【2009年10月】日本とベトナムの架け橋になりたい/美味しい料理が多いが清潔ではない
春さんのひとりごと
<日本とベトナムの架け橋になりたい!>
今私が日本語を教えているところで、9月から先生の新規採用が始まりました。採用試験にはいつも、筆記試験 ( 文法と作文 ) と面接の二つがあります。
そしてそこのベトナム人の社長から、「筆記試験が終わった後に、日本語の会話能力を確かめたいので、個別に面接をしたいと思います。その口頭試問を手伝って頂けませんか。」と依頼されました。これは今回に限らず、人事面接がある時にはいつものことですので、「いいですよ。」と引き受けました。
今回応募して来た人は全員で 25 名いましたが、いつものことながら女性が多く、男性は5名しかいませんでした。これはこのような人事募集の場合だけでなく、日本語学校に通っているクラスの生徒の内訳を見ても、 10 人生徒がいるとしたら7割は女性で、男性の比率は少ないことが多いですね。
そして私は面接が始まる一時間ほど前から、すべての応募者の履歴書に目を通していきました。応募者の内訳は、この9月に大学を卒業したばかりの人や、サイゴン市内にある有名な日本語学校で今現在教えている人、日本の企業で働いている人、失業中の人など、さまざまな経歴の人たちがいました。
25 人分の履歴書に目を通していた時、その中で私はある一人の男性が書いていた履歴書に目がしばし留まりました。彼はB君といいますが、履歴書を見ますと今年まだ 25 歳の若さです。彼の履歴書の中には<将来の夢>という項目がありましたが、私は彼がそこに書いていることに大変興味を持ちました。
私も今までいろんな人の履歴書を見て来ましたが、<将来の夢>というテーマでみんながふつう書いていることといえば、「将来、自分の会社を持ちたい。」「日本の会社で働きたい。」「日本に行きたい。」「日本語の先生になりたい。」というふうな、常識的かつ平凡な答えが多いのですが、そこに彼が書いていた言葉に私はしばらく惹き付けられました。そこにはこう書いてありました。
日本とベトナムの架け橋になりたい!
面接用の PR のための言葉なのか、本気でそう思っているのか、このような言葉を履歴書に書いている人は一体どういう人物なのか、私としては大変興味が湧いて来て、彼の履歴書の全てに目を通しました。そして思わず「これはすごい人だ!」と、近くにいたベトナム人の同僚の前で唸ってしまいました。
彼の履歴書には何と、「日本語能力試験一級」の合格証書が添えられていたのでした。しかし私が唸ったのは、その「日本語能力試験一級」の合格証書だけではありませんでした。彼の履歴を見ますと、 2006 年7月に彼は研修生として日本に行き、今年の7月に3年の任期を終えてベトナムに帰って来たばかりなのでした。
つまり彼は日本で研修生として働きながら、同時に日本語の勉強もして、昨年末に日本国内で実施された日本語能力試験の一級に挑んで、見事に合格していたのでした。少しでも日本語能力試験にかかわった人なら、それがどれほどの努力と高いレベルが求められるかは分かります。
私も今まで日本で働いている研修生たちが、日本で三級や二級に合格したという知らせを聞いたことはありました。そして日本で働きながらも「二級に合格しました!」という知らせを、研修生がメールで送ってくれたこともありました。私は「おめでとう!本当によく頑張ったね。」と返事を出しました。
彼ら研修生たちが日本に行って働きながら、日本語を継続して勉強しているその努力には、本当に頭が下がりました。しかしB君の場合は二級レベルではなく、日本語能力試験の最上級レベルの一級なのです。
しかもその履歴書にずっと目を通しても、彼の日本語学習歴はといえば日本に行く前の四ヶ月間だけであり、それ以前に日本語を勉強していたということは書いてありませんでした。
それで私は(日本で毎日の仕事を終えた後で、一級の試験に合格するために、彼は一体どういうふうにして日本語を勉強していたのだろうか?)と率直に思いました。私は彼に面接した時には、その点をぜひとも聞きたいと思いました。
彼との面接が始まるまでには、十数人の応募者と面接をしました。そもそも今回の人事募集は、日本語の先生と事務員の募集だったのですが、こういう人事面接をしている時、日本語の先生に応募した人たちの考え方には、「ベトナム人気質」について、日本人である私としてはいつもながら、今でも戸惑うことがあります。
日本語の先生として求められるレベルは、生徒の前で授業するには日本語の能力レベルとしては二級以上のレベルが望ましいのですが、それすら持たないで応募して来た人たちが、男女合わせて6名ほどいました。それで私がその疑問点を質しますと、その6名ともが、私の質問に対して全く同じ答え方をしました。
私 :「あなたは今までに日本語能力試験を受けたことがありますか?」
応募者 :「はい、あります。」
私 :「でもあなたの履歴書には、何級の試験に合格したかも全然書いてありませんが、四級にも三級にも合格していないのですか?」
応募者 :「いえ、四級や三級は受けていません。」
私 :「えーっ!四級や三級の試験を受けていないのですか?それでは今まで何級を受けたのですか。」
応募者 :「昨年二級を受けました。でも不合格でした。」
私 :「ええーっ!四級や三級にも合格していないのに、なぜいきなり二級を受けるのですか?」
応募者 :「私は四級や三級の試験は受けなくても、それくらいのレベルの力は自分で有ると思いますので、毎年二級を受けています。」
私 :「・・・!?」
このように、今回の応募者の中には四級や三級を受けることなく、いきなり二級に挑戦するという人たちがいました。「四級や三級は易しいから、受けなくても合格するだろう。だからそれは受けないで、いきなり二級に挑戦したがいい。」という発想です。こういう人たちに共通しているのは、日本人から見れば自分の力を過大評価しているというべきか、自信過剰ともいえる大変なプライドの高さです。
そういう応答をした人たちに私が、「どうもその発想は、日本人である私には理解出来ませんね。日本人は普通、四級に合格してから次は三級を目指し、三級に合格して次は二級に挑戦するというふうに、階段を昇るように一段ずつ上がっていきますが。」と話しますと、彼らは「へー、そうなんですか・・・。」と、そういう試験の受け方のほうが、あまり理解出来ないという顔付きをしていました。
この点に関しては、以前日本語能力試験の試験監督を担当した時にも、私が受け持ったのは二級のクラスでしたが、その時にも四級も三級も受けていないで、いきなり二級に挑戦している受験者がやはり何人かいました。
それでその時にも、「四級にも三級に合格もしていないのに、それらを飛び越えてなぜ二級を受けるの?」と理由を聞きたかったのですが、その時は廊下で短い休憩時間での立ち話で少し話しただけでしたので、詳しい理由は聞けず終いでした。
後で複数の、二級をすでに取得しているベトナム人の同僚の先生に聞きますと、「実は私も四級や三級は受験もしていないので、当然その資格は持っていません。」と、今現在日本語を教えている先生たちの半数がそう言うではありませんか。
「何故あなた達は受験していないのですか?」と私が質問しますと、「二級合格であれば価値がありますが、たとえ四級や三級に合格しても、それを履歴書に書いたところで余り評価されるわけではないし、価値がないとみんな考えているからです。」という答えが返ってきました。
もしそれが事実なら、彼らにとって「日本語能力試験」というのは、自分の日本語の力を試す場として考えているのではなく、その資格があれば「就職に有利か否か」という、非常に実利的な観点から考えているということでしょうか。
そして実際に英語であれ、日本語であれ、「就職する時に有利だから」というような実利的な気持ちから、語学学校に通っている生徒たちがいるのも確かです。
しかし彼らの言うことが仮にすべて正しければ、日本語の試験を受ける受験者数は、三級や四級の受験者数のほうがおそらく少なく、合格すれば「就職に有利な資格」として評価される二級や一級のほうに受験者は多く申し込んでいるのではなかろうかと想像しました。
それで昨年度実施された、ホーチミン市内の日本語能力試験の監督時に私にも配られた冊子を調べてみました。そこには私が手書きで、たまたま各級ごとの申し込み者数をメモしていましたので、各級ごとの申し込み者の割合が分かりました。
それを見ますと、昨年ホーチミン市で日本語能力試験に申し込んでいたのは全部で 9,493 人。内訳は、一級が 1,711 人、二級が 2,987 人、三級が 3,382 人、四級が 1,413 人でした。
ですから三級と四級の合計の申し込み者数は 4,795 人で、全申し込み者数の 51 %を占めています。一級と二級の合計の申し込み者数は 4,698 人で、これまた 49 %を占めていました。何のことはない、三級と四級を合計した申し込み者数のほうが、一級と二級の申し込み者数よりも率にして2%、人数にして百名ほど多かったのでした。
この数字で見る限りは、ホーチミン市で「日本語能力試験」を受験した生徒たちは、私が「日本では四級に合格したら、次に三級に挑戦。そして三級に合格して次に二級を受けるというふうに、階段式に上がるのが普通なのです。」と説明したのと同じような考え方をしているか、または易しい四級や三級にもその“価値”を認めて試験を受けているものと考えられます。
ですから彼ら同僚の先生たちと同じように、三級も四級も受けずにいきなり二級に挑戦する人たちが、「三級や四級は受験してもあまり価値がないので受けません。」と言う意見は、(そういう考え方もあるのか。)くらいに聞いておくことにしました。
そしてさらにもうひとつ面白いことがありました。今回応募した人の中には、日本語を今まで生徒たちに教えた経験がある人もいれば、全く教えたことのない人たちも応募していました。それで私が、日本語を教えたことのない人たちに対して突っ込んだ質問をします。
私 :「今まで日本語を教えた経験がありますか。」
応募者 :「いいえ、ありません。」
私 :「ここでは生徒に日本語を教えるのが仕事になりますが、生徒たちの前で日本語を教える自信はありますか。」
応募者 :「はい、あります。」
私 :「でもあなたは今まで日本語を教えた経験がないのに、どうして自信があると言えますか。」
応募者 :「はい、大丈夫です。自信があります。」
と、それこそ強い“自信満々”の表情で全員が答えるのです。いかにも自信に満ちた表情でそう答えられますと、そういう質問をした私のほうが圧倒されてしまいます。
これは今回に限らず、今までこの質問をした時、一人として「ええ、今まで教えたことが無いので自信がありません。」という答え方をした人はいません。まあしかし、私の経験からいえば「はい、自信があります。大丈夫です。」という人物に限って、大丈夫であったためしがありませんが・・・。
この時にはベトナム人の社長も同席していましたので、次の応募者が部屋に入る前に私が、「みんながあのような答え方をするというのは不思議ですねー。もし日本人がそのような質問をされたら、おそらく [ 経験がないので自信はありませんが、これから頑張りたいと思います。 ] という答え方をするでしょうね。ベトナムではどうしてああいう答え方になるんでしょうか。」と、笑いながら彼に聞きました。
そのベトナム人の社長は日本語がペラペラで、日本人との付き合いも長いので、日本人の発想や考え方もよく分かっています。彼は私が抱いたその疑問点についてしばらく考えて、「日本人の間では<謙譲の美徳>があるから、そういう答え方が好まれるのでしょうね。でもベトナムにはそういう発想はないので、自分の不利な点を採用担当者に出来るだけ見せないようにしようと思うのです。ですから、 [ 自信はありますか? ] という質問に対して [ いえ、自信はありません。 ] と言えば、採用不可になるのではとベトナム人は考えます。」と説明してくれました。
さていよいよ、私が今回の面接で一番会いたいと思っていたB君の登場です。
彼は身長はさほど高くはなく、顔付きや体型は実にスマートな風采をしていました。そして私は、自己紹介をしている時の彼の目元に、意志の勁さを感じました。
自己紹介が終わり、私がここに応募した動機などをいろいろ質問しました。そして私は、「みんなと同じように研修生として働きながら、日本にいる間に一級の試験に合格したという例は、私も今まで聞いたことがありません。本当に良く頑張りましたねー。毎日どういうふうにして日本語を勉強していましたか。」と質問しました。
そして彼は全く気負うことなく、自分が日本で日本語をどのようにして勉強したかを、私たちにゆっくりと話してくれました。
彼は日本では、三重県の田舎のほうで働いていました。彼の会社の始まりは朝9時からだったそうです。彼は毎日5時に起きることを自分に課していました。そして5時から毎日日本語の勉強を始めました。 9 時には仕事が始まるので、毎朝 8 時までの 3 時間、寮で日本語を勉強しました。
そして 6 時に仕事が終わって、また7時から 11 時まで勉強をし、それから床に就いたということでした。彼は一日平均7時間勉強するのを目標にしていたそうで、漢字もベトナムにいた時にはほとんど習っていなかったのですが、日本で教科書だけを頼りに自分で勉強したということでした。日本語能力試験の時に行われる「聴解試験」の対策としては、テレビのニュース番組や、ドラマなどを見ながら、聴く力を磨いてきたということでした。
(三年の間、一日平均7時間もひとりで日本語を勉強していたのかー・・・。)今目の前に座っているB君を見ながら、仕事を終えて疲れた体に鞭打って、日本語の本に取り組んでいる彼の姿を想像しました。そして私は、彼が話したことを素直に信じました。この時部屋にいた彼以外の全員が、彼の話を聞いて感嘆するように(う~~ん)と、深い吐息をもらしていました。
実際それくらい勉強しなければ、日本語学習歴3年半くらいで日本語能力試験の一級に合格出来るものではないのでしょう。何故なら、一級の筆記試験や聴解の問題というのは、当の日本人自身が受けても難しいからです。
そして私はこのベトナムで日本語能力試験一級に合格するためには、ふつうどれくらいの期間勉強すれば合格するものだろうかと、その道に詳しいいろんな人たちに聞きました。
彼らの意見では、日本語能力一級に合格するためには、「もちろんその人が置かれている環境の違いや個人差はありますが、最低でも5年、普通は6年から7年くらい勉強しないと合格しませんよ。」ということでした。
私が懇意にしている「さくら日本語学校」の先生の意見では、【もしベトナムにいる人で日本語能力試験一級に合格する】には、「日本に留学した経験があるとか、日本の会社で働きながら勉強しているとしても、8年くらいはかかると思いますよ。」という話でした。
しかも私が質問した人たちが答えてくれた根拠にしている期間の数字は、大学時代の四年間日本語を専攻し、大学卒業後に一級の試験に合格するために、さらに日本語学校に通って勉強出来るような環境下にあることを前提に考えた数字なのです。
しかしB君はベトナムでは専門学校を出ただけで、大学には行っていません。その専門学校を出て日本に行く前に、四ヶ月ほど日本語の基礎編を習っただけなのです。そして日本にいる3年の間も、毎日仕事をしているために日本語学校に通う時間などあるはずがありませんでした。
従って日本にはいても、日本語を勉強出来る環境に恵まれていたかといえば、サイゴンに住んでいて仕事はしなくて勉強だけしていればいい大学生のほうが、B君よりも日本語能力試験に挑むにはずっと有利な条件下にあるといえるでしょう。
ですから彼は一級に合格するまで、日本でも日本語学校に通うこともなく(というかその時間がなく)、日本人の先生から教えてもらうこともなく、日本語能力試験のテキストだけを頼りに、寮の中ですべて独学で日々努力して、その日本語のレベルを向上させてきたのでした。
さらに詳しく聞きますと、彼は日本に行って一年目に二級の試験を受けましたがこの時は不合格になり、二年目に再受験して合格し、三年目に一級に挑戦して見事に一回で合格したのでした。
そこに至るまで彼からいろいろ話を聞いた私は思わず、「あなたはエライ!今まで多くの研修生が日本に行って、働きながら勉強しているけれど、あなたのように努力している人は初めて見ました。本当にあなたはすごいですねー。」と叫んでしまいました。
そして彼が書いていた<日本とベトナムの架け橋になりたい!>ということについても「具体的にどういうことをしたいのですか。」と聞きました。すると彼は、「それをこの会社に入って考えたいと思いました。今はまだ漠然としていますが、お金儲けだけするのが人生の目標ではなく、自分が得意とする日本語を生かして、ベトナムと日本のために何が出来るかを考えています。」と答えてくれました。
彼の話を聞いていて、さらに感心したことがあります。彼は自分の日本語の能力を今のレベルにとどめずに、さらに磨きをかけるために、一度合格した一級を今年もまた受け、今後もずっと受け続けるということでした。これもまたすごいことだと思います。その後彼と何回か話しているうちに、私はB君に対して(大変謙虚で、素直な青年だなー。)という印象を受けました。
そして嬉しいことに、私は彼とこれから毎日顔を合わせるような状況になりましたので、私もまたそのような“ 熱きこころ ”を持った彼の夢が実現するために、今後もいろいろな応援歌を贈りたいと思います。
アジアの中で、これからの日本とベトナムがさらに広く・深い関係で結ばれてゆけば、まだ若い 25 歳の彼が将来の夢として描いている<日本とベトナムの架け橋になりたい!>という夢が現実のものとなり、いつかその橋を彼自身がベトナムと日本を往復しながら渡ってゆくことでしょう。そういう日が来るのが、私もまた楽しみです。
ベトナムBAOニュース
「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。
■ 今月のニュース <美味しい料理が多いが清潔ではない> ■
私はベトナムに4年前に来て、今はブン ボーやサラダや鍋やフー ティウなどのベトナム料理が大好きな日本人だ。しかしそれらの料理を作っているところや、食材の扱い方を自分の目で見たとき、安心できなくなった。
私は一区やタン ビン区などそのほかホーチミン市のいろいろな場所に食べに行ったことがある。このホーチミン市内には、いたる所の路上に多くの美味しいフー ティウ屋さんがあるということを認めざるを得ない。
しかし何回もそのような店に入って食べた後で,店員の人たちの動きや、食後にお客が去った後の片付け方をよく観察していると、本来は前もって新鮮な水を入れ替えておくべきなのに、泥水のような色をした水が溜めてあるバケツの中で、はし、茶碗、スプーンなどを洗っている場面を見た。
さらには食べている時に、手で食べ物を取って、その汚れた手のままお釣りをつかんでそれをお客さんに渡したり、ある時などは地面に落ちてしまった食べ物を拾って、全然気にすることもなくそれそのまま売っている場面も見た!
ある日鍋料理を食べに行った時などは,お客は何と無神経にも直接手を使って、野菜や他の食材を鍋に入れているのも見た。「日本ではまずそんなことはありえない。」
また鍋に入れるために、皿に積んであるいろんな種類の野菜の中に、生きて動めいている虫も発見した。その原因は、お客さんに野菜を出す前に野菜をキチンときれいに洗っていないからだ。それを見て以来、私はそんな店で食べたくないので、行くのを止めた。そしてこれからも、もう二度と行くことは無い!
その後そんな店にはわざわざ食べに行くこともなくなり、今では市場に行って新鮮な食品(魚・肉・海産物など)を買って、家で料理を作って食べる。しかしベトナムの市場では、多くの食品(魚・肉・海産物など)が丈の低い器に入っていて、地面スレスレに置かれているのを見た。
しかもその食品を売っている場所は汚い水が溜まっていて、いつもジメジメしていて、全然安全だとは思えない。私は日本の伝統でもある、新鮮な素材を生のまま食べるやり方が大好きなのだが、あのような光景を見たらお腹を壊すのが怖くて、そのような食品を買おうとは思わない。
スーパーでも、食品の上に貼ってある使用期限切れの表示はきちっと管理されていないと思う。なぜそう言えるかというと、私はあるスーパーで使用期限が切れた食品と、新しい食品が一緒に混ざって売られているのを見たからだ。
日本では衛生の問題と安全な食品の提供は、レストランや食堂では一番大事なことである。食べ終わった後の食器などは、使用後にきれいに洗って消毒される。ベトナムの食品加工業者と、料理店を経営する人たちも、もっとお客さんの立場に立って物事を考えたら、食品の安全と衛生の問題は徐々に改善されて行くものと思う。
[TSUKAMOTO YURIKO]
(解説)
サイゴンの中では、一区の中心街などは公安の通達で以前よりは少し減ったものの、歩道上などで今でもまだ多くの種類の屋台が営業しています。何故多くの屋台が歩道上で営業しているかというと、正式なレストラン で食べるよりも、値段がはるかに安いからです。私もよくこういう店を 利用します。
そしてこの歩道上で営業している屋台には、二つの形態があります。
(1)店舗式屋台
これは一応店は構えているものの、混雑時には店の中のテーブル数だけでは不足してくるので、やむなく歩道上にまでテーブルや椅子を出して営業しているパターン。
7月号に掲載した、Pho の店「 Pho Tau Bay (フォー タウ バイ)」や、ヤギ鍋屋の Lau De (ラウ ゼー) 214 などの店がこれです。
(2)出張式屋台
自分の店は持たないで、お客が多くなる朝・昼・夕の食事時間頃になると、外からテーブルや椅子や食器・食材などを持ち込んで歩道上に臨時営業しているパターン。
この記事の中にある「泥水のような色をした水が・・・スプーンなどを洗っている場面を見た。」と TSUKAMOTO さんが書いている屋台は、おそらく(2)の「出張式屋台」ではないかと思います。
(1) の屋台形式であれば、小さいながらも店を構えていますので、その店の中に電気・水道・ガスなどもあります。水が不足するということもないので、「泥水のような水の中で食器を洗う。」ようなことはあまりありません。
しかし(2)の屋台は、外からすべての設備を持ち込んで営業していますので、新鮮な水も絶対量が不足してきます。それでやむなく汚れた水のまま、何回もそれを使って食器を洗うことも出て来ます。私の近所で営業している出張式屋台でも、そういう場面をよく見ます。ただそういう場合でも、最後には少し澄んだ水に「チャポッ・チャポッ」と数回浸けてはいますが。
そういう屋台を多く利用し、そういう場面を良く見ているベトナム人のお客さんたちも、テーブルの上のハシやスプーンや茶碗が清潔な状態であるとは全然思っていませんので、食事の前にいつもの儀式を行います。
テーブルの上には、芯を抜いたトイレットペーパーが丸ごと一本、プラスチックの容器に入れて置いてあり、その中に手を入れて芯の部分の紙を引き抜きます。その紙でハシやスプーンや茶碗を自分の気が済むまでゴシゴシ拭きます。このトイレットペーパーは、食後に口を拭くというよりは、こうして食器やハシ・スプーンを拭くという比重のほうが大きいですね。
しかし TSUKAMOTO さんが嘆かれているように、こういう屋台での店側の衛生観念の低さは、日本人には寒気がするようなレベルなのですが、こういう屋台を利用するお客の側も問題を抱えています。
日本から旅行者がベトナムに初めて来た時、このような屋台に連れて行きます。そして旅行者が食後にタバコを吸うとします。その時旅行者が私に、「灰皿がないんですけど、どこにタバコの灰を捨てたらいいの・・・?」と質問しますと、私は指を旅行者の足下に向けて、「そこです。」と答えます。
そしてしばらくしてまた、「この吸殻はどこに捨てたら・・・?」と聞きますので、また同じように指を足下に向けて「そこです。」と答えます。旅行者はキョトンとしています。「どうして灰皿を置いておかないの?」と聞きますので、「こういう所では置いていても、それをキチンと使う人のほうが少なく、みんなは大体テーブルの下にポイッと捨てるからでしょうね。」と答えます。
そしてこの旅行者は、回りのお客が食べたテーブルの下には、タバコの吸殻はいうに及ばず、トイレットペーパー、魚の骨、ニワトリの骨、バナナの皮、爪楊枝などが散乱しているのを見て驚き・呆れます。「何ですか。このゴミ捨て場のような有り様は!」と。
さらに可笑しかったのは、この日本人が食べた後のゴミや使用後のペーパー類を、後で店員が掃除しやすいようにと、せっかく皿に集めてテーブル上に置いているのに、お勘定が終わって低い椅子から私たちが立ち上がると同時に、店員がそのゴミを下に放り捨てたことです。この日本人は(どうして・・・!?)と首を傾げていましたが、「(どうせまとめて掃除するからいいんだ。)ということでしょう 。」と答えておきました。
このように路上の屋台で食べる時に、食事後のいろんなゴミをテーブルの下にバンバン捨てるというのは、ベトナムでは日常茶飯時のことです。ベン タイン市場前の夜の屋台ででも同じです。ここにはベトナム人の家族連れも良く来ます。そして日本人やヨーロッパ人も良く来ます。彼らが一つのグループとして食事にやって来て、食事を終えて帰って行った後の光景を見ると、実に両極端です。
テーブルの下にビール瓶や食事後のいろんなゴミや、使用後のティッシュなどが散乱しているのがベトナム人のグループ。ゴミが全然落ちていないのが白人や日本人のグループです。この違いは見事なほどです。店員がベトナム人が帰った後の掃除をしながら、「あんたたち日本人が帰った後は楽でいいよ。」と笑っています。
しかし衛生観念が高い・低いとか、マナーの問題は、絶対的な基準があるわけではなく、比較の問題のようで、インドや中国を旅して来た旅行者が、「ベトナムはまだ衛生的なほうの部類ですよ。」と話していました。
彼が言うにはインドが一番酷く、インドのとある市場で売っていた肉にはウジ虫が湧いていたそうで、それを平気で売っていたということでした。そして中国では、屋台で出された皿に前のお客が食べたカスが付いていて、大変汚かったそうです。そして中国でも、テーブルの下にゴミをバンバン捨てるのはみんな平気でやっていたということでした。
そう言えば、以前私の日本人の知人がこんな話をしていました。彼女は今サイゴンに住んでいて、旦那さんは中国人なのですが、彼女が母国に一ヶ月ほど帰ってサイゴンを留守にしていた時に、旦那さんの家族に料理の手伝いに来てもらっていたそうです。
そして一ヶ月後、彼女がサイゴンに戻って来て食堂や台所を見た時に唖然・呆然としたそうです。部屋の中にはゴミが散乱し、食堂の床には多くのゴキブリが動き回り、台所では数匹のネズミが運動会をしていたのでした。それ以上に驚いたのが、そういう状況の中でも平気で、中国人の旦那さんの家族は楽しく食事をしていたことでした。
彼女は自分の家族内の出来事であるだけに、苦笑しながらこう話してくれました。「中国の人たちは、テーブルの上に出された、目の前の食事が美味しければそれでいいんですよ。部屋の中がどんなに汚かろうが、ゴキブリやネズミが食堂や台所を走り回っていても全然気にならないんです。」と。しかし彼女は大いに気になるので、一週間掛けて徹底的に掃除したそうです。
日本の衛生観念のレベルと比べれば問題は多いものの、そういう国の人たちとの比較論で言えば、この多くのアジアの国の中では、確かに「ベトナムはまだ衛生的なほうの部類。」に入るのでしょうか。
そして TSUKAMOTO さんも後一年、二年ベトナムに住んでいかれるうちに、かつての私がそうであったように、段々とそのような光景も見慣れたものになり、体もそれに順応して壮健になっていかれることと思います。