【2022年3月】Tay Ninh省への旅/ハノイ:「オレンジゾーン」急増、多くの学校が完全オンライン授業に

春さんのひとりごと

Tay Ninh省への旅

2022年が明けて三カ月が過ぎましたが、昨年のサイゴンでは、実に不自由な生活を強いられてきた日々が続きました。「勝手に外出が出来ない」「自由に買い物にも行けない」規制が出されて、それに違反した場合は<罰金>です。そういう生活が昨年月から10月まで続いたのでした。そして、ようやく迎えた2022年の『テト』でしたが、恒例のサイゴン川での「打ち上げ花火」は昨年に続いて今年も中止。

新年が明けてからは「コロナ」の感染者がだんだん少なくなってきてはいました。しかし、「コロナ」が完全に終わったわけではないので、『テト』を迎えたとはいえ、以前の『テト』比べると、いつものような期待感は少なかったですね。それまでは、(今年の『テト』はここに行こう、あそこに行こう!)と、『テト』の時の予定を話すのが楽しみでしたが、そういう話題も出ませんでした。

結局、今年の『テト』で私たちの家族や女房の家族たちと一緒にサイゴン市内で出かけたのは、「9月23日公園」や「Tao Dan(タオ ダン)公園」で開かれていた「花市」、「Dam Sen(ダム セン)公園」の中にあるプールだけでした。「9月23日公園」と「Tao Dan公園」で開かれていた「花市」は、やはり「コロナ」のためか例年よりも規模が小さくなっていました。毎年いつも出掛けていた「釣り堀」などは、そこの場所自体が<休業>になっていました。

「Dam Sen公園」へのプール行きは女房の妹の子どもの強い希望で行きましたが、着いてみると大変な人数の多さでした。この時は、以前より「コロナ感染者」は少し減ってきていたとは言え、まだまだ「コロナ」は続いていた時期です。やはりみんな今までのストレスが溜まっていたからでしょうか、開放感に溢れているような感じで、大人も子供たちもキャーキャー騒いで楽しんでいました。

しかも、みんな水浴びする目的で来ていますので当然ですが、マスクなどしている人はいません。みんな外していました。(「テト」明けは大丈夫だろうか。コロナがまた広がらないだろうか・・・)と心配にはなりました。(3月初旬からの「コロナ感染者」の数を見ていますと、やはりその予感は不幸にも当たりました)。

今年の「テト休み」は、ベトナム政府の通達では2月6日で終わりでしたが、まだ公立の「学校」は始まっていませんでした。それで、女房の妹から「うちの家族は2月7日・8日の一泊二日でTay Ninh(タイニン)省まで車で行くけど、みんなで一緒に行かない?」と言う誘いが有りました。

それを聞いた私と女房は「わぁー、それは嬉しい。行くよ、行きますよ!」と快諾しました。今年の『テト』では、上記の市内の公園に出かけただけなので、このTay Ninh省への旅が唯一の「観光」になりました。そして、今までそこに泊まったことも無かったのです。今回初めて一夜をそこで過ごしました。

実は、私が日本語を教えていた生徒たちの「故郷」がTay Ninh省にある生徒たちも多いのです。私は最初の授業では生徒に「自己紹介」をしてもらいますが、「名前」と「故郷」を訊いた後、彼らが自分の故郷をクラスのみんなや私に紹介する時に
「Tay Ninh省にはBa Den(バーデン)山という有名な山が有ります。Ba Den山は大変美しいですよ。みなさんもぜひ一度来てみてください!」
と、話してくれたことが何回もありました。それを聞いた私は「そうですか」とは答えていました。Tay Ninh省は今までカンボジアへの旅に行く途中で、そこを通過したことはありましたが、今までそこを「観光」で訪問する機会はありませんでした。

それで、今回が初めての「Tay Ninh省での宿泊」と「Ba Den山への登山」になりました。
そして、そのTay Ninh省で初めて過ごした夜には、思わぬ《ハプニング》も起きた「Tay Ninh省への旅」にもなりました。

●Tay Ninh省を目指して●

2月8日の午前11時にサイゴン市内の4区を車で出発。全員で8人が一台の車に乗り込
みました。私の方の家族が3人。女房の妹の家族が4人と、女房の母親の総勢8人です。実は、前日には「朝9時には家を出るよ」と聞いていたのですが、女房の妹の二人の子供たちも一緒に連れて行くので、どうしても準備に手間取り、予定よりもえらく遅れました。
二人の子とは小学校2年の女の子と、保育園に通っている、まだ5歳の男の子です。

運転手は女房の妹の旦那で、名前はHung(フン)くん。まだ40歳を超えたばかりです。彼はベトナムの新聞社に勤めているので、ベトナム各地に行き、海外にも行ったことが数多くあります。Tay Ninh省へも何回も行ったことがあるそうで、昨年も訪問したと言います。ベトナム各地の有名な「観光地」にも詳しいので、道中の移動も彼に任せておけば安心です。

彼の車は普通車なので、大人であれば本来は「四人乗り」ですが、私の家族と母親の四人が後ろの席に座り、前の助手席には女房の妹が男の子を膝の上に乗せ、横の肘掛けの上にその女の子が我々のほうを見る姿勢で腰かけています。一泊二日での車での移動中は車内ではずっとこのやり方でした。(交通警察に見つからないかな…)と、私などは道中心配でしたが、結局最後まで何事も無く過ぎました。

Tay Ninh省へは片道2時間ほどで到着します。久しぶりの車での移動なので、やはり気分も明るくなりました。「コロナ禍」が続いている時は、遠出することは無く、サイゴン市内をバイクで移動するだけでしたので、車の外に見える沿道の景色を懐かしく思い出していました。車内では二人の子供たちとの会話も弾んで、席は窮屈でしたが、旅の間全然退屈しませんでした。

そして、ちょうどお昼12時にCu Chi(クチ)郡のレストランに到着。名前はXuan Dao(スアン ダオ)。Cu Chi郡は牛肉が名物なのですが、Hungくんはその店をよく知っているらしく、迷いもせずにそこに着きました。店の看板にも「牛肉」の文字が掲げてあります。店内はすでに多くのお客さんたちで混んでいました。

Xuan Dao(スアン ダオ)

メニューもすべてHungくん任せで、料理が来るまで、我々はずっとお茶を飲んでいるだけです。そして、出てきた「牛肉料理」は「焼いた牛肉」と「炒めた牛肉」です。やはり、Cu Chiの名物だけあって、肉も大変柔らかく、美味しいものでした。二人の子供たちも喜んでパクパク食べています。やはり、子供たちと一緒の食事は、二人が食べている様子を 見ているだけでも、気分的に楽しいものです。

午後1時過ぎにレストランを出て、ちょうど3時にTay Ninh市内のホテルに到着。名前は「Hotel Victory」。私たちが泊まった部屋は5階に有り、二部屋で隣同士でした。私達3人が一部屋。Hungくんたちの家族とその母親が一部屋です。5階の部屋のカーテンを開けると、なだらかな形をした山容の「Ba Den山」が見えました。見た感じでは、さほど高いような山ではありません。

車での移動で疲れたこともあり、ホテルでシャワーを浴びて一休み。夕方5時前に、私
たちが寝ている部屋のドアを叩く音が。私の娘が先に起きてドアを開けると、そこには元気な二人子供たちが立ち、「今から外に遊びに行くよー。早く準備して!」と叫んでいました。やはり、大人たちとは違い、遊びに行く時には子供たちは大変元気です。

最初に、5時過ぎに「カオダイ教」の総本山を見学に行くことにしました。Tay Ninh市内には「カオダイ教」の総本山が有ります。私自身はベトナムに来た当初、ツアー会社のSinhCaféのバスでそこを観光旅行した思い出があります。その時は、「カオダイ教」がどんな宗教で、何故そのTay Ninh省に「総本山」が有るのかは知りませんでしたが、今回のTay Ninh省訪問の前に「カオダイ教」について調べてみました。すると、Wikipediaにはその説明が載っていますが、少し読み難いので、私のほうで以下のように分かりやすく編集し直しました。

『カオダイ教は、ベトナムの新宗教。1926年、Pham Cong Tac(ファム・コン・タック)とLe Van Trung(レー・ヴァン・チュン)によって唱えられた。五教(儒教、道教、仏教、キリスト教、イスラム教)の教えを土台にしたことから、カオダイ=高台と名付けられた。

「カオダイ教総本山」
Wikipediaより

ホーチミン市から北西約100kmのタイニン省に総本山がある。信徒数は約100万から300万と言われ、タイニン省の人口の7割あるいは3分の2がカオダイ教の信者だと言われる。

カオダイとはベトナム道教の最高神玉皇上帝のことであり、総本山教会堂の祭壇中央に信者を見下ろすように設置されている目玉は、カオダイの神の目である。これは天眼と呼ばれ「宇宙の原理」「宇宙の至上神」の象徴とする。

この目玉はカオダイ教のシンボルマークでもある。総本山の建物は南国的かつ色彩的な外観であり、内部には色とりどりのネオンが取り囲み、祭壇は派手でけばけばしい』                        ==Wikipedia==

その「カオダイ教の総本山」の建物の前に車を停めました。辺り一帯は広い公園になっていて、多くの家族連れでにぎやかでした。「総本山」の入り口にはゲートが有ります。その門の入り口に居た守衛さんにHungくんが「今から家族たちでお寺の中を見学したいのですが」と申し出ると、やはり今も続く「コロナ」のせいで、多くの人たちが観光することはまだ許されていないとのことで、今回内部を見学することは出来ませんでした。

虎の置物に乗って遊ぶ子供たち

仕方がないので、またみんなで車に乗って、Tay Ninh市内にある公園に遊びに行くことにしました。Tay Ninh市内には幾つもの公園や広場があり、多くの子供たちや大人がそこで楽しみ、遊んでいました。道路の歩道上に水牛や犬や猿や虎などの動物の大きい置物が有り、それに跨ってキャーキャー喜んでいました。

さらにまた、別の公園に行くことにして車を走らせました。夕方6時半頃に車が着いた所は広い芝生がある公園でした。入場料などは要りません。車はその公園の外の道路上に停めました。すでに多くの大人や子供たちが芝生の上を走り回って遊んでいました。食べ物などを売っている店も有ります。

公園の中心部には5mほどの高さの円錐形状の小山があり、階段が有るので、子供たちはそこを登ったり、降りたりして遊んでいます。公園内にはバイクは侵入禁止なので、大人たちも安心して遊ばせています。私が嬉しかったのは、Tay Ninh市の空気が大変澄んでいたことでした。清々しい空気が少ないサイゴンに住んでいる私には、それがよく分かりました。二月ですので、暑くもなく、寒くもなく、快適でした。

その後、7時過ぎに夕食に行くことにしました。夕食の場所もHungくんに任せました。7時半に車が着いた所は「焼肉の店」でした。そこは多くのお客がすでに居て、店の外までモウモウたる煙が流れていて、外からは店内が霞んで見えました。こういう店が「美味い店」なのでしょう。先ほどまで過ごしていた公園の清々しい空気から一転して、辺りが霞んだ煙に包まれた状態に変わりましたが、まあこれもまた面白かったです。

私たちの席は店の真ん中ほどの場所に案内されました。当然、前後左右からもモウモウたる焼肉の煙が流れてきます。扇風機を回していますので、私たちのテーブルの上で焼いた煙も、当然隣の席のほうに流れてゆくわけです。お互い様ですから「こっちに煙を流すな!」と文句を言う人は居ません。しかし、ここを出た後は、服も体も煙臭くなっていることでしょう。そこで食べた焼き肉は「牛肉」がメインでしたが、ここのもまた柔らかくて、大変美味しいものでした。二人の子供たちも気に入ったようで、パクパクと次々に食べていました。

この時、店は多くのお客さんたちで混んでいたので、店員さんも忙しそうにしていました。
私はノドが大変乾いてきました。それで、店員さんを席に呼ぶことはせずに、自分でビールを取りに行くことに。飲み物が入っている冷蔵庫からタイガービールを取り出し、そこに居た店員さんに「これを貰うよ!」とジェスチャーで示しました。店員さんもコクリと頷きました。しかし、ビールを飲むのは私だけです。みんなはジュースかお茶を飲んでいます。Hungくんも車の運転があるので、ビールはダメです。

ちょうど9時にそこでの食事は終わりましたが、そのままホテルに帰って寝るにはまだ少し早いので、また車に乗って、そのまま「喫茶店」に行くことに。その「喫茶店」でまさかのハプニングが起きたのでした。その「喫茶店」もHungくんの馴染みの店のようでした。室内と店の外にテーブル席が有りました。外のテーブル席のほうが広々としていて、多くのお客さんたちが座っています。

私たちも外のテーブル席のほうが涼しそうでもあり、そこに座りました。そして、そこでは道路側に近い場所にドラムやギターなどの楽器を持った人たちがいて演奏していました。小さい台の上では有名な人なのか、素人なのか知りませんが、一人の女性が歌を歌っていました。その女性が歌い終わると、また別の男性が歌い始めました。「喫茶店」にしては粋な演出と言うべきです。サイゴンでは室内ではまだしも、屋外でのこういう演出は見たことがありません。

みんなは飲み物だけを頼んで、その演奏を聴きながらしばらく休んでいました。するとしばらくして、私のほうに一人の若い男性がツカツカと近寄って来て、私にこう話しかけてきたのでした。   

           「先生、おひさしぶりです!!」 

突然のことで私も驚きました。その顔をよく見ると確かに見覚えが有ります。彼が私にこう話しました。「今2階席に友人といまして、下のほうを何気なく見ていましたら、(どこかで見たような人だなぁ…)という気がしたので、良く見るとやはり先生ではないですか!もー、大変驚きました!!」と、そう言うではないですか。それを聞いて、私自身が大いに驚きました。

彼の名前はKhoa(コア)くん。「今から6年前に先生に教えてもらいましたよ!」と言って、その当時彼が自分で撮った私の写真も見せてくれました。確かに、その写真に私も見覚えがありました。しかし、あまりに意外なことで、しばらく私はポカーンとしていました。
Hungくんも私の女房も私達二人の関係が分かり、大いに驚いた様子で、彼にいろいろ質問していました。

私が「日本語」を教えてきた生徒たちの中で、Tay Ninh省には多くの教え子がいましたが、今まではそこを通過するだけでした。さらに、この日私がTay Ninh省に旅行に行くことは家族以外誰も知らないし、誰にも教えてもいません。況や、教え子たちが知るはずもありません。それが、今年初めてここに泊まり、市内にあるこの喫茶店にたまたま入り、そこで教え子に《再会》出来るとは「何たる偶然、何たる幸運!!」と言うべきでしょうか。

Khoaくんとの《偶然の再会》

私たちが話していた時も、前のほうでは歌手が歌っていました。それで(そうだ、今から二人で‟サライ”を歌おう!)とふと思い、Khoaくんに話すと「‟サライ”ですか…。ボクはもう忘れてしまいました」と言うので、それは諦めました。彼に「今どんな仕事をしているの」と訊きましたら、「銀行に勤めています」と答えました。

その後、彼が私を誘い「あちらのほうで、二人で写真を撮りましょう」と誘うので、そちらに行きました。別れ際に私は「仕事も頑張ってね。ご両親にもよろしく!」とKhoaくんに挨拶して、そこで別れました。彼もニコッと頷きました。友人と二人で去ってゆく彼の背中を、しばらくじっと見つめていました。

そして10時過ぎにホテルに到着。今日の車での移動で、女房と娘たちはさすがに疲れたらしく、シャワーを浴びた後は二人ともスヤスヤと寝ました。私も少し疲れてはいましたが、ホテルに帰っても《Khoaくんとの再会》の印象があまりに強く、この日のことを回想していました。寝床に就いても、この日の夜は嬉しい余韻が続いていました。たぶんカオダイ教の神さまが今日の《再会》を私にプレゼントして頂いたのでしょう。

Ba Den山に登る●

この日はBa Den山に登る予定で、朝6時半に起床。ホテルの部屋のカーテンを開けると、左手にそのBa Den山がはっきり見えました。山水画でよく見るような峩々たる山ではなく、なだらかな山容をしています。Tay Ninh省を故郷とする生徒たちに「そこは何が有名なの?」と訊くと、みんな決まったように言う答えが「Ba Den山です!」なのでした。

ホテルの窓から見えた「Ba Den山」

7時にホテルを出ましたが、(Ba Den山の頂上に着いたら寒いかも?)とみんなが言うので、長袖も準備しました。朝食はホテル近くの店で「フ―ティウ」を食べ、7時40分にそこを出て、8時にBa Den山の麓の駐車場に到着。すでにこの時間帯には、駐車場に多くの車が停めてありました。

その駐車場からBa Den山がはっきりと見えます。Ba Den山の高さは情報誌によってマチマチで、「986m」だったり、「964m」だったりします。その差は20mほども違いますが、公式には「986m」が正しいです。実際に、ベトナム語で書かれた「標識」の写真も見ました。私達のような観光客は、まあ覚えやすく、「1000m弱」だと覚えておけばいいでしょう。サイゴン市内から、そのBa Den山までは約100kmです。

そのBa Den山に登るには、以前はみんな「徒歩」で登っていたわけです。後日談になりますが、あの「日本語会話クラブ」のリーダーのTan(タン)くんが、私がBa Den山に登ったことを知り、「以前私は歩いて頂上まで登り、頂上で一泊しましたよ」と言いました。それは、2020年以前のことのようでした。

しかし、今は「ロープウェイ」が出来ているので、みんなはそれを利用しています。「登山目的」で歩いている人も見かけましたが少数です。「ロープウェイ」は2020年1月18日から運行したそうです。この時は知りませんでしたが、後で調べると、『ベトナム情報誌:VIETJO』にそのことが載っていました。以下です。

☆バーデン山観光区でロープウェイ運行開始、世界最大の乗り場でギネス記録☆

2020/01/22 配信 

『観光不動産開発のサングループ(Sungroup)は18日、東南部地方タイニン省にあるバーデン山観光区の「サンワールド・バーデンマウンテン(Sun World Ba Den Mountain)」案件に含まれるロープウェイの運行を開始した。同ロープウェイの「バーデン山麓駅」は同日、ギネスワールドレコーズ(Guiness World Record)により、世界最大のロープウェイ乗り場として認定された。

これは「バン・ソン(Van Son)」と「ハン寺(Chua Hang)」と名付けられたロープウェイ2路線から成るもので、世界をリードするロープウェイ建設企業であるドッペルマイアー(Doppelmayr)によって設計された。第1期の投資総額は2兆VND(約96億円)超。 このうち「バン・ソン」は全長1847m、同省のバーデン山の麓と頂上を約8分で結ぶ。出発点から到着点までの距離は886m。輸送能力は毎時4400人。113台あるキャビン1台の定員は10人。

駐車場から眺めた「Ba Den山」

一方の「ハン寺」は全長1210m、バーデン山の麓とバーデン寺を約5分で結ぶ。出発点から到着点までの距離は259m。輸送能力は毎時4400人。78台あるキャビン1台の定員は10人となっている。始発駅にあたる「バーデン山麓駅」は標高42mに位置し、面積は約1万1000平方メートル。波打つような独特のデザインの屋根が特徴』

私たちが「バーデン山麓駅」に着くと、入り口には「ロープウェイ」の値段が表示された看板が立てかけてあります。それを見ると「大人25万ドン」となっていますが、Hungくんはここの担当者とも知り合いのようで「割引してくれたよ!」とニコッとしていました。

「ロープウェイ」の切符売り場

さらに、上記にも「1台の店員は10名」となっていますが、私達の家族8名全員を1台の「ロープウェイ」に乗せるようにも計らってくれました。

最初に乗った「ロープウェイ」からは、前方にも後方にも、次々と移動している「ロープウェイ」が見え、遠くのほうにはTay Ninh市内が望めます。子供たち二人もガラス窓の下に流れる景色を興味深く見つめています。上から降りてきてすれ違う「ロープウェイ」の中のお客さんに手を振ると、向こうも同じように手を振って挨拶してくれました。

そして、「ロープウェイ」に乗ってやはり5分ほどで、山の中腹にあるお寺に着きました。お寺の門の上には「霊山仙石寺」と言う文字が記してありました。「ロープウェイ」を出ると、寒くもなく、暑くもなく、快適でした。そこは多くの観光客で込み合っていました。観光客に自由に線香を手向けてもらえるように、お寺の入り口には線香が準備してありましたので、私たちもそれを拝借しました。

ここにあるお寺は仏教のお寺だそうで、カオダイ教の寺院ではありません。山の中腹に立つと、水平線の向こうまでずーっと緑の平地が続いています。所々に点々として小さい粒のような建物も見えますが、眼下に広がる視界にはずーっと田園風景が続いています。そういう場所の中に、このBa Den山がポツンと聳えているので、地元の人たちの<山岳信仰>の対象になったのだろうな…と想像できます。

この中腹には大小幾つものお寺が建てられていて、それらを歩いて回りました。ベトナムの人たちはこういうお寺にも頭をこすり付けて「仏様」を拝んでいる人たちもいます。私はそこまではしませんでしたが、両手を合わせて静かに拝みました。昨年も日本に「帰国」が出来ないままでしたが、実はその昨年の9月に私の母が天国に旅立ちましたので、手を合わせながら、母を偲びながら「母の霊よ、安かれ」と…。

山の中腹の「仙石寺」の訪問を終えた後、また「バーデン山麓駅」に戻り、次は山頂にある「ヴァン・ソン寺(Chua Van Son)」に登ることにしました。「Van Son 」とは漢越語で、「Van=雲」「Son=山」と言う意味です。漢字で書けば「雲山」となり、山の頂上に「雲山寺」という仏教寺院があるとのことでした。

さらに、Hungくんの話では「頂上に着けば、昨年は建立中で、まだ完成していなかった大きな《観音様》が見られるよ」と言うのでした。よく聞けば、彼は昨年も家族と一緒にこのBa Den山に来ていたのでした。道理で辺りの地理にも詳しく、ここの係員とも顔見知りだったわけです。私の家族は初めてここを訪問しましたので、彼が頼もしいガイドのようになりました。

Ba Den山の頂上へ行くのも、当然また「ロープウェイ」です。「ロープウェイ」と言えば、2018年10月に「中国への旅」《天門山》に登った時も「ロープウェイ」を利用しました。《天門山》の「ロープウェイ」の長さは、何と7500mもありました。《天門山》の「ロープウェイ」が高さもはるかに高かったです。「ロープウェイ」自体は、《天門山》もBa Den山も、騒音も無く、室内も清潔で、大変快適でした。

「ロープウェイ」から見た景色

9時45分に家族みんなで「ロープウェイ」に乗り、私の時計では約10分で頂上に着きました。そして、大きな、高い《観音様》が眼の前に立っておられました。その足元には大きくて、広い、お皿のような形の【台座】が置かれ、その上に《観音様》がおられます。身には紺青色の地味な衣装をまとった、実に美しい姿です。全然ケバケバしい雰囲気はありません。そこにいた多くの人たちが、《観音様》の前で両手を合わせて拝んでいました。

そこもまた多くの観光客で賑わっていました。みんながマスクを付けています。《観音様》の足元には階段があり、みんなはそこを歩いて、頂上の観音様の近くまで進んでゆきます。台座のお皿の一番上にある広場に着くと、頂上からは景色がはっきり見えました。この日は快晴で、ずーっと地平線の先のほうまで見えました。山の頂上を流れる風が柔らかく、涼しいものでした。

 山頂に立つ「観音様」

広場になっている所には木製のベンチが置いてあり、みんなが休憩しています。私たちもそこに座って一休み。すると、隣にある建物の中で「映画」が上映されるとのことで、観光客が次々と入ってゆきます。私たちもそうしました。中に入ると館内は真っ暗でした。しばらくすると、電気が消えて真っ暗になりました。

すると、天井全体がスクリーンになり、そこに映画が上映されました。映画の内容は宇宙の創造から仏さまの誕生までを簡単に描いたストーリーでした。10分足らずの短い映画でしたが、子供たちにはあまり面白い映画ではなかったようです。アニメ風の映画であれば、興味深く観ていたでしょうが。

そこを出て、《観音様》の周りに広がる、キレイな公園の場所でしばらく寛ぐことにしました。そこにはたくさんの木が植えてあり、色とりどりの花が咲いています。空には青空が広がり、その足元には赤・青・黄・白・ピンク色の花々が咲き乱れ、その中に《観音様》が静かに立っておられます。建物の中で見る《観音様》よりも、こういう雰囲気の中で仰ぎ見る《観音様》は実に神々しく、優美に見えます。私自身も自然と手を合わせて、その《観音様》を拝んでいました。

最初からBa Den山の頂上に立つ《観音様》を拝む目的で来たわけではありませんでしたが、今振り返ると、そこが今回の旅の「終着点」だったような気がしてきました。ここに立つ《観音様》を拝んでいた人たちの中にも、たぶん私と同じように「両親」や「親族」や「友人」を亡くした人がいたことでしょう。その時の悲しみを抱えたまま、ここに立つ《観音様》を眼の前にした時、こころ癒されたのではないでしょうか。

Ba Den山の頂上での観光を終え、11時を過ぎた頃、また「ロープウェイ」に乗って、「バーデン山麓駅」まで下りました。私の時計では、下りも10分弱で着きました。また車に乗って、そのままホテルに行きました。大きな荷物はまだそこに置いているし、真昼にホテルを出ると暑いので、ホテルで少し休むためです。

ホテルで少し休んで、2時ちょうどにホテルを出発。そのままサイゴンに向かうのかと思いきや、Hungくんは車をキレイな遊園地の前に停めました。遊園地の名前は「Long Dien Son(ロン・ディエン・ソン)」。園内には広い池や小川が有りました。Hungくんは子供たちにしばらく自由に遊んでもらうためにそこに行ったようです。確かに、子供たちがその小川で水遊び出来るような滑り台も有りましたが、この時には誰も遊んではいませんでした。

遊園地での家族全員の
記念写真

園内にはレストランのような施設も有りましたが、誰もいません。そもそも店員もいないのです。私たちは休むだけでいいので、そこでしばらく休憩。そこの椅子に座って、ふと左側を見ると、先ほどまで私達が訪れていたBa Den山が遠くに見えました。遠くに見えたBa Den山をあらためて見つめていますと、教え子たちが「バーデン山は大変美しいですよ!」と言ったことに「本当にそうだったよ!」と返事したい気持ちになりました。

Ba Den山の自然を出来るだけそのまま残しながら、お寺や《観音様》を建立し、観光客に来てもらう、そういう「構想」で造られたような気がします。観光地の中には「一度行けばもういいよ」という所も有りますが、Ba Den山はリピーターも多いと思います。そして、「Long Dien Son」でのしばしの休憩を終え、夕方4時前にそこを出て、サイゴンに向かいました。車の中から遠くに見えるBa Den山に別れを告げました。

“Ba Den山よ、さようなら!!”

遊園地から見えた
「Ba Den 山」

途中、Hungくんが「知人と仕事の話がある」と言うので、喫茶店に一度立ち寄りました。それが終わってサイゴン市内に入り、12区に有るHungくんの弟くんの家に寄り、そこで晩御飯をご馳走になりました。そこを出て、最終的に4区に着いたのは夜の8時を過ぎていました。

こうして、今年最後の「テト休み」が終わりました。私自身は、今年観光としては初めて訪問したTay Ninh省とBa Den山バーデン山でした。最初に記したように、私の教え子たちの故郷がTay Ninh省にある生徒も多く、彼らが自分の故郷を紹介する時に「バーデン山は大変美しいですよ!」と言っていましたが、事実その通りでした。さらには、教え子の一人とも約6年ぶりに巡り合い、<偶然の再会>が出来ました。大変いい【思い出】が出来た<Tay Ninh省への旅>になりました。

ベトナムBAOニュース

ハノイ:「オレンジゾーン」急増、多くの学校が完全オンライン授業に

ハノイ市人民委員会が6日に発表した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の村・街区・町レベルの感染流行状況レベルに関する通知第169号/TB-UBNDによると、326行政区が「レベル3(高リスク=オレンジゾーン)」となっており、前週に比べて4倍以上に増加した。
一方、「レベル1(低リスク=グリーンゾーン)」と「レベル2(中リスク=イエローゾーン)」の行政区は前週に比べて大幅に減少した。

これにより、新たにオレンジゾーンに引き上げられた行政区内の教育施設300校近くが、7日から完全オンライン授業となっている。「レベル4(超高リスク=レッドゾーン)」の行政区でも同様の措置を取る。なお、グリーンゾーンとイエローゾーンの行政区は、対面授業を継続する。

 <VIETJO>

解説

今年の「テト」の時遊びに行った「Dam Sen公園」では、多くの人たちみんながマスクなどは無しで遊んでいましたので、(「テト」明けは大丈夫だろうか。コロナがまた広がらないだろうか・・・)と危惧したことを書きましたが、最近のベトナムでの「コロナ感染者数」の増大は、残念ながら怖れていたような状況になっています。

3月初旬のサイゴンは「感染者数」が連日3千人を超えた日もありました。ハノイの「感染者数」はさらに多く、3月2週目には一日3万人台を超えました。それが、この<VIETJO>の記事内容に繋がるわけです。しかし、実はちょうど一カ月前には、同じVIETJO>の記事になりますが、以下のような内容が載っています。

<複数の省・市でテト明け7日に学校再開、一部はオンライン授業継続>

2022/02/08 配信

ホーチミン市では、中学2年生(日本の中学1年生に相当)から高校3年生までが7日から登校を再開した。該当の学年は、テト前に数か月ぶりに対面授業を再開した。園児と小学1年生から中学1年生(日本の小学6年生に相当)までの対象者については、教育施設は保護者から承諾を得た上で対面授業を再開することが可能となっている。

南中部沿岸地方ダナン市でも、中学2年生から高校3年生までが同じく7日から登校を再開した。ハノイ市では、中学2年生から高校3年生までが8日から、郡・町の学校の小学1年生から中学1年生までが10日から登校をそれぞれ再開する。なお、区の学校の小学1年生から中学1年生は、新たな通知が出るまでオンライン授業を継続する』

つまり、ハノイでは「テト」後わずか一カ月でまた「多くの学校がオンライン授業」に戻ってしまったわけです。サイゴンではまだそこまでの状況にはなっていません。しかし、実に身近な一例で、同じように「オンライン授業」になった小学生が現れました。今月号に載せた、私の甥っ子の「小学2年生の女の子」です。

2月の「テト」が終わり、サイゴン市内の学校が「登校再開」したのは「2月14日」からでした。彼女は低学年でもあり、「コロナ」による長い「休校」が続いていた時は、「家で遊べる楽しさ」「友達に会えない寂しさ」が半分ずつのような表情だったとはHungくんの話です。「休校」の時には、家の前の路地で毎日三輪の自転車を漕いで遊んでいました。
でも、学校が「再開」したら、やはり友達との「再会」が楽しそうな様子でした。

それが、3月二週目の月曜日に、私の女房が家の中にいる彼女を見ました。「あれ、学校は?」と訊くと、何と彼女の返事は「担任の女の先生がコロナになったので、治るまでお休みよ」と言うものでした。先生が「コロナ」に罹ってしまったら、クラスの生徒たちに感染する危険性が高いので、「休校」もやむを得ないでしょう。「二週間ぐらい先生は休んで様子をみる」とのことでした。それで、彼女は今「オンライン」で授業を受けています。

実は、このような事態「学校が始まると、先生や生徒がコロナに罹る怖れ」については、私自身も大変心配していました。昨年の1月末に、サイゴン市内の4区にある「Vinh Son Vinh Hoi小学校」を訪問しました。我が社・ティエラから依頼された、ティエラで学んでいる生徒たちの善意の寄付金「がんばりポイント」を「テト」休みが明けてから学校に届けるためです。

今年も同じような依頼が有りました。それで、そのことの是非について、あのSaint Vin Son小学校の責任者であられた藤牧さんとも相談しました。結論は「今年はまだ訪問しないほうがいいでしょう」となりました。昨年私がそこを訪問した時には、藤牧さんも奥さんのOanh先生も一緒でした。

今年も同じようにそこを訪問したその後に、生徒さんや先生たちの中から一人でも「コロナ感染者」が出た場合、「あの時、外部から来た日本人たちのせいでは…」と私たちの責任になる可能性もあるし、もしそう思われたら、今後二度と訪問出来なくなるかもしれません。それで、今年の訪問は断念した次第です。

昨年、同じように寄付金を持参した「カンザー森林保局」にも「コロナのために、今年は行けず、来年お伺いします」と伝えました。最近のベトナムは「Withコロナ」に切り替わりつつありますが、学校や仕事や日常生活が「普通」に戻るまでには、まだしばらく時間が掛かることでしょう。


Posted by aozai