【2021年5月】Japan-Vietnam Festival開催/南部解放記念日とメーデー、4月30日~5月3日の4連休
「第7回ジャパン ベトナム フェスティバル」が、今年2021年4月17日(土)・18日(日)の両日、サイゴン市内の中心部にある「9月23日公園」で開催されました。
この「ジャパン ベトナム フェスティバル」は2013年からスタートして、その後毎年開催されていましたが、昨年2020年は「コロナ」のために中止。中共発の「コロナ」は、こういうイベントの中止にまでその影響を及ぼしたのです。そして、それから一年を経て、今年は無事に「開催実現」の運びになりました。それで、18日に女房と二人でお昼過ぎに出かけてきました。
バイクを駐車場に預けて、会場の近くまで歩いて行きました。会場の入口には「朱の鳥居の門」が建ててあり、観客はそこから入場していました。入場料は有りません。無料でした。そして、この日、ここでも多くの人たちがマスクをしていました。私たちもそうしました。
しかし、今年は以前と比べて出店数も少なく、規模も小さくなりました。仕方がありません。その会場入口には「コスプレ」の衣装に身を包んだ若者たちがたくさんいて、お客さんたちが喜ぶ歓声に応えて、ポーズを決めていました。その衣装や化粧や髪の色などが実に派手で、今から舞台に出てゆくかのような雰囲気でした。
しかし不思議なのは、どこでこういう派手な衣装を着替えてきたのかということです。まさか、家からあのままの姿でバイクに乗って会場まで着いたのではないだろうとは思いますが、それが不思議でした。この会場のすぐ近くには地下街に飲食店が有り、そのフロアーにはトイレもあるので、もしかしたらその中で着替えて来たのかもしれません。
この日、この場で「コスプレ」の衣装を着ていたのはほとんどがベトナム人の若者たちです。「ジャパン ベトナム フェスティバル」では良く見る光景です。「コスプレ」自体は古くからあるようですが、「コスプレ」と言う言葉自体は日本の漫画やアニメやゲームから出来た「和製英語」のようです。しかし、私自身は日本では見たことがなく、このベトナムで初めて見ました。
会場内では右手の小皿の上にお菓子や飴などを載せてタダで配り、お客さんたちがそれを歩きながら摘まんで食べていました。私も幾つかそれを頂きました。いろんなブースが有りましたが、その中の一つには竹細工で作成した「昆虫」や「金魚」などを販売していました。
さらにまたそのすぐ隣では「書道」の実演をしていました。二つの台に二人ずつ座り、書道で使う筆を持って墨で漢字を書いていました。手前の女性が書いていたのは「恋」という漢字でした。その漢字を日本人と思われる女性が相手の女性の手を添えて指導していました。大変微笑ましかったですね。
会場の中にはいろんな食べ物や飲み物も販売されていました。「SUSHI BAR」も出店していました。私の馴染みの「SUSHI KO」は三年前にはこの会場に店を出していましたが、今年は有りませんでした。私が知っている日本料理屋さんでは「SUSHI BAR」が唯一だったので、それを見た時、大変嬉しかったです。この日は大変暑かったので食べ物は買わず、私はアイスクリームを食べました。
会場内の一番奥の場所には大きな「舞台」が設営してあり、その舞台上で二人の男性が大きな声と派手なジェスチャーをしながら動き回っていました。よくよく見ると、二人とも一度だけ見たことがある日本人でした。以前、この場所とは違う会場で「ジャパン ベトナム フェスティバル」が行われた時にも見ましたので、これが二度目になります。
その二人の日本人とは、このベトナムで活躍している、有名なお笑いコンビ<ダブルウィッシュ>です。彼ら二人のことについては以前、2016年6月号の「ベトナムスケッチ」でも紹介されました。
◆ベトナムの日本人:お笑い芸人・ダブルウィッシュ 「井出一博さん」「中川新介さん」◆
彼らのその「紹介記事」を初めて読んだ時、その中にある次の内容が強く印象に残っています。
“2015年6月、「有名になるまで日本には帰ってくるな」という指令のもと、「住みますアジア芸人」としてベトナムへ。普段は口にこそ出さないが、<お笑い芸人の節目>とされる10年目を強烈に意識していたと言い、「世に出るチャンスをつかみにきた」と中川さん。井出さんも「やれることは何でもやってみたかった」と当時の心境を振り返る。”
私たち二人がその舞台近くに着いた時には、すでに彼ら二人の「漫才」は始まっていて、多くの観客たちが椅子に座って聴いていました。椅子に座っていた人たちはそのほとんどがベトナム人のようでしたが、少人数ながら日本人らしき人たちもいました。そこに集まっていたベトナム人、日本人の人たち全員が彼ら二人の演技を爆笑しながら見ていました。
この日彼ら二人は「ベトナム語の発音の難しさ」をネタにして、いろいろな単語を例に出し、日本人がベトナム語の単語を普通に発音してもなかなかベトナム人には通じないことを「身振り・手振り」を交えて演じ、観客の大爆笑を誘っていました。その同じ場面が舞台上の大画面のテレビに映し出されていましたので、ベトナムの人たちにも良く理解出来ていたのでした。
さらに、この会場内では、その「ベトナム人に通じない単語」の具体的な例を、ベトナムの人たちにも分かるようにベトナム語が書いてある「厚紙」を持ち込んでいました。それを観客に見せましたので、もし彼らのベトナム語の発音が通じなくても、その「厚紙」の単語を見れば、ベトナムの人たちにも分かるように周到に準備していたのでした。そのことに、私は感心しました。
彼ら二人はベトナム在住がもうすぐ6年目に入る頃ですが、なかなかどうして見事なベトナム語を話します。女房も大変感心していました。彼ら日本人の若者二人が、異国のベトナムで活躍している姿を見ていて、涙が出るほど嬉しい限りです。
「ローカル劇場に挑戦してベトナム人相手にネタを磨き、確実に笑いをとりにいきたいと二人は意気込む」
とも、そのベトナムスケッチの中で紹介されていましたが、なかなかどうして、あの日、あの場では「確実に笑い」をとっていました。後で家に戻って調べると、画面に映っていたのと同じ場面の動画がYouTubeでも観ることが出来ました。これが傑作でした。YouTubeはこのアドレスです。
私が彼ら二人に特に<親近感>を抱いたのは、彼ら二人の日本での「故郷」が「熊本」だということを知ったからでした。「井出さん」「中川さん」の二人ともが「熊本出身」だというのです。このサイゴンで「熊本出身」の人たちに会うことは少ないので、それだけでも大変嬉しかったのです。
それで、この日、彼ら二人をまた見ることが出来たので、私は(舞台 での演技が終わったら、あの二人と直接話したいなー)と期待していたのですが、それが終わると、彼ら二人は表から出てくることはなく、舞台の裏のほうにそのまま消えてゆきましたので、それは叶いませんでした。でも(いつか、そのうち会えるのでは・・・)と期待しています。
その後、会場内をしばらくグルグルと回って、いろいろ見学した後、午後3時半過ぎに私たちは会場を後にしました。また来年も「ジャパン ベトナム フェスティバル」が同じ場所で行われ、<ダブルウィッシュ>の芸を観ることを楽しみにしています。
●「コロナ禍」は今も続く・・・。そして、皆さんへのお知らせ●
5月最初の土曜日に、藤牧さんが「スシコ」に来られました。そして、そこで話されたことで、私自身が大変驚いた話がありました。藤牧さんは私に次のように話されたのでした。「あのSinh Caféもシャッターが下りていましたよ!!外から見た様子では、たぶん今後もずっと休業することでしょう」と、そのように話されたのでした。それを聞いた私は「ええーっ!本当ですか!!」とビックリしました。
このベトナムでは大手の旅行会社とも言うべき「通称Sinh Café」ですが、今は「TheSinh Tuorist」と名前を変えてサイゴン市内の1区のDe Tham通りに事務所が有りました。さらにはベトナム全土にもその支店が有ります。さらには、ハノイにはニセモノの「Sinh Café」までも有ります。それだけ、有名な「Sinh Café」を利用したい人たちが多いということです。
私もベトナムに来た当初、ベトナム北部まで旅行した時、そのSinh Caféのバスには大変お世話になりました。ハノイまでの片道切符一枚を買うだけで、途中の観光地が気に入れば、そこに何泊してもいいし、いつ次の観光地に行っても良く、その前日に翌日の出発日を連絡すれば、ホテルまでバスが迎えに来てくれるという便利さがあったからです。ベトナム南部の「メコンデルタ・ツアー」などの時にも良く利用させて頂きました。
欧米人の旅行者などにも大変人気が有り、多くの人たちがSinh Caféのバスツアーを利用していました。毎日・毎日「Sinh Café」の事務所前からは大型バスが旅に出発し、旅から戻って来たバスが事務所前に到着して大変賑わっていました。そのSinh Caféが休業しているとは・・・、どうにも「信じられない思い」でした。
それで、 藤牧さんに会った翌日の午後、早速直接確かめに行きました。すると、やはり、藤牧さんの言葉の通り「Sinh Café」の事務所は「休業」していました。事務所の表入り口にはシャッターが下り、そのシャッターにはベトナムで店や事務所が「休業」した時には良く見られる、「ペンキでの落書き」が有りました。
こういう「落書き」が書かれているというのは、「今後もずっと休業します!」と言う意味です。数日間だけの「休業」であれば、管理人や隣近所の眼が有りますから、わざわざそこにペンキを持ち込んで「落書き」などをすることは出来ません。ですから、「今後もずっと休業します」というのが分かる訳です。
しかし、私はその「落書き」されているシャッターを見て、大変悲しくなりました。あの大手の旅行会社のSinh Caféもやはり「コロナ禍」の影響を免れなかったのです。
ベトナム国内では「コロナ」の拡大を防ぐことが出来ていても、外国からの「旅行者」が来ないことには、Sinh Caféのような旅行会社は営業を続けることが出来なくなったのでしょう。
しばらくその前に立ち止まっていますと、「Sinh Café」の事務所の中で元気良く働いていた若い人たちを思い出しました。その時、一陣の風がサーッと吹き、事務所前に落ちていた紙クズが風に吹かれて飛んでゆきました。(やはり、このまま休業してしまうのだろうなぁー)と思いました。
そして、そこを後にして、「人民委員会」の建物が有るNguyen Hue通りの「歩行者天国」に行きますと、日曜日というのにほとんど人通りが有りませんでした。今まで何回もその場所を訪問していますが、そういう光景を見たのはこの時が初めてでした。それもまた「信じられない光景」でした。
日本から流れて来ているニュースでも、ますます「コロナ」が猛威を振っていますね。この「コロナ」はいつまで続くか分かりませんが、日本の皆さんたちも、くれぐれもお気を付けください。
それで、私から<皆さんたちへのお知らせ>が有ります。今回世界中を襲った中共発の「コロナ」のせいで、世界中で多くの人たちが亡くなり、多くの会社や企業が「休業」「廃業」「営業停止」「倒産」の状態に陥りました(あの「Sinh Café」も含めて)。さらにその余波は、今後もまだ続いてゆくことでしょう。
2019年にティエラの生徒たちが宿泊したサイゴン市内のホテルは、今も「売家」の紙が貼りつけられていて、風になびいているままです。日本は<緊急事態宣言>が主要都市に出されました。こちらベトナムでも、またまた5月10日からサイゴン市内の小中高は休校になりました。ちょうど「夏休み」に入る時期と重なりますので、また長い休みが続くことでしょう。
それで、私自身今年に入ってずーっと悩み、考え続けていました。2020年初めから今に至るまでずっと続いてきた「コロナ禍」のせいで、
◎日本から友人や知人が来ることが出来ない。あの「石川文洋さん」にも、昨年も今年も会えません。
◎ベトナムから国外へのみならず、ベトナム国内も自由に、好きな所へ行けない、旅行にも行けない。自由に移動できない。
◎友人・知人に声掛けしてパーティーをすることもままならない。
◎こちらの新聞に載るニュースや記事も「コロナ」「コロナ」の記事ばかりでウンザリ。
・・・などのために、最近は<私の身辺に起きたテーマ>がどうしても多くなりました。私が今まで載せてきた「意外な人との出逢い」「面白い出来事」「面白い観光地への旅」「日本帰国時の出来事」・・・などについて触れることが出来なくなりました。
それで、今後は「何か面白いことが起きた時」「面白い人に出逢った時」「どこか面白い場所を訪問した時」「大事な出来事が起きた時」などなどの時にUPするようにして、「回数としては不定期」になるかもしれませんが、そのほうがいいかな・・・と考えました。「不定期」になるとした時、今後載せる時は「三ケ月」か「半年」か「一年」に一度ぐらいの回数になるかもしれませんが、皆さまにもご了解頂きたく思います。
「バックナンバー」を見ますと、最初は「2001年7月」からスタートしました。ですから、約20年間近く続いてきたわけです。飽きっぽい私にしては、今振り返ると、あっという間の20年間でした。そのような事情により、今月号の、今回の内容で一旦「中休み」したいと思います。20年間お付き合い頂いた皆さま方に、厚くお礼を申します。
ベトナムBAOニュース
■南部解放記念日とメーデー、4月30日~5月3日の4連休■
労働傷病兵社会省が発表した2021年の祝日・休暇スケジュールによると、今年の「南部解放記念日(4月30日)」は金曜日、メーデー(5月1日)は土曜日にあたるため、5月3日(月)を振替休日として4月30日(金)から5月3日(月)までの4連休となる。
同スケジュールが適用されるのは土曜日と日曜日が休暇日となっている公的機関・組織のみで、一般企業などは各社でスケジュールを調整する。
2021年の祝日は、南部解放記念日とメーデーを除くと残すところ9月2日の「建国記念日」
のみとなる。なお、2021年からは改正労働法の施行に伴い建国記念日の祝日の日数が2日間に増えるため、今年は9月2日(木)から5日(日)までの4連休となる。
- 解説 ◆
「南部解放記念日」でお休みとなった5月2日(日)に<統一会堂>前にバイクで行きました。ここは46年前に当時の名称<大統領官邸>に戦車が突入した所です。今は亡き、あの山元さんは戦車が突入したその瞬間を見ておられました。あの時、あの場で、戦車が突入した瞬間を見ていた日本人は何人かおられたようですが、私たちに直接その話をして頂いたのは「故・山元さん」だけです。
今年見た「統一会堂」前では政府主催の式典も無く、何の行事も行われず、それを祝う集会もなく、ただただ寂しい限りでした。「統一会堂」前にある公園の中には、立て看板が幾つか立ててありました。ですから、今年も大人数が集まる「記念式典」は有りませんでしたが、「南部解放記念日」を祝う看板だけは飾られていたわけです。
あの「石川文洋さん」には2019年にお会いした後、昨年今年も再会出来ていませんが、「コロナ」が収束するまでは、石川さんもベトナム訪問は無理かもしれません。でも、石川さんとの再会がいつになるか分かりませんが、その日が早く来るのを願っています。