【2006年4月】ベトナムで蛍を観る/あなたは誰?

春さんのひとりごと

<ベトナムで蛍を観る>
「蛍を観に行きませんか?」という誘いが知人からあり、「いいですね~、ぜひ行きましょう!」と二つ返事でOKして、バスで蛍を観賞しに行くことになりました。一行は全員日本人で総勢6人。蛍を観に行く場所は、サイゴンから南西にバスで2時間ほどの距離にあるミートーという所です。

思えば、私が日本の田舎で夏に蛍を観ていたのは小学生の頃までで、今から40年くらい前のはるか昔になるでしょうか。その当時は田舎の日常的なありふれた光景の一つとして蛍を眺めたり、追っかけていただけで、特に興味があったわけではありませんでした。

そしてその後、私の田舎からは蛍をはじめとして、ドジョウやオニヤンマやカワセミなどがいなくなってしまいました。今でも私の田舎にはまだイノシシは出没しますが、食物連鎖の底辺にいるこういう生き物はいなくなりました。さらにはこういう生き物だけではなく、昔からの子供の行事も無くなってしまいました。子供の頃よくやっていたその行事の一つに、「モグラ叩き」という行事がありました。

この「モグラ叩き」というのは、夏に田んぼの土手に穴を空けて悪さをするモグラを懲らしめるために、子供たちが竹の先にワラを巻いた道具で地面を叩いて、その年はモグラが少なく出てくれるようにと大人のために願って、毎年行っていた風習でした。

子供たちが村の中の近所の家を一軒・一軒回って、その「モグラ叩き」をして、そのご褒美に御菓子や餅やお小遣いをもらえるという風習で、当時田舎で娯楽の少ない子供たちには大変楽しい行事でしたが、今の私の田舎ではとうに無くなってしまっています。

そう言えばドジョウで思い出しましたが、私が子供の頃には田んぼの横の用水路にウジャウジャといて、夜になるとソウメンと一緒に煮て食べていました。子供の頃に食べたそのドジョウの何とも言えない美味しさを、ずいぶん長い間味わえないでいましたが、何とこのベトナムに来て、実に40年ぶりに食べることが出来たのです。その時の嬉しさといったらありませんでした。

このベトナムでは、ドジョウ専門店が一つの通りに集まって営業していて、ドジョウの値段もまださほど高くなく、夕方になるとこのドジョウ屋さんはベトナム人の家族連れでごった返しています。ベトナム料理におけるドジョウの料理方法は、唐揚げと鍋が中心です。
そしてそのドジョウは、日本のドジョウと姿・形・味も変わりません。

今のベトナムにはこういう、「以前の日本にもあったが、今の日本からは消えたもの」が幾つかあります。修理屋さんなんかもそうですね。ベトナム人は物持ちが大変良い国民ですが、それは安い代金で修理してくれる修理屋さんが、街中の到るところにあるからとも言えるでしょう。

ベトナムでは今も、ズボンや服や靴や時計の修理屋さんなどが路上で営業しています。先日骨が3本ほど折れた傘を修理に出しました。私自身は(もうこんなボロの傘なんかいいや)と棄てるつもりでいたのですが、女房が勝手に修理屋に持って行ったのでした。

そして返って来たその傘を見ると、針金で補強してあって見た目は少し不細工ではあるものの、見事にまた十分に使える傘として甦って来ました。その修理代は日本円にして約80円くらいでした。これくらいの金額で修理が出来るんであれば、誰しも高い新品を買おうとは思わないでしょう。

サイゴンの街中には、恐ろしく古いバイクや車が今も走っています。
時に30年前ぐらいのシボレーやシトロエンを見ることもあります。
ホンダのスーパーカブなどは、30年ぐらい経っているのが今も普通に走っています(事実私が今乗っているスーパーカブも、優に35年くらいは経っています)。

さて私たちは3時半にサイゴンを出て、2時間弱で目的地のミートーに到着。そこで早めに夕食を摂ることにしました。川沿いのレストランでみんなで食事。料理にはこのレストランの名物である「象耳魚」という名前の大きい魚の唐揚げが出ました。大きさは30cmくらいはあったでしょうか。日本で食べるカレイの唐揚げと同じような調理方法で、魚一匹を丸ごと揚げてありました。

そこでの食事が終って辺りが暗くなった頃、夕方7時くらいから目指す蛍の生息地に船で出かけました。一緒に同行してくれたガイドさんに「日本人以外にも蛍を観る人たちがいますか?」と聞きますと、「こうして、お金を払ってまで観る人たちというのは日本人だけですねー」という答えです。

彼が言うには、「ベトナム人はそもそも、今も田舎に行けば蛍はどこにでもいるし、珍しくもないので、お金を払って船を仕立ててまで観に行く人はいない。欧米人は元々そういうのを観る趣味がない」ということですが、この件では欧米人に直接聞いたことはありませんので、真偽のほどは分りません。

そして船に乗って約20分くらい経った頃でしょうか。そのガイドさんが「みなさん、蛍がいました、いましたよ!」と知らせてくれたので、みんな船の外に顔を出したのですが、辺りは真っ暗で良く見えません。

「どこ?どこ?」と聞くと、「もう少し船を近づけますので、ちょっと待って下さい」と答える間もなく、川沿いに生えている木に船が近付くと、確かにそこに蛍が停まっていました。ここの蛍はどんな木にも停まるわけではないそうで、この時に停まっていた木はマングローブの一種類である「ソネラチア」という名前の木です。

ここに着くまで私は、蛍が木に鈴なりに集まっている姿を一人で勝手に想像していたのですが、実際この時はそこまでの数の多さはいなくて、蛍は大きい木の枝に点々と停まって、暗闇の中で光りを明滅させていました。それでも参加した日本人みんな、久しぶりに観る蛍を十分に堪能していました。

私は(ピカピカと光る蛍を子供に見せたら喜ぶだろうな)と思って、5匹ほどビニール袋に入れてサイゴンに持ち帰ったのですが、家に着いた時にはもう子供はスヤスヤと寝ていましたので、そのままその蛍さんをサイゴンの空に放してあげました。5匹の蛍さんたちは、夜空に吸い込まれるように消えて行きました。

ベトナムBAOニュース

「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ 今月のニュース 「あなたは誰?」■
3月末、ホーチミン市で暴行、引ったくり、スリなどの事件から観光客を守る任務に就く「青年奉仕隊」の活動が始まった。この「青年奉仕隊」は現在108人で、ホーチミン市内の1区や3区などといった多くの外国人観光客が集中する地区に配備された。

この中には2人の女性隊員もいる。これは女性の観光客が、ホーチミン市内を観光中に問題が起きた時に解決に当たる目的で配置された。

これら「青年奉仕隊員」たちは、ホーチミン市内の道案内などのほかに、物乞いや観光客にしつこく付きまとう物売りたちなども取り締まる。

これはベトナム国内初の試みであり、ベトナムを観光に訪れた観光客に安全で楽しい旅行を楽しんでもらい、「経済都市」としてのホーチミン市を、さらに「観光都市」としてもイメージアップしようと目指しているのである。この試みが成功すれば、市内の他の地区にも広げていきたいと考えている。

(解説)
ベトナムはアジアの中でも政情は大変安定していて、治安の良さという点で群を抜いているほうでしょう。私自身もこちらに住んでいて、身の危険を感じることはまだ一度もありません。

ただこのベトナムはまた、スリやカッパライや泥棒が多い国だというのもまた事実です。これは観光客相手に対してだけではなくて、同じベトナム人同志の間でもそうです。

私がベトナムに来たばかりの頃はまだ監視カメラもない時期でしたので、当時百貨店などに入ると通路の一列ごとの両端に2人の従業員が椅子に腰掛けて座り、お客の万引防止に目を光らせていました。それだけ万引きする人が多いということです。

道路にバイクや自転車などを鍵を付けずにおいておくとまずは100%無くなります。たとえ鍵を掛けていても状況次第ではすぐ無くなりますので(シクロにそのまま積み込んで終り)、ベトナム人たちは有料でバイクや自転車を預かってくれる駐車場に持って行くのがここの常識です。

事実、私の知人もバイクで帰宅して自宅前の道路に鍵もチャンと掛けておいたにも拘わらず、3分間ほど停めておいた間にそのバイクの爆音と共にあっという間に持ち去られてしまいました。

さらにこれに輪を掛けて腹が立つのは公安で、ベトナムでは公安は庶民の味方では全然ありません。彼等は自分たちの利益にならないことには一切動きません。以前私の友人がカメラを盗られた時に、盗難証明をもらおうと地区の公安に行きましたが、そこの担当者は「届けを出すのが遅い!」とかいろんな理屈を並べて、とうとう証明書は発行してくれませんでした。その間周りの公安たちはずっとテレビを見ていました。

またある日本人などは深夜に泥棒に入られたのですが、すぐ地区の公安に電話すると、その時電話に出た公安員に「一体今何時だと思っとるんだ!」と怒鳴られて、ガチャンとそのまま電話を切られたそうです。その人は公安のこのあまりの言葉に絶句し、受話器を握ったまましばし呆然としていたそうです。

そういう意味では、言葉も満足に出来ない観光客がホーチミン市でいろんなトラブルに巻き込まれた時に、相談・解決・協力・援助してくれるこの「青年奉仕隊」の活動は有り難い存在だと言えるでしょう。

Posted by aozaiVN