【2014年2月】テト (旧正月)五話/北海道で働くアオザイ娘――根室のベトナム人実習生

春さんのひとりごと

<テト (旧正月)五話>

ベトナムで迎える今年の テト(旧正月) は1月31日でした。サイゴンにいますと、テトを迎える前は、街中に恒例の音楽が流れて来て、 (いよいよテトが近付いて来たなあ~) という感じがして来ます。

その恒例の音楽は、私が 17年前にベトナムに来た時には聞いたことはありませんでしたので、そんなに古くからある曲ではないようです。ベトナム人の同僚に、「この曲はいつ出来たの?」と聞くと「今から約10年前に、 Tam Ca Ao Trang という三人姉妹の歌手が歌い始めてからです。」と教えてくれました。 今のベトナムではテト前の恒例になった、大変ポピュラーな曲です。

「Tet」 が 「テト」 、 「 den roi 」 が 「やって来た」 という意味です。軽快なメロディーが繰り返されるこの音楽が、テレビからも流れ、デパートに入ると館内にもこの音楽が響いています。外国人の私でもウキウキした気持ちになるくらいですから、ベトナムの人たちは、もっと親しみを感じていることでしょう。

そして今年の「テト」も、私たち家族は遠出せずに、女房の実家や市内の近場で過ごしました。「テト」の時期のサイゴンは、昼間は暑くなるものの、朝・夕は大変過ごし易い季節でもあります。

 青年文化会館で絵と書の展覧会 

毎週の日曜日に 「日本語会話クラブ」 が開かれている 『青年文化会館』 で、一月の初めから書と絵の展覧会が開かれていました。昨年もありましたので、これからも毎年開かれるようです。会館の中ではなく、歩道上で開かれていました。

「日本語会話クラブ」に行く時、そこの前をバイクで通過していましたので、絵と書の展覧会をやっているのは知っていました。しかし、ベトナム語の文字が達筆で書かれた書や絵を見ても、即座にその意味も分からないし、眺めるだけで終わりますので、ちらっと外から見ただけでした。

「テト」を迎える二日前に、 Minhさんというベトナム人の女性から、私に連絡がありました。「実は、『青年文化会館』で書を書いている私の友人がいます。その友人に目の前で自分の好きな文字を書いてもらいたいと思います。その友人も紹介したいと思いますので、一緒に行きませんか。」という誘いがありました。

目の前で文字を書くのを見るのは今までもありましたが、書家の人と知り合うのは初めてですので、「いいですよ。是非行きましょう。」と私も乗り気になりました。昼過ぎに『青年文化会館』に着きました。彼女の友人も二人連れて来ていました。

『青年文化会館』の正面に面したコの字形をした道路の歩道上に、いろんな絵や書が並べられていました。欲しいのがあれば直接購入できます。しかし、見事な書や絵が並べられていました。値段も付いていましたが、とても・とても簡単に手が出るような値段ではありませんでした。

そして、 Minhさんはベトナムの伝統的な衣装を着たアオザイに身を包んだ、ある男性の前に私を連れて行ってくれました。それが彼女の友人でした。彼の名前は Hoang(ホアーン)さん 、28歳。そこには小さな茶釜があり、中にはお湯が沸いていて、先客にお茶を点てていました。

そして、路上に置かれた小さな椅子を指して、我々にも「どうぞ!」と言って、お茶を振舞ってくれました。頂いたお茶を飲みながら、彼にいろいろ話を聞きました。彼は 14歳から、このような「書」の書き方を学んで来たそうです。

そして、自分が書いた「書」を販売するための店も持っていました。 WEBサイトまで自分で立ち上げていました。
いやー、まだ若いのにしっかりと自立しています。感心しました。

Minhさんと彼女の友人は、Hoangさんに自分が好きな言葉を書いた紙を彼に渡して、自分だけの書を書いてもらっていました。当然有料です。書き終わったのを見ましたら、実に達筆なベトナム語が書かれていました。二つの作品で、彼女たちは日本円にして二千円くらい払っていました。そして、そこを出て次は Nguyen Hue(グエンフエ)通り  Flower Road に行くことにしました。

● Flower Road 見物 ●

約十年前から恒例になった、サイゴン市内にある Nguyen Hue通り の名物・ Flower Road 

毎年の干支の動物をテーマにして、いろんな作品が作られています。今年は 「午年」 なので、馬をテーマにしたオブジェがたくさんありました。

昨年までは ( 規模や豪華さが年々派手になって来たなあ~ ) という印象があったのですが、今年はあまり派手さを感じませんでした。二年前にここに来た時には、中央部分に小高い丘のようなものが造られていましたが、今年は高さのある作品自体が多くありませんでした。ですから、 ( 今年は質素だな・・・ ) と思いました。

テトの後、一週間くらいして載った新聞の記事を読んで合点がゆきました。そこには [ 今年のテトは節約を!! ] と いう通達が、 <ホーチミン市人民委員会> から出されていたというのです。大規模なものを造ると、材料費・人件費がかさむので、自粛して欲しいという内容でした。これは Flower Road だけではなく、このテトに関連したあらゆる行事に向けての通達でした。

それでも、普段はただの道路でしかない Nguyen Hue通りが、この時は花・花・花が満ち溢れていますから、やはり多くの観光客が見物に来ています。この時は「歩行者天国」になり、車やバイクの乗り入れは禁止です。ですから、全員歩いてこの Flower Road を見物しています。警備員の人たちも、要所・要所に立っています。

この日はアオザイを着た女性たちも多く、彼女たちは花をバックに写真を撮っています。 Minhさんたちもアオザイを着ていましたので、私達に「写真を撮って下さい!」と頼んできます。私と一緒にいた日本人の友人は、この Flower Road を彼女たちと歩きながら、そ の都度写真を頼まれて、 彼女達専属の「写真係り」のようにバチバチと撮っていました。

それにしても、やはりこの一時期に、ここにこれだけの多量の花が集る光景というのはスゴイと思います。新聞にも 「郊外の花がホーチミン市に集るテト」 という記事が載りました。郊外でテト前まで栽培されていた大小の花や盆栽などが、車に乗せられてこのサイゴンまで運ばれて来たのでしょう。

それらが至る所の公園の 「花市」 や、ここ Flower Road に集り、みんなに鑑賞されています。ですから、このテトの時期にはサイゴンにいながらにして 「花の競演」 を見ることが出来ますので、わざわざ遠出をする必要もないわけです。

● テトに魚釣り ●

今年のテトに入る前から、「テトの時には魚釣りに行きたい!」と娘が繰り返していると、女房が言うのでした。普段は魚釣りになど行かないのに、「何でまた?」と聞きますと、ちょうど二年前のテトの時に、 Ben Tre( ベン チェー ) に行き、その時に釣り上げた 「魚釣り体験」 が強烈だったからでは・・・、と女房が言うのでした。

そこ Ben Tre は、女房の弟のお嫁さんの実家でした。その実家の横に池がありましたが、そこには魚が飼われていました。大人たちはビールを飲んだり、話していたりして自由に時間を潰していました。

しかし、娘のような小さい年齢(この時 9 歳)の子どもたちは遊ぶ場所もなく、田舎に行っても何もすることもなく手持ち無沙汰でした。その時に、実家のおじいさんが「裏の池で魚釣りでもして来い。」と言って、娘達に釣竿とエサを渡してくれました。それが、娘にとって初めての魚釣り体験でした。

大人たちが料理を食べながら、ビールを飲みながら雑談している間の 時間つぶしに、ただ遊びで釣りをしていただけですが、何と釣り糸を垂れてものの十分もしないうちに、大きなフナのような魚が釣れたのでした。これには驚きました。娘も大喜びしていました。

さらに続けて釣りをしていますと、次もまた十分くらいで、同じ大きさの魚が釣れました。これまた大きいものでした。最終的にわずか一時間足らずの間に、娘一人で五匹の大きい魚を釣り上げました。短い時間で、大きいお魚さんを五匹も釣り上げた娘は、もう本当に喜んでいました。

その二年前の体験が強烈な記憶になって残っていたらしく、昨年のテトの時も「また Ben Treに行きたい!」と言っていましたが、その時は家族みんなで行くことが出来ませんでした。それで、娘は「今年のテトは魚釣りをしたい!」という気持ちが募ってきたようで、女房にも「魚釣り!魚釣り!」とせがんでいたのでした。女房は「分かった」とは返事をしましたが、結局今年もBen Treに行く機会はありませんでした。

それで、(今年のテトの娘の希望を叶えるためにどうしようか・・・?)と思案しました。結局「サイゴンの近場の釣堀で魚釣りをしよう。」となりました。この日は女房の実家の両親を除く、全員の兄弟たちが参加しました。全員で15名もの大人数になりました。

「どこに釣りに行こうか?」とみんなで相談していましたが、女房の弟が「7区の先の Nha Be(ニャー ベー)地区 に釣り堀があるよ。」と言うので、そこに行くことにしました。 Nha Beはカンザーに行く手前にある場所です。

昼前の11時に市内を出ました。4区から7区に掛かる橋を渡ると、すぐに Nha Be 地区に着きます。テト休みに入っていましたので、道路は空いていました。着いた場所の店の名前は 「 Cau Ca Giai Tri(コウ カー ザーイ チー)」 。「 Cau Ca 」=「魚釣り」。「Giai Tri」=娯楽という意味です。

その店の真ん中に広い通路があり、その両側に大きな池が二つありました。池の周りにはニッパ椰子やマングローブの木が立っていました。テト休みなので、入り口には「菊の花」が飾ってありました。しかし、着いた時にお客は我々以外誰もいませんでした。ここの係りのおばさんらしき人が、入り口でハンモックに揺られて寝ていました。

我々が入って来た姿をチラッと見ましたが、また寝てしまいました。テト休み期間中なので、 (もしや、ここも休みなのかな~)と心配しました。そのおばさんに「出来ますか?」と聞くと「いいよ!!」との返事。家族の中で、娘が一番喜んでいました。

そして釣具とエサをもらいました。釣り竿一本が一万ドン(約 50 円)。ウキと針が付いています。しかし、これまた原始的なウキです。そこらの雑草を取ってきて乾燥させ、上下を糸でただ結んだだけのようなウキでした。エサは茹でたエビ。茶碗一杯でこれも一万ドン。最初は娘も女房の家族にエサを付けてもらっていましたが、後では自分で付けていました。

釣り堀の周りの風景はのんびりしています。トイレも水洗トイレどころではありません。いわゆる「厠スタイル」のトイレで、釣り堀の池の上に板が数枚突き出ていて、中の人が見えないように、外をビニールで囲ってあるだけです。

いよいよ今から魚釣りに挑戦です。全員で6人が魚釣りに挑戦しました。自分が言い出しただけに、娘が一番張り切っています。私はハンモックに揺られながら(どうせ、そうすぐ簡単には釣れないだろうな~・・)と思い、寝ながら眺めていました。市内の池で釣っている姿を見かけた時、バイクを停めて釣果を見ても、あまり釣れていないケースが多かったからです。

しかし、この日は違いました。釣り糸を垂れて僅か十分ほどして、一番先に娘に当たりが来ました。家族たちが「わーっ!」と叫んだので、私もそちらのほうを見ました。釣り竿が大きくしなり、娘が竿を必死に握っています。私も驚きました。女房の弟が手伝って、最初の釣果を土手の上に釣り上げました。

結構大きいです。全体が丸い形をしていて、お腹の部分がオレンジ色をしています。釣れた魚の名前は、 「 Ca Phi( カー フィー ) 」 と言うそうです。最初に自分が釣り上げただけに、娘は大変満足そうでした。釣った魚はビクに入れ、池の中でしばらく休んでもらいます。

それを皮切りに、十分ほどしてまたまた釣れました。家族の他のメンバーにも当たりが次々と来ました。「 Ca Phi 」のほかに 「 Ca Ro( カー ロー ) 」 という名前の魚も釣れました。

この魚は、路上の指差し食堂でも時々食べます。小骨が多いですが、大変美味い魚です。

10 分~ 15 分おきに 6 人の釣り人の中の誰かが釣り上げるので、ビクの中にはドンドンお魚さんが増えてきます。この二種類の魚で、ビクの中がいっぱいになってきました。ビクの中でバチャ・バチャ音を立てて、お魚さんが跳ねています。

12 時半を過ぎた頃、一旦お昼を摂ることにしました。お昼のメニューも魚。この魚はよく 『魚の鍋』 で出てきます。そしてこの魚が、娘が Ben Treで釣り上げた魚です。 名前は 「 Ca Dieu Hong( カー ディユ ホン ) 」 と言います。

食事後もまた、魚釣りを続けます。大・中・小のサイズで釣れますが、小さい魚は釣れても釣り堀にまた戻します。しかし、次々と釣れます。普段ベトナムで魚釣りをしない私は、

(釣り掘というのはこんなにも釣れるのだろうか??)

と不思議に思いました。結局、約 4 時間で 25 匹ほど釣れました。おばさんがビクの中を見て、小さいのは池に投げ入れました。結局、 17 匹を持ち帰ることが出来ました。おばさんが計量器を持って来て、目方を量ります。

持ち帰ることが出来た魚は、計量すると5kgありました。1kg= 2 万ドン ( 約 100 円 ) というので、全部で十万ドン払いました。食事代が鍋と飲み物を頼んで 40 万ドン(約 2 千円)でした。家族十数人でしたから安いものです。

釣れたお魚さんはそのまま(水も入れず)ビニールに入れてもらい、女房の実家に持ち帰りましたが、全部生きていました。そしてやはり、この日釣り上げたお魚さんたちが、夕食の料理に出てきました。

魚を油で揚げた料理や、魚の鍋料理がありました。魚の鍋が煮えてくるまで、みんなで今日の「釣果」を発表します。多い者では七匹。少ない者でも三匹を釣り上げていました。みんな嬉しそうでした。

そして、魚の鍋が煮えました。鍋のフタを取り、この日に釣り上げたお魚さんたちを、みんなで美味しく、頂きました。この日の朝まで釣り堀の中を泳いでいたお魚さんたちは、夜には家族みんなの胃袋に入ってゆきました。家族みんなで食べると、美味しいものですね。

来年のテトが近付けば、また娘は「魚釣りに行こうね!」と催促してくるような予感がしています。

● テト休みの最後は「 Dam Sen 公園」●

ベトナムの『テト休み』が終わる頃、女房の家族たち全員で 「 Dam Sen( ダム セン ) 公園」 に行くことにしました。ここはサイゴン市内にありますので、バイクですぐに着きます。

そして、「 Dam Sen 公園」に着いて驚きました。駐車場に停めてある、そのバイクの数の多さにです。みんなも同じ考えで、残り少ない『テト休み』をこの「 Dam Sen 公園」で過ごそうと考えたのでしょう。駐車場は、「バイク・バイク・バイク」だらけでした。何とか停めはしましたが、バイクを出す時に(果たして出せるだろうか・・・)と心配になりました。

しかし、この日は快晴でした。暑いです。切符売り場に向かいますが、多くの人たちがいます。公園内に入るための切符の値段は、入場券だけだと 10 万ドン(約 500 円)。中の乗り物や、娯楽施設を楽しむ場合は 18 万ドン(約 900 円)。我々大人は普通の入場券で入りましたが、子どもたちはいろんな乗り物に挑戦するので、高いほうの入場券を買いました。

中に入りました。入ってすぐのところに、今年の干支の「馬」の作品がありました。しかし、 Nguyen Hue 通りの [ Flower Road ] にあった「馬」のほうが、大きく・勢いがありました。ここの園内にも、黄色い「 Hoa Mai( ホア マーイ ) 」の花が咲いていました。盆栽もありました。ベトナムの盆栽は、南国の太陽に照り付けられて青々としています。

お昼近くになり、公園内の空き地や木陰でお昼ご飯を食べているグループがたくさんいます。「 Dam Sen 公園」内にもレストランはありますが、高い・不味い・人が多い・・などの理由で、自分の家で家族全員ぶんの弁当を作り、それを園内に持ち込んで食べています。

下には広いビニールを敷いて、家族みんながそこで食べます。このほうが安上がりで、ゆっくり食べることが出来るのでしょう。芝生の上でも食べています。係員から特に注意はされません。コンクリートの上よりは、そちらが快適でしょう。

「 Dam Sen 公園」には二年前にも来ましたが、その時には無かった、大きな水族館がありました。水族館の中に入りました。中は大変涼しいです。いろんなお魚さんがいます。鍋料理に出て来るような大きな魚もいますが、ここにいれば人さまに食べられることも無く、長生き出来るでしょう。

お昼を過ぎて、私達もお腹が空いてきましたので、お昼ご飯を摂ることに。園内には、 「 Ba Mien( バー ミエン ) ・・・三地方の伝統文化の紹介、特産品や料理があります。」という看板があります。 Ba Mien( バー ミエン ) とは・・・「 Ba 」が「3」。「 Mien 」が「地方 ] と言う意味です。

● Mien Bac( ミエン バック ) ・・・北部

● Mien Trung( ミエン チュン ) ・・・中部

● Mien Nam( ミエン ナーム ) ・・・南部

のことです。我々は 「Am Thuc Ba Mien( アム トック バー ミエン ) 」という看板がある店に腰を下ろしました。「 Am Thuc 」は「 Am 」が「飲」。「 Thuc 」が「食」という意味で、三地方の料理が食べられる店という意味です。

しかし、ここも多くのお客がいて、しばらくは席が見つかりませんでした。調理場の上には、ザルに値段が掲示してありました。店の中では店員さんたちが忙しく立ち回っています。いろんな物を炭火で焼いていました。モウモウたる煙が立ち込めています。

ニワトリの蒸し焼きもありました。甕の中に多くのニワトリを吊るして、炭火で蒸していました。「ダチョウの肉」の串焼きもありました。一串で3万ドン(約 150 円)。ベトナム風お好み焼き・ Banh Xeo( バイン セオ ) もありました。

このレストランの周りでは、三地方の特産品の実演販売や、文化の紹介などをおこなっていました。「青年文化会館」の時と同じように、書道の実演販売もありました。陶芸教室もありました。そこでは、一人の女の子が陶芸に挑戦していました。

それを見ていた娘も挑戦。基本は丸い茶碗の形です。粘土をこねて、それを台座の上に置いて、台をグルグル回すと、自然と茶碗の形が出来上がります。一回挑戦して、 2 万ドン。しかし出来上がった茶碗はまだ粘土のままの状態ですので、持ち帰りは出来ません。

公園の中には池があり、白鳥のような小船に乗って遊ぶことが出来ます。子どもたちは 18 万ドンの入場券を買っていますから、切符を買う時に渡された案内を見て、(どの乗り物に乗ろうかと?)とお昼を食べながら調べていました。園内にある人気の乗り物は、行列が出来て多くの人たちが並んでいます。そこに娘たちも並びます。

ゴー・カートにも乗りました。我々大人たちは外に立ち、眺めているだけです。しかし、よくよく見ていると、<おじさん>らしき年齢の人もゴー・カートに乗っていました。

長い竹を渡るゲームもありました。人が乗ると竹が左右にグラグラ揺れて、七人ぐらい挑戦しましたが、誰一人も成功せず。似顔絵を描いている人もいます。出来上がったのを見本に置いてあります。あの 「ベッカム」 の似顔絵もありました。

バッファローのような模型の牛に乗り、最後まで振り落とされないことが出来るかに挑戦する遊びもあります。結構速いスピードで上下に動きますので、振り落とされていました。動くスピードがかなり速いので、大人は乗れても、子どもたちには無理です。

結局この日は五時間ほど公園内にいて、お昼を食べた時以外の時間は、子どもたちに付き合って、ずっと歩きっぱなしでした。家に帰り、疲れて寝ていた時の深夜の三時頃、右足のふくらはぎがいきなりケイレンを起こし、筋肉が硬くなって痛みが走りました。

ふだんはあまり歩かないのに、この日急に長時間歩いたので、足の筋肉が悲鳴をあげたようです。来年もまた「 Dam Sen 公園」か、どこかには行くことになるでしょうから、(日頃から足を鍛えておかないといけないな~)と思ったことでした。

● 元実習生が「先生」としてデビュー ●

今年のテト明けに、私には実に嬉しい出来事がありました。かつて日本語を学んでいた実習生が、その同じ学校で今度は 「日本語の先生」 として、テト休み明けからデビューしたのでした。

その実習生とは、昨年の 12 月初旬にベトナムに帰って来たばかりの Huong( フーン ) さんです。今まで実習生たちがベトナムに帰って来た時、空港に迎えに行くことはありませんでしたが、その時初めて行きました。

この時、 22 人の実習生たちがベトナムに帰って来ました。その中の一人がHuongさんでした。彼女は私に空港で会った時、「これは日本でIJさんから預かって来ました。」と言って、茶封筒を私にくれました。IJさんは彼女の日本での上司でした。

その封筒を持ち帰って、後で開いてみました。その中には、 彼女が会社で実習している時の様子の写真や、IJさんと彼女との日本での繋がりを 、 Huong さん自身が日本語で書いた作文が入れてありました。

そして驚いたことには、その中にはさらに 『 日本語能力試験N2の合格証明書』 のコピー がありました。私はその時初めて、彼女がN2の試験に合格していたのを知りました。空港で別れた後にそのことを知りましたので、 「おめでとう。良く頑張ったね!」 と言う言葉をかけることが出来ませんでした。

そして、封筒の中には <私の恩人> と題し、原稿用紙にして9ページにもなる作文が入れてありました。私は それを読んでゆきながら、涙を抑えることが出来ませんでした。今でも折に触れてそれを読むことがあります。生徒たちにもそれを紹介しています。

その中に、IJさんご夫婦と彼女との日本での深い交流の様子が、感動的な日本語の文章で書かれています。後でそれを私の同僚の日本人の先生たちや、会社のベトナム人の社長にも読んでもらいました。彼は日本語が流暢に話せます。後で、そのベトナム人社長は私に「読んでいて涙が出て来ました。」と話してくれました。

そして、IJさんご夫妻は年末にベトナムを訪問されました。私たちの学校も訪問されました。 400人近い生徒たちの前で、IJさんが挨拶をされました。Huongさんにも挨拶をお願いしました。彼女は日本で頑張って来た自信に支えられてか、堂々とみんなの前で話していました。

そしてその後、事務所で同僚のS先生、IJさんご夫妻、 Huong さん、私を交えていろいろなことを話しました。彼女の今後についても話しましたが、この時にはまだ学校で先生として働きたいという話は皆無でした。

その翌日から、IJさんご夫妻と Huong さんはローカル・バスに乗って、彼女の故郷である、サイゴンの南西にある 「BAC LIEU( バク リュウ ) 」 に行かれました。 Huong さんのご両親にも会われました。

「 BAC LIEU」滞在の 数日間はホテルではなく、 Huong さんの実家に泊まられたといいます。連日、大歓待が続いたそうです。特に、Huong さんのご両親にとっては、IJさんとは初めての対面になりました。ご両親は感激・感謝を全身で表されたようです。

日本で Huong さんが病気で入院していた時に、親身になって世話をして頂いたのが、IJさんご夫妻でした。動けない彼女に代わり、彼女の服の洗濯まで奥さんがして頂いたと、Huong さんは作文に書いていました。

実は、この IJさんの「 BAC LIEU」での滞在の間に、彼女の気持ちの中で(昔日本語を学んだ学校で、先生として働きたい・・・)という気持ちが募って来たようでした。後でそのことを、日本に帰ったIJさんから連絡を頂きました。

(もしそれが本当なら、会社の社長にもその彼女の気持ちを伝えて、直接彼から Huong さんに連絡してもらおう)と思い、学校でその社長に会った時に、 「BAC LIEU」での 彼女の連絡先を教えて、後は彼に任せることにしました。その後のいきさつは知らないままでした。

そしてしばらくして、学校の校長から「 Huong さんが正式に日本語の先生として採用されました。」という連絡をもらったのが、テト休みに入る一週間ほど前でした。嬉しくなって早速IJさんに連絡しますと、ご夫婦で大変喜んでおられました。

そしてテトが明けて学校に行き、 Huong さんに会いました。教員室には同僚の先生が多くいるので、直接多くの言葉をかけるのは控えましたが、私が嬉しそうな表情をしたら、彼女も「ニコッ」と笑顔を返しました。

そして、新年明けの全体朝礼で、 <新人の先生紹介> の時間を作ってもらい、 Huong さんにみんなの前で「自己紹介」をしてもらうことにしました。約400名の生徒たちの前に彼女は立ち、最初は日本語、次にベトナム語で話をしました。

「みなさん、おはようございます。私は Huong と申します。 BAC LIEUから来ました。 三年前にこの学校で日本語を勉強していました。そして、三年間の日本での実習が終わり、昨年の12月にベトナムに帰りました。そして、今年から“日本語の先生”として、この学校でみなさんに日本語を教えることになりました。三年前にここで日本語を勉強してから、三年後にまた同じ学校で日本語を教えることが出来るようになり、大変嬉しいです。日本で経験したことをみなさんに教えたいと思います。これから、どうぞよろしくお願いします。」

彼女が話をしている間に、生徒たちの表情を見ましたら、目を輝かせて見つめていました。そして、私は彼女が生徒たち全員の前に立ち、静かに力強く話している姿、その内容に深く感動しました。涙が出る思いでした。

かつて同じ学校で日本語を学んでいた先輩が、三年後に故国に帰って来て、今度は“先生”として後輩たちに日本語を教えてくれる。教えてもらう後輩の生徒たちにとっても、大いなる励ましになることだろうと思います。

ベトナムBAOニュース

「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

 北海道で働くアオザイ娘――根室のベトナム人実習生 

北海道根室市、この街ではこの 1年ほど、水産工場で働くベトナム人女性たちの姿がおなじみになった。この遠く離れた根室の街に住むベトナム人は、彼女たちが初めてだ。

Huynh Thi Haさん(29歳)、An Giang省出身の彼女は、水産会社カネヒロで実習生として働いている。

ここで働き1年近く、この街が大好きだと、嬉しそうに言う。生活はとても穏やかで、みなと一緒に暮らし、日本人の細かく、熱心な仕事にも慣れた。日本に渡る前は、Ba Sa魚の加工場で働いていた。

こちらでの仕事は主にサケの加工で、頭を落とし、腹を開ける作業をしている。技術的にはベトナムでやっていたことと、そう変わらないが、ここでみなと暮らし、かなりの収入が得られ、そして重要なことは、スキルや日本人の規律を学べることだという。

同じ工場で働くNguyen Thi Kim Yenさん(31歳)は、ベトナムと比べ、休憩の取り方が、より仕事にやる気を持たせるようになっていると言う。毎日仕事は朝8時からで、1時間ほど仕事 をしたら5~10分休憩し、作業を終えるのが16時30分。工場の片付けをして、17時10分には終業。カネコメ高岡商店では、休憩室に、刺繍やミシン、 パズルなどが置いてあり、昼休みは好きなことができる。

Yenさんは、水産加工の見識を磨く以外に、最も貴重なことは、日本人の優しく、細やかな性格を学べることだという。「みなさん優しく、一生懸 命教えてくれて、ベトナム人に対してとても温かいんです。ここの人たちは、お菓子を作ってくれたり、仕事の道具や洋服などちょっとしたものをプレゼントしてくれたり」。

渡航前には9カ月日本語を勉強した。いまは流暢に話すことができる。実習生たちがここで興味深く感じたのは、従業員はひとつの仕事をずっと続けるわけではなく、常に違う仕事をやることである。

これが、実習生たちが、魚の加工プロセスをよく理解することに役立っている。従業員の扱いもとても丁寧だという。「工場長から社長さんまで、従業員に大声を上げることはありませんし、ミスがあればはっきりと指摘して、対処します」。

カネヒロ社には120人の従業員がいて、うち20人がベトナム人。カネコメ高岡商店では12人。異国での生活にベトナム人女性たちは、みなで教え合い、喜び、悲しみを分かち合っている。「週に1度、みんなで買物に行くんです。1週間貯めたお金を出し合って。時間があるときには、日本語の勉強をし たり、スーパーに行ったり。毎月社長さんが、ボーリングのチケットをくれますから、ここでの生活は楽しいですよ。もちろん家は思い出しますけどね」と Yenさん。テレビがある歓談室は、寝室とは別で、ここで彼女たちは、自分のこと、家族のことを語り合う。

案内してくれた、カネヒロ社の廣田秀樹社長は、「彼女たちを見ていると、まるで30年前の日本人を見ているようでね。勤勉で、熱心で、前向きで」。カネコメ高岡商店の高岡義久社長は、いまは12人の実習生を受け入れているが、数を増やしたいという。「優しくて、一生懸命で、ここの人たちはベトナムの実習生にとてもよい印象がありますよ」と話した。

根室市で働くベトナム人実習生は現在35人、2011年に第1陣で10人がやってきて、受け入れ企業の評判が良く、第2陣は25人に拡大した。 他の都市と違い、ここでのベトナム人実習生の受け入れは、長谷川俊輔市長をはじめ、市の大きな支援がある。

ベトナム人実習生の受け入れを強く働きかけたのが、長谷川市長その人だ。「根室市はベトナムへのサンマ輸出を増やしたいと思っています。この街で働いてくれた実習生たちが今後、ベトナムと市の大きな架け橋になるでしょう」と話している。                      

== HOTNAM News ==

◆ 解説 ◆

北海道というところは私の郷里の九州・熊本からは遥かに遠い場所にあり、日本にいても身近に感じたことはありませんでした。しかし、一年ほど前から私の教え子たちが北海道に行くことになり、急に身近に感じるようになりました。

それだけに、この記事を最初に読んだ時「もしや、私の学校の生徒たちのことかな?」と思い、しばらく食い入るように読みました。しかし、別の派遣期間の団体から北海道に行った生徒たちのようでした。

私の教え子たちが行って実習している場所は「釧路市」で、酪農に従事しています。この記事の実習生達は「根室市」で実習しているようで、サンマの水産加工ですね。しかし、どちらも 「ベトナムからの実習生たち」 であることには変わりありません。

「根室市」と言えば、「サンマ」が有名です。以前、サイゴン市内にある 「SUSHI BAR」 で <根室さんま祭り> が行われましたが、それを主催したのが「根室市」でした。そして、つい最近もまた開かれたようです。朝日新聞にそれが掲載されました。

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~~サンマを売り込め!!高くても「新鮮だから」人気~~

『東南アジアの社会主義国ベトナムへ、道内から様々な形での経済進出が始まっている。昨年はサッカーJ2・コンサドーレ札幌でのレ・コン・ビン選手の活躍で、この国の存在が道民にもぐっと身近になった。経済成長の著しいベトナムに「北海道」を売り込む動きを、現地で見た。

ベトナム最大の都市ホーチミン。冬とはいえ日中の気温は30度を超す1月下旬、繁華街のレストランの店先に「根室さんま祭り」というのぼりがはためいていた。根室市と市内の水産加工会社などで組織する「市アジア圏輸出促進協議会」が仕掛けた根室産サンマのPRイベントだ。

市内に6店舗を展開する和食レストラン「スシバー」で6日間、塩焼き(約330円)、握りずし2カン(約220円)などのサンマ料理を提供した。ベトナム麺フォーなら100円ちょっとで腹を満たせる国では高めだが、用意した7千食が完売した。

イベントに合わせ、根室市から長谷川俊輔市長を団長とする約20人のサンマ販促訪問団が現地を訪れた。現地メディアを集めた試食会では「脂がのっておいしい」という声が多かった。取材を受けた市長は「根室は漁場が近いので魚の鮮度には自信があります」と胸を張った。根室市がベトナムへ冷凍サンマの輸出を始めたのは4年前。・・・』

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想像するに、「根室市」で働いているベトナム人実習生たちと、「釧路市」で働いている教え子たちとは、故郷を同じくしている者も多いかと思います。いずれにしても、彼らは同じ「南国・ベトナム」から日本の北海道に行っています。私が教えている学校からは、すでに 15名ほどが「釧路市」で働いています。

今年の日本は記録的な寒さに襲われているようで、報道では 「東京都心で 1969年以来45年ぶりに積雪が25cm。埼玉の熊谷では60年ぶりに積雪40cm。千葉では観測史上最大の積雪30cmを記録。」 というではありませんか。ベトナムの新聞にも、そのことが大きく載っていました。北海道で彼らは、ベトナムの南部では見ることが出来ない、すごい雪の光景を目の当たりにしていることでしょう。

でも、そういう日本人ですら震える寒さの中でも、上半身裸になってガッツ・ポーズを取っている男子実習生の写真を見ました。生まれて初めて見る雪なのでしょうが、寒さの中でそれを楽しんでいる様子が想像出来ました。それも 「日本体験」 のひとつです。

「根室」に行ったベトナム人の若者たち。「釧路」に行った生徒たち。みんなそれぞれが、日本でさまざまな体験をして、いろんなことを学んで、三年後に大きく成長して故国・ベトナムに帰って来ることでしょう。

Posted by aozaiVN