【2007年8月】一枚の招待状/危機に瀕している、カンザーのハマグリ養殖地
春さんのひとりごと
<一枚の招待状>
8月初旬、一枚の招待状が私に届きました。招待状の内容は、戦争証跡館で「ベトナム戦争の傷跡」というテーマで写真展を展示することになったというお知らせでした。そしてこの博物館で、写真展の開催を記念して、8月初旬に簡単なパーティーと枯葉剤被災者の子供たちとの交流会も予定しているということでした。
私がこの招待状を頂いた方は、知人のフォトジャーナリスト・村山さんです。彼からもらったその招待状をじっと見ていると、彼との今までのいろんなことが甦り、深い感慨を覚えずにはいられませんでした。
村山さんは1998年、立命館大在学中に報道写真家・石川文洋さんのツアーに参加して、初めてベトナムを訪問しました。実はこのベトナム訪問が、彼のフォトジャーナリストとしてのスタートになりました。
彼はこの時、「写ルンです」のインスタントカメラを2台持って来ただけでした。それ以来、彼はこれまで23回ベトナムを訪れています。
私が彼と初めて会ったのは、今から約6年前の2001年のことでした。
当時私はメコンデルタの洪水被災地・ドンタップ省に日本の大学生のツアーに同行することになりました。この地方は毎年のように洪水が押し寄せて、毎年のように大きい人的・物的被害を出していました。
それでその洪水の様子について事前に知りたいと思い、いろんな資料を調べていました。しかし、それらのほとんどが事後報告の文章や写真が多く、洪水が起きているまさにその時の様子を伝える臨場感ある資料がなかなか見つかりませんでした。
しかし良く考えて見ればそれも当然で、普通は洪水が押し寄せている場所へ行くのも、またそこから移動するのも困難ですから、現地に住んでいる人たちは別にして、わざわざ外国人がそういう中へ入って行くこと自体がまずあり得ないことでした。
しかし何と、その「あり得ないこと」をやっていた日本人がいたのでした。それが村山さんでした。私がいろいろな資料に当たっていた時に、ついに彼のホームページに出会い、彼が写したその臨場感溢れる写真を見た時、(どういうふうにして、こういう写真を撮ったのだろうか)と正直思いました。
そして彼は毎年ベトナムに行くスタディツアーを開催していて、それでこのサイゴンで会うことが出来ました。彼は非常に快活な、バイタリティーのある人でした。私が感心した、あの洪水の時の写真の苦労話もその時に聞きました。
彼と初めて会って以来、彼の毎年のスタディツアーには、カンザーでの植林プログラムも採り入れられることになり、私もその時には同行しました。カンザーに行くたびに、海岸でカンザー名物の貝を食べながら、ビールを飲みながら、夜遅くまで彼等若い大学生たちと何回話したことでしょうか。そしてまたカンザーの安宿に帰っても、村山さんは、深夜遅くまで彼等若者たちと話し込んでいました。
彼からはいろんな話を聞くことが出来ました。人生の師、そして父のような存在として仰ぐ石川文洋さんのこと。その人と成り。今追いかけているベトナムでのテーマ。そして、これから追いかけて行きたいと考えていることなど。
彼が今のベトナムで追い続けているテーマとしては、貧困、洪水被害、エイズ、ゴミ問題、環境汚染などがあります。こういうテーマを写真の対象として撮り続けるのは、今のベトナムでは様々な困難が付きまといます。しかしそれらの多くの困難を、彼は持ち前の突撃精神で突破して来ました。彼のその突撃取材時の体験談を後で聞くと、時にスリル満点であり、時に可笑しくもあり、時にジーンと胸に来るものがありました。
しかし彼にとって、これらのテーマ以上にいま最大のテーマは、ベトナム戦争の後遺症としての「枯れ葉剤被災者」たちのことでした。彼がベトナムでその視点から仕事を続けていくうちに、いろんな友人が出来たそうですが、そういう彼の長年の交友関係の中には、あのべトちゃん・ドクちゃんもいます。昨年の12月にドクちゃんが結婚したときには、彼もその式に招待されました。
そして何度目かのベトナム訪問でのある日、彼はベトナム南部のソクチャン省で一人の少女と出会い、大きな衝撃を受けました。その時の彼女の顔の右半分の肉は大きく腫れて、垂れ下がっていました。聞けば、彼の父は戦争中に枯葉剤を浴びたということでした。
枯葉剤と奇形児の発生の因果関係については、アメリカ政府はその因果関係を今も認めてはいません。しかし彼は目の前にいるその少女を何とかしたいと思い、日本で協力・支援してくれるいろんな団体を探し、動かしていきました。
そして2006年の9月に、ついに彼女を日本に連れて行って第1回目の治療を受けさせることが出来ました。しかしこの1回だけの手術では、彼女の全ての治療を終えることは出来なくて、お医者さんが言うには、あと10回くらいの手術が必要だろうということです。
そういう少女の存在も含めて、彼の中にはこれからも「枯れ葉剤被災者」の今の姿を写真に撮り続け、それを日本に、ベトナムに、そして世界に発信して行かねばという気持ちが強くなったきたのでしょう。3年前から戦争証跡館と交渉して、写真展の展示の許可を粘り強く打診して来ました。そしてその許可が下りたのが、この7月だったのでした。
彼は今まで撮り続けて来た数万枚にも及ぶ写真の中から、40数枚を選び出しました。私も戦争証跡館に行き、その写真を実際に見ました。そして何回見ても、ただ1枚のその写真から大きい衝撃を受けます。ここには世界各地から観光客が訪れますが、私の見ている横でも白人の観光客の団体がジーッと、物も言わずに見つめていました。
彼の経歴紹介の最後に、彼がこの写真展について寄せた言葉の中に、「ベトナム戦争はまだ終わっていないのです」という言葉があります。
この40数枚の中のうち、彼が撮った枯れ葉剤被災者の大人や子供たちの写真は、彼がこの写真展のタイトルに「ベトナム戦争の傷跡」と付けたように、まさしくそのことを如実に物語っていると言えるでしょう。
今、師と仰ぐ石川文洋さんの写真は戦争証跡館に常設展示されています。村山さんの写真展は今回は2週間たらずの短い期間ですが、彼の師・石川さんもさぞ喜ばれていることでしょう。
彼から頂いた招待状にあるパーティーの日時は、8月8日の朝8時からでした。大いなる期待を持って出かけてきたいと思います。
ベトナムBAOニュース
「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。
■ 今月のニュース <危機に瀕している、カンザーのハマグリ養殖地> ■
最近、海に面しているカンザーに旅行に行くことはホーチミン市に住む人たちにとって、大きい楽しみの一つになってきている。カンザーは日帰りででも行ける距離にあるので、日曜日や祭日になると、実際多くの人たちがこのカンザーを訪れている。
カンザーには20kmにも及ぶ海岸線がある。それでここは都会の喧騒や排気ガスから抜け出したい人たちにとっては、海水浴も出来るし、涼しくて快適な観光地になっている。
そしてこのカンザーには、ベトナムの他の観光地や避暑地ではまず見ることが出来ない珍しい生物、ハマグリがある。ベトナムにはハマグリを養殖している場所や海岸はもちろん他にもあるが、カンザーのように観光客がすぐ近づけるような場所にはない。
最近そのハマグリの養殖地に、大量にゴミが出現するようになって来た。これはほとんどが、カンザーを訪れた観光客が棄てたゴミである。この大量のゴミがハマグリの養殖地に流れ着いて、ハマグリの生育に大きい影響が出て来ている。
そしてこのような光景は、カンザーを訪問する観光客にも悪い印象を与えているのである。この地域の観光に関係している人たちは、カンザーでの観光客をもっと増やすために、海水浴場とこのハマグリ養殖地の区域の衛生環境を、もっと良くする努力をし、もっと関心を持たねばならない。
この区域を管理する関係機関の人たちは、ゴミの問題とカンザーの自然や生物の環境をより良いレベルにすることは、カンザーの観光の促進と発展とに強く結び付いているのだという意識を高めないといけない。
(解説)
いやー、カンザーのあのハマグリが「危機に瀕している」とは、思わず寂しくなりました。いつもカンザーに行くたびに、茹でたハマグリを食べるのを楽しみにしている私としては、「早く何らかの手を打ってくれ!」と言いたくなります。
カンザーで初めてハマグリを食べたのは、今からちょうど十年前になります。あの頃ハマグリは安くもあり、一個一個のサイズも今よりももっと大きいものでした。最近はそのハマグリが、ずいぶん小さくなって来ました。
観光客が増えて来たために、まだ小さいうちに獲ってしまうからでしょうか。それでもカンザー名物のハマグリを食べると、「ああ~、やっとカンザーに着いた」という気分になります。
私も最近はカンザーへは、「マングローブ親善大使」が来る一年に一度の夏にしか行っていませんので、カンザーの変化があまりすぐには見えて来ません。それでも確かに、十年前と今を比べると観光客の多さは比べ物になりません。
以前はホーチミン市内の人でも、カンザーという場所を知らない人もいて、「今カンザーから帰って来た」と言うと、「え、どこ、それは?」と聞き返されたこともありました。
この夏の親善大使と一緒にカンザーに行った時に、このゴミ問題について、実際に見て、聞いて、みんなで考えようと思います。あのカンザー名物のハマグリを食べながら・・・。
話は変わりますが、別の新聞に次のような記事が出ていました。
◎ホーチミン:15年後も現代的都市の基準達成は困難◎
「ホーチミン市を文化的で現代的な都市にするために」をテーマとしたセミナーが同市で開催された。この席で、同市経済研究所の所長は、15年後も同市が国際的なレベルに達するのは困難との悲観的な見方を示した。
所長は、文化的・現代的で住みやすい都市の国際基準に基づいて評価すると、ホーチミン市は高い経済成長を続けている一方で、生活環境、食品の安全性、ゴミ処理、大気汚染、インフラ整備などの面で多くの問題を抱えており、2025年になっても基準の達成は難しいと指摘した。
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この記事にもある「生活環境、食品の安全性、ゴミ処理、大気汚染、インフラ整備」は、都市生活者にとってはすべて結び付いています。
しかもゆるやかな工業化を成し遂げて来た国々と、中国やベトナムのように最近になって急激な成長を達成している、またはしつつある国々は、環境対策の面において大きい差が開きつつあります。
「まずは食えなければどうしようもない」という現実がありますが、その結果として環境対策は二の次にして、経済発展を優先させるというやりかたを続けていては、サイゴン川は工業排水が垂れ流しとなり、ホーチミン市は汚染された空気と、車やバイクの排気ガスと、ゴミに埋もれた街になってしまいます。
そうなると、カンザーの事例と同じように、世界中からホーチミン市に来る観光客も少なくなることでしょう。