【2004年12月】第10回・日本語スピーチコンテストの実施/ベトナム・日本文化交流祭が開催
春さんのひとりごと
< 第10回・日本語スピーチコンテストの実施 >
1994年、ベトナムに滞在していたある1人の日本人がベトナムでの生活に別れを告げる時に、「日本語を勉強している人たちのために役立てて欲しい」と、いくばくかのお金を残して帰国しました。
それから当時まだ数少なかった大学の日本語学科、日本語学校の日本人教師の有志が集まり、その資金の用途を考えた結果、「日本語学習者のための弁論大会」を開くことに決めました。
そのあとにその実行委員会となる日本語教師会を組織し、弁論大会の開催を計画、準備しました。
そして翌年に12名の発表者が決まり、ついに最初の第一回ホーチミン市日本語スピーチコンテストが開催されました。その後は国際交流基金や日本商工会も協力して、今年で第10回目を迎えました。
今回は16名のベトナム人による発表が、朝8時から始まりました。
私もこのコンテストには大変興味がありましたので朝から出掛けて来ました。会場には圧倒的にベトナム人の姿が多く、昨年は700名の入場者がいたそうですが、今年も同じくらいは来ていたようです。
最初にまず、日本語学校のベトナム人の生徒による太鼓の演奏があり、続けてこれまた法被を着たベトナム人によるヨサコイ踊りが披露されました。
そしていよいよスピーチコンテストです。今回の発表者の16名のうち、そのほとんどが大学生です。まだ日本語を勉強して1年未満の人もいれば3~4年の人もいました。
手元に原稿は無しで、内容をすべて暗記して、一人が持ち時間5分以内で発表するやりかたでしたが、全員事前に十分に練習した成果でしょうか、誰一人として途中で内容を忘れたり、話が止まったりすることもありませんでした。
発表内容も政治や文化についての深い内容も多く、みんなが良くいろんなことを勉強している様子が想像出来ました。その16人の発表中、私がじっと目を瞑って聞いていると、「今日本人が話しているのではないかしら?」と思うくらい、本当に日本人と聞き間違えるほどに日本語の上手い人が、2人ほどいました。
そして16人すべての発表が終るとまた、ベトナム人による「赤とんぼ」や「さくら」の歌や踊りが7組みほど披露されてその後に、コンテストの結果発表です。
優勝者はやはり、私も上手いなーと思ったうちの一人でした。名前をPham Thi Cam Van(ファム ティー カム バン)さんと言う大学生の女性です。彼女はまだ日本語を勉強して3年に満たないくらいだといいますから、ここに到るまでさぞ日々努力していたのでしょう。その苦労が偲ばれます。
ベトナムにおける日本語学習者の数は、以前は英語>フランス語>日本語くらいの位置付けでしたが、最近は英語>日本語>フランス語になっているでしょうと、ある日本語学校の校長先生が私に話してくれましたが、毎年開催されるこういうスピーチコンテストも、今後の日本語学習者の大いなる励みになっていくことでしょう。
ベトナムBAOニュース
「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。
■ ■ 今月のニュース 「 ベトナム・日本文化交流祭が開催 」 ■ ■
11月19日から21日まで、ベトナム・日本文化交流祭(ジャパン・フェスティバル2004)が、ホーチミン市の統一会堂前の野外で開かれました。この期間だけでも、日本からの訪問者は約3000人に達しました。さらに市内の中心部に近いことから、多くのホーチミン市民も見学に訪れて盛大に賑わいました。
またこの会場には、ベトナム各地の観光地やリゾート地の紹介。ベトナム料理の紹介。ベトナム雑貨や地方の民俗文化の紹介コーナーなども設けられて、特に日本からの観光客が興味を持ってくれるようないろいろな展示がありました。
交流祭1日目は、ベトナム人アーティストや俳優による、フエの宮廷音楽やベトナム民謡の紹介。そして村の祭りを表わした舞踏。日本からは歌手の平松愛理さんが参加して、日本の歌を熱唱してくれました。
平松さんは神戸生まれで、小さい時から歌を唄うのが大好きで、ピアノも習っていました。そして25才の時に初めてのコンサートを開きました。それ以来日本でずっと歌手の活動を続けています。
そして1995年に起きた阪神大震災の時に、チャリティからの依頼があり、このベトナム・日本文化交流祭に積極的に参加されました。
2日目は、ベトナム人による活け花と茶道の実演がありました。 またベトナムの職人によるゴザやノン(ベトナム笠)作成の実演。さらにはベトナム人による水上人形劇。アオザイを身に付けたベトナム人女性によるファッションショー。また日本人雅楽家によるハーモニカと笛の合奏がありました。
最後の3日目には、ベトナムの新進デザイナーによる現代ベトナムの最先端のファッションの紹介と、ベトナムにいる54の民族の民族衣装が披露され、最後に閉会式をして無事に3日間の交流会を終えました。
この期間にベトナムを訪問していた、2人の若い女性Kyokoさん(2回訪越)とKeikoさん(5回訪越)は、次のように話してくれました。
『私たちは今までベトナム雑貨の買い付けの仕事と、観光を兼ねてベトナムに何回も来ています。今回のような機会にたまたまベトナムを訪問出来て、大変運が良かったです。
以前から私たちはベトナムを訪問して、いろんな場所を訪問しましたし、キレイな景色のある場所も知っています。またベトナム料理も大変美味しくて、大好きです。またベトナムの雑貨は値段も安くて、大変器用に・美しく出来ていると思います。
今回このような交流会に参加することが出来たのは、さらにまたベトナムについてより良く知るための、いい機会だと思いました。これからも日本とベトナムの交流がますます深まればいいですね』
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(解説)
今回のベトナム・日本の交流会の催しは、ずいぶん以前から告知されていたこともあり、私も日本語を勉強しているベトナム人の学生と一緒に、期待を持ってこの交流会を見学に行きましたが、とにかくものすごい人出で少し歩けば肩がぶつかるくらい、人・人・人で会場は溢れかえっていました。
しかし野外に展示してあるのは、ベトナム各地の観光地や産品がほとんどで日本に関するものはあまりなく、特にベトナムの人にとってさほど目新しいものはありませんでしたが、日本からやって来た歌手が登場した時には、なかなかふだんは見れないだけに興奮していたようでした。
日本人歌手・平松愛理さんの記事は、こちらの新聞にまるまる一ページを割いてインタビューを載せていましたので、高い関心を集めていたようです。
日本に関しての数少ない催し物で、野外で実演していたベトナム人による茶道のコーナーは、腰掛ける台に敷く緋毛氈などが手に入らなかったらしく、ベトナムのゴザで代用。さらにお湯を沸かす釜は何と電気ポットという具合。
まあしかしベトナムの人たちにとっては、こういう茶道そのものも話には聞いていても、実演を見るのは初めての人がほとんどだけに(一緒に行ったベトナム人の学生もこの時が初めて)、興味深々という感じでみんなが覗き込んでいました。
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いよいよ12月に入りましたね。もうすぐすると2005年の幕開けです。今年一年の間、アオザイ通信を読んで頂きまして本当に有難うございました。また来年も宜しくお願い致します。