【2008年4月】M選手の結婚式に思う。・・陰徳について・・/SONYの活動 「緑のプログラム」
春さんのひとりごと
<M選手の結婚式に思う。・・陰徳について・・>
今からちょうど6年前のことになります。当時私の知人が、日本の有志の人たちが里親となって、ベトナムの経済的に恵まれない生徒たちを支援する団体で働いていました。
その知人はベトナムの貧しい生徒たちを支援するために、日本の人たちから預かったお金を毎月奨学金として支給するため、その生徒の選別や、里親になって頂ける日本人たちの募集活動をしていたのでした。その団体は今も、あの有名なD日本語学校の中にあります。
そして日本人からその奨学金を受けた生徒たちは、学期に一回くらいのペースで、里親の人たちに対して学校での試験の結果報告と、里親の人に対してのお礼の手紙をベトナム語で書いていました。そして今度はそれを受け取ったスタッフが、次に日本語に訳して里親の人に渡すということをしていました。
しかし何せその生徒たちの人数も多いので、少人数でやっているその人たちだけでは翻訳の手が足りず、サイゴン在住の、ボランティアで翻訳をして頂ける日本人に依頼して、その手紙を日本語に訳してもらっていたのでした。
私にもその翻訳の依頼が回って来て、「いいですよ。」と引き受けました。一人の生徒が書いている手紙の枚数はさほど多くは有りませんでしたが、大体一回で4~5人ぶんの翻訳をして、それが終わるとその手紙の翻訳をスタッフに渡すようなやり方でした。
それを引き受けてしばらくしたころ、私がある生徒の手紙を読んでいた時に、手紙の冒頭に書いてある[敬愛する恩人:〇〇〇〇様]の名前にM・Hという名前が書いてありました。もちろん生徒はベトナム語のアルファベットで書いています。
しかしそれは、日本のあの有名な野球選手とローマ字表記は同じでした。(単なる偶然の、同姓同名の人かな・・・?)と思い、その時は気にせずにそのまま訳していきましたが、しばらくしてまた別の生徒の手紙を訳していた時に、こんどはM・Mという名前がありました。それはまた、その野球選手のお父さんの名前と奇しくも同じでした。
それでこの(敬愛する恩人:M・Hさんとは、やはりあの有名なM・H選手のことだろうか?)と推測し、訳し終えた手紙を渡す時に、そこの日本人の担当者にさりげなく聞いてみました。
するとその人は、「はい、そうですよ。」と肯定もせず、「いいえ、あのM・H選手ではありません。」と、強く否定もしませんでした。ただ下を向いて笑っていただけでした。
それを見て、(もしかしたら・・・)という私の推測は、(やはりそうなのか・・・)という確信になりました。この頃はちょうど、M・H選手がアメリカの大リーグに入るために大志を抱いて雄飛する時期ではなかったのではないでしょうか。
この時M・Hさんにお礼の手紙を書いていた女子生徒は当時16才でしたから、今は22才くらいになっていることでしょう。その手紙には、M・Hさんが日本では有名な野球選手であることなど一切触れられてなかったので、[敬愛する恩人:〇〇〇〇様]がどういう人なのかは、その生徒自身も何も知らなかったということでしょう。
またたとえ知ったにしても、ベトナムでは野球というスポーツはあまり人気のあるスポーツではないので、彼女自身も強い関心を持つことはなかったでしょう。
私自身も興味があるのは高校野球だけで、日本では故郷の高校がテレビに登場した時だけは手に汗を握って観ます。しかし、日本にいる時にはプロ野球には全然関心がありませんでした。そして今でもそうです。
しかしこのことがあって以来、このベトナムから私自身はM・H選手に強い興味を個人的に抱いて来ました。特に彼がアメリカに渡ってからは、ますます彼に対する私の関心は深まりました。しかし野球に興味のない私の関心事は、野球の記録ではなくて彼のその人となりです。
テレビに映る彼のあくまでも謙虚な人となりは、多くの人たちを魅了する彼の美質の最たるものでしょう。そしてその彼がテレビに映っている姿を観ながら、誰にも言わずに異国の地で多くの貧しい生徒たちを支援している彼の素晴しい志が、私の目にはオーバーラップして映ってくるのでした。
私が学生の頃漢文を習っていた時、「陰徳」という言葉に出会いました。その詳しい内容は、今となってはすっかり忘れてしまいましたが、その言葉だけは今でも忘れずに鮮烈に覚えています。
「陰徳あればかならず陽報あり。」
そして20世紀に私たちがそれを学校の授業で普通に習っていたというのは、昔の歴史世界に生きていた中国人のそういう人生哲学に、現代の日本人でも共鳴・共感する人たちがいればこそでしょう。
このことは今まで誰にも話さず、私の胸の中にずっと封印して来ましたが、「M選手結婚!」のあまりに嬉しいニュースをテレビで観て抑えきれぬ気持ちになり、その封印を解くのは、あらゆる人たちから祝福される結婚式という晴れの舞台の、今しかないかなと強く思いました。
もし今解かないでそのままにしていたら、いずれ私自身がずっと封印したままあの世に雄飛してしまいそうだからです。 M選手は怒らずに、笑って許して頂けるでしょうか。
そしてベトナムの一人の女子生徒がその時書いていた次の言葉は、新郎のM選手とその新婦の結婚に寄せるお祝いの言葉として、このベトナムからの最高の祝辞の言葉になるのではないでしょうか。
“ベトナムの言葉でこういう言いかたがあります。あなたのような「人にやさしい人は、その人自身がこれから巡り合う人もまた、やさしい人に巡り合うことが出来、その人の仕事もまたいい運命の花が開くことでしょう」と。”
Chuc Mung Dam Cuoi !
(ご結婚おめでとうございます!)
ベトナムBAOニュース
「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。
■ 今月のニュース <SONYの活動 「緑のプログラム」> ■
●若い人たちが、実行可能なアイデアを出すこと●
ベトナム中部の都市・ダナンで、SONYが主催して「環境保護のための緑のプログラム」についての会議が行われた。この会議では、環境保護のためのいろんなテーマが考察、討議、評価された。
多くの提案が出て来たが、今回出された中で優秀なテーマには賞金が授与された。今回の会議の内容について、SONY環境委員長のNga(ガー)さんに聞くことが出来た。
SONYのこのプログラムは、7年前から始めた「緑の発明」のテストから出発して今までずっと続いています。今まで70もの提案が出てきて、その中で科学的な価値があり、実践度の高いテーマを実際に試して来ましたが、まだまだいろんな困難に直面しています。
しかしSONYが出す賞金は、これらのテーマを応用して、製品の創造や、より良い生活の改善に役立てていこうというねらいがあるのです。
(解説)
ベトナムにある日本の企業では、このSONY以外にもTOYOTAなどが、ベトナムの環境対策に力を入れているようです。
そしてベトナム政府自体は、工場の排水には厳しい規制を課しているようですが、規制はあっても順法意識の低いアジアの国々においては、ベトナムに限らず隠れて垂れ流しているという現状があります。
ベトナムの人たちの「順法意識は高いか?低いか?」と問はば、その答えは「低い。」と言わざるを得ないでしょう。
昨年12月15日からベトナム全土でヘルメットの着用が始まりましたが、これは数ヶ月も前から通達がありました。しかし当日でもやはり着けていない人がいて、公安に捕まっている人を実際に見ました。
そして実は今でも、公安が常時目を光らせている通りではほぼ全員がヘルメットを被って走っていますが、大通りから少し離れた公安があまり来ないような通りに入ると、もうすぐにノーヘルで堂々と走っているといったありさまです。その心理は、公安が見ていなければ被らなくてもいいという考えなのでしょう。
交差点の信号での交通ルールも、交通渋滞の時にはまさしくマナーは最低ですね。割り込みはするわ、一方通行の道でも向こうからバイクが逆走してくるわ、青信号になるまで待ち切れなくて、本来歩行者専用であるべき歩道にまで、バイクがドンドンと乗り上げて突っ走って行くわ、とにかく話になりません。
しかしそれでも以前よりは少しずつは良くなって来ているような感じはします。何故かといいますと、信号機の付いた交差点が、前よりはずいぶん増えて来たからでしょうか。いずれにしても、ベトナムの人たちの交通マナーが良くなるのには、まだまだこれから時間はかかるでしょう。
そう言えば、ベトナムでの冗談で次のような話があります。しかし現実は、これが冗談ではないのですが・・・。
「青信号は?」→「もちろん行く。」
「黄信号の時はどうする?」→「それも行く。」
「赤信号になったらどうする?」→「もし公安がいなければ行く。」
まあ要は、信号が赤だろうが関係なく、そこに公安が居ない場合、自分が「行ける!」と思えば行くということです。
今のベトナムの環境問題を考えますと、市内の交通ルールは公安が目を光らせているからまだマシかと思えばいいのですが、その公安も市内の環境対策にまでは目を光らせてはいませんから、こちらのほうがより深刻な問題になって来ています。
最近市内や郊外の至るところで、大量に蚊が発生するという現象が起きました。専門の調査員がその原因を調べますと、池や河や沼にその近所の人たちがボンボンとビニール袋に入れたゴミを棄てるからだということが判明しました。
ビニール袋のような腐らない大量のゴミで、水の流れがせき止められて池や沼の水が腐敗し、そこに大量の蚊が異常発生したということでした。
何のことはない。自分たちでその原因を作っているのでした。しかしそれが分かっても、近所の人たちはまた今日も明日も、近くの池や河にゴミを棄てに行くことでしょう。
ベトナムは、学校での環境教育もまた実に貧弱なものです。私は日本語を教えている生徒たち(下は中学生から上は大学生くらい)に、学校で環境の教育の授業があるかを時々聞きますが、「ある。」と答えたのは、10人中1人くらいですね。
今後のベトナムの環境保全の担い手は、この記事にもあるように私は外国からの支援以上に、ベトナムの若者たちの環境意識の向上にあると思っています。
それであの「日本語会話クラブ」でも、時々ベトナム人の若い人たちに朝礼のような形で、参加者全員に向かって次のような話をします。
「あのホーチミン主席は、ベトナムは金と銀の国だと言いました。しかし現実は全然そうではありません。特に、サイゴンは。市内の中心部は外国人も多く訪れるので、行政も力を入れて花を植えてあります。しかし大通りから少し離れたところに行くと、このサイゴンという街はゴミに溢れた街です。」
「寒い冬のある日本では、桜の花でも桃の花でもどんな花であれ、普通は一年に一回しか咲きません。しかし常夏のこのサイゴンでは、同じ種類の花が一年に何回も咲きます。」
「ですからこのベトナム国の力の入れ方次第では、ベトナム全土において一年中花が咲き乱れている、そんなきれいな街が造れる可能性が十分にある、日本から見たら実に羨ましい国なのです。」
「しかし、そのせっかくの恵まれた環境にありながらも、ベトナムのみなさん方は家の前にきれいな花を植えようという人たちよりも、ゴミをボンボン路上に棄てる人たちのほうが多いですから、まったく今のサイゴンは、いつまでたってもきれいな街にはなりません。」
「外国人が多く来る場所だけをキレイにしても、街全体はキレイにはなりません。みなさん方が住んでいるような小さな下町が、ゴミではなくて緑や花に溢れた下町になるようにしましょうよ。」
「ベトナムという国を金と銀の国に誰がするのか、誰が出来るのかを考えると、それは実はみなさん方のようなベトナムの若い人たちです。」と。
まあ私の話を聞いて、一人でも二人でも明日からでも実行してくれればいいと思うからです。