【2012年12月】生徒の成長 子どもの成長/多くを学ぶが、実行が少ない
春さんのひとりごと
<生徒の成長 子どもの成長>
今年の五月中旬、私がベトナムに戻る前日に、神戸にある本社に入りました。そしてお昼どきになったので、その本社近くの『蕎麦屋」に友人と一緒に入りました。 私が天ぷらソバ、友人がざるソバを頼みました。そして、私がソバの上のエビの天ぷらにかぶり付こうとした瞬間に、「リン・リン・リン」と、店の中で携帯電話が小さく鳴りました。
携帯に表示された名前を見ると、 NT くんとありました。実に懐かしい名前でした。彼は、私が今から 24 ・ 5 年前くらいに、かつて姫路教室で教えていた生徒でした。私が教えていたのは、彼が小学 5 ・ 6 年生の頃でしたので、今彼は 35 歳くらいになっているはずです。
彼と直接話すのは、 14 年ぶりくらいのことでした。私がベトナムに行って二年後の 1998 年に、お母さんと NT くんと神戸でお会いしたことがありました。その時に、お母さんは私が【ベトナムにいる】ことに驚かれ、私はその時 NT くんが【アメリカに留学している】ことに驚いた経緯があります。
そして今年の春、私が日本にたまたま帰国していた時に、 ( そう言えば、あの NT くんとは久しく会っていないが、元気にしているだろうか。今ごろどこで何をしているのだろうか・・・? ) と、ふと思い出し、家に連絡をしました。
私はかつての教え子が、日本国内に住み、日本で仕事を持ち、日本で生活している場合は、自分から連絡を取るようなことはまずはしないのですが、彼の場合はアメリカに行った後の歩みを知らないでいたので、 ( その後、どうしているかな~ ) と、ずっと気には掛けていたのでした。
すると、お母さんが出られて、 NT くんはこの春に日本に一時帰国すると言われました。その滞在期間を聞きますと、私が日本に滞在している期間にギリギリ重なっていました。
お母さんは、「もしEチケットが簡単に取れれば、一日でも早く日本に帰るようにと話してみます。本人も是非会いたいだろうと思いますので・・・」と話されました。それで、私の日本滞在中に NT くんがもし帰国したら、是非電話をしてくれるようにと伝えていました。
そして、日本に到着した彼からの電話があったのが、神戸でソバを食べていたその時なのでした。懐かしい声が電話口の向こうから聞こえて来ました。「本当にひさしぶりだね~。元気でしたか。」の挨拶から始まり、「ところで今何の仕事をしているの?」と私が聞きますと、彼は 何と
「宣教師をしています。」
と答えたのでした。私は彼が答えた 『宣教師!!』 という言葉を聞いて、大変驚きました。
そしていろいろと話を聞いてゆくうちに、最初に私が大変驚いた気持ちから、徐々に深い感動へと変わりました。
(あの時小学 5年の生徒が、今や世界区で宣教師として活躍している・・・)
涙が出るような思いでした。感無量になりました。
『宣教師』と言えば、日本史上では有名なのが、フランシスコ・ザビエル、ルイス・フロイスなどですが、私の知人で『宣教師』という職業を選んで、その仕事に就いているのは彼が初めてのことでした。そして、 NT くんもまさしく歴史上の彼らと同じく、中東やアフリカなど、さまざまな国へ 「布教」 に出かけて行くというのです。
私が NT くんを教えていた時には、彼は大変手が掛かっていた生徒でした。しかし、性格が実に明るく、素直で、私が大変可愛がっていた生徒の一人でした。それだけに、今も忘れられない、大変印象が強い生徒の一人なのでした。
「いつ日本に着いたの?」と聞きますと、「今朝着いたばかりです。」と、彼は答えました。「それは、それは残念だね~。私は明日の昼過ぎの便で、またベトナムに戻る予定ですよ。」と言いますと、彼も「そうですか~・・・。ボクも残念です。」と、寂しい声を出していました。せめて、あと一日・二日彼の日本帰国が早まっていれば、姫路か神戸あたりで会えたかもしれませんでしたが、残念ながら今年の日本でのひさしぶりの再会は叶いませんでした。
「でも大丈夫だよ。今は遠く離れていても、メールでもやり取りは出来るので、時々メールを下さいね。」と、私が言いますと、「今ボクは日本語よりも英語のほうがスラスラ話せるし、書けるので、英語でメールをしてもいいですか?」と、彼が答えました。
「日本人同士が、メールを英語でやり取りするの?」と、私は大いに笑いました。しかし、電話の向こうから聞こえて来る彼の声は、まさしく私が小学 5年・6年生の時に教えていた時の明るいままでした。そしてはるか25年も前の思い出ながら、彼を教えていた時の、ひとコマ・ひとコマの情景が鮮やかに甦りました。
ソバ屋さんで、ソバを食べる手を一旦休めて彼と話していましたが、電話を切った後も、残りのソバを食べながら深い余韻が続いていました。そして本社にまた戻り、その話をたまたま、同僚の Kさんに話しましたら、
「それはすごい話ですね~。ぜひ本人さんとお母さんに直接インタビューして、保護者向けの発刊物に載せたいと思います!」
と言われるのでした。それで、私がベトナムに戻る前夜に、その旨をお母さんと本人に伝えますと、「いいですよ。」と、二人とも快く了承されました。そしてそのインタビューには、同僚の Kさんが直接出向いて行きますと話されました。
それから私はベトナムに戻りましたので、その後の経緯は知りませんでしたが、 11月の末に、そのインタビューの記事が完成し、保護者の方を対象にして発刊されたという連絡が、Kさんからありました。そのタイトルは 【地球サイズの子育て】 といいます。そして、その内容をベトナムにいる私にも、URLで送って頂きました。
それを開いて、彼の最近の写真を見て驚きました。 35歳になった彼の体躯は堂々としていて、昔の面影はありません。直接顔を合わせてインタビューしたKさんに聞きますと、身長は 185 cmくらいあるのではと感想を述べられていました。しかし、 顔は童顔ながらも、確かに昔のままの面影が残っていました。
そのインタビューの記事を、じっくりと読ませて頂きました。その話の大部分はお母さんのお話ですが、お母さんの話の中で私が大いに共感し、感動する点がいくつもありました。
ちなみに NT くんのお母さんは、私が彼を教えていた当時から今に至るまで、【塾の先生】をされています。ですから、 NT くんのお母様と私は当時、【塾】という仕事では、同じ世界に身をおいていたのでした。
お母さんが話されていた言葉の中には、アメリカに留学する時の決断や、今の宣教師の仕事に就くまでのさまざまな思いが溢れるように述べられていて、彼の昔を知る私には、今の成長と併せて大変感慨深いものがありました。以下それらを幾つか紹介したいと思います。
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◆Tさんがアメリカの高校に行くことを決めたきっかけは何だったのでしょう。
彼が中学三年のときです。わたしはこれから一人でこの子を育てていかなければならないという状況になり、彼にひとつの選択肢を与えました。「あなたには、日本で高校受験をするという道のほかに、アメリカの高校に行くという選択肢もある。」。
彼はすぐに言いました。「アメリカに行きたい。」自分の意思で「行きたい」と言ったので、わたしは彼の決断を応援することにしました。
今振り返ってみて、自分自身に先見の明があったなと思うのは、このとき彼の「自立」ということを考えていたということです。このまま日本にいて、わたしのもとで過ごすだけで、この先一人で生きていける力を本当につけられるんだろうか、これからの世の中、一人で生き抜いていくことはそんななまぬるいものではないのではないか。そう考えていました。
◆実際、アメリカに送り出すときには心配ではなかったですか。
いえ、わたしは最初からアメリカについて行くことさえしませんでした。彼は一人で日本から飛行機に乗ってアメリカの地に飛び立ちました。留学先は、通っていた英会話学校に米国情報協力センターを紹介いただき、そこを通して手配していただいた、アメリカ ノース・カロライナ州のクライスト・ハイスクールというところです。そこは日本人学校ではなく、本当に現地の子たちが通う現地の高校です。つまり、彼は最初からたった一人で、日本人のいない現地の私立高校に入っていったのです。
◆能開時代のTさんのお話を聞かせてください。
彼は、能開は大好きでしたが、勉強は嫌いでした。先生たちには本当によく面倒を見ていただいて、合宿に行くのも大好きでした。どうしてこんなに勉強をしないのだろうとやきもきすることもありましたが、何か秀でたものを感じる子でもありました。それは、長い番号を一瞬で覚えたり、すごく細かいことを覚えていたりということもありますし、いつもニコニコしていて誰とでも仲良くなれるという人間的な面もあります。その秀でた面があることに賭けてみたいというか、そういう可能性があったから、アメリカに行かせることも考えたのだと思います。
◆最近はグローバル化を見据えてか、英会話を小さいうちからさせる保護者も多いですが、ただ通わせるだけではだめだということですね。
そうです。周りがみんな行っているからとかいう理由で英会話を習わせて、やっぱり子どもがやめたいっていうからやめさせます、なんていうのはまったく意味がないですね。小学生・中学生の子どもが自分の将来を見据えた決断なんてできるわけがないのです。
親がしっかり子どもの将来を考えて、これだと決めたことは、子どもがなんと弱音をはいてもやらせきるくらいの強い気持ちでやらないと、英語も学力も身につきません。
・・・やはり、親が自立心を持って、自分の子どもの将来を見据えて考えることが一番大事だと思います。
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お母さんが話されている言葉の数々には、素晴らしいメッセージが籠められていました。それらが私の胸を打つと同時に、 ( こういうすごいお母さんを前にして、あの当時何回も何回も教育相談をしていたのかぁ~・・・ ) と、今にして背筋が寒くなって来ました。
NT くんは電話で私と話していた時に、「今は日本語よりも英語のほうが得意なんですよ。」と淡々と話していました。良く考えて見ますと、今年 35 歳になる NT くんは、 15 歳で日本からアメリカに行き、そこでずっと英語を学んで来た期間は、日本で日本語を学んで来た期間を超えてしまっているわけです。 ( 彼がそういうのも道理かな・・・ ) とも思いました。
お母さんは、私がベトナムに帰る前夜に、電話の中の話で次のようなことを述べられました。
「もうすぐベトナムに行かれると聞いたので、この電話が今年最後になるかもと思い、電話しました。
息子が今一人アメリカという異国で、そして世界各地で『宣教師』として仕事をしているのは、かつて能開に通い、能開の先生方から厳しく指導されて来たおかげだと、本人が今でも言いますし、私もそう思います。
あの時に、講習会の宿題の山と格闘し、親元を離れていろんな合宿にも参加させてもらいましたが、その時の体験が今異国で困難な壁に直面した時に、それを乗り越えるエネルギーになっているようです。
特に合宿での思い出は、先生方と一緒に勉強や野外活動で過ごした日々を、今も思い出すと言います。
子どもの時に、能開の『困難にたじろがない 一人で勉強出来る子に』という指導方針の下で、先生方の厳しい指導を受けたことで、今彼が『宣教師』として世界の各地に出かけて活動していけているのでしょうし、いろんな合宿に参加して、強く鍛えられたお陰で彼の今の活動のバックボーンを培って来たと思うのです。能開の先生方に、宜しくお伝え下さい。」
本当に有り難い言葉だと思います。そして、このインタビュー記事を、お母さんの家に K さんがお礼の言葉を添えて送りましたら、それを開いたお母様が 「これは私たちの宝物です!」 と、大変感謝されていたということも、後で K さんから伺いました。
そして、あらためて 【地球サイズの子育て】を読んでいまして、その中に写っている彼の大きく成長した姿をじーっと眺めていますと、
「生徒の成長は 教師の喜び」
と思います。
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おかげさまで、我が娘もこの 11月で10歳になりました。生まれた時は、身長が 49 cm・体重が 2,800 グラム。 あれから早や、 10年が経ちました。そして今、 身長が 142 cm・体重が 38 kg。 大した病気もせず、怪我も無く、大きく育ちました。もう少しで、お母さんの背丈を追い越しそうです。
私の脳裏には、我が子が誕生した時の、産まれてすぐのイメージが今も蘇ります。我が子を持つお父さん・お母さん方は、おそらく同じ思いではないでしょうか。
そして、 11月中旬、みなさんが集って、ささやかな『誕生日パーティー』をして頂きました。場所は市内にある、ベトナム料理屋さんです。
『誕生日パーティー』の開始時間は 6時半からでしたが、6時頃に私にある人から電話が掛かって来ました。昨年の娘の『誕生日パーティー』にも参加して頂いた、 クチで日本仕様の瓦を製造している日本人・ SW さんからでした。
「今日本からベトナムに着きました。そろそろ、娘さんの 誕生日が近付いて来たのではないかと思いますが・・・」と言われたのでした。 (何というグッド・タイミングだろう!)と、そのあまりの偶然性に驚きました。「実は、今日の夕方から始める予定でいるのですよ。」と言いますと、 SW さんも驚きながら、喜んでおられました。
さらには、『さすらいのイベント屋』 のNさんも一緒に連れて来られるとのことでした。
IT 会社の社長の KR さんにも参加して頂き、総勢20名ほどで 『誕生日パーティー』が始まりました。
娘がケーキカットをしている様子を見つめながら、 10歳という区切りの年に、さまざまな思いが去来しました。 そして、今ここに日本にいる母がいてくれたら、どんなに喜んでくれることだろうなと思いました。
このベトナムに住んで 15 年。我が人生の4分の1をこのベトナムで過ごして来ました。
果たして、 ( 自分一人だけでこのベトナムという国に住んでおれただろうか・・・? ) と自問しますと、自答は ( 否! ) です。
現在の女房とベトナムで巡り合い、今の娘を授かったからこそ、ベトナムという、それまで何も知らないで足を踏み入れた異国で過ごすことが出来たのだろうと思います。
一歳の時、二歳の時の写真を時に見ながら、だんだんと姿・形が変わる娘の変化に驚きながら、あらためて歳月の速さを感じています。 親としては、子どもの健やかな成長を願うのみです。
「子どもの成長は 親の喜び」
です。
ベトナムBAOニュース
「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。
■ 多くを学ぶが、実行が少ない ■
「今から述べる私の意見に、他の人たちは耳を傾けないかもしれない。でも私が今から話すことは本当のことです。」・・・と、 VJCC( ベトナム・日本人材協力センター ) の所長・ YAMASHITA 氏は話した。この日は、 『社会が求めるニーズと、その対策について』 というテーマで、ホーチミン市国家大学でセミナーが行われた。
この日のセミナーには、各大学から百人ほどの代表者、ビジネス界、ホーチミン市人材センターからの参加者がいたが、さらには各大学から選ばれた現役の大学生たちも参加していた。
☆弱いコミニュケーション能力☆
YAMASHITA 氏によると、ベトナムにある外国の会社も以下に述べるように、ベトナムの大学生について、同じような感想を持っているという。
「大学を卒業したばかりのベトナムの学生たちは、コミニュケーション能力が大変弱い。チーム・ワークを組んで、組織的に仕事をすることが出来ない。」
「大学を卒業した生徒たちは、四年間勉強したのだから、 ( 高校卒業と比べれば ) 勿論それなりの知識は持っている。しかし、会社に入り、実際に仕事に就く時には、 <理論から実践> のレベルになり、そこでは応用力が要求される。」
「しかしながら残念なことに、大学の中でいっぱい勉強して知識を習得しても、実際にそれを応用出来なければ意味がないのです。」
さらにまた続けて、 YAMASHITA 氏は次のように話した。
「仕事を進めてゆく中で、様々な問題やトラブルが発生した時、チーム・ワークが無いと、それらの問題を解決できないのです。何か問題が起これば【英語】で議論するが、それでも分からない時には、【ベトナム語】で話す。」
「しかし、ベトナムの人たちはなかなか自分のミスを認めたがらない。それで、同じことを何回も繰り返し言うしかないが、それ以上議論が進まないので、《では、次にこの手を打とう!》という案も出ずに、問題は全然解決しないままなのです。」
またホーチミン市電力会社の Tran Thanh Liem 氏の意見では、
「大学生たちは発表の能力が弱い。さらには外国語の ( 特に英語 ) の能力が低い。外国語の読み・書きは出来ても、外国語を使って会話が出来ない。それでセミナーを行う時、外国語で会話が出来ない人たちは参加出来ない。」
「もう一つは、チーム・ワークが良くないことである。自分個人の小さい問題は解決出来るが、みんなに関わるような問題を、みんなでチームを組んで、早く解決することは大変難しい。」
☆ 不安な大学生たち ☆
今回のこのセミナーは、ホーチミン市国家大学が、ベトナムにある各企業から、大学生たちが将来働くであろう「現場からの意見」を聞きたいということで、開かれた。今まで三回開かれて来たが、大学生が参加するのは今回が初めてだった。
ホーチミン市工科大学の女子大生である Vo Tran Vy khanh さんは、もうすぐその大学を卒業するのだが、今一番関心があるのは、「会社は大学生に何を欲しているのか。」「会社は大学生に何を必要としているのか。」ということだった。また実際の現場では、「大学生が在学中にどのようなことを見に付け、準備しておくべきかを知りたい。」と言うことだった。
khanh さんはさらに続けて、
「卒業を一年後に控えた学年になって、いろんな活動や、会社との交流や、技能の指導が多すぎて、生徒たちは面食らっています。初めて大学に入る一年生もそうですが、二年生に対しても、授業の年間の予定があいまいで、学生たちは先の見通しが立たず、不安に思っています。」
ホーチミン市国家大学の Le Thi Thanh Mai 博士の意見は、
「大学生の皆さん方は、一年生・二年生ぐらいの時期から、早く自分の将来について思い描いて欲しい。ホーチミン市国家大学の卒業生たちは、 86.9 %が卒業後すぐに職に就いている。そして、その後特に「研修期間」を設けなくても、問題なく仕事をこなしている人たちは、そのうちの 53.6 %にしかすぎない。」
☆ お互いに耳を傾ける ☆
最後に、ホーチミン市国家大学の副学長である Nguyen Duc Nghia 博士は、次のように話された。
「私たちは、このような会合でお互いの意見に耳を傾けることが大事だと思う。各企業から出された意見は、大学側にとっては貴重なものとして捉え、最終学年に達した学生たちへの指導に生かされるだろう。」
「しかし忘れてはならないのは、大学というのは、企業のニーズだけに応えているだけで終わるのではなく、大学の本分である学業の土台をしっかり築き、その上で近代的な機械設備や装備をしてゆかないといけないということである。でないと、大学の内部は時代遅れのままで、現場に対応出来ない。」
「大学側としては、将来自分の卒業生たちが現場での作業に適応出来るように、技能を持った学生たちを育てる場所を提供することが必要である。企業側と協力してもらい、例えば、企業が新しい機械設備を導入する時に、一ヶ月ほど大学生たちに使用方法を指導して、事前に経験を積ませておくという方法もある。」
「今回は初めて大学生側からも代表者が参加して頂いたが、これからもこういうセミナーの場で、企業と大学生との意見交換を通してゆけば、さらなる改善がなされてゆくと思う。」
◆ 解説 ◆
この記事の中の、ホーチミン市工科大学というのは、ホーチミン市内の中でも上位に入る名門校です。それで、私の友人である IT 会社の社長・ KR さんに以前聞いたことがあります。「そちらの会社では、ホーチミン市工科大学の卒業生を採用していますか。」と。
すると、 KR さんは「いいえ、いません。うちの会社は学歴で選ぶのではなく、人物本位で選んでいますから。」そこをさらに聞いてゆきましたら、「ベトナム人の社員をどこの大学を出たかで選ぶと、後で痛い目に遭うのが多かったですから・・・」という返事でした。
KR さんは毎日・毎朝社員に英語で【朝礼】をしています。会社の社内用語は英語です。そこで話すことは日々の業務確認も勿論ありますが、朝礼の時間のほとんどは、「企業の哲学」と、自分の企業の「経営理念」についてです。これを毎朝実施されているのです。
「新入社員にも、旧の社員にも求めるのは、学歴や能力の高さではなく、社員のベクトルが、会社が目指す方向と同じ方向に向いているかなのです。ホーチミン市内の大学で、別に有名な大学を出ていなくても、仕事をこなす能力はしばらく経てば、旧の社員並みには追いついてゆきます。しかし、ベクトルが違う社員がいると、それはチーム・ワークを乱し、社員の足を引っ張る障害になりますから、社内にいることがマイナス要因になります。」
「そして、つい先日ベトナム人の大学卒の知識世界の狭さに愕然とした出来事がありました。私が、《日本には SONY や TOYOTA や HONDA などのように、世界に知られた、有名な会社がありますが、ベトナムではそういうのがありますか。》と聞きました。すると、一人の社員がしばらく考えて《はい、あります。 Trung Nguyen Coffee( チュングエン カフェー ) と Vinamilk( ビナ ミルク ) があります!》」
ちなみに、 Trung Nguyen Coffee はベトナムにおけるコーヒー屋さんのチェーン店です。そして、 Vinamilk とはミルク会社の大手の会社ではあります。しかしながら、どちらも《世界に知られた、有名な会社》とは言えないでしょう。 KR さんは、「笑いを通り越して、その知識世界のあまりの狭さに驚いた・・・」とは、後で話してくれたことでした。
さらに KR さんは数日前に、 YAMASHITA 氏が話された、「ベトナムの人たちはなかなか自分のミスを認めたがらない。」と同じことを言われました。その日、ある社員が実務上のミスをしたそうですが、明らかにその社員のミスであることが分かっていても、「すみません。」という謝罪の言葉は一言も口にしなかったというのです。
それでその日は延々と一時間近く、いろんな話をしたそうですが、最後まで「すみませんでした。」という言葉を口に出すことは無かったということでした。「自分のミスを認めて、それを次は繰り返さない、改善するという姿勢が無いと、また同じ失敗を繰り返すのですよ。」という点も、 YAMASHITA 氏が話された、「それ以上議論が進まないので・・・・問題は全然解決しないままなのです。」と同じです。自分がミスを犯したら、「まず謝る」という常識が通用しないのですと、 KR さんは言われていました。
そういう意味では、今は難しいですが、将来はベトナム人の大学生たちも、海外旅行や、海外に 「武者修行」 で行くことが普通になれば、もっと広い知識を身に付け、世界に眼を開かれた人たちが多くなるだろうと思います。
私は「実行が少ない」というタイトルを読んでいた時に、約 3 年前に出会った青年 T くんを思い出していました。彼は 2009 年の 8 月にサイゴンに来ました。彼は 2010 年の春に卒業を予定していた大学生で、このベトナムには 「インターンシップ」 の教育プログラムに応募してやって来たのでした。その当時、彼は 24 歳でした。
「インターンシップ」とは、 「大学の教育活動の一環として、学生が在学中に一定期間、企業などで自分の専攻分野 や、将来の仕事に関連した就業の体験を行う教育プログラム」 だということですが、私はそういう制度があるということを知ったのも、実は彼を通してでした。
彼は名古屋大学に在籍していましたが、自ら「インターンシップ」に応募し、自分から進んでベトナムを選んで、サイゴンに来たのでした。「ベトナムは自分にとって全く未知の国であり、面白そうだったから・・・。」と、その理由を話してくれました。
彼はサイゴンでは「経営コンサルタント」の会社の営業部門を担当し、最初は先輩社員と一緒に会社を毎日訪問し、しばらくすると一人で会社への営業に回る日々が続きました。
彼は非常に明るい性格なので、私たちからも可愛がられていましたが、営業での成績も先輩社員を超える結果を出していたということを、彼と一緒に「インターン・シップ」で同じ会社に入った、彼の友人から聞きました。
約半年ほどのサイゴン滞在ではありましたが、サイゴンにいる私たちに強い印象を残して去りました。その後日本では、一流商社に勤めていると風の便りには聞いていますが、今の会社でもおそらくいい仕事をしているのだろうなーと想像しています。
彼のサイゴンでの生き生きした表情と、前向きで、明るい姿勢を思い出す時に、大学生であっても、社会に出る前に一度「武者修行」の経験を積むことは、大いに意義のあることではないかと思っています。