【2006年2月】テトが終れば・・・ゴミの山/日本の新しい貧困層
春さんのひとりごと
<テトが終れば・・・ゴミの山>
今年もまたベトナムのテトが終わりました。今年はベトナムでは1月29日がテトにあたりました。このテトが始る一週間前くらいから、ホーチミン市の街中では到るところでイルミネーションや花や植木で飾り付けが始りました。
ホーチミン市内にある公園では、恒例の花市や盆栽市も開かれました。この花市には私も毎年見物に行きます。様々な色の花で公園全体が埋め尽くされて、それはそれは見事な美しさです。そしてみんなはこの花市で、このテトで我が家に飾るための花や植木や盆栽を買い求めるのです。
昨年からは市内のメイン・ストリートを歩行者天国にして、石や砂を外から持ち込んで大々的に庭を作り、花を植えたりして本当に奇麗なものでした。このテトの時にベトナムを訪問してここを訪れた外国人観光客たちにとっては、格好の観光地点になっていました。
花市でみんなが買うのを見ていると、黄色い菊の花や、黄色い花びらを付けるアンズの木や、黄色い実がいっぱい付いたキンカンの木が多いですね。中国でもベトナムでも、新春を迎える花は黄色い色を好むようです。ベトナム北部では赤い梅の花も好まれます。それを大きい枝ごとばっさり切って花瓶に活けます。
そして買い求めた花や植木を、家の前やお客が来る部屋の中に置き、静かな家はそれなりに静かに、また騒々しい家はカラオケなどをガンガン鳴らしながら、それなりに騒々しく新年を家族みんなで祝うのです。
さてテト一日目も終り1月30日くらいになりますと、もう気の早い家は菊の花などをサッサと棄てにかかります。テトが終り三日目くらいになりますと、テト前に買った花や植木は家の前や中から消えてしまいます。
中にはそのままずっと家に置いて育てる盆栽もありますが、ほとんどはテトの時だけに飾るための花や木でしかありません。それら大量の花や木がゴミとして各家庭から道路にそのまま棄てられますので、道路はもの凄いゴミの山になるのは必然の結果です。
テト終了後はおそらくベトナム全土でこのような状況になっていて、多量のゴミが棄てられていることになるのでしょう。このテトの時期に限らず、ベトナムでは普段でも毎日大量のゴミが、市内では道路でも公園でも食堂の中でもポンポン棄てられていますが、テトの時期にはその量が倍加します。このようなゴミは最後にはどこへ消えていくのだろうかと、これらのゴミの山を見るとふっと思います。
以前ベトナムに来た日本からの大学生が「ベトナムの大学生たちと環境問題について話し合いたいのですが・・・」という申し出がありました。その時に私はこう答えました。「今のベトナムの若い世代でも環境問題や環境意識についてはゼロですから、相手にそういう話を持ちかけても向うは目を白黒するだけしょうね」と答えたことがあります。私のその答えに対して、その時は日本の大学生たちが目を白黒していました。
現在の段階でも、ベトナムではすべてのゴミは分別せずにそのまま埋め立て地に棄てます。道路のゴミを集めて大きい清掃車にゴミを投げ入れるか、または小さい道路だと清掃員の人が押す台車にとにかく何でも上から詰め込んで、清掃車にゴミを積み代えて、それをゴミ捨て場に持ち込んで、そのまま埋め立てて終わりです。
ただ全くリサイクルのシステムがないかというと、みんなが棄てたゴミの中から使えそうな瓶類や紙やビニールや鉄クズなどを、ゴミ回収の人が来る前にそれらを拾い出して持ち帰って行きますので、それらがまたいろんな物に再生されていることでしょう。
そういう仕事をしている人たちに、「一日いくらくらいになりますか?」と聞いたことがありました。すると返って来た答えは、「一日約100円から200円くらいにはなる」ということでした。
今ベトナムに限らず、世界各地で環境汚染は空気や水や食品などにおいて、市民生活を脅かすレベルまで来ているようです。中国から来る知人に聞きますと、経済発展著しい中国も現在やはり川の汚染は深刻なものになっているということですが、ホーチミン市内を流れる川やクリークもすでに真っ黒で、到底魚や藻などの生物が住める状態ではありません。バイクでその川の側を通過するだけで、川から発する悪臭が体に吸い付くような感じです。
今経済発展に邁進している国は、かっての日本がそうであったように物の豊かさと引き代えに、環境破壊・環境汚染も同じように後を追って行くことになるんでしょうか。ちょっと一歩立ち止まるということはやはり難しいことなのでしょう。
せめて「ゴミの少ないベトナムのテトであってくれたら・・・」と、最近テトが来るたびに思うことでした。
ベトナムBAOニュース
「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。
■ 今月のニュース 「日本の新しい貧困層」■
“今日本では新しい貧困層が出現している。”これは「カリュウ シャカイ」という本の中に出てくる言葉だが、作家・ミウラ アツシによるこの本が今日本で飛ぶように売れている。
この「新しい貧困層」というのを指す時には、次の3つの特色がある。スナック菓子やファーストフードを食べる、一年で千ドルにも満たない収入しかない、今現在の人生の中で奮闘・努力する目標がない・・・などである。
この本では、今の日本は人口の大部分を占める中流階級と、このような新しい貧困層との間に敏感な「格差の問題」が出て来つつあると述べている。
日本の民主党は、小泉首相の「行政改革」はこのような社会的弱者をなおざりにしたやり方だと批判している。
日本政府の統計によれば、今の若い世代の24%は親のスネカジリで、銀行に貯金もしていないという。最近日本は明らかに経済が回復してきたにもかかわらず、5年前と比べてもこのような層が12%も増えてきているのである。
日本におけるGini係数(収入に関しての不平等を測る一つの目安)では、十年前の0.297%から0.308%に増えている(それだけ格差が開いて来ている)のである。このGini係数の値が0になれば、収入に関してはみなが平等になるということである。
さらにもしGini係数がアメリカと同じように0.4と高くなれば、収入に関しては高度に不平等な状況が見られるといえるのである。
今日本では、約2百~4百万人の“フリーター”がいると言われている。18才から30才のそういう人たちは一日中仕事がない状態だが、そういう人たちは技能が要る仕事から要らない仕事まで、たとえ様々な仕事があってもすぐには飛び付かない。
さらにまたこれに加えて日本には、50万人もの“ニート”と呼ばれる人たちがいる。これは高等教育も受けていなくて、職業訓練の経験もなく、仕事がないので社会に出て行かない「除け者にされた」人たちのことである。
作家・ミウラ アツシは、「奮闘・努力する動機の弱い“カリュウ シャカイ層”の出現は、ここ最近十年間の長引いた経済の不況の後に出て来た結果である」と強調するのである。このような層を助けたいと思うなら、政府は彼等に職業訓練を養成するための機会や場を提供しなければならないと言う。
(解説)
珍しく日本の現状についての記事がこちらの新聞に掲載されましたので、今回はみなさんにもご紹介しました。最近の日本に、果たしてここに書いてあるような貧困層が出現しているのか、いないのか普段日本に住んでいない私には良く分りません。
そういえばベトナムにも良く日本から旅行者がやって来ます。その人たちのほとんどは、日本の会社に勤めていて「休暇を取って来ました」という人が多いです。
しかし中には、「仕事は何ですか?」と聞くと、淡々と「私はフリーターです」と答える人もいます。それを聞くたびに、(日本ではフリーターというのは職業として確立されたのかな?)とおかしく思いましたが、さすがに「私はニートです」という人には出会ったことがありません。
ベトナムには駅やホテルの出口の前で、バイクタクシーやシクロのおじさんたちが、いつ来るか分らないお客を待つために一日中じーっと座り込んでいる人たちがいます。その日の自分の都合や体調次第では、「今日は休むか!」と決めてもどこからも、誰からも文句は出ないような仕事ではあります。
ベトナムに最初来た時には、私はこういう人たちについては(確かに失業者ではないが、このような仕事は果たしてれっきとした仕事といえるんだろうか?)と疑問でしたが、日本からフリーターと呼ばれる人たちと出会うにつれて、彼等の仕事は①毎日勤務する場所が一応決まっている②やるべき仕事の内容も分っているという意味では、「立派な仕事である」と理解出来るようになりました。