪問の実現」</span></strong>に向けて、今努力されておられること。そのために、今からみなさんたちに「インタビュー」を行いますと話しました。六人みんなが肯いていました。 まず、各自の「自己紹介」から始めてもらいました。それが終わると、「お父さん・古川さんの思い出」を話してもらいました。次に、当時このCai Beに「古川さん」を訪ねて来た人たちの写真を中村さんが見せます。当時ここには新聞社の人、作家、写真家、「古川さんの家族」など、いろいろな人たちが訪問しています。「古川さん」と一緒に写っている写真を見せて「この人は覚えていますか」と訊きます。</p>



<p>しかし、今から50年近い前のことでもあり、その当時は幼い年齢の人たちもいて、ある人は「覚えています」、ある人は「覚えていません」と言う、違う答えが出て来ても不思議ではありません。さらに、ここには<strong>「古川さんの日本の子ども二人」</strong>も訪問しています。その写真も見せました。</p>



<p>そして、実はその「日本の子ども二人」はまだ日本でご健在だというのです。しかし、ご高齢でもあり、中村さんは「Vuさんの日本訪問を急がないといけない」と気をもんでおられるのでした。「インタビュー」は40分ほど続きました。すぐ隣には、一テーブルだけ、遠くから来た親族がビールを飲んで、料理を食べていました。</p>



<p>中には、私も良く知る<strong>「焼酎好きのおじさん」</strong>もいます。時に大きな声を出していましたが、敢えて我々の側から制しませんでした。そのほうが<strong><span style="color: #800080" class="text-color">「現地でインタビューした臨場感」</span></strong>が有っていいかな・・・とも思いました。作り物の「インタビュー」ではなくて、自然な感じが漂う「インタビュー」のほうがいいだろうと思ったからです。</p>



<p>「インタビュー」が終わり頃に入った時、「古川さんが不慮の事故」で亡くなられた時の「新聞記事」があり、その写真を中村さんがパソコンの画面で見せました。Tamさんがその記事を簡単に説明しました。すると、「Aさん」は前の列の席に座っていたので、パソコンに現れた、生前の「古川さん」の写真が鮮明に見えたからでしょうか。</p>



<p>「Aさん」が最初に両目に涙を流しました。すると、「Bさん」「Hueさん」「Tuanさん」の四人全員が次々と両手を自分の眼に押し当てて、声に出して涙を流していました。それを見て、私も涙がこぼれ落ちてきました。中村さん、NTさん、Tamさんも次に出る言葉を抑え、シーンとした雰囲気になりました。</p>



<p>それで、私もみんなの前に出て次のように話しました。「このインタビューは、いつか近いうちにVuさんが日本に行き、お父さんの故郷を訪問してもらうために、古川さんのベトナムの家族のことを知ってもらいたくて、今日こうして集まってもらいました。今日は本当に有難うございました」と挨拶して、この日の「大きな目的」である「インタビュー」を終わらせて頂きました。</p>



<p>中村さん、NTさん、Tamさん、六人の「古川さん」の子どもさんたちにも、大変「思い出深いインタビュー」になりました。そして、私自身も大変感動しました。今までCai Beの＜法要＞には参加していても、「古川さん」の六人の子どもたち全員がこうして一堂に集まり、「お父さんの思い出」やCai Beに「古川さん」を訪ねて来た人たちの追憶を聞けたのは、今回が初めてのことだったのですから。</p>



<p>この後は、夕方６時半過ぎから、またまた＜宴会＞が始まりました。揚げ物、蒸し物、ベトナム風のお好み焼き「Banh Xeo(バイン セオ)」や、果物や缶ビールなどが次々とテーブルの上に置かれました。大変なご馳走でした。特に、「Banh Xeo」は我々が一枚平らげると追加でもう一枚、それも平らげるとさらにもう一枚次々に出てきたのです。さすがに、三枚も食べるとお腹がいっぱいになり、それ以上の「Banh Xeo」は「もう、結構ですよ！」と、お断りしました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/たくさん頂いた「バイン　セオ」2-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2136" width="247" height="186" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/たくさん頂いた「バイン　セオ」2-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/たくさん頂いた「バイン　セオ」2-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/たくさん頂いた「バイン　セオ」2-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/たくさん頂いた「バイン　セオ」2.jpg 1280w" sizes="(max-width: 247px) 100vw, 247px" /><figcaption>たくさん頂いたバインセオ</figcaption></figure></div>



<p>夕食を終えて一段落して、中村さんがTamさんに声掛けして、「今からそこの果樹の横に水が流れている場所に行きましょうか！そこには蛍がいますよ！」と言いますと、彼女は目を輝かせて「わぁー、有難うございます！是非行きたいです」と答えました。良く訊くと、彼女は今までベトナムの田舎に行ったことはあっても、蛍は見たことが無いと言うのです。</p>



<p>（へぇ～、そういうベトナム人の若者もいるのか・・・）と、私はTamさんをこの日、朝から今までずっと彼女を見ていて、いろいろなことに<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「興味」「好奇心」</span></strong>を抱く彼女に大変感心しました。このような「興味」「好奇心」をこれからも持続してゆけば、彼女の<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「日本語能力」</span></strong>は今後ぐんぐんと伸びてゆくことでしょう。</p>



<p>そして、中村さんの案内で、竜眼の小道を歩いて行きましたが、街灯も無いので真っ暗です。竜眼の上のほうの枝をじーっと眺めていますと、蛍が一匹・二匹、確かに枝に止まり、明滅していました。中村さんの話では、以前来た時には蛍の群れが枝一杯に止まり、無数に光っていたそうですが、この日の夜は数匹の蛍さんしかいませんでした。それでも、Tamさんは十分喜んでいました。自分で一匹の蛍を捕まえて、掌の上に載せて、その後すぐに空に放してあげました。蛍さんはピカピカ小さい光を輝かせながら、夜空に飛んで消えてゆきました。</p>



<p>この日はお客さんたちも多くは来ていなかったので、いつもなら夜遅くまで続く＜カラオケ大会＞の騒音も聞こえてきません。家の中では家族たちが歌っていましたが、大してウルサクはありません。家族の方たちも9時半過ぎには寝床の準備をし始めました。私たちは明日も<strong><span style="color: #800080" class="text-color">「もう一つの目的」</span></strong>が有ったので、朝は早起きする予定でした。それで、10時過ぎにはベランダの下に蚊帳が吊ってある寝床に入りました。夜空の星が見える以外は、辺りは闇につつまれて大変静かです。すぐに、私は深い眠りに落ちました。</p>



<p>●<strong>Cai Be</strong><strong>から</strong><strong>An Huu</strong><strong>村。そして</strong><strong> Sai Gon</strong><strong>へ●</strong><strong></strong></p>



<p>朝５時過ぎに私は起きました。隣の寝床を見ると、中村さんとNTさんはまだ寝ています。しかし、幼い子どもたちはもうこの時間にはすでに起きていて、庭を走り回っています。私は果樹園のほうに歩いて行きました。今ここに植えてある果樹は「竜眼」と「ドリアン」です。それらの果樹の世話をしているのは「長男Tuanくん」の奥さんです。</p>



<p>しかし、Tuanくんは若い時椰子の木から落ちて、今に至るまでずっと「車椅子生活」です。働くことは出来ません。ですから、奥さんが一人で果樹園の管理をしているのです。生前の「山元さん」が私に良く次のように話されていました。<span style="color: #1e90ff" class="text-color">「大したもんだよ、あの奥さんは。家事も切り盛りし、果樹園の世話を一人でやっているのだから・・・」</span>と。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/メコン川から昇る朝陽-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2153" width="204" height="153" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/メコン川から昇る朝陽-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/メコン川から昇る朝陽-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/メコン川から昇る朝陽-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/メコン川から昇る朝陽.jpg 1280w" sizes="(max-width: 204px) 100vw, 204px" /><figcaption>メコン川から昇る朝陽</figcaption></figure></div>



<p>今は水道管を果樹園内に引き入れて、水遣りはスプリンクラー型式になりましたが、以前はそういう設備も無くて、水道のホースを一人で手繰りながら、広い果樹園内に水を撒いていたそうです。毎年のこの＜法要＞では、我々日本人が家に着くや、すぐに家の中から出て来て、ニコーっとした笑顔で迎え入れてくれるのでした。</p>



<p>6時過ぎに中村さんが起きてこられました。そして、一人で魚の「養殖池」のほうまで歩いて行かれました。その方角から家の中にいる私たちに聞こえるような大きな声で「すごいキレイな朝陽が出てきたよー！」と叫ばれました。それを聞いたNTさんとTamさん、そして私の三人でそちらまで行きました。すると、養殖池の背後を流れるメコン川の方角から、確かに実に美しい朝陽が昇ってきていました。しばらく、私たちはその朝陽に見とれていました。その朝陽を「古川さん」や「山元さん」もたぶん毎日眺めておられたことでしょう。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/おいしいラーメン-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2179" width="189" height="142" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/おいしいラーメン-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/おいしいラーメン-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/おいしいラーメン-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/おいしいラーメン-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/おいしいラーメン-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 189px) 100vw, 189px" /><figcaption>おいしいラーメン</figcaption></figure></div>



<p>そして、また家に戻ると、テーブルの上に、私たちのためにインスタント・ラーメンが用意されていました。ラーメンの中にはワンタンも入っていました。Cai Beでの＜法要＞の翌日の朝食はいつもこのパターンです。前日にビールを飲み過ぎているので、こういう軽い食事がちょうどいいのです。そして、これが大変美味しいのです。</p>



<p>食事を終えた後、「もう一つの目的」を果たすために、７時にはこの「古川家」にお別れをすることにしました。「もう一つの目的」とは、この後、<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「古川さんご夫妻のお墓参り」</span></strong>に行く予定にしていたからです。「古川さんご夫妻のお墓」はCai Beには有りません。奥さんのご実家がある<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">An Huu(アン　フー)村</span></strong>にあります。Vuさんが言うにはCai Beから約30ｋｍの所にあるそうです。</p>



<p>私自身は今から12年前の2008年12月に、An Huu村に有るその「古川さんご夫妻のお墓」を一度だけ訪ねたことがあります。その時に案内して頂いたのが「山元さん」。そして、東京浅草にあるお好み焼き屋<strong>＜染太郎＞</strong>の支配人をされていた「澤口さん」です。今、お二人は亡くなられています。あれから約12年の長い歳月が流れました。その時のことは、<strong><a href="https://g-tierra.com/aozai/?p=1324" target="_blank" rel="noreferrer noopener">【2009年1月号＜元日本兵の墓を訪ねて＞】</a></strong>に載せています。</p>



<p>ちょうど７時に「古川家」の家族の方たちにお別れを告げに、長男のTuanくんと奥さんの元に挨拶に行きました。奥さんが<span style="color: #dc143c" class="text-color">「今日はみなさんたちがたくさん集まるので、お墓参りを終えた後は、またここに戻っていらっしゃい！」</span>と誘って頂いたのですが、またここに戻り、それからサイゴンに帰るとなると、何時に着くか分からないので、それは丁重にお断りしました。そして、奥さんの手に謝礼を包んだ封筒を渡し、<strong>＜来年の再会＞</strong>を約束して、そこを後にしました。別れ際には大量の「竜眼」と「テトの餅」を頂きました。</p>



<p>この日の目的である「古川さんご夫妻のお墓参り」に行く時、「両親の墓まで約30kmありますよ」と、Vuさんから聞いた時、(全員がバイクでそこに向かうよりも、車に乗って行くほうが安全だろうな)と思い、Vuさんにもそのようにお願いしました。彼も「はい、分かりました。では、私の友人が車を持っていますので、彼にお願いしてみます」と答えてくれました。</p>



<p>当日はTan Phong村内にある駐車場に、その友人の車が停めてありました。友人の運転手とVuさん二人はその車に乗り込んで、Tan Phong村の対岸のCai Beのフェリー乗り場に向かいました。私たちはバイクでその後を付いて行きました。そして、対岸に渡り、我々二台のバイクを預ける駐車場までVuさんが車で案内してくれました。</p>



<p>そこにはすぐに到着しました。良く見たら、そこは、いつも我々がCai Beの＜法要＞にバスで行っていた時、バスが着いた時に降り立つ「停留所」の近くでした。そこからサイゴンに帰るルートは良く知っていますので、全然問題有りません。そこから全員が一台の車に乗り代えて、An Huu村にある「古川さんご夫妻のお墓」を目指します。</p>



<p>そして、8時35分に「古川さんご夫妻のお墓」がある家の前に到着。車に乗って、約45分で着きました。そこが「古川さんの奥さんのご実家」ですが、今ここには奥さんの弟の息子さんが住んでおられます。名前を<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「Bay(バイ)さん」</span></strong>と言いました。家の周りは一面が果樹園で、この時はたくさんの<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「グアバ」</span></strong>が植えられていて、それがたわわに実っていました。大きくなった実には白い袋が被せてありました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/古川さんご夫妻のお墓-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2181" width="264" height="198" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/古川さんご夫妻のお墓-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/古川さんご夫妻のお墓-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/古川さんご夫妻のお墓-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/古川さんご夫妻のお墓.jpg 1280w" sizes="(max-width: 264px) 100vw, 264px" /><figcaption>古川さんご夫妻のお墓</figcaption></figure></div>



<p>「古川さんご夫妻のお墓」はその果樹園の中に有ります。Vuさんが先に行き、私たちが後に続きます。歩いて２分ほどで着きました。果樹園の中に「古川さんご夫妻のお墓」が二つ並ぶように、平行に置かれています。亡くなられた後も、お二人が手を繋いで眠っておられるかのような印象です。</p>



<p>以前来た時はお墓の前後にもう少し広い空間が広がり、そこに私たちが座って写真を撮った記憶が有りましたが、今はお墓の前後すぐ近くまで「果樹のグアバ」が植えられていました。お墓自体は12年前に私がお参りした時のままです。お二人のお墓の正面には「写真」も埋め込まれています。宮城県で生まれた日本人「古川善治さん」は、今ここに眠っておられます。<span style="color: #1e90ff" class="text-color">「古川さん、奥さん、久しぶりにここに来ることが出来ました」</span>と挨拶しました。私はしばらくじーっと、お二人のお墓の前に立っていました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/お墓にお供え物を捧げるVuさん-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2182" width="252" height="189" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/お墓にお供え物を捧げるVuさん-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/お墓にお供え物を捧げるVuさん-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/お墓にお供え物を捧げるVuさん-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/お墓にお供え物を捧げるVuさん.jpg 1280w" sizes="(max-width: 252px) 100vw, 252px" /><figcaption>お墓にお供え物を捧げるVuさん</figcaption></figure></div>



<p>VuさんはCai Beから＜法要＞で私たちに出して頂いたものと同じ料理や果物などの数々を、このお墓まで持ち込んで来られました。そして、それらの料理と果物をお二人のお墓の前にお供えしました。それだけで、お墓の周りのスペースは線香立てを置くだけで、それ以上は何も置けないような狭い状態になりました。</p>



<p>「線香」と言えば、中村さんはこの「お墓参り」のために<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「特製の線香」</span></strong>をわざわざハノイから持参して来られていました。どこにでも売っている市販の「線香」ではなく、中村さんが今ハノイに住んでおられるアパートの大家さん自らが作成された「特製の線香」だと言われるのです。それを私が片手で握ると、指が回らないぐらいの量でした。私がその「線香」を手に取り鼻に近づけますと、何とも言えない独特の芳香がしてきました。しかし、自分でこういう「線香」を作られるとは、何という「器用」な大家さんでしょうか。</p>



<p>察するに、中村さんがハノイのその大家さんに、今回の「お墓参り」のことを話されたのでしょう。それで、こころ優しい大家さんが自分でわざわざ作り、中村さんに持たせてくれたのでは・・・と想像しました。<span style="color: #dc143c" class="text-color">「何故大家さんがこのような線香を持たせてくれたのですか」</span>と言うことを、うっかりして聞き忘れましたので、私の「想像」ですが・・・。しかし、中村さんの先を読む気配り、その大家さんの心情の優しさにはこころ打たれました。</p>



<p>全員が中村さんからその「特製の線香」を受け取り、火を点けて黙祷を捧げ、焼香しました。初めてここにある「古川さんご夫妻のお墓」にお参りされた中村さんは、特に「古川さんのお墓」に刻まれた<strong>「Quoc Tich Viet Nam(国籍ベトナム)」</strong>という文字を注視されました。<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「古川さんは日本人なのに何故？」</span></strong>と言う疑問です。</p>



<p>お二人のお墓の焼香を終えた後、少し休憩するために、Bayさんが待っている家にまた戻りました。部屋に入ると、テーブルの上には冷たいココナッツ・ジュースが置いてありました。そこで、中村さんが抱いた疑問<span style="color: #1e90ff" class="text-color">「古川さんのお墓にはQuoc Tich Viet Nam(国籍ベトナム)と刻んでありますね。あれは何故？」</span>をBayさんとVuさんに質問し、Tamさんがそれを通訳してくれました。</p>



<p>そのことについては、2008年12月にここを訪れた私も不思議に思いましたが、<a href="https://g-tierra.com/aozai/201901-3/">2009年1月号</a>の記事の中で、私は想像して、こう記しました。<span style="color: #8a2be2" class="text-color">「私の夫は生まれは日本だけれども、このベトナムで亡くなった時には、ベトナム人である私の主人として、そして私と同じ国籍のベトナム人として、これからベトナムの大地に化してゆくのだ・・・という、奥さんの古川さんへの熱い思いなのでしょうか」</span>と。</p>



<p>しかし、<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">＜真相＞</span></strong>はどうも違うようです。今回、それをVuさん自身の口から聞いて初めて<strong><span style="color: #8a2be2" class="text-color">＜実情＞</span></strong>が分かりました。Vuさんの答えでは「ベトナム戦争が終わった後、こういう田舎町で父親が外国人、特に日本人だと分かるとイジメられたり、上の学校に進学する時、いろいろ困難なことが起きる可能性があったからです」と言うものでした。</p>



<p>確かに、そういうことは有り得るだろうな・・・と、私たちも理解出来ました。特に、古川さんは日本人でありながら、<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「ベトミン」</span></strong>としての任務もこなされていましたから、地元でも<strong>「知る人そ知る存在」</strong>だったことでしょう。さらには、「ベトナム戦争」当時、日本はアメリカの＜同盟国＞であり、そのことはベトナム側から見れば<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">＜敵＞</span></strong>であったわけです。</p>



<p>1975年の「ベトナム戦争」終結後、<strong>「外国人退去命令」</strong>が出た時、あの山元さんもしばらくして日本に帰国されています。古川さんは「ベトナム戦争」終結直前に亡くなられていますが、「あの子の父親は外国人である日本人だ」ということによる影響は、特にこうした田舎町であれば、私たちの想像以上に大きいものがあることでしょう。それは良く理解出来ました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Vuさんを囲んで記念写真-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2184" width="233" height="174" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Vuさんを囲んで記念写真-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Vuさんを囲んで記念写真-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Vuさんを囲んで記念写真-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Vuさんを囲んで記念写真.jpg 1280w" sizes="(max-width: 233px) 100vw, 233px" /><figcaption>Vuさんを囲んで記念写真</figcaption></figure></div>



<p>今回この奥さんの実家でも、BayさんとVuさんを前にして、我々日本人三人の質問をTamさんが通訳してくれました。Cai Beでの六人の子どもたちへの＜インタビュー＞でも然り、ここでも彼女が二人に丁寧に質問し、我々に通訳して教えてくれたことで判明した、多くのことが有りました。今回の彼女の活躍・応援には大変有難いものがありました。</p>



<p>そして、9時50分に家族の皆さんたちにお別れの挨拶をしてAn Huu村を去りました。別れる時にはたくさんのグアバをプレゼントしてくれました。そして、我々のバイクが駐車してある所に着いたのが10時35分。行きも帰りもちょうど45分でした。そこで、我々は車から全員降りました。</p>



<p>しかし、自分の荷物とCai Beで頂いた大量の「竜眼」や「お餅」、An Huu村で頂いた多くの「グアバ」を全部バイクに積んで持ち帰るのは大変危ないし、不可能です。それで、我々のバイクの前の席に積めて、運転に支障が無いくらいの量だけを貰うことにして、<span style="color: #dc143c" class="text-color">「残りは、今日の＜法要＞に参加している人たちで食べてください。我々はこれだけで十分ですから」</span>とVuさんに言いました。彼も申し訳なさそうにしていましたが、了解してくれました。</p>



<p>そして、この後は一路サイゴンを目指しますが、その途中で休憩も兼ねて、私が是非立ち寄りたい場所が一つありました。そのことは、中村さんにもNTさんにも事前に知らせていました。そこまでの帰りも、NTさんが先にバイクで進みます。バイクの駐車場を出て、ちょうど一時間後の11時半過ぎにMy Tho市内の「ロータリー」に到着。駐車場からここまでは37ｋｍでした。 </p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stopに到着-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2185" width="229" height="171" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stopに到着-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stopに到着-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stopに到着-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stopに到着.jpg 1280w" sizes="(max-width: 229px) 100vw, 229px" /><figcaption>Mekong Rest Stopに到着</figcaption></figure></div>



<p>そして、10分後、11時45分に<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「MEKONG REST STOP」</span></strong>に到着。ここはCai Beまでバイクで行った帰り道に立ち寄る時、ちょうどいい場所にあります。それだけが大きな理由ではなくて、ここは2009年2月に今の<strong><span style="color: #800080" class="text-color">「天皇陛下」</span></strong>が「皇太子時代」に立ち寄られた由緒ある「レストラン」なのです。</p>



<p>入口正面の上のほうに、その時の<strong><span style="color: #008000" class="text-color">＜記念のお写真＞</span></strong>が飾ってあります。そのすぐ下に若い女性のスタッフがいたので、「この方に会ったことはありますか」と訊きましたら、「はい、ありますよ！」とニコッとして答えてくれました。「写真の人」がどういう人であるかも知っている感じでした。しかし、「陛下」がここに来られたのは12年も前のことですから、彼女はずいぶん長くここで働いていることになります。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/「皇太子時代にご訪問された天皇陛下」の写真-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2186" width="216" height="162" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/「皇太子時代にご訪問された天皇陛下」の写真-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/「皇太子時代にご訪問された天皇陛下」の写真-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/「皇太子時代にご訪問された天皇陛下」の写真-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/「皇太子時代にご訪問された天皇陛下」の写真.jpg 1280w" sizes="(max-width: 216px) 100vw, 216px" /><figcaption>「皇太子時代にご訪問された天皇陛下」の写真</figcaption></figure></div>



<p>私自身は、今までここに二回来たことがあります。初めてここに来たのは2012年1月でした。二回目が2015年1月です。最初は、私が教えていた学校の仕事で行く途中にここに立ち寄りました。二回目は旅行会社主催の<strong><span style="color: #ffa500" class="text-color">「メコンデルタ・ツアー」</span></strong>に行った帰りに、ここに案内されました。いずれの時も、私自身が一人で行ったわけではないので、その時幾ら払ったのかは知りません。</p>



<p>この園内にある庭や池、そして、ここに咲き乱れている花々のキレイさは見事ものです。<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「高級レストラン」</span></strong>というべきです。（ここまでの美しさを維持するのは、大変な人手が掛かっていることだろうなぁー）とは想像出来ます。事実、この日もホウキと塵取りを両手に持ったおばさんたちが、庭の芝生の上に落ちている枯れ葉やゴミをホウキでセッセと集めていました。毎日の作業のようでしたから、大変な労力でしょう。</p>



<figure class="wp-block-gallery columns-3 is-cropped wp-block-gallery-12 is-layout-flex wp-block-gallery-is-layout-flex"><ul class="blocks-gallery-grid"><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園①-1024x768.jpg" alt="" data-id="2187" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園①.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/202103-2/attachment-0/" class="wp-image-2187" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園①-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園①-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園①-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園①.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園②-1024x768.jpg" alt="" data-id="2188" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園②.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/202103-2/attachment-0/" class="wp-image-2188" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園②-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園②-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園②-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園②.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園③-1024x768.jpg" alt="" data-id="2189" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園③.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/202103-2/attachment-0/" class="wp-image-2189" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園③-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園③-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園③-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/Mekong-Rest-Stop内の庭園③.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li></ul><figcaption class="blocks-gallery-caption">Mekong Rest Stop内の庭園</figcaption></figure>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/魚の鍋料理-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-2193" width="216" height="162" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/魚の鍋料理-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/魚の鍋料理-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/魚の鍋料理-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/03/魚の鍋料理.jpg 1280w" sizes="(max-width: 216px) 100vw, 216px" /><figcaption>魚の鍋料理</figcaption></figure></div>



<p>最初に通されたテーブルは国道が眼の前に見える場所だったので、少しウルサク感じ、東屋ふうの棟のほうに行きました。そこは涼しくて、他のお客が誰もいなかったので、そこに座りました。「コロナ」のせいなのでしょうか、この日お客さんはあまり多くはありませんでした。私たちは「魚の鍋料理」をメインに、そのほか3種類ぐらいのメニューを頼みました。</p>



<p>この後、さらにまたサイゴンまでの移動があるので、ビールは飲みません。冷たいお茶で「乾杯！」しました。今回の＜法要＞に四人で参加し、「大きな目的」を無事終えて、大変満足のゆく結果となりました。それは、大活躍してくれた、若いTamさんの協力のおかげでもあります。あらためて、この場で彼女に<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">＜お礼＞</span></strong>を述べました。</p>



<p>しばらくして、次々と料理が運ばれてきました。そのどれもが大変美味しいものでした。やはり、「高級レストラン」と言えます。この後、NTさんは「長時間のバイクの移動で腰がズキズキして痛くなりました。サイゴンに早く着いて治療したいと思います。ここからは一本道なので、Googleマップに頼らなくても、大丈夫だと思いますので、お先に失礼してもいいですか」と話されました。</p>



<p>私も「ええー、大丈夫ですよ。ここからは私も大体のルートは分かりますので、心配要りません。中村さんと私はゆっくりと帰りますので安心してください」と答えました。今回の移動では、私は平均40ｋｍぐらいのスピードで走っていましたが、ＮＴさんは50ｋｍぐらいで走り、いつも途中で私の到着を待っていてくれました。</p>



<p>NTさんは体格も雄偉なので、長時間バイクで同じ姿勢を続けていると、腰に負担がかかるのでしょう。それで、「MEKONG REST STOP」での美味しい食事を終えて、ここからはNTさんは先にサイゴンに帰ることになりました。店員の女性に「お勘定をお願いします！」と頼み、彼女が渡してくれた「清算」の紙に書いてある金額を見ると、値段も「高級」でした。</p>



<p>そして、午後１時15分にレストランを出発。NTさんとTamさんが私たちにお別れの挨拶をして、先にバイクを走らせました。私が大きな荷物を積み直し「国道一号線」に出ると、もう二人の姿は見えませんでした。この時間からは陽射しも強くなります。昨年サイゴンに戻った時に通った「50号線」と違い、「国道一号線」は車やバイクの交通量も多くなりますので、「安全運転」を心がけました。</p>



<p>しかし、途中の景色が少し変化している場所も有り、（あれ、この道で良かったかな？）と一瞬迷った時もありましたが、午後2時55分、サイゴン市内にある中村さんのホテル前に到着。「無事故」「無違反」、交通警察にも捕まらず、無事サイゴンに戻りました。今回の走行距離を見ると、Cai Beのバイクの駐車場から114ｋｍ。「MEKONG REST STOP」からがちょうど60ｋｍ。今回一泊二日でサイゴンとCai Beを往復した距離は226ｋｍになりました。</p>



<p>ホテル前で中村さんに＜お礼＞を述べて、一旦お別れ。ホテルで休憩した後、また夕方「スシコ」で会うことにしました。私は家に戻る途中、この日のあまりの暑さに「スシコ」で生ビールを飲むことに。「スシコ」に着くと、この時間には珍しく、日本人らしき四人ほどのグループがいました。バッグからテニスのラケットが覗いて見えたので、その帰りなのでしょう。私は一杯だけ生ビールをキューッと飲んですぐ帰宅。</p>



<p>少し眠り、夕方また「スシコ」へ。私が着くと、その後すぐに中村さんも到着。二人で今年の＜法要＞に無事に参加出来たことに対して「乾杯！」。今回の＜法要＞は今までと違い、大変＜稔り多き法要＞になりました。さらにまた、私は中村さんと話していた時、＜46回目の法要＞と言う数字に、私自身は思いを馳せていました。</p>



<p>「46回目」、あと「4回」で「50回目」になるのか・・・と。今後、半世紀も続き、さらにまたずっと続いてゆくことでしょう。Cai Beには毎年欠かさず、＜両親の法要＞を続けている遺族たちがいます。私の父は2007年に亡くなりました。一番最近の＜法要＞は、2019年4月に<strong>「十三回忌の法要」</strong>として行いました。そのことは<a href="https://g-tierra.com/aozai/201904-2/" target="_blank" rel="noreferrer noopener"><span style="color: #1e90ff" class="text-color">【<strong>2019年５月号 亡父の十三回忌の法要】</strong></span></a>として載せています。</p>



<p>しかし、それ以来＜父の法要＞は行っていません。さらに言えば、日本とベトナムでは＜法要＞のスタイルが違います。日本の我が家のパターンでは、お坊さんを自宅に呼んで読経を読んでもらい、「講話」をしてもらいました。参加する人たちも<strong>「親戚」「縁者」</strong>だけです。そうでない人は<strong>「近所の人」</strong>でも呼びません。＜法要＞の雰囲気は<strong><span style="color: #800080" class="text-color">＜厳かな法要＞</span></strong>と言えます。</p>



<p>しかし、ベトナムでの＜法要＞にはお坊さんは来ません。参加者たちだけで、飲んで騒いで賑やかな＜大宴会＞となります。さらに、大騒音の＜カラオケ大会＞が昼間から深夜まで続いてゆくのです。参加者も毎年カンボジアに近い<strong>Chau Doc(チャウ ドック)</strong>から来る「焼酎好きのおじさん」や「古川さんの家」まで220ｋｍほど離れた<strong>Dong Nai(ドンナーイ)</strong>から来る人たちもいます。 </p>



<p>さらに地元の人や近所人たちも参加して、実に＜賑やかな法要＞になるのです。どちらが<strong>「良いか、悪いか」</strong>ではなく、どちらのほうが<strong>「故人が喜んでくれるだろうか」</strong>と、今回＜46回目の法要＞を終えて、ふと考えた次第です。Cai Beには、今は亡き<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「山元さんの遺影」</span></strong>も置いていますので、また<strong>＜来年の法要＞</strong>の時にお伺いしてみたいと思います。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ベトナムBAOニュース</h2>



<p>■<strong>カラオケ騒音問題、年末までに解決目指す</strong>■</p>



<p>ホーチミン市人民委員会のボー・バン・ホアン副主席は、このほど開かれたカラオケ騒音問題に関する会議で、年末までに問題の解決を図るよう関連部署に指示した。<br><br>具体的には2段階で対策を実施する。5月末までの第1期では、市民やカラオケを使用する店などに対する注意喚起と、騒音問題の処理に関連する法規の整備に取り組む。この段階では行政違反の処理は行わず、人々の意識を高めることに注力する。<br><br>6月から年末までの第2期では、カラオケ騒音の検査を集中的に実施し、政令に従って違反行為者を厳格に処罰する。ホアン副主席は「規定は既にある。重要なのは人員や測定機器の不足をできない理由にしないことだ」と述べ、年末までにカラオケ騒音問題の解決を目指すと強調した。<br><br>同市資源環境局によると、騒音の発生源は、カラオケ店、ディスコ、バー、ビアクラブ、路上飲食店、家庭でのカラオケ、結婚式・葬式・パーティー・スーパーマーケット・市場・公共施設での音楽などさまざまある。<br><br>同局のグエン・ティ・タイン・ミー副局長によると、騒音関連の政令は複数あるものの、罰金が低額だったり、時間帯が限定されていたりと取り締まりに困難が生じているという。ミー氏は、騒音の処罰に関する規定の見直しを政府に要望するよう人民委員会に提案した。</p>



<p class="has-text-align-right">&nbsp;　　 　&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 　　&nbsp;&nbsp; <strong>＜VIETJO</strong><strong>＞</strong></p>



<p><strong>◆解説◆</strong></p>



<p>「カラオケ」はベトナム語でも声調記号無しの「Karaoke」です。日本人が発明した「カラオケ」は「英語表記」でも「中国語の発音」でも、発音は少し違うようですが「Karaoke」ですね。（他の国の言葉ではどうなのだろうか？）といつも思っていました。そんな時、ちょうど数日前に、かつてのSaint Vinh Son小学校の運営責任者の、あの「藤牧さん」が「スシコ」に来られたので訊いてみました。</p>



<p>「藤牧さん」は若い頃からいろいろな国のホテルで働かれていたことがあるので、そういうことには詳しく、良くご存じです。「藤牧さん」の話では、ヨーロッパのいろんな国でも、やはり「カラオケ」は「Karaoke」だそうです。日本で発明された「カラオケ」は個室の中やスナックの中だけでなく、いろいろな国でそのスタイルを変えて、その国の言葉で歌われているのでしょう。</p>



<p>ベトナムでの「Karaoke」は「カラオケ店」や「スナック」や「バー」などの室内で歌うだけではなく、上記の記事にもあるように、<strong>「路上飲食店、家庭でのカラオケ、結婚式・葬式」</strong>など、外にも聞こえるような「大音量」で歌うところに、ベトナム風に発展・変化した「カラオケ文化」があると言えるでしょうか。</p>



<p>私自身はあまり「カラオケの騒音」は気にしないのですが、同じ日本人でも「カラオケの騒音が苦手」と言う人もいます。2013年8月に「スシコ」で出逢ったTMくんがそうでした。彼と話していた時、向かいにある路上屋台の店で、たまたまある一つの家族の「誕生日パーティー」が開かれていました。</p>



<p>路上に置かれた大きなスピーカーから、とてつもない大音量の歌が流れてきました。聞いている人の腹の中に響くような、「ズーン・ズーン」という大音量でした。当然我々も会話が出来ません。その音楽が流れ始めて十分くらい経つと、TMくんの表情が変わり、彼は額に手を当ててうつむきました。さらに、だんだんと顔色が蒼ざめてくるのが良く分かりました。やはり、大音量の音楽が原因で、気分が悪くなったようでした。</p>



<p>もう一人の日本人の方も知っています。今ハノイにおられるTR先生です。TR先生がサイゴンに住んでおられた時、アパートの前にレストランが有りました。そのレストランでは深夜から朝方までTR先生が眠れないぐらいの大音量で、カラオケの歌声が聞こえてきたそうです。TR先生はそれで不眠症になり、体調を崩されました。</p>



<p>ハノイに行ってからはそういうことも無くなり、喜んでおられます。しかし、同じ日本人でも、路上の「カラオケ屋さん」のマイクを奪い、喜んで歌っていたNHくんのような若者もいます。彼は2018年3月にCai Beでの＜法要＞に参加した時、その見事な歌声を披露し、みんなから拍手大喝采でした。</p>



<p>この記事を読んだ時、<span style="color: #0000ff" class="text-color">（今までカラオケの騒音に対して鷹揚だったベトナムの人たちも、カラオケをウルサイと感じるようになったのかな・・・）</span>と、面白く思いました。しかし、ベトナムでの「カラオケ文化」は<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「カラオケが好きで歌う人」</span></strong>だけではなく、<strong><span style="color: #800080" class="text-color">「カラオケで生計を立てている人」</span></strong>もいるので、<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">『年末までに解決目指す』</span></strong>のはたぶん無理だろうなと思います。</p>



<p>路上屋台の店「スシコ」で飲んでいますと、さまざまな「カラオケで生計を立てている人」たちが登場します。その人たちは路上で「カラオケ」を歌い終わった後、お客さんのほうにやって来て、お菓子などを売りに来ます。それで「生計を立てている」のです。</p>



<p>路上での「カラオケ」が禁止されたら、彼らのような人たちは路頭に迷うことでしょう。 しかし、逞しい彼らはまた場所を変えて、違う所で歌い続けてゆくでしょうから、『年末までに解決目指す』のは実現しないだろうなーと思う次第です。</p>
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		<item>
		<title>【2021年2月】「Vinh Son Vinh Hoi小学校」、「Can Gio森林保全局」訪問。山元さんを偲ぶ会／ホーチミン市における学校への登校禁止</title>
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		<dc:creator><![CDATA[aozai]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 15 Feb 2021 03:31:30 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[2021年1月～12月]]></category>
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					<description><![CDATA[春さんのひとりごと 「Vinh Son Vinh Hoi小学校」を訪問 １月27日の朝10時半、サイゴン市内の４区にある「Vinh Son Vinh Hoi小学校」を訪問しました。2019年8月以来のことですから、約一年 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">春さんのひとりごと</h2>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>「Vinh Son Vinh Hoi小学校」を訪問 </strong></h3>



<p>１月27日の朝10時半、サイゴン市内の４区にある<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「Vinh Son Vinh Hoi小学校」</span></strong>を訪問しました。2019年8月以来のことですから、約一年半ぶりのことになります。昨年の2020年は「コロナ禍」で、ついにそこを訪問出来ませんでした。今年もまだ日本国内では「コロナ」が続いていて、日本から生徒たちがベトナムに来ることは出来ません。</p>



<p>この日に「Vinh Son Vinh Hoi小学校」を訪問した目的は、我が社・ティエラで学んでいる生徒たちが、ベトナムの恵まれない子どもたちに寄せてくれている善意の寄付金<strong><span style="color: #8a2be2" class="text-color">「がんばりポイント」</span></strong>を学校に届けるためです。その「がんばりポイント」は生徒たちが自分のために使うことも出来るのですが、<strong><span style="color: #8a2be2" class="text-color">＜異国の生徒への文具、制服の進呈＞</span></strong>や<strong><span style="color: #008000" class="text-color">＜植林活動＞</span></strong>に活用することも可能になっているのです。</p>



<p>以前は、藤牧さんと奥さんの<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">Oanh先生</span></strong>が運営されていた<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「Saint Vinh Son小学校」</span></strong>にも毎年進呈していました。そこが2018年５月に＜閉校＞した後、Oanh先生から「Vinh Son Vinh Hoi小学校」を紹介して頂きました。それで、引き続き日本の生徒たちの善意を活かすために、その小学校に進呈しています。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh003-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-1786" width="298" height="223" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh003-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh003-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh003-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh003-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh003-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 298px) 100vw, 298px" /><figcaption>Tham先生に「がんばりポイント」を進呈</figcaption></figure></div>



<p>「Vinh Son Vinh Hoi小学校」の校長先生は<strong>Tham(</strong><strong>タム)</strong><strong>先生</strong>という女性の方です。Oanh先生はTham先生とは懇意にしておられるので、そこを訪問する日時もOanh先生にお願いしました。後で聞いて分かったことですが、Tham先生は以前使用していた携帯電話を失くし、メール・アドレスも変えたと言うことなので、Oanh先生に頼んで正解でした。私が連絡しても返事はずっと来なかったことでしょうから。</p>



<p>そして、当日は午前10時半に小学校の正門前で待ち合わせの約束をしました。私が時間通りにそこに着いた時、藤牧さんとOanh先生はすでに校内におられました。ここを訪問したのが約一年半ぶりですので、約束通りに学校の門内に入ることが出来て、私も一安心しました。Oanh先生の協力が無ければ、こうもスンナリと学校の中には入れなかったでしょう。何せ、私が小学校訪問の件をOanh先生に頼んだのはその前日だったからです。</p>



<p>三人で階段を歩いて二階の校長室に入りました。校長室の場所も依然と同じでした。Tham先生ともう一人の先生が迎えてくれました。Tham先生とは一年半ぶりの＜再会＞です。私と眼が合うと、ニコッとした笑顔で、<span style="color: #1e90ff" class="text-color">「お久しぶりですね！ようこそいらっしゃいました！」</span>と挨拶されました。</p>



<p>昨年は「コロナ」のため、日本の生徒たちがベトナムに来ることが出来ず、この小学校を訪問出来ないことが決まった時、Tham先生にはお詫びのメールを送りました。さらに、やはり今年も日本の生徒たちの<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">＜ベトナム訪問＞</span></strong>は無理になりました。そのことに対しても、お詫びの言葉を述べました。Tham先生も「仕方がありませんね・・・」と悲しい顔を見せられました。</p>



<p>それで、私が「でも、日本の生徒たちはこの学校の生徒さんたちに対する支援の思いを今も持ち続けています。それで、今現在までに貯まったポイントを是非Vinh Son Vinh Hoiの生徒さんたちに渡して欲しいと言うお願いが私の会社から届きましたので、今日ここに参りました」と話しますと、Tham先生が頭を下げて「本当に有難うございます！」と感謝の言葉を述べられました。</p>



<p>そして、その校長室の中でTham先生に日本の生徒たちから寄付を頂いた「がんばりポイント」をベトナム・ドンに両替した金額を封筒に入れてお渡ししました。Tham先生はそれを頭を下げて受け取り「大変感謝致します。日本の生徒さんたちにもよろしく伝えてください！」と言われました。</p>



<p>その後、Tham先生が「今から各教室にご案内いたします！」と言われました。Tham先生が先に歩いて行かれましたので、私と藤牧さん夫妻がその後に続きました。最初に入ったクラスは小学校５年生のクラスでした。ベトナムでは小学校は５年生までです。驚いたことには、狭い教室が生徒で満員でした。25人ぐらいの生徒たちがいました。全員が制服を着ていました。</p>



<figure class="wp-block-gallery aligncenter columns-3 is-cropped wp-block-gallery-13 is-layout-flex wp-block-gallery-is-layout-flex"><ul class="blocks-gallery-grid"><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh004-1-1024x768.jpg" alt="" data-id="1789" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh004-1-scaled.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/?attachment_id=1789" class="wp-image-1789" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh004-1-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh004-1-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh004-1-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh004-1-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh004-1-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh005-1-1024x768.jpg" alt="" data-id="1790" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh005-1-scaled.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/?attachment_id=1790" class="wp-image-1790" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh005-1-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh005-1-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh005-1-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh005-1-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh005-1-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh006-1024x768.jpg" alt="" data-id="1791" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210127vsvh006-scaled.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/?attachment_id=1791" class="wp-image-1791"/></figure></li></ul><figcaption class="blocks-gallery-caption">教室を見学</figcaption></figure>



<p>そして、Tham先生が私のことを紹介してくれました。2019年の夏にここを訪問しています。ベトナムでは8月半ば過ぎから新学年がスタートしますので、その当時１年生になったばかりの生徒たちは今2年生になっています。それで、それ以上の学年の生徒たちは私のことを覚えていてくれています。ですから、5年生のクラスの生徒たちも私の顔を覚えていてくれたのか、ニコーッとした笑顔をしました。</p>



<p>Tham先生の紹介の後、私から「ベトナムはもうすぐテトが来ますね。みなさん楽しいテトを迎えてくださいね。そして、テトが明けたらまた続けて勉強をしっかり頑張ってください！」と話してあげました。みんな頭を下げて肯いていましたので、分かってくれたのでしょう。</p>



<p>それから、Tham先生が男子のクラス長を指名して、お礼の挨拶をさせました。その男の子は<span style="color: #1e90ff" class="text-color">「日本の生徒さんたちが今年もベトナムに来ることが出来なくて、私たちも残念です。でも、今も続けて日本の生徒さんたちが私たちを助けて頂いて、本当に感謝しています」</span>と、そういう話をしてくれました。</p>



<p>続けて、4年生、3年生、2年生、1年生のクラスに入ってゆきました。どのクラスでもTham先生から私の紹介をして頂き、クラス長からはお礼の言葉をもらいました。１年生のクラスに入った時には、まだ幼い6歳くらいのクラス代表の女の子が進み出て<span style="color: #ff0000" class="text-color">「本当に有難うございます！日本の生徒のみなさんたちに私たちが感謝していますと伝えてください！」</span>と、ゆっくりとしたベトナム語で話してくれたのですが、思わず涙をこぼしそうになりました。</p>



<p>その日は、学校の中にある全部のクラスをTham先生が見せてくれましたが、中にはまだ「就学前」のクラスもありました。その時、少し早いお昼ご飯を職員の方たちが子どもたちに食べさせていました。茶碗の中を見ると、お粥のような昼ご飯でした。ここでは生徒たちの食事の面倒までも見ているのでした。</p>



<p>しかし、全部のクラスを見て回った後、私が抱いた感想は（以前よりもずいぶん生徒が増えているなぁ・・・）と言うことでした。藤牧さんも同じ感想でした。2019年にここを訪問した時に、制服を準備する関係で、事前に私が「全部で何人の生徒さんがいますか」とTham先生に訊いた時、「100人ほどです」と答えられたのでした。</p>



<p>この時も、Tham先生に「今生徒たちは全部で何人いますか」と訊きました。すると「180人ほどです」と答えられました。藤牧さんとOanh先生、そして私も「ええーっ、そんなに増えましたか！」と驚きました。<span style="color: #ff0000" class="text-color">（コロナのせいで両親が失業しているからかな・・・）</span>と想像しましたが、後ほどOanh先生からその詳しい事情を伺いました。</p>



<p>Oanh先生の話では<span style="color: #8a2be2" class="text-color">「別の教会でも同じように恵まれない生徒たちを預かり、小学校課程の勉強を授けてきたそうです。しかし、その教会が種々の理由で、生徒たちに教育をすることが出来なくなりました。それでは生徒たちが可哀そうだと教会の方たちが心を痛め、Vinh Son Vinh Hoi小学校でその学校の生徒たち全員を引き受けたとのことです。それで、以前より80人も増えているのです」</span>とのことでした。</p>



<p>「種々の理由」と言うのが「コロナ」が原因なのかどうかは分かりませんが、結果として、</p>



<p>80人の生徒さんたちがVinh Son Vinh Hoi小学校に移り、そこで引き続いて勉学が出来ています。普通の公立の学校に行きたくとも、今でも<strong>「授業料は有償」</strong>であり、<strong>「教科書代も自費で購入」</strong>しないといけない、今の<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「ベトナムの教育事情」</span></strong>が、そういう生徒たちを生み出している背景にあります。</p>



<p>「テト」が近づいて来る前に「Vinh Son Vinh Hoi小学校」を訪問出来ました。そして、生徒さんたちが明るく、元気に頑張って勉強している姿を見て、私自身も励まされました。次にここを訪問出来るのがいつになるかは分かりませんが、Tham先生にお礼を述べて、学校を後にしました。藤牧さんとOanh先生とも、学校の門の前でお別れしました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>「Can Gio森林保全局」を訪問 </strong></h3>



<p>１月27日に「Vinh Son Vinh Hoi小学校」を訪問した翌日の28日、<span style="color: #008000" class="text-color">「<strong>Can Gio森林保全局」</strong></span>を訪問しました。Can Gioへは昨年の７月初旬に行きましたが、その時は「森林保全局」は訪ねませんでした。ですから、そこを訪問したのも約一年半ぶりのことになります。今回も一人でバイクに乗って行きました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio001-768x1024.jpg" alt="" class="wp-image-1794" width="373" height="497" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio001-768x1024.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio001-225x300.jpg 225w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio001-1152x1536.jpg 1152w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio001.jpg 1536w" sizes="(max-width: 373px) 100vw, 373px" /></figure></div>



<p>この日は朝9時45分に４区を出発。この時期のサイゴンの季節は朝・夕は涼しい時期が続いています。４区からは<strong>Kenh Te(</strong><strong>ケン </strong><strong>テー)</strong><strong>橋</strong>を渡り、<strong>Lotte Mart</strong>前を通過。<strong>Nguyen Thi Thap(</strong><strong>グエン </strong><strong>ティー </strong><strong>タップ)</strong><strong>通</strong>りに入り、それが切れた交差点から右に曲がりました。そこから<strong>Nha Be(</strong><strong>ニャーベー)</strong><strong>地区</strong>に入り、そのまま真っすぐに進んで行くと、<strong>Nha Be</strong><strong>フェリー乗り場</strong>に9時55分に到着。4区からは約15キロでした。</p>



<p>フェリー代は前回と同じく、バイク一台と私一人で4,500ドン。この時１円＝220ドンで計算して約20円です。しかし、500ドン(2円)だけ値上げして、５千ドンにすればお客も支払いやすく、係員も受け取り易く、お釣りも簡単に渡せるのに、依然と同じ4,500ドンです。お釣りの準備や手渡しの手間ヒマを考えると<span style="color: #ff0000" class="text-color">（５千ドンにすれば良さそうなものなのに・・・）</span>と個人的には思いますが、ずっとそのままです。何か意図が有るのでしょう。</p>



<p>この日は結構トラックや乗用車やバイクが多く、一隻の大型フェリーが来てもすぐには乗れず、一度はゲートを閉められました。そして、乗船したのは10時15分。この日もフェリー内の右側の通路にバイクを入れました。人とバイクが通るだけの細い通路になっていて安全ですので、いつもそこにバイクを停めます。</p>



<p>フェリーの中から「Can Gio森林保全局」の責任者・<strong>Sang</strong><strong>くん</strong>に「今Nha Beフェリーに乗りましたよ」とメーセージを送りました。この日は潮流の関係でしょうか、フェリーに乗った時間はいつもより少し短くて、8分間ほどで対岸の<strong>Binh Khanh(</strong><strong>ビン </strong><strong>カーン)</strong>に到着。そこから一路「Can Gio森林保全局」を目指します。</p>



<p>７月にバイクで走った時には道路がずいぶん走りやすくなっていましたが、この日も道路のデコボコが少なくて、スイスイと走れました。平日なので、車やバイクも少ないものです。Sangくんには前日に「大体11時過ぎ頃には着くよ」と連絡していました。特に<strong><span style="color: #8a2be2" class="text-color">「交通警察」</span></strong>に呼び止められさえしなければ、それぐらいの時間には着くので、スピードも出さず、ゆっくり走りました。</p>



<p>そして、10時52分に、いつも写真を撮っている橋に到着。この橋の名前は<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">Loi Giang(ロイ　ザーン)橋</span></strong>と言います。この橋の上から見える<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「マングローブの森」</span></strong>は実に見事です。毎年日本から生徒たちがCan Gioに来た時には、この橋の上で「記念写真」を撮っています。マングローブ植林に汗を流してきた人たちの活動の証が眼の前に広がり、毎年・毎年それが今も成長しているのです。４区からここまで31km。</p>



<p>この日もバイクを橋の中ほどに停め、しばらく橋の欄干に両手を置き、マングローブ林を眺めていました。今までCan Gioに来て「マングローブ植林」の活動に参加してくれた日本の生徒たちのことが思い出されてきます。世界は今「コロナ」で大騒ぎしています。その「コロナ」のせいで日本から生徒たちが今年もベトナムに来れません。しかし、眼の前のマングローブ林は「コロナ」など関係なく、今日も、明日も芽を伸ばし、大きく成長してゆくことでしょう。</p>



<p>そして、11時５分に「森林保全局」に到着。４区からは37.5ｋｍでした。門をくぐる所には「守衛」が待機している小部屋が有るのですが、この時は誰も居ません。それで、そのままバイクで中に入ると、駐車場に大型バスが一台停まっていました。団体のお客さんが来ているようです。</p>



<p>以前Sangくんが執務していた部屋へ行くと、中の電気は消えていて真っ暗。それで、別の部屋に行くと二人の事務員がいたので「Sangくんはどこ？今日会う約束だけど・・・」と訊くと、「会場のほうにいます」との答え。「会場」と言うのは日本から来た生徒たちにいつもCan Gioの説明会をしていた部屋のことです。</p>



<p>それで、そちらのほうに歩いてゆくと、マイクで説明している声が聞こえてきました。ちらっと後ろのほうから見えたのは、大広間に多くの人たちが座って係員の説明を聴いている光景でした。会場に通じる通路の手前に女性スタッフがいたので「Sangくんに会いたいのだが・・・」と言うと、彼女は私の名前も覚えていて、今日私がここを訪ねて来ることも事前に聞いていたらしく「あちらの部屋で待っていてね」と言ってくれました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio002-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-1795" width="264" height="198" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio002-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio002-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio002-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio002-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio002.jpg 2048w" sizes="(max-width: 264px) 100vw, 264px" /><figcaption><strong>「森林保全局」に＜がんばりポイント＞進呈</strong></figcaption></figure></div>



<p>その部屋で待つこと３分もしないうちにSangくんが来ました。「いやぁー、久しぶり！」と挨拶して、握手しました。実に約一年半ぶりの再会でした。私から<span style="color: #1e90ff" class="text-color">「やはり今年もコロナで日本から生徒たちが来ることが出来ません。でも、日本にいる我が社の生徒さんたちはCan Gioのマングローブ植林活動に賛同し、今も支援の気持ちを持っているのです。それで、今日生徒さんたちが寄付してくれた＜がんばりポイント＞を持って来ました」</span>と説明しました。そして、その場で「がんばりポイント」が入った封筒を彼に渡しました。</p>



<p>Sangくんはそれを受け取り、「本当に有難うございます。ティエラの生徒さんたちに宜しくお伝えください！」と、感謝の言葉を述べてくれました。ふと、浅野さんのことを思い出し、私が「そう言えば、浅野さんが毎年率いて来ていた＜南遊会＞の大学生たちは今どうなっていますか」と訊くと、彼は「やはり、同じように昨年もここには来ていません」と言う返事でした。浅野さんもどんなに悔しいことだろうか・・・と思います。</p>



<p>この後、私は以前日本の生徒たちとCan GioのAn Thoi Dong小学校の生徒たちが植林した場所に、その成長具合を見に行くことにしていました。その場所には民家が一軒あり、管理人を兼ねていました。しかし、そこに外国人である私がフラリと一人で訪問しても、この時期「コロナ」がまだまだ収まっていない時期ですから、怖がって見せてくれないかも・・と思い、Sangくんに誰か同行者を一人付けてくれるようにお願いしました。</p>



<p>Sangくんも了解して、いつも生徒たちに植林の指導をしてくれている<strong>Hau(</strong><strong>ハウ)</strong><strong>くん</strong>を案内に付けてくれました。彼なら私も良く知っていますので安心しました。そして、そこを訪問してマングローブの成長ぶりを確認したら、私はそのままサイゴンに戻るつもりでいました。</p>



<p>そのようにSangくんに話すと「せっかくカンザーまで来てくれたのだし、この後私たちも<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">【女性同盟】</span></strong>の方たちと一緒にお昼ご飯を食べるので、是非あなたも立ち寄ってください」と言うのでした。そこで初めて、この日にここを訪問していた団体が【女性同盟】の人たちだと知った次第です。全部で60名ほどが来ているということでした。</p>



<p>一旦は「いえ、申し訳ないからいいですよ」と断りましたが、彼が「今から植林場所まで行ってまたサイゴンに戻るとなると、一番暑い時間頃になるので、ここでお昼を食べて、それから帰ったほうがいいよ」と言ってくれましたので、「有難う！分かりました。では帰りにまた寄りますね」と、その厚意を有難く受けました。</p>



<p>そして、Hauくんも自分のバイクを出し、私と一緒に「森林保全局」を出て植林場所まで一気に走りました。片道７kmほどでそこに着きました。彼が先に小道を歩いてゆき、私に説明してくれました。「この辺りの場所が2019年に植林したところですね」と彼が指差した所を見ました。</p>



<p>私もまざまざと思い出しました。日本とベトナムの生徒たちが慣れない手つきでスコップを持ち、炎天下の中で汗を流しながら植えてくれたマングローブは順調に成長してくれていました。私も本当に嬉しかったです。この日は地下足袋を持ち込んでは来ていなかったので、森の奥深くまでは入らずに、小道沿いの場所に植えたマングローブを観察しました。</p>



<figure class="wp-block-gallery aligncenter columns-3 is-cropped wp-block-gallery-14 is-layout-flex wp-block-gallery-is-layout-flex"><ul class="blocks-gallery-grid"><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio005-1024x768.jpg" alt="" data-id="1796" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio005.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/?attachment_id=1796" class="wp-image-1796" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio005-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio005-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio005-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio005-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio005.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><figcaption class="blocks-gallery-item__caption"><strong>生徒たちが植林したマングローブ</strong></figcaption></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio013-1024x768.jpg" alt="" data-id="1798" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio013.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/?attachment_id=1798" class="wp-image-1798" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio013-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio013-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio013-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio013-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio013.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><figcaption class="blocks-gallery-item__caption"><strong>生徒たちが植林したマングローブ</strong></figcaption></figure></li><li class="blocks-gallery-item"><figure><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio014-1024x768.jpg" alt="" data-id="1799" data-full-url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio014.jpg" data-link="https://g-tierra.com/aozai/?attachment_id=1799" class="wp-image-1799" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio014-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio014-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio014-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio014-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio014.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><figcaption class="blocks-gallery-item__caption"><strong>Hauくんと６年前に植えたマングローブ</strong></figcaption></figure></li></ul></figure>



<p>周りの木々よりも高く伸びたマングローブ林が有ります。Hauくんが私を手招きして「これを見てください。これは６年前ぐらいに日本の生徒さんたちとベトナムの小学生たちが一緒に植えたマングローブですよ！」と説明してくれました。人の背丈と比較すると、それがどれぐらいの高さかが分かるので、彼にその前に立ってもらって写真を撮りました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio015-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-1801" width="255" height="191" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio015-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio015-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio015-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio015-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210128cangio015-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 255px) 100vw, 255px" /><figcaption><strong>Loi Giang橋から見たマングローブ林</strong></figcaption></figure></div>



<p><span style="color: #8a2be2" class="text-color">「みなさんたちが植えたマングローブは大きく育っていますよ！」</span>と呟きながら・・・。</p>



<p>今から振り返ると、2012年の夏から、日本の生徒たちとベトナムの生徒たちが一緒にマングローブ植林を行う<strong><span style="color: #008000" class="text-color">＜日越友好植林活動＞</span></strong>がスタートしました。それ以来８年間続けて＜日越友好植林活動＞を続けてきました。ベトナム側からは毎年10人の生徒たちを選んでくれるように、小学校のほうにお願いしていました。</p>



<p>2019年までに参加してくれたベトナムの小学生たちだけでも80人になります。2012年から2019年までに日本から来た生徒たちの合計を後で詳しく調べてみたら、ちょうど60名に達していました。ですから、延べにして140名の生徒さんたちが＜日越友好植林活動＞に参加していたのです。</p>



<p>一人が最低５本の苗木を植林していましたから、合計では、ちょうど700本のマングローブを植林してきたことになります。併せて、日本とベトナム側から参加した引率の先生たちも同じように植林活動をしていましたので、約900本近くのマングローブの苗を植林していたわけです。</p>



<p>このことは過去の記録を引っ張り出して確かめたものです。それだけに、Hauくんが指し示して「これは６年前にみんなが植えたマングローブです」と話してくれた時の写真を見ながら、あらためてその当時の参加者たちが記載された名前を懐かしく眺めていました。<span style="color: #0000ff" class="text-color">（もう大学生になった子もいるでしょう。みんな元気に頑張っていることでしょうね）</span></p>



<p>そこを去り、また二人でバイクに乗って「森林保全局」に帰着。ちょうどお昼の12時でした。レストランのほうで昼食会が始まっていました。Hauくんと一緒にそちらへ向かいました。すでにSangくんが席に座っていて、「こっちへ来て！」と手招きしたので、そちらへ行き、彼の隣の席に座りました。</p>



<p>全員がすでに座っていたようで、やはり60名ぐらいの人たちがいました。【女性同盟】と言う名前の通り、ほとんどが女性でしたが、私の一つ隣の席には年輩の男性が座っていました。彼が「こんにちは！」と挨拶し、続けて私の名前を言ったので「どうして私の名前を？」と訊くと、「Sangくんから教えてもらった」とのこと。</p>



<p>Sangくんに「女性同盟の方たちもCan Gioでマングローブ植林活動をされているの？」と訊きますと「はい、そうです。女性同盟の方たちはいろいろな活動をしていますが、ここCan Gioでもマングローブ植林を行っています」との答えでした。私自身は【ベトナム女性同盟】の方たちとはここが初めての接点でしたが、知り合えて良かったです。いつかまたどこかで会えるかもしれません。</p>



<p>しかし、このレストランで頂いた料理は種類も多く、大変美味しいものでした。普段は昼ご飯を摂らない私もついついハシが進みました。そして、４0分ほどすると、周りのみなさんたちのテーブルからも少しずつ席を立たれる人が出ましたので、私も【女性同盟】の方たちとSangくんにお礼を述べて、「森林保全局」を後にしました。この時、12時45分。</p>



<p>後は一路サイゴンを目指すだけです。しかし、気がかりなことが一つ・・・。実は植林場所を見に行く時点で、ガソリンのメーターがレッド・ゾーンに近づいていました。それで、「森林保全局」に戻った時にも、Sangくんに「ガソリンが無くなりそうなのだが、この近くにガソリン・スタンドは有る？」と訊くと、「ここからだと、帰り道の７～８ｋｍ先に有るよ」とのこと。そこまで行きつけるかどうか分かりませんが、行くしかありません。</p>



<p>「森林保全局」を出て3km・４kmと走った頃、針がレッド・ゾーンに入りました。ハノイまでバイクで縦断した時、針がレッド・ゾーンに入っても、案外長い距離を走るのは分かっていましたが、やはり、不安です。すると5ｋｍぐらいの場所に来た時、道路の右手に売店が有り、「ガソリン有ります！」の紙が下がっています。ガソリン・スタンドではありません。しかし、路上で果物なども売っていますが、ガソリンも売っているようです。</p>



<p>（あぁー、助かった！）と思い、そこにいたおばちゃんに「３万ドンぶんください」と言うと、ボトルに入ったガソリンとそれを注ぐ筒を手にして、私のバイクに入れてくれました。（やれやれ、一安心）と思い、お金を支払い、すぐにバイクを走らせました。すると（あれ？）と思ったのは、市内のガソリン・スタンドで３万ドンぶんのガソリンを入れると針はいつも満タンの所まで届いていますが、この時は半分の所までしか示していません。</p>



<p>しかし、また引き返して文句を言うのも時間の無駄なので、そのまま走りました。後で、女房にそのことを言うと、「ガソリン・スタンドで購入したのと同じ料金で同じ量を売ったら、路上で売る人は儲けが無いでしょ！」との返事。そう言われれば、その通り！しかし、ハノイまでバイクで行った時も何十回とガソリンを入れましたが、そういうことは無かったですね。結局、市内に入った時にまた針がレッド・ゾーンに入ったので、今度はガソリン・スタンドで再度入れました。</p>



<p>Binh Khanhフェリー乗り場には午後1時20分着。この日もお客が多くてすぐには乗れず、しばらく待機。そして、対岸のNha Beに渡ったのが午後１時45分。この日は行きも帰りも「交通警察」には出会いませんでした。この後、一路市内を目指します。しかし、Sangくんが言った通り、ちょうどこの時間頃は大変な暑さでした。（そうだ！今日の一仕事は終わったので、「スシコ」で生ビールでも飲んで帰ろう！）と思い、バイクをそちらに向けて走りました。</p>



<p>普段私は昼間からビールは飲みませんが、この日やるべきことはもう終えたので、ビール一杯ぐらいならいいだろうと思いました。２時20分頃「スシコ」に着くと、誰もお客はいません。私一人です。それでも一応、店自体は昼過ぎからは開けています。ここには「サッポロ・ビール」の生が有ります。それを一杯だけ頼みました。それをキューッと一口飲むと（あー、やっとサイゴンに無事に戻ったなぁー）と落ち着きました。日帰りの「カンザー訪問」が終わりました。</p>



<p>すると、ちょうどその時、隣の店から音楽が流れてきました。ベトナムでは「テト<span style="color: #ff0000" class="text-color">（今年は2月12日）</span>」前になると街中に流れてくる恒例の音楽です。毎年「テト」の一か月前頃から流れてきているのですが、今年はほとんど聞けませんでした。「コロナ」のせいでしょう。その毎年恒例の音楽<strong><span style="color: #008000" class="text-color">♪♪テトがやって来た♪♪</span></strong>を今年はずいぶん遅く、初めてここで聴けました。<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">YouTube</span></strong>も有ります。以下です。もうすぐベトナムでは「テト」を迎えます。</p>



<figure class="wp-block-embed-youtube wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe title="Tết Tết Tết Đến Rồi ♫ Bé Chúc Tết ♫ Nhạc Tết Thiếu Nhi Sôi Động - Bé Mai Vy, Bé Candy Ngọc Hà 2024" width="500" height="281" src="https://www.youtube.com/embed/LXQG0NbDwK0?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
</div></figure>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>山元さんを偲ぶ会</strong></h3>



<p>２月３日、「スシコ」で<strong><span style="color: #8a2be2" class="text-color">＜山元さんを偲ぶ会＞</span></strong>を行いました。山元さんは2020年2月3日に日本で亡くなられましたが、あれから早や一年が経ちました。月日が経つのは速いものです。しかし、一年経っても「山元さんの思い出」は忘れることが出来ません。特に、私は山元さんと<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「ベトナム南北縦断の旅」</span></strong>を二人で実現出来ましたので、これからもずっと山元さんへの<strong><span style="color: #8a2be2" class="text-color">＜感謝の念＞</span></strong>が消えることは有りません。</p>



<p>昨年の一周忌はベトナム料理屋で行いましたが、今年の＜山元さんを偲ぶ会＞は「スシコ」で行いました。この時期、ベトナム北部から発生した<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「コロナ」</span></strong>が南部の方にまで広がり、ベトナムの人たちが多く集まる場所を避けたかったからです。「スシコ」のほうが、ベトナムの人たちが「密」で集まる可能性が少ないだろうなと思いました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210203damgioyamamoto001-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-1802" width="332" height="249" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210203damgioyamamoto001-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210203damgioyamamoto001-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210203damgioyamamoto001-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210203damgioyamamoto001-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210203damgioyamamoto001.jpg 2048w" sizes="(max-width: 332px) 100vw, 332px" /><figcaption><strong>＜山元さんを偲ぶ会＞に集まった方々</strong></figcaption></figure></div>



<p>事前に私から、昨年の＜山元さんを偲ぶ会＞に参加した人たちに連絡を取りました。そして、最終的には11人の方々が「参加致します！」と言う返事を寄こしてくれました。昨年も同じく11人でした。「スシコ」の店長にはその前日に人数の確認を入れ、３テーブルを予約しておきました。</p>



<p>今回の参加者の中で一番遠いところでは、ハノイからあの<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「さすらいのイベント屋の中村雅身さん」</span></strong>が飛んで来られました。しかもこの時期は<span style="color: #dc143c" class="text-color">【１月末からベトナム北部で「コロナ」が再発！】</span>という状況下なのでした。切符の手配・サイゴンまでの移動など、困難な状況になっていたのです。それだけに、その義理堅さには胸が熱くなりました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignleft size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210203damgioyamamoto002-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-1803" width="282" height="211" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210203damgioyamamoto002-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210203damgioyamamoto002-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210203damgioyamamoto002-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210203damgioyamamoto002-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210203damgioyamamoto002.jpg 2048w" sizes="(max-width: 282px) 100vw, 282px" /><figcaption><strong>山元さんの遺影</strong></figcaption></figure></div>



<p>集合は夕方６時半からにしていました。私は準備の関係上６時頃には着きました。山元さんの遺影と線香も持ち込みました。この日たまたま「スシコ」のオーナーの<strong>Linh(リン)さん</strong>がここに立ち寄っていて、山元さんの遺影を見て、<span style="color: #1e90ff" class="text-color">（あぁ―、今日が山元さんの一周忌なのか！）</span>と分かったらしく、山元さんの遺影の横に置く「果物」を店長の<strong>Phat(ファット)くん</strong>に頼んで買いに行かせました。有難いことに、「スシコ」ではいつものことですが、「果物」の代金は請求しません。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large"><img decoding="async" width="275" height="206" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/02/20210203damgioyamamoto003.jpg" alt="" class="wp-image-1804"/><figcaption><strong>山元さんの遺影に＜お焼香＞</strong></figcaption></figure></div>



<p>私が着いた後、すぐに中村さんも到着。６時半になり、先に着いた方たちから、<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">＜焼香＞</span></strong>してもらいました。今年の＜山元さんを偲ぶ会＞の参加者の11人のうち７人の方が前回も参加。４人の方たちが初参加でした。初参加の方は藤牧さん、<strong>「宮城県人会」</strong>の窓口のYMさん、古川さんの次男Vuさん夫妻。そして、新しい顔ぶれでは<strong>「新潟総合テレビ」</strong>のKTさんたちです。KTさんは中村さんが誘って来られました。</p>



<p>日本人の参加者がほぼ揃ったところで、最初に中村さんから挨拶。その後、私も簡単にお礼の挨拶を述べました。<span style="color: #1e90ff" class="text-color">「一年が経つのは速いですね。そして、今でも山元さんが亡くなられた実感が湧きません。道路のあそこから山元さんがバイクを停めて現れ“やぁー、みんな元気？今日はたくさん集まって何かあるの？”と、いつもの冗談を飛ばされそうです」</span>と。</p>



<p>夕方７時頃になり、遅れてOanhさんが着き、その後Vuさん夫妻も到着。この日の参加予定のメンバーが全員揃いました。彼ら3人にも線香を渡して＜焼香＞をしてもらいました。そして、ちょうど一周忌を迎え、＜山元さんを偲ぶ会＞のメンバー全員が揃ったところで、あらためて「乾杯！」。山元さんがお好きだった「サイゴン・ビール」も遺影の横に置きました。</p>



<p>この日参加した方たちそれぞれが「山元さん」という偉大な先輩の<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">＜共通の思い出＞</span></strong>を持っています。故人の山元さんを知らなかった「新潟総合テレビ」のKTさんには近くに座った中村さんがいろいろ話してくれていました。この日の参加者の中で、山元さんとのお付き合いが一番長いのは、<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「元日本兵。古川さん」</span></strong>の次男Vuさんです。</p>



<p>Vuさんは1968年生まれですので、今年53歳です。1963年に山元さんがベトナムに渡り、Cai Beでバナナ園の経営を手掛けた時、彼は5歳になっていました。それ以来の長い付き合いだったわけです。そして、1975年Vuさんが７歳の時、お父さんの古川さんが亡くなられています。父親がいなくなったVuさんにとって、山元さんを父親のように慕っていたのでしょう。</p>



<p>この日、Vuさん夫妻はCai Beに行き、<strong>「両親のお墓参り」</strong>を済ませて、その帰り道に「スシコ」に立ち寄られたのでした。それで、到着が少し遅くなりました。そして、両手には大きな袋をぶら下げて来られました。この日に限らず、いつもVuさんご夫妻はお土産をいっぱい抱えて来られます。そして、それを皆さんたちに振る舞われます。</p>



<p>この日のお土産は袋いっぱいの「ジャック・フルーツ」と奥さん手作りの「おこわ」とバナナの葉っぱで包んだ<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">Banh TET(バイン テット)</span></strong>と言う名前の餅などでした。Banh TETはテト前に店で良く売られています。それらを広げると3テーブルがいっぱいになりました。「ジャック・フルーツ」は外側の皮はすべて捨ててあり、そのまま食べられるようになっていました。</p>



<p>私が「わぁー、これは旨い！」と唸ったのは、奥さん手作りの「おこわ」でした。奥さんの「おこわ」は食べやすいように、おにぎりの形にしてありました。その「おこわ」もBanh TETも食べきれないほどたくさん有りましたので、食べきれないぶんを棄てるのも惜しいので、店員に頼んでみなさんは<strong>＜お持ち帰り＞</strong>にしてもらっていました。私も「おこわ」を３つほど持ち帰りました。翌日女房と娘に上げましたら「大変美味しいわ！」と喜んで食べていました。</p>



<p>この日の＜山元さんを偲ぶ会＞は9時半過ぎに解散しました。「コロナ禍」でみなさんたちも大変な状況下の中で参加して頂いたのだと思います。でも、みなさんたちは努めて明るく、楽しく歓談されていました。一周忌としての参加者も確定してきました。また来年２回目の＜山元さんを偲ぶ会＞にも同じ方々が参加して頂けることでしょう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ベトナムBAOニュース</h2>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>ホーチミン市における学校への登校禁止</strong></h3>



<p>&nbsp;<br>2月1日、ホーチミン市は新型コロナ対策のため、市内の全ての教育機関（幼稚園、小学校、中学校、高校、職業訓練校、保育グループなど）について、2月2日から生徒の登校を禁止することを発表しました。</p>



<p><br>登校禁止期間中はインターネット学習などにより、学習指導計画を滞りなく履修させることとしています。<br>&nbsp;<br>当地の在留邦人の皆様及び当地を訪問中の邦人の皆様におかれましては、引き続きこまめな手洗い・手指の消毒、マスクの着用、ソーシャル・ディスタンシング（社会的距離）の確保、自宅やオフィスでの定期的な換気など、正しい知識に基づいた感染症対策に努めてください。</p>



<p><br>また、今後もベトナム当局が発表する最新情報を収集するなど、十分にご留意ください。</p>



<p class="has-text-align-center"><strong>＜在ホーチミン日本国総領事館＞</strong></p>



<p><strong>◆ </strong><strong>解説 </strong><strong>◆</strong></p>



<p>１月末にベトナムの北部でコロナが再発した時の<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">＜VIETJO&gt;</span></strong>の記事が以下です。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>新型コロナ、4省・市で新たに53人が市中感染</strong></h3>



<p>【保健省の１月29日午後6時の発表によると、市中感染による新型コロナウイルス陽性患者53人が新たに見つかった。また、1月27日に日本から入国したベトナム人1人も陽性と判明した。これにより、ベトナム国内の新型コロナウイルス感染者数は累計1705人となった。28日と29日に確認された集団感染は計146人に上っている。（１月29日配信）】</p>



<p>それから、人の移動により、一週間も経たないうちにまたたく間に「コロナ」がベトナム全土に広まっているような状況です。それが、2月1日に通達が出た＜ホーチミン日本国領事館＞からの<strong>「通達」</strong>です。こういう「通達」を出すのは、ベトナム政府はスピードが速いです。すぐに<strong>「決定」</strong>し、即座に<strong>「実行」</strong>します。</p>



<p>しかし、まさか１月末からこういう状況になるとは夢にも思わず、この一週前の時点で<strong>「１月27日Vinh Son Vinh Hoi小学校訪問」</strong>、「<strong>１月28日Can Gio森林保全局訪問」</strong>が実現出来てラッキーでした。その一週間後に訪問の予定を立てていたら、小学校と森林保全局の両方とも<span style="color: #ff0000" class="text-color">「コロナの再発により、訪問はお断りいたします！」</span>と、その二つの施設を訪問すること自体が、当分無理だったと思われます。</p>



<p>実際に、娘は大学に通っていますので、2月11日の時点で「大学はいつから始まるの？」と訊くと「2月いっぱいお休みで、3月からの予定だよ」との答えでした。しかし、それもあくまでも<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「予定」</span></strong>ですから、「コロナ」の蔓延次第で、また状況が変わるかもしれません。</p>



<p>さらにまた、2月8日に新しい「通達」が出ました。<span style="color: #1e90ff" class="text-color">「文化、スポーツ、娯楽のすべての活動、美容院、マッサージパーラー、インターネットカフェ、ウェディングセンター、劇場、ジム、ビリヤード台のサービスも、9日火曜日の午前12時から追って通知があるまで停止されます」</span>と、そういう内容です。</p>



<p><strong><span style="color: #008000" class="text-color">「９月２３日公園」</span></strong>で毎年開かれている<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「花市」</span></strong>にも行きましたが、今年はお客も少なく、公園に置いてある花木も昨年の半分以下という様子でした。「テト」になるといつも、女房の家族たちみんなで出かけていた「魚釣り」も、今年は行けるかどうか分かりません。毎年<strong>「大晦日(今年は２月１１日)」</strong>の深夜０時にサイゴン川で打ち上げられる恒例の<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「花火」</span></strong>も、今年は結局<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">「中止」</span></strong>になりました。残念ながら、今年の「テト」は静かな、そして、寂しい「テト」になりそうです。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>【2021年1月号】忘年会と新年会。Diemさんの旅立ち／劇場版「鬼滅の刃」、ベトナムで12月11日公開</title>
		<link>https://g-tierra.com/aozai/202101/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[aozai]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 14 Jan 2021 01:05:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[2021年1月～12月]]></category>
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					<description><![CDATA[春さんのひとりごと 「忘年会と新年会。Diemさんの旅立ち」 ＜2020年の忘年会＞2020年が残り十日間ほどで終わろうとしていた日、あの＜さすらいのイベント屋の中村さん＞から、私に連絡がきました。「月末の３１日にサイゴ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p></p>



<h2 class="wp-block-heading">春さんのひとりごと</h2>



<h3 class="wp-block-heading">「<strong>忘年会と新年会。Diemさんの旅立ち」</strong></h3>



<p><strong>＜2020年の忘年会＞</strong><br>2020年が残り十日間ほどで終わろうとしていた日、あの<span style="color: #1e90ff" class="text-color"><strong>＜さすらいのイベント屋の中村さん＞</strong></span>から、私に連絡がきました。「月末の３１日にサイゴンに行きます。大晦日の夜ですがスシコで会いましょう！」と言う内容でした。私は「はい、お待ちしておりますよ！今年最後の宴会になりますね」と返事をしました。</p>



<p>中村さんがハノイやダナンからサイゴンに来られる時には、いつもサイゴン市内で行われている「マラソン大会」に合わせて、飛行機で飛んで来られます。そのためか、７０歳を超えられても、大変元気です。<span style="color: #dc143c" class="text-color"><strong>「スシコ」</strong></span>に登場される時には、愛用の帽子を被って「イヨッ！」と、いつも元気ハツラツとした姿で登場されます。</p>



<p>そして、大晦日を迎える５日前の土曜日の26日に、あの<span style="color: #8a2be2" class="text-color"><strong>「Saint Vinh Son小学校」</strong></span>の運営責任者の<strong><span style="color: #8a2be2" class="text-color">藤牧さん</span></strong>がフラリと「スシコ」に立ち寄られました。「Saint Vinh Son小学校」自体は2018年5月31日に<strong><span style="color: #008000" class="text-color">＜閉校式＞</span></strong>が行われて、19年間に亘る活動を終えました。その時のことは、<span style="color: #1e90ff" class="text-color"><strong><a href="https://g-tierra.com/aozai/201807-2/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">2018年7月号「Saint Vinh Son小学校の閉校式」</a></strong></span>で触れています。</p>



<p>その後も、藤牧さんご自身は今もベトナムと日本を往復されています。しかし、昨年2020年は「コロナ」のせいで、ついに日本への帰国は一度も出来ませんでした。それは、私も同じでした。それは私たちだけに限りません。昨年の「コロナ」発生後、日本に帰国したくとも出来なかった多くの日本人がベトナムにいることでしょう。さらには、日本にいるベトナム人たちも、ベトナムに戻りたくても戻れない人たちが、私の教え子たちも含めて、たくさんいます。</p>



<p>藤牧さんの趣味はテニスです。いつもは日本人のテニス仲間たちとテニスをされていましたが、日本から来ていたその日本人の仲間たちも「コロナ」のせいでいなくなりました。<br>それで、藤牧さんは健康維持のために「散歩」をされています。藤牧さんの家のすぐそばには<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「Tao Dan(タオ ダン)公園」</span></strong>が有りますが、そこの散策を日課にされています。</p>



<p>そして、時には片道一時間ほど掛けて、４区の「スシコ」まで足を延ばされます。その散歩が毎日の「健康維持」に役立っているのでしょう。藤牧さんは今年７８歳になられます。藤牧さんは長身ですが、今でも背筋がピンと伸びていて、大変お元気です。２ケ月ほど前から、毎週土曜日に定期的に「スシコ」に立ち寄られます。</p>



<p>その26日も土曜日でした。椅子に腰を下ろされた藤牧さんはコカ・コーラを頼まれます。いつもそうです。ビールなどのアルコール類は飲まれません。私が先に注文して、テーブルの上に並べてある料理などを勧めても、「もう食事は済ませてきました」と言われて、一切手を付けられません。</p>



<p>コカ・コーラが来たので、私が「実は、先日中村さんから連絡が有りまして、大晦日の31日にサイゴンに来られます。ここで<strong><span style="color: #008000" class="text-color">＜忘年会＞</span></strong>を兼ねた再会をしますので、藤牧さんも来られませんか」と誘いました。すると藤牧さんは「そうですか！いやぁー大変懐かしいですねー。中村さんとは３年間ぐらい会っていませんよ。是非伺います」と、嬉しそうな顔で応えられました。その後、中村さんにも「藤牧さんも参加されますよ！」と連絡すると「大変楽しみです！」と返信されました。</p>



<p>そして迎えた大晦日の＜忘年会＞。当日は、中村さん、藤牧さん、私以外に、女性のOanh(オアン)さんも娘さんのThao(タオ)ちゃんを連れて参加してくれました。Oanhさん親子が参加することはその数日前に中村さんからも聞いていました。Oanhさん親子のことは、<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color"><a href="https://g-tierra.com/aozai/202005/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">2020年5月号「全社会の隔離解除後の再会～山元さんの百ヵ日の法要」</a></span></strong>にも載せています。</p>



<p>５人全員が揃ったところで＜乾杯！＞。2020年を振り返ると世界中が「コロナ」で始まり、「コロナ」で終わりました。その影響は観光業。宿泊業、飲食業など多くの分野に甚大な影響と被害を与えました。しかし、幸いなことに、この日集まった私たちの身近では、「コロナ」のせいで亡くなった人などはいません。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/20201231tieccuoinam.jpg" alt="" class="wp-image-97" width="314" height="236" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/20201231tieccuoinam.jpg 960w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/20201231tieccuoinam-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/20201231tieccuoinam-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/20201231tieccuoinam-530x398.jpg 530w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/20201231tieccuoinam-565x424.jpg 565w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/20201231tieccuoinam-710x533.jpg 710w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/20201231tieccuoinam-725x544.jpg 725w" sizes="(max-width: 314px) 100vw, 314px" /><figcaption><strong>忘年会を兼ねた再会</strong></figcaption></figure></div>



<p>中村さんも藤牧さんも久しぶりの再会を大変喜ばれていました。私も横で見ていて、大変嬉しかったです。みんなで楽しい＜忘年会＞を終えて帰宅した後、女房と娘と一緒に屋上に上がりました。この日の深夜0時に、恒例の＜花火＞がサイゴン川から打ち上げられます。</p>



<p>そして、ちょうど0時になり、予定通り花火が打ち上げられました。昨年は暗い話題が多かった一年でした。大輪の花火が夜空に輝く時、2021年が「明るい年」になってくれることを祈りながら見つめていました。花火は15分間続き、最後には大きな音がして、次にバチ・バチ・バチという音に変わり、しだれ柳のような形の赤い花火が夜空に浮かび、静かに消えてゆきました。新年2021年が始まりました。</p>



<p><strong>＜2021年の新年会＞</strong><br>昨年の＜忘年会＞の時、中村さんが<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">「私は１月３日にはダナンに行きます。それで、１月２日にはまたみなさんたちとここで＜新年会＞をしたいと思いますので、友人たちに声を掛けておいてくださいますか」</span></strong>という依頼が有りました。「分かりました！」と私も承知して、早速友人たちに連絡しました。</p>



<p>そして、最終的に１月２日の<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">＜新年会＞</span></strong>に集まって頂いたメンバーは、中村さん、家具屋のABさん、映像関係のNTさん、「宮城県人会」の窓口のYMさんとそのベトナム人の奥さん、私の６人になりました。そして、中村さん、ABさん、NTさん、YMさん、私の５人全員が、中村さんが立ち上げた故・山元さんの遺志＝<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「カイベの想い」</span></strong>のグループに参加しています。そのことは<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color"><a href="https://g-tierra.com/aozai/202008/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">2020年８月号「山元さんの遺志の実現に向けて」</a></span></strong>でも触れています。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/20210102tiecdaunam.jpg" alt="" class="wp-image-98" width="287" height="216" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/20210102tiecdaunam.jpg 960w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/20210102tiecdaunam-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/20210102tiecdaunam-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 287px) 100vw, 287px" /><figcaption>新年会も「すしコ」で乾杯！</figcaption></figure></div>



<p>このメンバーの方たちが一同に集まったので、先ずは新年明けの＜乾杯！＞そして、話は自然と<strong>「故・山元さんの遺志＝Vuさんの訪日」</strong>の実現に向けての内容が多くなりました。今「カイベの想い」は中村さんが音頭をとって動いていますが、やはり中村さんの動きはスゴイものがあります。<strong>「人を動かす」「日本・ベトナム側の役所を動かす」「新聞社を動かす」「組織を動かす」</strong>・・・などについて、精力的かつ緻密な動きをされているのでした。</p>



<p>この場には「本屋で買ってきたよ！」と言って、ベトナム南部だけが大きく載った地図とCai Beの地理がさらに詳しく載った<strong><span style="color: #dc143c" class="text-color">Tien Giang(ティエン ザーン)省</span></strong>の地図を持ち込まれました。そして、私に「ここが古川さんのバナナ園。ここは古川さんがベトミンの時に活動していた場所なんだよね」と地図を示しながら説明されてゆくのでした。聴いていて、本当に感心しました。</p>



<p>それにしても、頭では分かっていても、やはり<strong>（・・・たら）（・・・れば）</strong>と思われてなりません。<span style="color: #dc143c" class="text-color">（コロナが昨年起きていなかったら）（今も山元さんがご健在であれば）</span>・・・<span style="color: #1e90ff" class="text-color">Vuさんの訪日の実現はずいぶんと早まっていたのでは</span>・・・と思うのです。</p>



<p>昨年の大晦日の＜忘年会＞の時に、藤牧さんは<span style="color: #1e90ff" class="text-color">「もし来年（2021年）に日本に帰ることが出来たとしても、早くても８月か、夏明けの９月過ぎ頃ではないかと思います」</span>と話されていました。今の日本の状況を見ていると、（もしかしたら、そうかも・・・）という悲しい思いもよぎります。</p>



<p>この日に集まったメンバーは全員が元気でした。みなさんたちに「コロナ」の影響について訊きました。やはり、みんなが多かれ少なかれ影響を受けていました。映像関係のNTさんなどは<span style="color: #dc143c" class="text-color">「仕事が8割減になりました」</span>と嘆息されていました。しかし、そういう状況下にもかかわらず、NTさんも含めて、みなさんたちはこの日「スシコ」に集まり、<strong>「Vuさんの訪日」</strong>に向けて、いろいろな提案をして頂きました。</p>



<p>この日の＜新年会＞をしていた時、サイゴン市内では「隔離状態」は無くなりましたので、隣の席との間に仕切りも無いし、テーブルも以前と変わらない間隔でセットされていました。マスクを着用して座っている人たちもいません。自由に、楽しく、会食していました。<br>そういう意味では、サイゴン市内では「コロナ」は収まってきていると言えます。</p>



<p><strong>＜Diemさんの旅立ち＞</strong><br>昨年11月末に新しい女子の生徒が学校に入ってきました。彼女の名前は<strong>Diem(ズィエム)さん。</strong>故郷はベトナム南部の<strong>Vinh Long(ヴィン ロン)省</strong>で、年齢は３１歳でした。今私が日本語を教えている生徒たちは、一番若い生徒は18歳。平均すると20代前半です。ですから、彼女は今いる生徒たちの中では最年長です。</p>



<p>実は彼女は一度2015年1月から2018年１月まで「実習生」として３年の任期を終えて、ベトナムに戻ってきました。そして、今度はさらにまた「特定技能生」として５年間日本で働くというのです。日本に行く予定日も、学校に入学した時に聞いていました。2021年の１月初旬だということでした。</p>



<p>日本に行く前はもちろん日本語の勉強はしていました。しかし、日本に行った後は、毎日仕事ばかりで日本語の勉強は出来す、帰国後も日本語の勉強は全然出来ていなくて、すっかり忘れていました。それで、「ひらがな」「カタカナ」の復習から始めて、日本に行くまでに特訓が始まりました。結果としては、彼女が学校で勉強出来たのは１ケ月だけでした。</p>



<p>彼女は性格も大変明るく、最年長だけに「お姉さん」的な雰囲気があり、男子や女子の生徒たちからも慕われていました。また彼女自身も後輩たちの面倒をこまめにみていました。料理も上手なほうで、寮の中でみんなが夕食を作る時には、彼女が自分から進んで、みんなにいろんな料理を作ってあげていたことも後で知りました。</p>



<p>彼女の身の上を聴いた時、思わず（えっ！）と思うことが有りました。会話試験で「お父さんは幾つですか」と訊いた時、彼女は「父は私が子どもの時に30代で亡くなりました」と答えたのでした。さらには、「今結婚していて、９歳の息子がいます」「今、夫は実習生として日本で働いています」と言うのでした。</p>



<p>つまり、彼女は９歳の子どもをベトナムに残して、夫が働いている日本へ行くというのです。９歳の息子をベトナムに置いて、５年間働かなければなりません。</p>



<p>彼女がベトナムに戻った時、息子は14歳になっています。その間は、彼女のお母さんが息子の面倒は見てくれるそうです。彼女が置かれた環境がそういう決意をさせているのでしょうが、大変な苦労をしているなぁーと思いました。</p>



<p>さらにまた授業中に、（アッ！）と驚いたことがありました。彼女の足元をふと見ると、右足のサンダルを脱いでいるのです。（どうしたの？）と訊くと、２年前に日本で働いていた時、誤って油が右足の甲に掛かって大ヤケドをしてしまったと言うのでした。良く見ると、確かに今も右足の甲がケロイド状態でした。</p>



<p>そこの会社は食品加工の会社で、豆腐を作る仕事に就いていたと言います。そこにはベトナム人が40人、中国人が20人働いていたそうです。残業もたくさんあり、多い時には一日だけで残業を入れると16時間の仕事をしたそうです。その月の「給料」は30万円も貰ったと言います。</p>



<p>ベトナムの実習生たちは残業が有ると給料も増えるのでむしろ喜びますが、それでも働かせ過ぎですね。寝る間も惜しんで働いていたのでしょう。そういう厳しい環境下で、ふとしたことで事故が起きたのでした。彼女の右足のヤケドは今でも痛むそうで、時々ベトナムの病院に行って、薬を塗ってもらっていました。</p>



<p>彼女は週末になると必ず故郷のVinh Longに帰ってゆきました。お母さんと息子に会うためにです。特に、今年の１月初めには日本に行くことが決まっていたので、なおさら毎週故郷に帰りたい気持ちが募っていたはずです。今回の日本行きは５年間の長期になるわけですから、お母さんと息子に、日本行きのギリギリまで尽くしたい気持ちだったことでしょう。</p>



<p>私が彼女の心優しさに感激したのは、故郷に帰るたびにいつもその故郷のお土産を持ち帰り、後輩たちに分け与えていたことです。彼女の故郷はVinh Longですが、そこにはネズミさんやカエルさんがたくさんいます。そのネズミさんやカエルさんを捕まえて、袋に詰めてサイゴンまで持ち込み、後輩の生徒たちにご馳走してあげていました。</p>



<p>そして、私もそのご馳走の「おすそ分け」を頂きました。最初の「おすそ分け」は昨年の12月8日のことでした。私が学校に行き、最後の授業で彼女のクラスに入り、その授業が終わった後、Diem(ズィエム)さんが足早に食堂の冷蔵庫からビニール袋を取り出し、「これ、私の故郷のお土産です！」と言って私にそれを差し出しました。私に渡すまで、冷凍室に入れて保管してくれていたのでした。</p>



<p>故郷から持って来たのは３kgほどで、数にして全部で26匹の「ネズミさん」を持ち込んできたそうです。その「ネズミさん」たちを、寮内に住んでいる友人たちとほとんど食べてしまっていましたが、私のぶんだけは残してくれていました。袋の中を開けてみると、中には10匹ほどの「ネズミさん」が凍った状態で入っていました。</p>



<p>早速家に持ち帰り、いつもの行きつけの「スシコ」で、一匹だけ焼いてもらうことにしました。残りは女房の家族にプレゼントしました。しかし、<span style="color: #dc143c" class="text-color">（ネズミさんを頂くのは何年ぶりだろうか・・・）</span>と、ふと思いました。約15年ぶりにはなります。以前、女房とサイゴン市内で２・３度食べただけで、それ以来です。実に懐かしいです。</p>



<p>この「ネズミさん」はメコンデルタで育った「ネズミさん」なので、都会の「ドブネズミ」とは違います。彼らは雄大な「メコンデルタ」の大地を毎日走り回り、「メコンデルタ」に豊穣に稔るコメを常食にして育ってきた、日本人の私でも安心して食べられる「ネズミさん」なのです。都会の街中を走り回っている「ドブネズミ」は都会の道路上のゴミを食べていますので食べられません。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignleft size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemthitchuot002-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-99" width="257" height="194" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemthitchuot002-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemthitchuot002-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemthitchuot002-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemthitchuot002-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemthitchuot002.jpg 2048w" sizes="(max-width: 257px) 100vw, 257px" /><figcaption>キツネ色に焼けた「ネズミさん」</figcaption></figure></div>



<p>しばらくして、キツネ色に焼けた、香ばしい「ネズミさん」が到着！！いやぁ～、やはり実に美味しかったです。この日はメコンデルタのエネルギーが体の中に入り、ぐっすりと眠れました。すると、翌日の朝起きた時、アラ不思議、左胸にずっと続いていた痛みが消えていました。</p>



<p>実はこの一週間ほど前に、バイクで軽い転倒事故を起こし、その時に左胸を打ったようで、その痛みが続いていたのですが、この日の朝には消えていたのです。やはり、「メコンデルタ」のエネルギーで育った「ネズミさん」の活力が私の体内に入ったおかげでしょうか。</p>



<p>良く考えたら、2020年の「干支」は「ネズミさん」でした。ここ一年の間、「コロナ」「コロナ」の騒ぎですっかり忘れていましたが、「干支」の「ネズミさん」を美味しく頂いて、元気を取り戻しました。「干支」の動物を全部食べることは勿論出来ませんが、今後は意識して（今年の干支の動物は何だったっけ？）と思い浮かべながら食べようと思いました。</p>



<p>そして、２回目の「おすそ分け」をDiemさんから頂いたのが12月21日のことでした。今度のお土産は、同じ田舎で捕まえた「カエルさん」をお土産に学校に持ち込んでくれました。日本で言うところの「ウシガエル」と同じ種類の「カエルさん」です。彼女がその時持ち込んでくれたのは、全部で２０匹でした。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemconech001-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-108" width="270" height="203" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemconech001-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemconech001-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemconech001-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemconech001-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemconech001.jpg 2048w" sizes="(max-width: 270px) 100vw, 270px" /></figure></div>



<p>その２０匹の「カエルさん」を、寮内に住んでいる生徒たちが朝と昼のご飯で１５匹食べて、あとの５匹を私のために残しておいてくれました。大変大きい「カエルさん」でした。授業が終わり、家にその「カエルさん」を持ち帰った後、３匹を女房の家族たちに上げて、そのうちの２匹を「スシコ」に持ち込んで料理してもらいました。料理の仕方は「ヌックマムの油炒め」です。</p>



<p>その調理方法を事前に生徒に紙に書いてもらっておいていましたので、それを板前さんに見せますと「OK!」と言って、すぐに調理してくれて、10分後には私が座っているテーブルに置いてくれました。それを口の中に入れた瞬間（何だ！この旨さは！！）と唸りました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemconech002-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-109" width="217" height="163" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemconech002-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemconech002-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemconech002-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemconech002-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2020diemconech002.jpg 2048w" sizes="(max-width: 217px) 100vw, 217px" /><figcaption>絶品の「ヌックマムの油炒め」</figcaption></figure></div>



<p>日本の居酒屋でも「カエルの唐揚げ」を食べた思い出があります。しかし、この「スシコ」で食べた「ヌックマムの油炒め」の味付けは、ただヌックマムだけではなくて、ニンニクを細かくスライスして、それを油炒めにしたものが添えてありました。それで、「カエルさん」の、生臭さが消えて、大変いい風味がしました。絶品でした！</p>



<p>昨年は日本に帰ることが出来ず、果たして今年も帰ることが出来るかどうかは分かりません。それだけに、この日に美味しく頂いた２匹の「カエルさん」を「日本にカエルぞ！」「日本にカエルぞ！」と呟きながら頂きました。しかし、「ネズミさん」といい、「カエルさん」といい、Vinh Long省には美味しいものがたくさん有ります。本当にいい所です。いやVinh Long省がいいのではなくて、Diemさんがいい人なのです。</p>



<p>ベトナムでの今年の新暦の「正月休み」は1月1日、1月２日、１月３日の三日間で終わりました。それで、私が昨年12月30日にDiemさんのクラスに入りますと、彼女が「Vinh Long省にコロナの患者が入り込んで来たので、故郷に帰りたいのですが帰れなくなりました。母親にも息子にも会えないかもしれません」と言う悲痛な叫び声を彼女が上げました。もうすぐの「日本行き」が近づいていたのにです。彼女は1月9日の深夜便で日本に旅立つ予定でした。</p>



<p>それを聞いて私も驚きました。いろいろ聞いてみると、カンボジア国境から飛行機ではなく、小舟で入り込んで来たベトナム人がコロナに罹っていて、その患者の故郷がVinh Long省だと言うのでした。それで、その患者が住んでいるVinh Long省の地区の一部が「隔離」されているとのことで、彼女は（もし故郷に戻ったら、サイゴンに入ることが出来ないのでは・・・）と心配しているのでした。</p>



<p>しかし、年が明けて、１月４日にまた彼女のクラスに入りますと、彼女が教室の中で明るい笑顔をして言うには「どうにか故郷に帰れることになりました。母親と息子にも会いたいし、荷物の整理もありますので、明日から３日間ほど休ませてくださいませんか」と言いました。もちろん私たちが反対する理由はありません。これから５年間日本で働く前の「最後の帰郷」になるのですから。</p>



<p>そして、予定通り彼女は３日後の１月７日に学校に戻って来ました。でも、彼女の日本行きの「出発日」の飛行機の便が当初は1月9日だったのが、何とその前日の１月８日の深夜便に変更になっていました。飛行機の便がそれで決まったものであれば、それで行くしかありません。（何でまた急に・・・？）と私も思いました。一日早くはなりましたが、日本に行けるのは間違いないので、私も安心しました。</p>



<p>しかし、彼女は故郷からサイゴンの学校に戻った時、その忙しい時にもかかわらず、先生たちや後輩たちのために、いつものようにまた「お土産」を持ち込んで来てくれていました。今回も20匹の「ネズミさん」を故郷で捕まえて、それを全部サイゴンまで持ち込んで、自分で後輩たちに料理してあげて、振る舞ってくれたそうです。その「お土産」はその日に寮に住んでいた友人たちみんなでほとんど食べて、私のぶんを５匹だけ残しておいてくれました。</p>



<p>しかし面白いのは、今の学校にはベトナム人の先生が３人と事務員が４人働いているのですが、その彼ら７人に、私がDiemさんから頂いた「ネズミさん」をお裾分けしようとしても、全員が手を振って、「いえ～～、いいです！結構です！」と言って、誰一人も受け取りませんでした。それで、日本人である私が、５匹全部を持ち帰りました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2021diemさんの最後のお土産004-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-111" width="294" height="221" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2021diemさんの最後のお土産004-1024x768.jpg 1024w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2021diemさんの最後のお土産004-300x225.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2021diemさんの最後のお土産004-768x576.jpg 768w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2021diemさんの最後のお土産004-1536x1152.jpg 1536w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2021diemさんの最後のお土産004.jpg 1728w" sizes="(max-width: 294px) 100vw, 294px" /><figcaption>diemさんからのお土産を炭火焼に</figcaption></figure></div>



<p>そのうちの2匹をいつもの「スシコ」に持ち込んで炭火で焼いてもらいました。家にはガスしかなくて、炭火が無いのでここの炭火でいつも焼いてもらっているのです。「焼き鳥」なども、やはり炭火で焼かないと美味しくないですね。</p>



<p>そして、15分後には、「ネズミさん」がテーブルの上に届きました。その後、頭からシッポまで、最後まで残さず、全部美味しく頂きました。この日、私の周りにもお客さんはいましたが、私が「ネズミさん」を食べていたとは誰も知らなかったことでしょう。</p>



<p>そして、予定通り、彼女は１月8日の深夜便で日本に旅立ちました。嬉しいことに、今の学校の生徒たち全員と女性の先生たちがタクシーで空港まで行き、Diemさんの旅立ちを見送ってくれたそうです。如何に彼女が後輩たちからも慕われていたかが良く分かります。</p>



<p class="has-text-align-center"><strong><span style="color: #00bfff" class="text-color">” Diemさんありがとう。日本では健康に気を付けてね！！”</span></strong></p>



<div class="wp-block-image"><figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/2021diemさんの旅立ち005-768x1024.jpg" alt="" class="wp-image-110" width="438" height="519"/></figure></div>



<h2 class="wp-block-heading">ベトナムＢＡＯニュース</h2>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>劇場版「鬼滅の刃」、ベトナムで12月11日公開 </strong></h3>



<p>日本で記録的ヒットを飛ばしている『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編(越題：Thanh Guom Diet Quy: Chuyen Tau Vo Tan)』が11日、ベトナムで公開された。当初は2021年1月1日公開予定だったが、前倒しでの公開となった。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/きめつ.jpg" alt="" class="wp-image-104" width="187" height="281" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/きめつ.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/きめつ-200x300.jpg 200w" sizes="(max-width: 187px) 100vw, 187px" /><figcaption>写真提供：＜VIETJO ＞</figcaption></figure></div>



<p>　これに先立つ5日には、ハノイ市、ホーチミン市、ダナン市 (南中部沿岸地方)、ハイフォン市(北部紅河デルタ地方)のギャラクシーシネマ(Galaxy Cinema)でファン向け限定上映会が行われ、現地の多くの鬼滅ファンが集まった。</p>



<p>上映中の映画館は、全国の◇CGVシネマズ(CGV Cinemas)、◇ロッテシネマ(Lotte Cinema)、◇ギャラクシーシネマ、◇BHDスターシネプレックス(BHD Star Cineplex)、◇ベータシネプレックス(Beta Cineplex)、◇シネスター(Cinestar)、◇Dシネ(Dcine)、◇メガGSシネマズ(Mega GS Cinemas)など。<br>　なお、同作品はベトナムでは「C13(13歳未満の入場・鑑賞禁止)」での公開となっている。<br>＜VIETJO ＞</p>



<p><strong>◆解説◆</strong></p>



<p>「日本で記録的ヒット・・・」と説明が有るように、<strong>「鬼滅の刃」</strong>は日本では大変有名な映画だとは聞いていました。それで、娘にもその写真などを見せていました。日本語の題名も教えていたので、インターネットで調べていたようでした。娘はその映画の題名を、日本のアニメに興味を持っている友達にも教えていたそうです。後で聞くと、「ドラえもん」や「探偵コナン」などを愛読している、日本のアニメ好きの間では、この映画は有名になってきているそうです。</p>



<p>そのせいか、１月１０日（日）夕方頃、女房と娘が「今からあの有名な映画を観に行こうと思うけど、一緒に行く？映画の開始時間は夜9時15分からで、終わるのは11時過ぎだそうよ」と訊いてきました。「えっ、ホント！」と一瞬驚きましたが、残念ながら私はその日は都合が悪く、女房と娘だけが行くことになりました。行く先は５区にあるショッツピング・モール内の「Parkson」。</p>



<p>開始時間は予定通り９時15分から始まったと言いました。映画の登場人物が話す言葉は「日本語」で、字幕が「ベトナム語」と「英語」の二つで表記されていたそうです。この日の観客は時間が遅かったせいもあり、60～70人ぐらいだったそうです。入場料は一人45,000ドン(約200円)。</p>



<p>映画を観終わって、11時半過ぎに戻ってきた二人に感想を訊いてみました。家に戻って来た後、女房にその映画の感想を訊くと、「漫画は所詮漫画なので、大して面白くはなかったわ」と言う感想。娘は翌日には大学の授業が朝早くからあるので、この日はすぐに寝ました。それで、その日に直接感想を訊くことが出来ませんでした。</p>



<p>それで、女房に「娘の反応はどうだった？」と訊くと、「面白い場面が現れると、両手のこぶしを振り上げて喜んでいたわよ」と言いました。個人さはあるのでしょうが、女房のような大人にとっては「大して面白くはない映画」かもしれませんが、対象が娘ぐらいの年齢であれば「面白い映画」なのかもしれません。私自身は直に観ていないので、その映画の感想を述べることは出来ませんが。そして、この日が最後の上映の日だったそうです。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>【2020年12月号】今年の終わりの感慨。最後を締めくくった結婚式／日越関係で17の個人・団体が外務大臣表彰を受賞</title>
		<link>https://g-tierra.com/aozai/202012/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[aozai]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 23 Dec 2020 05:04:30 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[2020年1月～12月]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://g-tierra.com/aozai/?p=58</guid>

					<description><![CDATA[春さんのひとりごと 今年の終わりの感慨。最後を締めくくった結婚式 2020年ももうすぐ終わります。今年に起きた世界最大の＜災難＞はやはり「コロナ」に尽きるでしょう。世界で起きた「コロナ」による＜災難＞はニュースでしか知る [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">春さんのひとりごと</h2>



<h3 class="wp-block-heading">今年の終わりの感慨。最後を締めくくった結婚式</h3>



<p>2020年ももうすぐ終わります。今年に起きた世界最大の<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">＜災難＞</span></strong>はやはり<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「コロナ」</span></strong>に尽きるでしょう。世界で起きた「コロナ」による＜災難＞はニュースでしか知ることは出来ませんが、私自身の身近にも、「コロナ」の影響で実に多くのことが起きました。 そして、今年も終わろうとする頃、私のベトナム人の知人で、<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「村山日本語学校」</span></strong>の先生でもある、女性のHuong先生が結婚式を挙げられました。一年が終わろうとする頃に、嬉しい出来事<strong>「生徒の日本行き」</strong>と<strong>「結婚式」</strong>の二つが重なりました。</p>



<p><strong>●11月に日本へ行った教え子たちのその後</strong>●</p>



<p>先月号で、ベトナムでの11人の教え子たちが「実習生」として日本に行くことを報告しましたが、彼らは無事に日本の「成田国際空港」に着きました。彼らが働くのは三重県なのに、何故「関西国際空港」に降りないで、「成田国際空港」なのか、彼らの出発時にはその理由が分かりませんでした。</p>



<p>しかし、その後分かりました。彼らが日本に行った時、ベトナムから日本への直行便が有るのは「成田国際空港」しか無く、「関西国際空港」に行くためには韓国経由で行くしかなかったのでした。韓国経由で行く場合は「待ち時間」が発生します。それで、わざわざ遠い「成田国際空港」まで行ったと言うことでした。それを、日本に行った教え子たちから聞いて分かりました。</p>



<p>日本に着いてからの動きについて私にコマメに連絡くれたのは<strong><span style="color: #008000" class="text-color">Quyet(クィット)くん</span></strong>という名前の男子生徒です。ベトナムから持ち込んだスマート・フォンの機種で、日本のLINEの機能がそのまま使えるようで、「隔離生活」の合間を縫って連絡してくれたのでした。しかも、そういうメッセージを何回送っても無料だというのですから、ガラ携しか持たない私には驚きです。</p>



<p>ちなみに、Quyet(クィット)くんのベトナムの名前を漢字で表すと<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「決」</span></strong>になります。<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「漢越語」</span></strong>ですので二つの発音は似ています。ベトナムは過去において「漢字」を採用していたことがあるので、今のベトナム語の中には「漢字」で書き表せる単語が、全部のベトナム語の単語ではありませんが、数多く有ります。</p>



<p><a href="https://g-tierra.com/aozai/201611-2/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">2016年11月号●＜ダナンでの“十一面観音菩薩像奉納の儀式”に参加＞●</a>でも触れていますが、今のベトナム語のアルファベットの表記自体が、ベトナムの学校教育に採り入れられたのは、実は1945年から始まった新しいものなのです。しかし、漢字を知らない今のベトナムの人たちはその由来を知らないまま日常生活で使っています。その中で、日本語とベトナム語は似たような発音や意味が同じものも幾つもあります。例を挙げると、日本語の<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「注意」</span></strong>はベトナム語でも<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「Chu y(チュー　イー)」</span></strong>です。</p>



<p>先月号でも触れた<strong><span style="color: #008000" class="text-color">Vu(ヴー)くん</span></strong>は漢字で表すと「宇宙」の<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「宇」</span></strong>。11月に日本に行った生徒では、<strong><span style="color: #008000" class="text-color">Toan(トアン)くん</span></strong>は「安全」の<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「全」</span></strong>。<strong><span style="color: #008000" class="text-color">Duong(ユーン)くん</span></strong>は「太陽」の<span style="color: #008000" class="text-color"><strong>「陽</strong>」</span>。<strong><span style="color: #008000" class="text-color">Phong(フォン)くん</span></strong>は「台風」の<span style="color: #008000" class="text-color"><strong>「風</strong>」</span>。<strong><span style="color: #008000" class="text-color">Vinh(ヴィン)くん</span></strong>は「光栄」の<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「栄」</span></strong>などです。まだこの他にもたくさん有ります。<br><br>こういう「漢越語」で書き表せる名前を持った生徒たちが日本人の前で<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「自己紹介」</span></strong>を行う時には、名前のアピール度が違ってきます。普通の日本人にはベトナム人の名前は覚えにくく、発音も難しいからです。しかし、漢字で書くと「ああー、そうか！」と、日本人にも分かります。</p>



<p>彼ら実習生たちや留学生たちが日本に着いたら、会社や工場や会合など、いろいろな場面で「自己紹介」をすることが多くなります。それで、日本行きが決まった彼らには、<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「自己紹介の仕方」</span></strong>の訓練をしてあげました。それを聴いている人たちは、全員が日本語しか分からない日本人たちであるという前提で「自己紹介」に慣れさせておくのです。</p>



<p>その具体的な例をQuyet(クィット)くんに挙げれば、「初めまして」「私はベトナムのQuyetと申します」「Quyetは日本語で<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">＜決心＞</span></strong>の<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">＜決＞</span></strong>という意味です」と話して、黒板にその<strong>＜決心＞</strong>という漢字をチョークで書きます。その漢字の<strong>「筆順」や「払う」「止める」「撥ねる」</strong>なども事前に正確に、何回も練習しておきます。</p>



<p>それから、以下・・・<strong>「家族」「田舎」「趣味」「専門」</strong>などの紹介が続き、最後にまた<strong>＜決心＞</strong>の漢字を指さし、「日本で３年間しっかり頑張ろうと<span style="color: #ff0000" class="text-color">決心</span>してこちらにやって来ました。よろしくお願い致します」というふうに「自己紹介」をすれば、聴いている日本人たちも（へえ～、そうなのか！）と、彼に対する印象度が、一日目にしてずいぶん違うことでしょう。</p>



<p>そのQuyetくんが送ってくれたメッセージで、<strong><span style="color: #8a2be2" class="text-color">「日本到着後の動き」</span></strong>と<strong><span style="color: #8a2be2" class="text-color">「隔離生活の様子」</span></strong>も分かりました。彼らは成田国際空港に到着後、成田で「隔離」されたのではなくて、バスで「岐阜県」まで移動しました。その岐阜県で「隔離生活」が始まりました。それから、ホテルの中で「隔離生活」がスタートしました。予定通り2週間の期間です。</p>



<p></p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large"><img decoding="async" width="250" height="200" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/image_1.JPG" alt="" class="wp-image-992"/></figure></div>



<p>ホテルの部屋は一人一部屋が割り当てられています。その部屋の中の写真も見ましたが、ホテルというだけに、大変キレイな部屋でした。食事はホテル側が用意した<strong>「幕ノ内弁当」</strong>のようなお弁当が写真にUPされていました。日本人の私から見ても、（わぁー、オイシそう！）と思える写真でした。</p>



<p>しかし、QuyetくんとVinhくんがその同じ「幕ノ内弁当」を食べた後の感想は、二人とも「見た目は美味しそうでしたが、食べたらマズかった！」と言うものでした。それを読んで、思わず笑いました。マズくても食べるしかないでしょうが、日本のホテルにベトナム人の若者たちが2週間「隔離」され、毎日三度の日本食を摂ることになります。</p>



<p>ホテル側もベトナム人が十数人宿泊するにしても、ベトナム料理に定番の<strong>「ヌックマム」</strong>などは用意していないでしょう。それで彼らは物足りなく感じたのかもしれません。でも、ある一人の生徒は「美味しいです！」とコメントしていました。しばらくしたら、みんな「日本の味付け」に慣れてくるでしょう。</p>



<p>Quyetくんは「隔離生活中の過ごし方」についても詳しく知らせてくれました。これは全員に共通した「一日の過ごし方」ですので、今後の参考にもなるかと思います。それを紹介してみますと・・・<br><br><span style="color: #0000ff" class="text-color">◎全員が朝6時半起床。洗顔と歯磨き。部屋の中で一人で食事。<br>◎朝8時に検温。その結果を組合にいる女性の先生にLINEで報告。<br>◎8時半からみんなZoomを使って、日本語のオンライン学習。<br>◎11時50分から1時10分までお昼休み。夕方5時半までまたオンライン学習。<br>◎その後、シャワーと食事。夜は7時から8時半までオンライン学習。<br>◎その後、10時に就寝。</span>　</p>



<p>以上がQuyetくんから送ってきた「隔離生活中の過ごし方」です。このような規則正しい生活が2週間続いた後、ようやく彼らは「隔離生活」から解放されて、次は組合での日本語学習が一か月続き、その後ようやく 「実習生」として日本での職場に入ってゆくのです。今年は「コロナ禍」のせいで、いろいろ面倒なことが起きましたが、日本へ行く＜夢＞を抱いてベトナムで長い間頑張ってきた思いが実現します。</p>



<p>先月号で、Vuくんの「日誌」に書いてあった、彼の苦悩が滲み出ている内容を紹介しましたが、今ベトナムに残って頑張っている生徒たちもまた、同じような悩みを抱えています。<span style="color: #ff0000" class="text-color">「いつ日本に行けるか分からないので、一度退学して働くことも考えています。でも、両親は私に続けて欲しいと願っています」</span>と、ある男子生徒が書いていました。</p>



<p>私たちの役目は、彼らを励まして、日本語の勉強を続けさせてゆくことしか出来ません。そういう悩みを抱えた生徒たちが、今ベトナム全土で日本語を勉強しながら、日本行きの＜夢の実現＞を願っていることでしょう。この時期に日本に行ったベトナム人の「実習生たち」は、そういう悩みを抱え、それらを乗り越えて日本に向かった若者たちであることを、日本の人たちにも知って頂きたいと願っています。</p>



<p>●<strong>「日本語会話クラブ」もお休み</strong>●</p>



<p>毎週日曜日の午前中にサイゴン市内の<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「青年文化会館」</span></strong>では、今まで<strong><span style="color: #800080" class="text-color">「日本語会話クラブ」</span></strong>が行われていました。しかし、今年は<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「コロナ禍」</span></strong>で「お休み」が多くなりました。「お休み」が多くなると、今まで毎週参加していたクラブのメンバーも足が遠のいてゆきます。常連のメンバーが「お休み」すると、新しい参加者も来なくなります。今年一年はその繰り返しでした。</p>



<p>そして、またまた11月末に市内で「コロナの感染者」が発生しました。今回の感染者は<strong>「ベトナム・エアーライン」</strong>の客室乗務員の一人だったそうで、それだけでベトナム・エアーラインの乗務員たちが勤務する建物全体が「隔離」。さらには私の娘が通う<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「HUTECH大学」</span></strong>においても、一人の生徒の感染者が出たそうで、12月最初の週は大学が「休校」。</p>



<p>それで、（もしや・・、日本語会話クラブはお休みかな？）と思い、12月6日の日曜日に「青年文化会館」に行ってみました。その3週間前に「日本語会話クラブ」を覗いた時には、わずか四人の参加者しかいませんでした。それも「個室」で行っているわけではなくて、会館に入ってすぐの入り口横の狭いスペースで細々と行っていました。</p>



<p>それが、12月6日に行ってみると、誰もいない状態。そのすぐ隣では別の小人数のグループが集まっていましたので、彼らに「日本語会話クラブは？」と訊くと、「お休みのようですよ」との答え。彼らは<strong>「英会話クラブ」</strong>の参加者たちでした。今後も継続して「日本語会話クラブ」が行われるかどうか、分からない状態になりました。</p>



<p>幸いにも、私の娘が通う大学の「休校」は一週間だけで終わりました。今年初めから始まった「コロナ騒ぎ」でしたが、そのせいで、私自身は日本への帰国が叶いませんでした。しかし、今後もまだまだ「コロナ」に振り回されそうな予感がします。来年が明るい年になってくれることを祈るだけです。</p>



<p>●<strong>Huong先生の結婚式</strong>●</p>



<p>12月に入った二週間目に「村山日本語学校」で日本語を教えていたHuong先生から連絡が有りました。「12月13日に結婚式を挙げるので、招待状を渡したいのですが、どこで会えますか」と。それで、私は「ではスシコで会いましょう。夕方6時半頃に、私は着くようにします」と返事をしました。ちなみに、私の教え子で「実習生」として日本に行き、その後「実習生」に日本語を教えていたHuongさんとは名前は同じですが別人です。</p>



<p>「村山日本語学校」のHuong先生には、我が社・ティエラの夏合宿<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「ベトナムマングローブ子ども親善大使」</span></strong>が大変お世話になった思い出がたくさん有ります。昨年まで毎年ベトナムに来ていた「親善大使」の生徒たちは、ベトナム到着後二日目には「市内観光」をするのが恒例の行事になっていました。</p>



<p>その時には「村山日本語学校」の生徒さんたちに「市内観光」にも一緒に付き合ってもらいました。さらには市内の公園の中の木陰でベトナム人の生徒さんたちに「ベトナム語の先生」になってもらい、簡単な「あいさつ言葉」や「自己紹介」がベトナム語で言えるように、日本の生徒たちに一対一で指導してもらいました。後日予定している「ホームステイ」で役立ててもらうためです。</p>



<p>そのベトナムの生徒たちとの＜交流会＞は全部で3回ほど有りましたが、ベトナム側の生徒への声掛けや参加者の人数の調整や引率などを、すべてHuong先生にして頂いたのです。「親善大使」がベトナムを去る前日には、ホテル内の食堂でみんな一緒に食事しながらの<strong>＜お別れ会＞</strong>も行っていましたが、事前に連絡してもらったベトナムの生徒の人数と当日の参加者はピッタリと合っていました。</p>



<p>そういう手配と段取り、連絡を彼女がやってくれていたのです。それは、私一人では出来ない役目でした。そういう意味でも本当にお世話になっていた存在でした。しかし、その彼女が2017年から日本に留学することになりました。それでも、後任の女性の先生もキチンと手配して日本に行きましたので、その後も「親善大使」の活動が支障なく行えました。</p>



<p>そして、昨年彼女がベトナムに戻ったことは聞いていました。その後お互いに連絡はしていませんでしたが、私自身はまた「日本語学校」でずっと教えておられるものと思っていました。しかし、今年の3月頃から「村山日本語学校」の前をバイクで通り過ぎてゆく時（あれ・・・！）と思うことがありました。今まで校門の前に掲げて有った、ベトナム語の表記の「村山日本語学校」の看板が消えていたからです。</p>



<p>我が社の「親善大使」の行事も今年は中止になり、関係している諸機関にその「お詫び」の連絡を入れました。当然「村山日本語学校」にも連絡しましたが、そのことについては私も聞かずじまいのままでした。それで、Huong先生が結婚式の招待状を持って来るというこの日に確認したいと考えていました。</p>



<p>約束通り、Huong先生は私が着いてしばらくしてからバイクに乗って一人でやって来ました。マスクをしていました。私の眼の前に座ってもらい、いろいろ話しました。その間彼女はずっとマスクは着けたままです。私はと言えば、マスクをしていると暑いし、ビールを飲みたいので外しています。</p>



<p>早速「今、村山日本語学校はどうなっていますか？」と質問しました。すると、私が恐れていた通り「あのコロナ騒ぎの後、2月から休校になり、3月からは閉校になりました。生徒たちはみんな辞めました」と言う返事でした。<span style="color: #ff0000" class="text-color">（やはり、そうだったのか・・・）</span>と、予想はしていましたが、大変ガッカリしました。「村山日本語学校」で日本語を勉強していた生徒さんたちが、あの学校からいなくなったのです。当然Huong先生はじめ、他の先生たちも辞めました。</p>



<p>それから、Huong先生はバッグから招待状を取り出して、私に差し出しました。その招待状の表には「新郎新婦」二人が笑顔で写っている写真が有りました。その新郎さんの顔を見ると、私にも見覚えが有る男性です。（この人は・・・）と私が口を開くと、「そうですよ！あなたも良く知っているはずですよ。日本の生徒さんたちとの交流会にも参加していましたからね」と笑顔で応えました。新郎さんは「村山日本語学校」に関係した人だったのです。Huong先生は「今私はITの会社に勤めています」と話しました。</p>



<p>それから、Huong先生は笑いながら「実は当日の式の時にはあなたに日本の歌を歌って欲しいのです」と言うではありませんか。「えっ、私が歌うの！？」と訊くと「そうですよ。いつか私が結婚する時には<strong><span style="color: #008000" class="text-color">長渕剛さんの＜乾杯＞</span></strong>を歌ってあげますよと、以前言ってましたよ」と言うのです。</p>



<p>おそらく、彼女にどこかで、冗談で話していたのかもしれません。最近物忘れがヒドイので、自分ではすっかり忘れていましたが、そうであれば歌うしか仕方がありません。長渕剛さんの＜乾杯＞は生徒たちの前で、今も時々歌っていますので、問題は有りません。</p>



<p>（日本語とベトナム語の二つが付いた「歌詞」をコピーしておく必要があるな・・・）と思い、「当日は何人ぐらいの参加者が来るの」と訊くと、「約400人ぐらいです」との答え。それで、１テーブルに3枚ぐらい歌詞を配るとして、翌日150枚をコピーして準備しておくことにしました。彼女とは30分ぐらい話して、「今からまた別の所に招待状を渡しに行きます」と言って、彼女は先に帰って行きました。</p>



<p>彼女が去った後、招待状を開いてみると、当日は「夕方5時半からお客さんを迎えます」となっています。式自体が始まるのは「7時頃」からです。これはいつも通りです。約30分で式場には着くはずなので、翌日の日曜日は6時過ぎに家を出ました。空模様が少しドンヨリしてきたので（雨が降るかも・・・？）と思い、グラブ・タクシーで行くことにしました。</p>



<p>タクシーの中に持ち込んだ＜乾杯＞のコピーはビニール袋入れていましたが、女房がチラッと見て「それは何？」と訊きましたが「新婦へのお土産」とだけ答えました。式場にはちょうど夕方6時半に到着。式場入り口に書いてあった「案内板」には新郎新婦の式場は2階と書いてありましたので、そこにエレベーターで上がりました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large"><img decoding="async" width="250" height="200" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/image_2.JPG" alt="" class="wp-image-819"/></figure></div>



<p>式場の入り口には、新郎新婦の二人がお客さんを迎えるために立っています。私たち夫婦を見ると笑顔になり、手招きしてくれて、その場で4人の記念撮影をしました。歌詞のコピーは私が中に持ち込んでも仕方がないので、Huong先生から式場内の従業員の人に頼んで、各テーブルにコピーを必要枚数置いてもらうように頼みました。</p>



<p>「今日は幾つのテーブル数がセットしてありますか」と訊くと、「44テーブルです」とのHuong先生の答え。「では、1つのテーブルに3枚ぐらいを配るように、従業員の人にお願いしてください」と言いますと、彼女も「分かりました」と返事しましたので、受付の所にそのコピーは置いて、私たちは式場内に入ることに。</p>



<p>テーブルの上には札が立ててあり、家族や友人や仕事関係で繋がっているグループ同士で座ってもらうように工夫してあります。私たち二人は「村山学校の関係者」のテーブルに座りました。それからしばらくすると、私が頼んだコピーを従業員の方が各テーブルに配り始めましたので安心しました。</p>



<p>それからしばらく水だけを飲んで結婚式の開宴を待つことにしました。従業員に「ビールはないの？」と訊くと「まだ出せません」との返事なので、仕方なく水だけを飲むことに。しかし、周りをじっと見ていると、だんだんと満席に近い状態になってきました。少なく見ても400人の参加者がいた感じです。「日本人の方はいないのかな？」と注意して見ていましたが、どうもそれらしき人はいませんでした。</p>



<p>そして、7時15分頃になり、場内が暗くなりました。いよいよ式のスタートです。しかし、いつもの花道から二人がなかなか現れません。私は花道の横にカメラを構えて待っていましたが、（準備に手間取っているのかな・・・）と思っていました。すると、後ろの舞台のほうから歌声が聞こえてきます。後ろを振り向くと、何と新郎がマイクを握って歌っているではありませんか。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large"><img decoding="async" width="250" height="200" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/image_3.JPG" alt="" class="wp-image-873"/></figure></div>



<p>このパターンは<a href="https://g-tierra.com/aozai/201901-2/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">●2019年1月号＜Trangさんの結婚式＞●</a>の時と同じでした。いやそれ以上だったのは、この日はHuong先生自身もマイクを持って花道を歌いながら歩き、そのまま舞台に上がり、二人で腕を組んで歌い始めたことです。もう、参加者みんなの拍手喝采を浴びていました。</p>



<p>それから恒例の新郎側両親の挨拶から始まり、それに応える形で新婦の両親側の挨拶が終わり、いよいよ宴会のスタートです。従業員が片手にお盆を持ち、料理を配り始めます。それに合わせて、歌手が登場。最初は男性の歌手。続けて女性の歌手が歌い始めました。聴いていて、二人とも大変いい歌声をしていました。</p>



<p>Huong先生は「歌手の方の歌が終わった後、あなたに登場してもらいます」とは事前に話していましたが、なかなかその歌手の歌が終わりません。まあ、これはいつものことですから気にしません。しかし、いつお呼びが掛かるか分からないので、トイレにも行けず、ビールをガブガブ飲むわけにもゆきません。</p>



<p>8時前になり、ようやく歌手の歌が終わりました。すると、お客さんの中ですでに先に予約した方がいたようで、3人の方が壇上に上がり、大声で歌い始めました。仕方がないので、ゆっくりビールを飲んで、私の出番を待つことにしました。この頃になり、女房もこの日、この場で、私が歌うことを知り、苦笑いしています。</p>



<p>そして、写真撮影のために新郎新婦が各テーブルを回り始め、私たちのテーブルの近くに来ました。そこでHuong先生が「今から音楽の演奏の方にリクエストしますので、あなたが歌って頂けますか」と私に頼みました。私も「はい、分かりました」と答えて、ビールが入ったグラスを持ち、舞台に上がりました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large"><img decoding="async" width="250" height="200" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/image_4.JPG" alt="" class="wp-image-846"/></figure></div>



<p>この時8時15分頃でした。私が事前にリクエストしていた長渕剛さんの＜乾杯＞の曲を、大きなテレビ画面に映し出してもらいました。最初に、自己紹介をして、この歌は日本では結婚式時に良く歌われている歌であることを説明しました。それから歌い始めました。</p>



<p>「長渕　剛」・・・　＜乾杯！！＞ 　<br>　　<br>かたい絆に　思いを　よせて 　　　<br>語り尽せぬ　青春の　日々 　　　<br>時には　傷つき　時には　喜び 　　<br>肩をたたきあった　　あの日 　　<br>あれからどれくらい　たったのだろう 　　　　<br>沈む夕日を　いくつ数えたろう 　　　　<br>故郷の友は　今でも君の　 　<br>こころの中に　いますか 　<br><br>乾杯！今君は　人生の 　<br>大きな　大きな　舞台に立ち 　<br>はるか長い　道のりを 　<br>歩き始めた　君に　幸せあれ！！ 　<br><br>乾杯！今君は　人生の 　<br>大きな　大きな　舞台に立ち 　<br>はるか長い　道のりを 　<br>歩き始めた　君に　幸せあれ！！ 　<br><br>君に　幸せあれ！！ 　　　<br>・<br>・<br>・<br>（以下、省略）</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/image_05.JPG" alt="" class="wp-image-1023" width="331" height="278"/></figure></div>



<p>9時前に、新郎新婦に挨拶してタクシーで家に帰ることにしました。12月の最後までいろいろなことがあり、明るい気持ちから遠ざかっていましたが、この日の「Huong先生の結婚式」に参加させて頂いたおかげで、女房と一緒に帰るタクシーの中で明るい気分になりました。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ベトナムＢＡＯニュース</h2>



<p>「BAO（バオ）」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。<br>「BAO読んだ？」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。</p>



<h3 class="wp-block-heading">日越関係で17の個人・団体が外務大臣表彰を受賞</h3>



<p>日本の外務省は1日、令和2年度(2020年度)外務大臣表彰受賞者を発表した。この中で、ベトナムにおける日本語教育の推進、日本とベトナムとの相互理解の促進、日本とベトナムとの経済関係促進の功績により、17の個人・団体が外務大臣表彰を受賞した。 今年度の外務大臣表彰受賞者は、172個人、65団体(うち日本国内在住受賞者は20個人、11団体。海外在住受賞者は152個人、54団体)。受賞者には表彰状が授与されるほか、個人には副賞が贈られる。ただし、今年は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の蔓延状況に鑑み、表彰式は行わない。 日越関係の受賞者は以下の通り。<br><br>◇グエン・ティ・ビック・ハー(ハノイ貿易大学日本語学部非常勤准教授)<br>◇井川一久(元朝日新聞記者)<br>◇市川匡四郎(アイ・ビイ・シイ ベトナム有限会社代表取締役会長)<br>◇臼田玲子(ユーカフェ・ホイアンプロジェクト代表理事)<br>◇大西和彦(一般財団法人アジア国際交流奨学財団日本語研究員)<br>◇神田嘉延(鹿児島大学名誉教授)<br>◇ギエム・ヴィエット・フオン(元ハノイ大学日本語学部学部長)<br>◇城戸照彦(金沢大学名誉教授)<br>◇友田博通(昭和女子大学国際文化研究所所長)<br>◇レ・ティ・トゥ・ヒエン(モア・プロダクション・ベトナム代表)<br>◇グエン・コン・タン(ホーチミン市越日友好協会会長)<br>◇認定特定非営利活動法人日越堺友好協会(大阪府堺市)<br>◇公益社団法人ベトナム協会(東京都港区)<br>◇認定NPO法人日越関西友好協会(大阪府大阪市)<br>◇一般社団法人広島ベトナム平和友好協会(広島県東広島市)<br>◇特定非営利活動法人日本歯科ボランティア機構(北海道厚岸郡)<br>◇ジュンコアソシエーション(神奈川県鎌倉市)　　　 　　　　　　　 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</p>



<p>＜VIETJO＞</p>



<p>◆ 解説 ◆</p>



<p>今年発表された「外務大臣表彰受賞者」の中に（おっ！）と、私の眼を惹いた一人の方と一つの団体が有りました。「グエン・コン・タン(ホーチミン市越日友好協会会長)」と「ジュンコアソシエーション(神奈川県鎌倉市)」です。</p>



<p>特に、「グエン・コン・タンさん」とは、最初にお会いしたのが今から20年も前のことになりますので、実に感慨深いものがあります。2000年に私が「タンさん」に直接インタビューをしたことがありました。その時65歳でしたから、今は85歳になられているはずです。でも、2000年にお会いしたその後は「タンさん」にお会いする機会がなかなか有りませんでした。</p>



<p>しかし、我が社の「ベトナムマングローブ子ども親善大使」が「ホーチミン市友好協会」を2014年に最初に訪問して以来、毎年お会い出来るようになりました。「タンさん」がそこに勤務されておられたからです。そのことについては、<a href="https://g-tierra.com/aozai/post-1188/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">2014年9月号の●「ホーチミン市友好協会」で、Tanh(タン)さんとの再会 ●</a>と&nbsp;<a href="https://g-tierra.com/aozai/201505-2/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">2015年5月号の●＜戦争証跡博物館＞で石川文洋さんの写真の記念式典●</a>の中で詳しく触れています。</p>



<p>そして、2016年まではずっと「ホーチミン市友好協会」を表敬訪問させて頂いて、その中で「村山日本語学校」の生徒さんたちとの交流会を行っていました。しかし、その翌年からは「ホーチミン市友好協会」が建物の工事に入り、そこでの交流会が出来なくなり、場所を「村山日本語学校」に変えました。</p>



<p>そこにきて、今年の「コロナ禍」で＜Huong先生の結婚式＞でも触れたように今年の2月から「村山日本語学校」も「休校」になり、最終的には「閉校」になりました。本当に残念でなりません。でも、また「タンさん」にはお会い出来ると思います。</p>



<p>もう一つの団体の「ジュンコアソシエーション」については<a href="https://g-tierra.com/aozai/201712-2/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">2017年12月号の●＜年末に贈る三つの物語＞●</a>でも触れていますが、&lt;JUNKO Association&gt;の活動が注目されたことは嬉しいことです。2019年5月にJunkoさんのお父さんが「Junko小学校」を訪問されました。</p>



<p>それがこちらのTuoi Tre新聞にも載りました。その記事を紹介したのが<a href="https://g-tierra.com/aozai/201906-2/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">●2019年6月号の「Quang Nam（クアン ナム）省のJunko小学校と日本人の父親●</a>です。あの記事を読んでゆきながら、Junkoさんのお父さんの謙虚な人柄にこころ打たれました。お父さんもさぞお喜びのことでしょう。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
		<media:thumbnail url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/image_05-150x150.jpg" width="150" height="150" />	</item>
		<item>
		<title>【2020年11月号】コロナ後、今年初めて「実習生」たちの日本行き/Can Gio でマングローブの植林体験</title>
		<link>https://g-tierra.com/aozai/202011/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[aozai]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 23 Nov 2020 04:49:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[2020年1月～12月]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://g-tierra.com/aozai/?p=56</guid>

					<description><![CDATA[春さんのひとりごと 「コロナ」後、今年初めて「実習生」たちの日本行き 11月に入り、ようやく実習生たちの「日本行き」が決まりました。センターで日本語を勉強すること、約一年に及んだ生徒たちも多かったのでした。彼らにとっては [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p></p>



<h2 class="wp-block-heading">春さんのひとりごと</h2>



<h3 class="wp-block-heading">「コロナ」後、今年初めて「実習生」たちの日本行き</h3>



<p>11月に入り、ようやく実習生たちの「日本行き」が決まりました。センターで日本語を勉強すること、約一年に及んだ生徒たちも多かったのでした。彼らにとっては長い期間だったことでしょう。普通ならば、約6か月で日本に行っていた生徒たちですが、今年は<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「コロナ禍」</span></strong>で日本への入国が叶わず、長い間待たされていました。</p>



<p>今回、彼らが行く日本での実習先は日本の三重県です。例年ならば、<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「中部国際空港 セントレア」</span></strong>に降り立つのでしたが、今現在は<strong>「成田」</strong>と<strong>「関空」</strong>の二つの国際空港しか利用出来ません。それで、「関空」に降り立つのかなと思いきや、何と「成田」で降りないといけないと言うのです。「隔離施設」に入るための措置の関係でそうなったようですが、実情は分かりません。距離がずいぶん離れますが、それでも、日本に確実に行く予定が決まり、本人はもちろん、ご両親もさぞ安堵されていることでしょう。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large"><img decoding="async" width="250" height="150" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/img_12-1.JPG" alt="" class="wp-image-371"/></figure></div>



<p>今月、日本に行く生徒たちは全員で11人います。全員男子の生徒たちです。私は今のセンターで今年の1月から日本語を教え始めました。昨年10月、バイクでの<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「ベトナム南北縦断の旅」</span></strong>に発つ前に、9月いっぱいで14年間勤めていた学校を辞めました。その時点ではいつサイゴンに戻れるかが分からなかったからです。その後、山元さんと二人だけでハノイに向けてバイクで旅立ちました。</p>



<p>そして、無事に「ベトナム南北縦断の旅」を終えた後、ひと休みした後、今のセンターで日本語をまた教えることになりました。そのセンターは、日本にいる私の長年来の友人が間に入り、ベトナム人の社長を私に紹介してくれたのでした。その会社は出来てまだ日が浅いので、生徒数もまだ少ないものです。それまで教えていた学校の、1クラス分の人数ぐらいしかいません。まあ、でも設立当初はどこの学校も似たようなものです。</p>



<p>そして、私がそこで教え始めて5月に入った第一週目、新しいクラスに初めて入りました。そのクラスは全部が男子の生徒たちだけで、5人ぐらいの人数しかいませんでした。授業の初めに、私が名前を呼び上げながら出席を取ります。その時、ついでに生年月日と出身地も訊いてゆきます。前の学校の時には、クラスのスタート時点で、生徒の氏名のリストと生年月日がすでに出来上がっていましたが、ここではそうではありませんでした。</p>



<p>それで、私が全員の氏名の確認と生年月日と出身地を訊いてゆきました。みんな一人・一人が自分の生年月日と故郷を答えてくれます。その5人の生徒たちの最後に、<strong><span style="color: #8a2be2" class="text-color">Vu(ヴー)くん</span></strong>という名前の若い生徒がいました。顔付きも利発そうな感じです。彼もほかの生徒たちと同じように、自分の生年月日を答えました。彼はこの時22歳でした。そして、次に「私の田舎は<strong><span style="color: #008000" class="text-color">Dak Nong(ダク ノン)</span></strong>です！」と、大きな声で答えたのでした。</p>



<p>まさにその後に、眼を見張る出来事が起きました。Dak Nongと聞いて、私が何気なく「ああー、そうですか。今から6年前の2014年頃、Dak Nongから来ていたある女子生徒に教えたことがあるよ。彼女は2015年2月に日本の三重県に行き、2018年2月には故郷のDak Nongに戻り、今は田舎で働いていますよ。彼女は大変な頑張り屋さんで、日本にいた3年間で<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">【日本語能力試験N2】</span></strong>に合格しました。彼女の名前は<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">Gai（ガーイ）さん</span></strong>と言います」とVuくんに話しました。</p>



<p>すると、彼は眼を丸くして<span style="color: #ff0000" class="text-color">「ええーっ、本当ですか！Gaiさんは私の親戚ですよ！」</span>と叫んだのです。それを聞いて、今度は私のほうが驚く番でした。そして、彼は自分の携帯電話を取り出して、Gaiさんと一緒に写った写真も見せてくれました。Gaiさんには弟くんもいて、彼も同じ学校で勉強したことがあり、私も直接教えましたが、今は日本にいます。その弟くんとも知り合いで、弟くんが日本に行く時に空港で見送った時の写真も有りました。</p>



<p>それを見て、（確かにVuくんがGaiさんと知り合いなのは間違いないな！）と確信しました。しかし、前の学校でVuくんに会うのなら分かりますが、全然違う学校で、Gaiさんの知り合いに会えるとは（何たる偶然だろうか・・・）と思いました。Vuくんに「このセンターはGaiさんが紹介してくれたの？」と訊くと「いいえ、そうではありません」と言う答えでした。全くの偶然なのでした。</p>



<p>私自身Gaiさんには日本で二回会ったことがあります。特に、二回目の時には、Gaiさんは体調が悪い時にもかかわらず、IJさんご夫妻に連れられて彼女一人だけが私に会うために大阪まで来てくれた懐かしい思い出が甦ります。その時のことは、<strong><a href="https://g-tierra.com/aozai/201705-2/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">【2017年5月号日本帰国余話・前編 ●大阪での教え子との再会● 】</a></strong>で触れています。</p>



<p>VuくんからGaiさんとの繋がりが有る、いろいろなことを聞き、私も大いに嬉しくなり、「今から二人の写真を撮って、後でGaiさんに送ってあげよう！」と話しました。そして、クラスの友人に二人の写真を撮ってもらいました。授業の後、彼がすぐにGaiさんにその写真送ってくれたそうです。翌日Vuくんに訊くと<span style="color: #ff0000" class="text-color">「Gaiさんは、“もう飛び上がるぐらい驚いた！”とメッセージを送ってくれましたよ」</span>と、笑いながら話してくれました。</p>



<p>それが5月初めのことでした。詳しく聞けば、Vuくんは今のセンターに来る前には別の学校で4か月ほど日本語を勉強していました。その後、センターでまた学び始めたというのでした。この時もまだ「コロナ禍」が続いていました。<strong><a href="https://g-tierra.com/aozai/202006/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">今年の6月号【ハノイへ旅立った友人】</a></strong>でも述べましたが、5月・6月頃になると、多くのセンターから生徒たちが田舎に戻り始めた状況が現れ出しました。</p>



<p>知人の学校でもそうでした。日本語を勉強すること半年以上が過ぎても、<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「いつ日本に行けるか分からない事態」</span></strong>になっていたからです。そして、7月が過ぎて8月になりました。私のセンターの生徒たちの中からも数人が帰り始めました。でもVuくんのクラスの生徒たちは、Vuくんも含めて誰一人も田舎に帰る生徒はいません。みんな頑張っています。</p>



<p>しかし、やはり彼らも<strong>（いつになったら日本に行けるのだろうか・・・。果たしで今年中に行けるのか、行けないのか・・・）</strong>という気持ちだったことでしょう。時に、悲しい表情を見せる生徒たちもいます。今年発生した「コロナ」は日本に行くことを夢見て頑張っていた多くのベトナムの若者たちを悲しませ、「日本行きの夢」を奪っていたのです。</p>



<p>そして、8月から私は彼らが書いた<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">【日誌】</span></strong>の作文の添削を始めました。前任者の担当が7月まではやっていたのですが、7月いっぱいで辞めたので、代わって私がそれをしてあげることになりました。<strong>「みんなの日本語」</strong>のテキストで<strong>「第20課</strong>」までを終えたクラスでは、一週間に一回だけ、全員に日本語で作文してもらい、その週に起きたことを【日誌】の形で書かせていました。</p>



<p>【日誌】を生徒たちに書かせる目的は、生徒に全部日本語で作文して書かせ、それをこちらで添削してあげることにより、<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「ひらがな・カタカナ・漢字の間違いを正す」「単語を調べさせる」「単語を覚えさせる」「漢字を調べさせる」「漢字を覚えさせる」「文法を覚えさせる」「語法の正しい使い方を指導してあげる」</span></strong>・・・などのメリットが有ります。</p>



<p>最初、その内容はその週に<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「自分に起きた出来事、過ごしたこと」</span></strong>でした。しかし、それが3週も4週も続くとワンパターンになり、それを読む私のほうも飽きてくるので、時には<strong><span style="color: #00ffff" class="text-color">「自分の田舎について」</span></strong>とか<strong><span style="color: #00ffff" class="text-color">「私の家族」「将来の夢」「日本での目標」</span></strong>などと、テーマを変えながら書いてもらいました。</p>



<p>【日誌】の用紙を金曜日に配り、土・日の二日間で書いてもらい、それを月曜日にベトナム人の先生たちが回収してくれていて、私がセンターに着いて、教員室のドアを開けると、すでに机の上には生徒たちが書いてくれた【日誌】がクラス毎に分けて置かれています。私が自分で生徒達一人・一人から回収する手間を省いてくれています。</p>



<p>その人数は30人弱です。毎週の月曜日は、授業が終わった後、それを持ち帰り、「スシコ」に持ち込んで、ビールを飲みながら赤ペンで添削するのがお決まりのパターンになりました。いつもそこでは文庫本を読んでいるのですが、ここ最近の毎週の月曜日は<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">【日誌の添削日】</span></strong>となり、添削が終わってから家路に着きます。</p>



<p>それが2・3週も続くと、生徒たちが書いた【日誌】を添削するのがだんだん楽しみになりました。年齢も故郷も違い、個性も違う生徒たちが毎週書いている【日誌】を読むのが<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">＜趣味＞</span></strong>のようになってきました。また、（あぁー、生徒たちはこういう箇所、テーマで日本語の間違いをよく犯しているなあ・・・）というのも分かってきます。</p>



<p>さらにまた、まだ20代のベトナム人の若者たちが発信してくれる【日誌】を読んでいると、私のような日本人から見て、いろいろベトナムの文化・人情・歴史などの<strong><span style="color: #ff00ff" class="text-color">＜タメになる情報＞</span></strong>も書いてくれていて、添削という作業自体が大変面白くなりました。今のところ、私はまだ「老眼鏡」を掛ける必要もないので、彼らの【日誌】を読むのも楽です。苦にはなりません。添削した【日誌】は毎週、翌日の火曜日には全員に返してあげます。</p>



<p>そして、8月も過ぎました。Vuくんの日誌の内容にもその頃から変化が現れてきました。まだまだコロナが続いていて、収まらない時期です。でも、まだ本人の表情にも悲壮感は無くて、8月いっぱいまでの【日誌】の内容は<strong>「日本に行ったらこういうことをしたい」「将来こういう仕事に就きたい」</strong>という前向きな、明るい内容が多かったのでした。</p>



<p>しかし、8月も終わる頃の【日誌】から、日本での「コロナ」の収束がなかなか見えず、<span style="color: #ff0000" class="text-color">（いつ日本にいけるのだろうか・・・）</span>という<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">＜先行きの不安＞</span></strong>の内容が少しずつ表れてきました。Vuくんも当然私がそれを読むことを意識して書いていたはずです。8月の最後の週から、9月初めの【日誌】から9月の終わり頃までは、だんだん悩みが溢れる出るものになってきました。</p>



<p><span style="color: #8a2be2" class="text-color">「8月の4週目」・・・すぐ日本へ行きたいですが、今年は日本へ行けないかもしれません。<br>「9月の1週目」・・・日本へいつ行けるかどうか分からないと思います。<br>「9月の2週目」・・・私は今すぐ日本へ行きたいです。毎月使うお金がもうすぐ 無くなります。心配しています。<br>「9月の3週目」・・・もし日本に行くことが出来なければ、田舎に帰って農業の 仕事をして、両親の世話をしたいと考えています。</span></p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large"><img decoding="async" width="190" height="250" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/img_12.JPG" alt="" class="wp-image-607"/></figure></div>



<p>そして10月に入り、明るい兆しが現れてきました。そのことが【日誌】に書いて ありました。<br><br><span style="color: #8a2be2" class="text-color">「10月の1週目」・・・来週会社の人から「ビザを申請するよ！」と言う連絡が 来ました。それを聞いて（もうすぐ日本へ行けるのだな！） と思いました。<br>「10月の3週目」・・・日本へ着いてから14日間隔離をしなければなりません。 隔離しながら、日本の文化とルールを学びます。日本へ 行った後の生活を想像しています。大変だと思います。 でも、努力したら何でも出来ます。3年後にベトナムに 帰国してから、また日本に戻り、2年間働きたいです。 そして、30歳までに家を建てて結婚します。その後 子どもを育てます。これはおそらく、日本に行く前に 書いた、私の最後の【日誌】です。</span></p>



<p>Vuくんのこの【日誌】を最後まで読んだ時、涙が流れてきました。「スシコ」でこれを読んでいた時の私の眼の前には数人のお客さんたちが座り、食べて飲んでいました。それで、顔を上げることが出来ないまま、じーっと彼の【日誌】を手に持ち、彼が書いた<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">【最後の日誌】</span></strong>を読み返していました。</p>



<p>彼の場合、日本語を勉強した期間は約10ケ月になります。学費や寮費などに掛かるご両親の経済的な支援が半年を過ぎた頃から、人一倍親思いの彼の悩みが深くなっていったようです。ご両親の支援もそろそろ限界の時期にきていました。それがギリギリのところで、日本行きのゴー・サインが出たのでした。彼以外にも同じ悩みを抱えていた生徒たちも多くいました。</p>



<p>一ヶ月ほど前、「先生、午後からアルバイトをしたいので、午後からの授業が受けられなくなりますが、許してください！」と、担任の先生に訴えてきた男子生徒が二人いました。午後3時から夜の10時までアルバイトをするとのことでした。今までであれば、そういう特例は認めていませんでしたが、その2人も今回の「コロナ禍」のせいで、日本行きが長引き、経済的に苦しい状況なのだろうな・・・というのは良く分かりましたので、担当の先生も止むを得ず許可した経緯が有ります。</p>



<p>そういう辛い状況を乗り越えて、今月11月25日に11人の生徒たちが日本へ向けて飛び立ちます。彼らにとっては<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「11月13日が最後の授業」</span></strong>になりました。その最後の授業で、私は<strong>谷村新司さん</strong>の<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">＜サライ＞</span></strong>を歌ってあげました。</p>



<p><strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">♪　遠い夢　捨てきれずに　故郷を　捨てた　♪<br>穏やかな　春の陽射しが　揺れる　小さな駅<br>別れより　悲しみより　憧憬れは強く　<br>寂しさと　背中合わせの　ひとりきりの　旅立ち・・・</span></strong></p>



<p>日本に行った後、自分の目標に向けてしっかりと頑張って欲しいと思います。 3年後に、彼らの成長した姿を見たいものです。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ベトナムＢＡＯニュース</h2>



<p>「BAO（バオ）」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。<br>「BAO読んだ？」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。</p>



<h3 class="wp-block-heading">Can Gio でマングローブの植林体験</h3>



<p>ベトナムのUNICEFのホーチミン事務所と国連児童基金とホーチミン市議会がCan Gioで学生たちにマングローブの植林体験を実施した。</p>



<p>学生たちはマングローブの森を歩くことを自分たちで体験して、このCan Gioが<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「ホーチミン市の緑の肺」</span></strong>と命名された理由を学ぶことになったのだった。</p>



<p>そして、Can Gioの海に歩いて行き、海岸に捨てられているプラスチックのゴミ類をみんなで拾った。そして、そこにいる人たちに「あちこちにゴミを捨てないでください。特にプラスチック類のゴミを捨てないでください！」と呼びかけた。</p>



<p>この行動は、2020年に於ける<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「これからのベトナムが未来の子どもたちにとって、緑豊かで、清潔で、美しく、安全な国」</span></strong>になるためのプロジェクトの内容の一つである。このプロジェクトを行う前に、宣伝するための映像を作成し、環境保護のための演劇も行った。今後は「ゴミの分別の指導」と「手洗いの励行」なども行い、病気の発生を防ぐことにしている。</p>



<p>これから、今年の11月20日まで、サイゴン市内の24区で行われる多くの活動が始まる。例えば、「あなたたちのグループは環境保護活動に意欲的なので、街中をキレイに、清潔にするために、今から一人が30分間ゴミ拾いの活動をしてください」と言う提言をして、サイゴン市内の24区の各区で、そのような環境保護活動を進めてゆくのである。</p>



<p>＜Tuoi Tre新聞＞</p>



<p>◆ 解説 ◆</p>



<p>毎日、毎日「コロナ禍」の関連記事が多い中、久しぶりに<strong><span style="color: #008000" class="text-color">「Can Gioでのマングローブ植林」</span></strong>関連の記事が出ていて、大変嬉しくなり、ここにご紹介しました。 この記事中にある<span style="color: #ff0000" class="text-color">“このCan Gioが「ホーチミン市の緑の肺」と命名された理由”</span>については、<strong><a href="https://g-tierra.com/aozai/post-1256/" target="_blank" rel="noreferrer noopener"> 2011年1月号のBAO ■ カンザーのマングローブの森を守るために ■</a></strong>に詳しい説明が有りますので、そちらを参照されてください。</p>



<p>我が社ティエラコムが1997年から実施している「Can Gioでのマングローブ植林」の活動はこちらの新聞には今まで2回掲載されたことがありました。 上記の<strong><span style="color: #1e90ff" class="text-color">＜Tuoi Tre新聞＞</span></strong>と英語版の<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">＜Viet Nam News＞</span></strong>にも載りました。ベトナムでの私の友人たちには欧米人の方もいますので、 その英語版の＜Viet Nam News＞を紹介しましたら、大変喜んでくれました。 英語版については<strong><a href="https://g-tierra.com/aozai/post-1188/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">2014年9月号のBAO■ベトナムで意識の種を植える■</a></strong>で触れています。</p>



<p>しかし、残念ながら、本来一番関心を寄せて頂きたいベトナム人の学生たちからの行動は余り有りませんでした。 特に今年は「コロナ禍」も有り、私自身も期待などしていなかった時に、今月号のこの記事です。大変嬉しくなりました。 私自身は、今回の活動がこの一回だけで終わらす、今後も継続して欲しいと願っています。</p>



<p><span style="color: #0000ff" class="text-color">☆補足☆</span></p>



<p>実は、今月号のこの＜BAO＞の記事の日本語訳は、今月号の<strong>●「コロナ」後、今年初めて「実習生」たちの日本行き●</strong>に登場して頂いたVuくんに翻訳してもらいました。</p>



<p>彼はもうすぐセンターを去り、故郷に戻り、日本行きの準備をします。【日誌】は先週で終わりになりました。それで、私が「Vuくんの最後の思い出」を残したく思い、「この＜Tuoi Tre新聞＞の記事を日本語に翻訳してくれる」とお願いしますと、彼は二つ返事で「分かりました！」と答えくれて、翌日には、私にその完成した翻訳を渡してくれました。</p>



<p>その後、Vuくんがこの新聞記事を日本語に翻訳した内容を私が添削して、訂正したものが上記の＜BAO＞の記事です。この日本語訳の90％はVuくんが書いてくれたもので、私が訂正した箇所は10％ぐらいです。Vuくん有難う！！</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
		<media:thumbnail url="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/img_12-1-150x150.jpg" width="150" height="150" />	</item>
		<item>
		<title>【2020年10月号】第七回目の「美智子先生を偲ぶ会」／両手が無いHanhくんが大学に入学！</title>
		<link>https://g-tierra.com/aozai/202010/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[aozai]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 23 Oct 2020 04:28:51 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[2020年1月～12月]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://g-tierra.com/aozai/?p=54</guid>

					<description><![CDATA[春さんのひとりごと 第七回目の「美智子先生を偲ぶ会」 今年も「美智子先生を偲ぶ会」を行いました。2013年9月30日に、美智子先生はサイゴン市内で交通事故に遭われて、60歳の生涯を閉じられました。「一周忌」から昨年まで、 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">春さんのひとりごと</h2>



<h3 class="wp-block-heading">第七回目の「美智子先生を偲ぶ会」</h3>



<p>今年も<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「美智子先生を偲ぶ会」</span></strong>を行いました。2013年9月30日に、美智子先生はサイゴン市内で交通事故に遭われて、60歳の生涯を閉じられました。「一周忌」から昨年まで、毎年ずっと続けて「美智子先生を偲ぶ会」を行ってきました。それで、今年は美智子先生の「七回忌」になります。昨年は<strong>「ベトナム北部への旅」</strong>と重なり、載せることが出来ませんでしたが、今年も例年通り行いました。昨年は10人の参加者が集まってくれました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large"><img decoding="async" width="250" height="210" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/img10_000.JPG" alt="" class="wp-image-474"/></figure></div>



<p>今年七回目の「美智子先生を偲ぶ会」は、9月26日の土曜日に「スシコ」で行いました。毎年、美智子先生の命日の9月30日前後の土曜日に行っています。勤めが有る人たちがほとんどなので、そのほうが参加し易いからです。今年も、生前の美智子先生と大変親しかったMZさんが窓口になり、その日の二週間ほど前から皆さんに告知されました。</p>



<p>まだ「コロナ」が完全に収束している状況ではありませんでしたが、今年も例年と同じ顔触れの方たちから「参加致します！」という連絡が事前にありました。私にもMZさんからは事前に参加者の人数と名前を知らせて頂きました。ベトナム人の参加者で3年前から毎年欠かさず参加して頂いているのは<strong>Hong(ホン)さん</strong>と<strong>Hoa(ホア)さん</strong>という女性の方です。</p>



<p>特にHongさんは、3年前に初めて「美智子先生を偲ぶ会」に参加されて以来、ベトナム人参加者たちの中心になって、他の人たちにも声掛けしておられるようです。ですから、3年前からベトナム人の参加者の方たちの顔ぶれが決まってきました。事前に頂いたリストでは、今年の参加者は日本人が4人、ベトナム人が6人で、合計10人でした。昨年と同じです。</p>



<p>そして、毎年のことですが、「美智子先生の命日」が近づくと、私が日本語を教えている今の学校でも、美智子先生のことを話してあげています。私が今日本語を教えているのは。昨年とは違う新しい学校です。そこにはまだ20代の若いベトナム人の先生たちが今3人います。しかし、誰一人も「美智子先生」のことについては知りませんでした。先生たちがそうでしたから、生徒たちも知りません。</p>



<p>それで、ベトナム人の先生には美智子先生について書かれた新聞記事のコピーを渡し、生徒たちにはその記事内容をクラスの中で、一人の生徒に読み上げてもらいます。先生も生徒たちも<span style="color: #ff0000" class="text-color">「大変感動しました！」</span>と言う感想を述べてくれます。来年もまた美智子先生の紹介をしてゆくつもりですが、その生徒たちもおそらく美智子先生については知らないでしょう。</p>



<p>異国で亡くなった外国人については、その人を直接知っていた人たちはともかく、そうでない場合、月日が流れるにつれて、その存在自体もだんだん薄れてゆくのは仕方が無いことだとは思います。しかし、ベトナム人女性のHongさんとHoaさんは、美智子先生が亡くなられた後の「五回忌」からずっと続けて参加して頂いています。そのことを思うにつけ、生前の美智子先生が如何に<strong><span style="color: #8a2be2" class="text-color">＜深い友情＞</span></strong>を築き上げておられたかがしみじみと分かります。</p>



<p>当日26日は夕方6時から「スシコに集合」とみなさんたちには告知していましたが、私は席の予約が必要なので、5時40分頃にはそこに着きました。毎年この時期には大雨が降ることが多いのですが、運良くこの日は降りませんでした。バイクを「スシコ」前に停めて、いつも私が座る席のほうを眺めて驚きました。何と、すでに5人の女性たちが一列に並んで、こちらのほうを見ながら着席されていたからです。</p>



<p>そして、その5人の方たちが腰を下ろしていた真ん中の席に、HongさんとHoaさんがおられました。それで、私もすぐに「美智子先生を偲ぶ会」に参加する人たちがそこに集合しているのだなというのはすぐに分かりました。しかし、いつも遅れて来るのが当たり前の、ベトナムの人たちの集合の仕方からすれば、何とも早い時間でした。日本人では私が一番先に着きました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large"><img decoding="async" width="251" height="182" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/img10_002.JPG" alt="" class="wp-image-613"/></figure></div>



<p>私がみなさんたちに挨拶すると、全員立ち上がって挨拶されました。Hongさんに「何時にここに来ましたか」と尋ねましたら、「5時15分頃に着きました」と答えられたのでした。毎年開いているこの会に、少しでも早く着きたいという気持ちからだったのでしょう。その気持ちが痛いほどよく分かりました。</p>



<p>しかし、その間飲み物も、食べ物も、何も頼むこともなく、私たちの到着をずっと待っておられたのです。申し訳なく思いました。そして、私のバイクに載せて持ち込んだ「美智子先生の遺影」と「線香」を台の上に置きました。遺影はみんなが座る席から見て、ちょうど真ん中の位置に据えました。「線香」は、連絡無しに現れる人がいる可能性もあるので、参加予定の人数よりも少し多めに持ち込みました。</p>



<p>そして、毎年のことですが、「スシコ」では「遺影」の前にお供えする果物類を準備してくれています。「今年はこの日に美智子先生を偲ぶ会を行います」と店長に告げると、「分かりました。では、こちらで果物を準備しておきますからね」と答えてくれるのでした。果物を購入した時の費用なども、こちら側には一切請求しません。私たちもその厚意を有難く受け止めています。</p>



<p>台の上に「遺影」を置きますと、先に来ていたベトナム人の方々もじっとその「遺影」を見つめています。その「遺影」を見ていますと、生前の美智子先生とのいろいろな思い出が甦ってきます。ベトナム人の方々も同じ気持ちだろうと思います。</p>



<p>このベトナムという国を心の底から愛し、ベトナムで暮らすことを楽しんでおられた、美智子先生の生前の姿が思い出されるのです。それが、ベトナム人のHongさんやHoaさんたちには良く分かっておられるのでしょう。だからこそ、毎年こうして参加して頂いておられるのです。</p>



<p>私自身が美智子先生に初めてお会いしたのは、2008年の初め頃です。その前に、美智子先生のことは知っていました。こちらのベトナムの新聞に美智子先生の記事が載ったからです。それを、私が<a href="https://g-tierra.com/aozai/post-1352/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">2007年11月号のBAOに＜ベトナムに住んで生活している、市井の日本女性＞</a>として紹介しました。</p>



<p>私が人から聞き、その後直接知った美智子先生の生活ぶりは、まさにこの記事の中に書かれていた通りでした。以前も紹介しましたが、やはり何回読み返しても胸に迫る内容ですので、敢えてまた載せておきます。そこにはこう書かれています。</p>



<p><span style="color: #0000ff" class="text-color">“一台の古いカセットと、二・三冊の日本語の文法書と、古ぼけて擦り切れた一冊のベトナム語の辞書と、昼食用の二・三個のパン。・・・これがベトナムで日本語を教えて生活している時の、ミチコさんのバッグの中身である。</span></p>



<p><span style="color: #0000ff" class="text-color">彼女は、「このようにして日本語を教える仕事から、毎月2～300万ドン（約1万5千円～2万2千円）くらいの収入があります。それで毎日の生活費は足ります。あまりお金は持っていませんが、ベトナムで仕事をしながら生活出来るのは大変幸せだと思います。私は日本人ですが、日本とは縁が薄かったのです。ベトナムに来てから、私は自分の幸福を見付けることが出来ました」と話してくれた。”</span></p>



<p>先に席に座られていた5人のベトナム人の女性の方の中で、HoaさんとHongさん、そのHongさんの妹さんの<strong>Nga(ガー)さん</strong>。そして友人のLoi(ロイ)さんは知っています。Loiさんは幼くて、可愛いお孫さんも連れて来ていました。その幼いお孫さんはこの後出された日本料理を喜んで食べていました。横で見ていて、本当に嬉しい気持ちでした。</p>



<p>しかし、この日私が初めて見る女性がいました。Hoaさんに訊くと、何と彼女の娘さんだと言われました。名前は<strong>Truyen(チュエン)さん</strong>。旧正月のテトの時には、美智子先生がHoaさんの家にも招待されたと聞いていましたので、Truyenさんも美智子先生との交流が当然有ったはずです。</p>



<p>その後、私が着いてからしばらくして、MZさんも到着されました。その後、日本人男性は家具屋のABさんが到着し、ベトナム人男性の<strong>Du(ユー)さん</strong>、<strong>Thanh(タン)さん</strong>も続けて到着。その後、参加予定者に名前が無かった男性が2人と女性が1人到着。男性の名前は<strong>Cuong(クーン)さん</strong>と<strong>Hien(ヒエン)さん</strong>。Cuongさんは昨年も参加されています。</p>



<p>最初私は2つのテーブルで予約していましたが、突然人数が増えて席が足りなくなりましたので、すぐにもう一つテーブルを追加してもらいました。まあ、ベトナムではよく有ることです。まだ早い時間でもあり、隣に誰も座っていなかったので、問題有りませんでした。やはり、私が予想したように、線香も少し多めに持ってきて正解でした。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large"><img decoding="async" width="250" height="210" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/img10_001.JPG" alt="" class="wp-image-170"/></figure></div>



<p>少し時間が経った後、日本人で毎年参加されているYAさんから「交通渋滞で少し遅れます！」と言う連絡がHongさんの携帯に届いたとのことなので、しばらく待つことに。YAさんはこちらで「ケーキ屋さん」の仕事をされています。そして、ようやく6時半頃に、YAさんも到着。YAさんはご自分の店で作っているクッキーを持参されて、それを遺影の横にお供えされました。</p>



<p>そして、全員が揃ったところで、線香に火を点けて、私から全員の方に線香を配りました。それを両手に挟み、一分間の<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">「黙祷！」</span></strong>。一分間の「黙祷！」が終わった後、一人・一人が美智子先生の「遺影」の前に進み出て、線香立てに線香をゆっくりと挿します。その後、両手を合わせて、美智子先生のご冥福をお祈りしました。</p>



<p>今年私たちが「美智子先生を偲ぶ会」を行っている時には、来ていたお客さんたちの数もまだ少なくて、静かな雰囲気の中で執り行うことが出来ました。お客さんが多いと、大きな話し声や人の出入りが有って気が散ります。大人13人の方々が線香を挿し終えた後、テーブルのほうに戻り、着席しました。</p>



<p>全員が着席したところで、今年もみんなが一年に一度の「美智子先生を偲ぶ会」で顔を合わせることが出来たことに感謝して＜乾杯！＞しました。事実、日本人やベトナム人を含めて、私自身もこの「偲ぶ会」が無ければ、皆さんたちには会えない方たちがほとんどなのです。それだけに、「美智子先生を偲ぶ会」は有難い<strong><span style="color: #008000" class="text-color">＜再会の場＞</span></strong>にもなっているのです。</p>



<p>この後、いつものように飲みながら、食べながら、「美智子先生」の思い出を語りながら、みなさんたちが談笑します。会話は日本語が中心ですが、意味が通じない時には、<strong><span style="color: #8a2be2" class="text-color">「サイゴン日本語クラブ」</span></strong>というWeb-Siteを運営していて、日本語に堪能なThanhさんが間に入り通訳してくれます。</p>



<p>私はこの日も一冊のファイルを持ち込みました。このファイルの中には、美智子先生が亡くなられた後に、ベトナム語や日本語でインターネット上に、いろいろな人たちが美智子先生の逝去を悼む<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">＜追悼の言葉＞</span></strong>を寄せてくれたものが入っています。私が眼にしたそれらの記事内容を全て印刷して、一冊に収めたのがこのファイルです。</p>



<p>それを初めて参加した人たちに見せますと、みなさん沈黙してじーっとページをめくっています。この日のHienさん、Truyenさんの二人がそうでした。二人とも、美智子先生に関した、まとまった記事を読むのは初めてのようなので、食い入るように読んでいました。その後、Truyenさんが顔を上げられた時には少し涙目になっていました。</p>



<p>このファイルはいつも私の部屋に置いていますので、折に触れて読み返すことがあります。そして、ジーンと感無量になることが有ります。ここには、日本人、ベトナム人、いろいろな人たちが＜追悼の言葉＞を書いてくれています。切々とした、悲しみに溢れた心情の言葉が綴られています。</p>



<p>でも、美智子先生は<strong>「人文社会科学大学」</strong>の正規の先生でもなく、そこの喫茶店で大学生たちに個人レッスンで教えておられただけなのでした。それでありながら、かくも多くの人たちがその逝去を悼んでいるのです。このベトナムという異国で、どこの組織にも属さず、誰の支援もなく、美智子先生は一人の日本人としてその<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">＜誇り高き一生＞</span></strong>を終えられました。ただただ頭が下がるのみです。</p>



<p>この日の「美智子先生を偲ぶ会」は9時半頃に終わりました。また来年の「美智子先生を偲ぶ会」での再会を約束して解散しました。この翌日のことになりますが、日本人のYAさんがHoaさんの家を訪ねて、生前の美智子先生と一緒に写した数多くの写真を見せて頂いたそうです。</p>



<p>それを後で私たちにも見せて頂きましたが、私たちが初めて見る<span style="color: #ff0000" class="text-color">「秘蔵の写真」</span>とも言えるものばかりでした。中には、故郷の富山県のご実家の写真がありました。さらに、美智子先生が眠られているお墓の写真もあり、それには美智子先生の戒名も添えられていました。YAさんの話では<span style="color: #0000ff" class="text-color">「来年は、Hoaさんがそれらの写真を持ち込んでくれるそうです」</span>とのことですので、それも楽しみです。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ベトナムＢＡＯニュース</h2>



<p>「BAO（バオ）」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。<br>「BAO読んだ？」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。</p>



<h3 class="wp-block-heading">両手が無いHanhくんが大学に入学！</h3>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/bao2.jpg" alt="" class="wp-image-824" width="223" height="311" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/bao2.jpg 586w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/bao2-215x300.jpg 215w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/bao2-379x530.jpg 379w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/bao2-404x565.jpg 404w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/bao2-508x710.jpg 508w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/bao2-519x725.jpg 519w" sizes="(max-width: 223px) 100vw, 223px" /></figure></div>



<p>10年前にTuoi Tre新聞に載った、両手が無い少年・<strong>Ho Huu Hanh(ホー フー ハン)くん</strong>のルポルタージュ<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「Hanhくんの物語」</span>&nbsp;</strong>は読者に深い感動を与えた。その時の記事の紙面には、そういう境遇でありながらも、ニコニコして皿洗いをしたり、農業の仕事を手伝ったり、黒板に足で文字を書いている写真などがあったからである。</p>



<p>そして、今年そのHanhくんはサイゴン市内の<strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">Lac Hong(ラクホン)大学情報技術科</span></strong>の新入生になったのだった。小学校3年生の時には、Hanhくんの両足はコンピューターを扱えるまでに変わった。親切な人がHanhくんにパソコンを寄贈してくれたからである。</p>



<p>その時期から、Hanhくんは情報技術に関係するものが好きになった。Hanhくんはそのパソコンを使い、インターネット上のいろいろな情報を学ぶために塾にも通った。それで、普通よりも一年遅れて入学したが、これからインターネットで学んだことを活かす機会が訪れた。</p>



<p>今後、Hanhくんは企業向けのオンライン広告のプロジェクトの企画をやりたいと言う。将来はその運営に携わり、今まで蓄積してきたものを実践しながら、人生の生計を立ててゆこうと考えている。</p>



<p class="has-text-align-left">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＜Tuoi Tre新聞＞</p>



<p>◆ 解説 ◆</p>



<p>9月21日の朝、何気なく、いつものように「Tuoi Tre新聞」を開いて、大いに 驚きました。しばらく、紙面を開いたまま、自分の手が止まりました。胸が ジーンとしました。感動しました。あのHanhくんが<strong><span style="color: #ff0000" class="text-color">「大学に入学した！」</span></strong>と 言う記事が載っていたからです。</p>



<p>「あのHanhくんが・・・」と言う意味は、今から10年前の8月8日、同じ「Tuoi Tre新聞」に載っていたHanhくんに関した記事を思い出したからでした。それを私が訳して、<a href="https://g-tierra.com/aozai/post-1284/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">2010年9月号のBAOに＜Hanhくんの物語＞</a>と題して載せました。10年前の記事は多くの写真が紙面を占めていましたが、この日の新聞にも写真が多く載っていました。一枚の写真に見えるのは寮の中でしょうか、友人たちに囲まれて、笑顔いっぱいのHanhくん顔が写っていました。</p>



<div class="wp-block-image"><figure class="alignright size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/img10_003.jpg" alt="" class="wp-image-318" width="236" height="157" srcset="https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/img10_003.jpg 586w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/img10_003-300x200.jpg 300w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/img10_003-530x354.jpg 530w, https://g-tierra.com/aozai/wp-content/uploads/2021/01/img10_003-565x377.jpg 565w" sizes="(max-width: 236px) 100vw, 236px" /></figure></div>



<p>Hanhくんは両手が無い状態で生まれて、見事に両足で自分の未来を切り開き、これから両足で大学に4年間通います。私の娘も今年、ちょうどこの日から大学に通いました。この日のHanhくんの記事を見せますと、食い入るように読んでいました。この日の朝、娘は「行って来ま－－す！」と言って、張り切って大学に向かって行きました。</p>



<p>そして、今私が日本語を教えている若者たちにも、この日の授業で早速紹介しました。生徒たちは新聞などは購読していませんから、今日のこのニュースは誰も知りませんでした。その彼らは五体満足な若者たちばかりですから、大いに感動していました。Hanhくんと同じDong Nai省に故郷を持つ生徒たちが数人いますが、彼らは感心した表情で聴いていました。</p>



<p>10年前に私は<span style="color: #ff0000" class="text-color">「そして、私はこのHanhくんの記事を捨てることは出来ません。大切にしまっておくことでしょう」</span>と書きましたが、10年後の今も、私は大切に保存しています。そして、この日の記事も、これから大切に取っておきます。</p>



<p><strong><span style="color: #0000ff" class="text-color">&#8220;Hanhくん、大学合格おめでとう！！大学生活も頑張ってね！！&#8221;</span></strong></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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	</channel>
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