【2001年11月】9.11事件/春さんベトナム人の花嫁を娶るの記⑤

春さんのひとりごと

日本もだいぶ涼しくなってきたことでしょうね。(だいぶ寒くなってきました。)

アメリカのテロのニュースには本当に驚かされましたね。こちらのベトナム人も大いに驚いていますが・・・。寄ると、さわると「オサマ・ビラデン、オサマ・ビラデン」とベトナム語で喋っています。

この先この後の展開はどこへ収束するのか、さっぱり分りませんね。人類が今まで繰り返してきた愚かしい戦争の歴史から学んだ貴重な叡智で、平和な方向へ解決出来るのか。世界人類の平和を願って創られた国連がその役割を果たすのか。それともまた相も変わらず、一時の怒りの国民感情のオモムクままに戦争に走る愚を繰り返すのか、どうも良く分りませんが。今の流れを見ていると、国連もその役割を果たさず、世界のリーダーも、歴史から何も学ばない方向へ世論は流れそうですね。

日本も自衛隊が海外に堂々と出て行く大義名分が出来たようで、あまり国内では反対も無いようですね。こういう時こそ日本は世界の中で、60年近く戦争に関わっていない国として、平和の大切さをアメリカに向けて発言すべきなのでしょうがそれもないようですね。いかに今まで進歩的文化人たちが唱えてきた、戦後の日本の平和主義が紙切れ一枚より、中身の薄いものであったかこれではっきりしてきましたね。

私がふだん行く路上のカフェー屋の60過ぎのおばチャンが今度の事件についてこう言っていました。「アメリカ人というのは可哀想だね~」と。テロで死んだ人達のことを言っているのかと思うとそうではなく、「またアメリカ人は戦争を始めて、若い人たちが死なないといけないんだね」。聞けば彼女の兄弟もベトナム戦争ではやはり何人かが死んだそうです。

「今もアメリカ人に対しては、憎い感情を持っているの?」と聞くと、「戦争の時は誰だって敵が来れば憎いさ。でも戦争が終われば、戦争を始めたのは国同士だというのは良く分るから、一人一人のアメリカ人に憎しみなんか無いよ。それにいつまでも憎んでいたら自分が不幸になるだけさ・・・・」と。「何と言っても、貧しくても戦争が無いのが一番さ。考えてもごらん、今朝まで居た親や兄弟が戦争で亡くなり、夜にはいなくなった時のことを。貧しいというのは不幸ではないよ。でも戦争は一番の不幸だよ。何より子供が一番不幸な目に合うよ」と。「これはあんただから、こういうことを話すんだがね」と最後に言って去って行きましたが・・。

「貧しくても戦争が無いのが一番。戦争は一番の不幸。子供が一番不幸」・・・この言葉がしばらく忘れられない。「世界一豊かでも、戦争に行かないといけない国・アメリカ」「世界でも貧しい国にして、さらに戦争をしないといけない国・アフガニスタン」どちらも不幸な国なんでしょうね。

自分の国が戦場になれば、そこで一番苦しむであろう子供たち。黒柳徹子さんの心配も分ろうというものです。おそらく黒柳さんは、今も眠れない毎日を過ごしているでしょうね。戦争が始ればまた眠れなくなる人が多くなることでしょう。

私も飛行機に乗って日本に帰る時、いつハイジャックに遭うか、いつ撃ち落されるかと思うと眠れなくなりそうです。たとえ今回戦争が始っても、その時までには終わってくれていればいいのですが・・・・・。恐らく無理でしょうね。長引くかもしれませんね。来年の春、満開の桜を2人で見るというのは夢で終わるかもしれません。戦争という側から見ると、花見が出来るということ自体が実は大変なことだというのが良く分ります。

戦争が終わっていないと、私もこのままずっと帰れなくなりそうで心配ですが・・・ (10月5日記)

春さんベトナム人の花嫁を娶るの記⑤

3月15日

公証役場に頼んでおいた、ベトナム語訳の書類を取りに行く。1階付近は相変わらず混雑している。2階に上がる。出来あがった書類は6枚ある。出生証明が2枚と結婚資格証明が4枚。

3月20日

結婚式の案内状を作りに行く。こういう時にベトナムでは同じような店が通りに固まっていて、一つの通りを何軒か訪ねて行けば内容・値段の点で納得いく店に行きつく。我々も4軒ほど訪ねて「ここに頼もうか」という店で案内状を頼んだ。色や形は様々だが、色は大きく3種類に分かれるという。

  • 紙の色がアズキ色はベトナムに住む中国人(華僑)
  • 紙の色がクリーム色はそれ以外の外国人
  • 紙の色がピンク色がベトナム人

我々は一応ピンク色を頼んだ。案内状の中の時間帯をベトナム人と日本人は違えて印刷してもらう様にした。正式には6時が式の始まりだが、日本人向けには時間どうりの案内状を40部、ベトナム人向けには1時間遅れで来ると想定して5時からのを120部頼む。一枚が2,500ドンで全部で160部で400,000ドン。

3月21日

午後1時からベトナムの政府が指定した病院へ検査に行く。普通の病院に行き同じような検査を受け、「異常有りませんでした」と書類を持って行っても正式な書類としては受け付けない。ベトナム人同志が結婚する場合は、病院に行って検査など必要は無いが、外国人とベトナム人が結婚する場合はエイズが有るか無いかの検査を受けないといけない。

2人で行った所は3区のDa Lieu(ヤー リユゥ)という病院。この日に受け付けに行き並んで待つと、人が多くて何時に終わるか分からないので、事前に前の日に知り合いの人に番号を予約しておいてもらう。その番号札を持って当日2人で出かける。1時に着くが20畳ほどの広さの所にはもう既に人が満杯で待っている。見ると外国人の99%が台湾人であるらしい。それもどうみても釣り合いの取れない年齢の2人のペアのカツプルが多い(他人から見ると私もそう見えるのかも知れないが、私以上に)。

聞くところによると毎日こういう状態で台湾人の男とベトナム人の女性のカツプルが押しかけて来るという。台湾人は集団でやって来て、金にものを言わせてベトナムから若い女性を奥さんにして台湾に連れて帰るのだという。どれだけの人達が幸せな結婚をしているかは分からないが。そしてその2人を世話するブローカーらしき人達がそのそばで、並ぶ順番とか提出書類などをいろいろ面倒を見ている。我々もそこの受け付けに私のパスポートと彼女のIDカード、そして提出書類、3×4の写真を8枚付けて提出して待つ。

受け付けの前には、いつ呼ばれるか分からない状態でみんな押し合い、へし合いしながら待っている。みんなその順番が来ないと呼ばれないはずなのに、どういう神経なのか受け付けの前にコの字形に置いてあるベンチで待っている人達(受け付けの人に呼ばれた人たちが優先的にここに座る)の後ろにズラリと同じ様に並んでいる。ただでさえ込み合う受け付けの前が、その為にその席に座らないといけない人たちもスンナリと通れない状態である。その状態を見ていてもその部屋に居る関係者は注意などはしない。いつもこのような状態で見なれているのか、注意してもムダと思っているのか、その理由は良く分からないが。

そうこうして、待つことようやく40分して我々の順番になる。2人で1つの部屋に入るがその部屋には2人の男の医者と1人の看護婦がいた。その部屋の中にはツイタテが1枚あって、そのツイタテの裏ではまた2人の男女が待っている。最初通された時は2人だが、彼女はすぐ書類を持って別の部屋へ行かされる。残った私に最初は中国語(私も台湾人と間違えられたのかも)、それが通じないと英語で質問して来る。その英語も明瞭な英語ではないので理解しかねていると、次にベトナム語で喋って来た。どうやら「ズボンを脱げ」といっているらしい。

怪しげな雰囲気になってきたぞ……春さんどうする?次号をお楽しみに!!

Posted by aozaiVN