【2021年2月】「Vinh Son Vinh Hoi小学校」、「Can Gio森林保全局」訪問。山元さんを偲ぶ会/ホーチミン市における学校への登校禁止

春さんのひとりごと

「Vinh Son Vinh Hoi小学校」を訪問

1月27日の朝10時半、サイゴン市内の4区にある「Vinh Son Vinh Hoi小学校」を訪問しました。2019年8月以来のことですから、約一年半ぶりのことになります。昨年の2020年は「コロナ禍」で、ついにそこを訪問出来ませんでした。今年もまだ日本国内では「コロナ」が続いていて、日本から生徒たちがベトナムに来ることは出来ません。

この日に「Vinh Son Vinh Hoi小学校」を訪問した目的は、我が社・ティエラで学んでいる生徒たちが、ベトナムの恵まれない子どもたちに寄せてくれている善意の寄付金「がんばりポイント」を学校に届けるためです。その「がんばりポイント」は生徒たちが自分のために使うことも出来るのですが、<異国の生徒への文具、制服の進呈><植林活動>に活用することも可能になっているのです。

以前は、藤牧さんと奥さんのOanh先生が運営されていた「Saint Vinh Son小学校」にも毎年進呈していました。そこが2018年5月に<閉校>した後、Oanh先生から「Vinh Son Vinh Hoi小学校」を紹介して頂きました。それで、引き続き日本の生徒たちの善意を活かすために、その小学校に進呈しています。

Tham先生に「がんばりポイント」を進呈

「Vinh Son Vinh Hoi小学校」の校長先生はTham(タム)先生という女性の方です。Oanh先生はTham先生とは懇意にしておられるので、そこを訪問する日時もOanh先生にお願いしました。後で聞いて分かったことですが、Tham先生は以前使用していた携帯電話を失くし、メール・アドレスも変えたと言うことなので、Oanh先生に頼んで正解でした。私が連絡しても返事はずっと来なかったことでしょうから。

そして、当日は午前10時半に小学校の正門前で待ち合わせの約束をしました。私が時間通りにそこに着いた時、藤牧さんとOanh先生はすでに校内におられました。ここを訪問したのが約一年半ぶりですので、約束通りに学校の門内に入ることが出来て、私も一安心しました。Oanh先生の協力が無ければ、こうもスンナリと学校の中には入れなかったでしょう。何せ、私が小学校訪問の件をOanh先生に頼んだのはその前日だったからです。

三人で階段を歩いて二階の校長室に入りました。校長室の場所も依然と同じでした。Tham先生ともう一人の先生が迎えてくれました。Tham先生とは一年半ぶりの<再会>です。私と眼が合うと、ニコッとした笑顔で、「お久しぶりですね!ようこそいらっしゃいました!」と挨拶されました。

昨年は「コロナ」のため、日本の生徒たちがベトナムに来ることが出来ず、この小学校を訪問出来ないことが決まった時、Tham先生にはお詫びのメールを送りました。さらに、やはり今年も日本の生徒たちの<ベトナム訪問>は無理になりました。そのことに対しても、お詫びの言葉を述べました。Tham先生も「仕方がありませんね・・・」と悲しい顔を見せられました。

それで、私が「でも、日本の生徒たちはこの学校の生徒さんたちに対する支援の思いを今も持ち続けています。それで、今現在までに貯まったポイントを是非Vinh Son Vinh Hoiの生徒さんたちに渡して欲しいと言うお願いが私の会社から届きましたので、今日ここに参りました」と話しますと、Tham先生が頭を下げて「本当に有難うございます!」と感謝の言葉を述べられました。

そして、その校長室の中でTham先生に日本の生徒たちから寄付を頂いた「がんばりポイント」をベトナム・ドンに両替した金額を封筒に入れてお渡ししました。Tham先生はそれを頭を下げて受け取り「大変感謝致します。日本の生徒さんたちにもよろしく伝えてください!」と言われました。

その後、Tham先生が「今から各教室にご案内いたします!」と言われました。Tham先生が先に歩いて行かれましたので、私と藤牧さん夫妻がその後に続きました。最初に入ったクラスは小学校5年生のクラスでした。ベトナムでは小学校は5年生までです。驚いたことには、狭い教室が生徒で満員でした。25人ぐらいの生徒たちがいました。全員が制服を着ていました。

そして、Tham先生が私のことを紹介してくれました。2019年の夏にここを訪問しています。ベトナムでは8月半ば過ぎから新学年がスタートしますので、その当時1年生になったばかりの生徒たちは今2年生になっています。それで、それ以上の学年の生徒たちは私のことを覚えていてくれています。ですから、5年生のクラスの生徒たちも私の顔を覚えていてくれたのか、ニコーッとした笑顔をしました。

Tham先生の紹介の後、私から「ベトナムはもうすぐテトが来ますね。みなさん楽しいテトを迎えてくださいね。そして、テトが明けたらまた続けて勉強をしっかり頑張ってください!」と話してあげました。みんな頭を下げて肯いていましたので、分かってくれたのでしょう。

それから、Tham先生が男子のクラス長を指名して、お礼の挨拶をさせました。その男の子は「日本の生徒さんたちが今年もベトナムに来ることが出来なくて、私たちも残念です。でも、今も続けて日本の生徒さんたちが私たちを助けて頂いて、本当に感謝しています」と、そういう話をしてくれました。

続けて、4年生、3年生、2年生、1年生のクラスに入ってゆきました。どのクラスでもTham先生から私の紹介をして頂き、クラス長からはお礼の言葉をもらいました。1年生のクラスに入った時には、まだ幼い6歳くらいのクラス代表の女の子が進み出て「本当に有難うございます!日本の生徒のみなさんたちに私たちが感謝していますと伝えてください!」と、ゆっくりとしたベトナム語で話してくれたのですが、思わず涙をこぼしそうになりました。

その日は、学校の中にある全部のクラスをTham先生が見せてくれましたが、中にはまだ「就学前」のクラスもありました。その時、少し早いお昼ご飯を職員の方たちが子どもたちに食べさせていました。茶碗の中を見ると、お粥のような昼ご飯でした。ここでは生徒たちの食事の面倒までも見ているのでした。

しかし、全部のクラスを見て回った後、私が抱いた感想は(以前よりもずいぶん生徒が増えているなぁ・・・)と言うことでした。藤牧さんも同じ感想でした。2019年にここを訪問した時に、制服を準備する関係で、事前に私が「全部で何人の生徒さんがいますか」とTham先生に訊いた時、「100人ほどです」と答えられたのでした。

この時も、Tham先生に「今生徒たちは全部で何人いますか」と訊きました。すると「180人ほどです」と答えられました。藤牧さんとOanh先生、そして私も「ええーっ、そんなに増えましたか!」と驚きました。(コロナのせいで両親が失業しているからかな・・・)と想像しましたが、後ほどOanh先生からその詳しい事情を伺いました。

Oanh先生の話では「別の教会でも同じように恵まれない生徒たちを預かり、小学校課程の勉強を授けてきたそうです。しかし、その教会が種々の理由で、生徒たちに教育をすることが出来なくなりました。それでは生徒たちが可哀そうだと教会の方たちが心を痛め、Vinh Son Vinh Hoi小学校でその学校の生徒たち全員を引き受けたとのことです。それで、以前より80人も増えているのです」とのことでした。

「種々の理由」と言うのが「コロナ」が原因なのかどうかは分かりませんが、結果として、

80人の生徒さんたちがVinh Son Vinh Hoi小学校に移り、そこで引き続いて勉学が出来ています。普通の公立の学校に行きたくとも、今でも「授業料は有償」であり、「教科書代も自費で購入」しないといけない、今の「ベトナムの教育事情」が、そういう生徒たちを生み出している背景にあります。

「テト」が近づいて来る前に「Vinh Son Vinh Hoi小学校」を訪問出来ました。そして、生徒さんたちが明るく、元気に頑張って勉強している姿を見て、私自身も励まされました。次にここを訪問出来るのがいつになるかは分かりませんが、Tham先生にお礼を述べて、学校を後にしました。藤牧さんとOanh先生とも、学校の門の前でお別れしました。

「Can Gio森林保全局」を訪問

1月27日に「Vinh Son Vinh Hoi小学校」を訪問した翌日の28日、Can Gio森林保全局」を訪問しました。Can Gioへは昨年の7月初旬に行きましたが、その時は「森林保全局」は訪ねませんでした。ですから、そこを訪問したのも約一年半ぶりのことになります。今回も一人でバイクに乗って行きました。

この日は朝9時45分に4区を出発。この時期のサイゴンの季節は朝・夕は涼しい時期が続いています。4区からはKenh Te(ケン テー)を渡り、Lotte Mart前を通過。Nguyen Thi Thap(グエン ティー タップ)りに入り、それが切れた交差点から右に曲がりました。そこからNha Be(ニャーベー)地区に入り、そのまま真っすぐに進んで行くと、Nha Beフェリー乗り場に9時55分に到着。4区からは約15キロでした。

フェリー代は前回と同じく、バイク一台と私一人で4,500ドン。この時1円=220ドンで計算して約20円です。しかし、500ドン(2円)だけ値上げして、5千ドンにすればお客も支払いやすく、係員も受け取り易く、お釣りも簡単に渡せるのに、依然と同じ4,500ドンです。お釣りの準備や手渡しの手間ヒマを考えると(5千ドンにすれば良さそうなものなのに・・・)と個人的には思いますが、ずっとそのままです。何か意図が有るのでしょう。

この日は結構トラックや乗用車やバイクが多く、一隻の大型フェリーが来てもすぐには乗れず、一度はゲートを閉められました。そして、乗船したのは10時15分。この日もフェリー内の右側の通路にバイクを入れました。人とバイクが通るだけの細い通路になっていて安全ですので、いつもそこにバイクを停めます。

フェリーの中から「Can Gio森林保全局」の責任者・Sangくんに「今Nha Beフェリーに乗りましたよ」とメーセージを送りました。この日は潮流の関係でしょうか、フェリーに乗った時間はいつもより少し短くて、8分間ほどで対岸のBinh Khanh(ビン カーン)に到着。そこから一路「Can Gio森林保全局」を目指します。

7月にバイクで走った時には道路がずいぶん走りやすくなっていましたが、この日も道路のデコボコが少なくて、スイスイと走れました。平日なので、車やバイクも少ないものです。Sangくんには前日に「大体11時過ぎ頃には着くよ」と連絡していました。特に「交通警察」に呼び止められさえしなければ、それぐらいの時間には着くので、スピードも出さず、ゆっくり走りました。

そして、10時52分に、いつも写真を撮っている橋に到着。この橋の名前はLoi Giang(ロイ ザーン)橋と言います。この橋の上から見える「マングローブの森」は実に見事です。毎年日本から生徒たちがCan Gioに来た時には、この橋の上で「記念写真」を撮っています。マングローブ植林に汗を流してきた人たちの活動の証が眼の前に広がり、毎年・毎年それが今も成長しているのです。4区からここまで31km。

この日もバイクを橋の中ほどに停め、しばらく橋の欄干に両手を置き、マングローブ林を眺めていました。今までCan Gioに来て「マングローブ植林」の活動に参加してくれた日本の生徒たちのことが思い出されてきます。世界は今「コロナ」で大騒ぎしています。その「コロナ」のせいで日本から生徒たちが今年もベトナムに来れません。しかし、眼の前のマングローブ林は「コロナ」など関係なく、今日も、明日も芽を伸ばし、大きく成長してゆくことでしょう。

そして、11時5分に「森林保全局」に到着。4区からは37.5kmでした。門をくぐる所には「守衛」が待機している小部屋が有るのですが、この時は誰も居ません。それで、そのままバイクで中に入ると、駐車場に大型バスが一台停まっていました。団体のお客さんが来ているようです。

以前Sangくんが執務していた部屋へ行くと、中の電気は消えていて真っ暗。それで、別の部屋に行くと二人の事務員がいたので「Sangくんはどこ?今日会う約束だけど・・・」と訊くと、「会場のほうにいます」との答え。「会場」と言うのは日本から来た生徒たちにいつもCan Gioの説明会をしていた部屋のことです。

それで、そちらのほうに歩いてゆくと、マイクで説明している声が聞こえてきました。ちらっと後ろのほうから見えたのは、大広間に多くの人たちが座って係員の説明を聴いている光景でした。会場に通じる通路の手前に女性スタッフがいたので「Sangくんに会いたいのだが・・・」と言うと、彼女は私の名前も覚えていて、今日私がここを訪ねて来ることも事前に聞いていたらしく「あちらの部屋で待っていてね」と言ってくれました。

「森林保全局」に<がんばりポイント>進呈

その部屋で待つこと3分もしないうちにSangくんが来ました。「いやぁー、久しぶり!」と挨拶して、握手しました。実に約一年半ぶりの再会でした。私から「やはり今年もコロナで日本から生徒たちが来ることが出来ません。でも、日本にいる我が社の生徒さんたちはCan Gioのマングローブ植林活動に賛同し、今も支援の気持ちを持っているのです。それで、今日生徒さんたちが寄付してくれた<がんばりポイント>を持って来ました」と説明しました。そして、その場で「がんばりポイント」が入った封筒を彼に渡しました。

Sangくんはそれを受け取り、「本当に有難うございます。ティエラの生徒さんたちに宜しくお伝えください!」と、感謝の言葉を述べてくれました。ふと、浅野さんのことを思い出し、私が「そう言えば、浅野さんが毎年率いて来ていた<南遊会>の大学生たちは今どうなっていますか」と訊くと、彼は「やはり、同じように昨年もここには来ていません」と言う返事でした。浅野さんもどんなに悔しいことだろうか・・・と思います。

この後、私は以前日本の生徒たちとCan GioのAn Thoi Dong小学校の生徒たちが植林した場所に、その成長具合を見に行くことにしていました。その場所には民家が一軒あり、管理人を兼ねていました。しかし、そこに外国人である私がフラリと一人で訪問しても、この時期「コロナ」がまだまだ収まっていない時期ですから、怖がって見せてくれないかも・・と思い、Sangくんに誰か同行者を一人付けてくれるようにお願いしました。

Sangくんも了解して、いつも生徒たちに植林の指導をしてくれているHau(ハウ)くんを案内に付けてくれました。彼なら私も良く知っていますので安心しました。そして、そこを訪問してマングローブの成長ぶりを確認したら、私はそのままサイゴンに戻るつもりでいました。

そのようにSangくんに話すと「せっかくカンザーまで来てくれたのだし、この後私たちも【女性同盟】の方たちと一緒にお昼ご飯を食べるので、是非あなたも立ち寄ってください」と言うのでした。そこで初めて、この日にここを訪問していた団体が【女性同盟】の人たちだと知った次第です。全部で60名ほどが来ているということでした。

一旦は「いえ、申し訳ないからいいですよ」と断りましたが、彼が「今から植林場所まで行ってまたサイゴンに戻るとなると、一番暑い時間頃になるので、ここでお昼を食べて、それから帰ったほうがいいよ」と言ってくれましたので、「有難う!分かりました。では帰りにまた寄りますね」と、その厚意を有難く受けました。

そして、Hauくんも自分のバイクを出し、私と一緒に「森林保全局」を出て植林場所まで一気に走りました。片道7kmほどでそこに着きました。彼が先に小道を歩いてゆき、私に説明してくれました。「この辺りの場所が2019年に植林したところですね」と彼が指差した所を見ました。

私もまざまざと思い出しました。日本とベトナムの生徒たちが慣れない手つきでスコップを持ち、炎天下の中で汗を流しながら植えてくれたマングローブは順調に成長してくれていました。私も本当に嬉しかったです。この日は地下足袋を持ち込んでは来ていなかったので、森の奥深くまでは入らずに、小道沿いの場所に植えたマングローブを観察しました。

周りの木々よりも高く伸びたマングローブ林が有ります。Hauくんが私を手招きして「これを見てください。これは6年前ぐらいに日本の生徒さんたちとベトナムの小学生たちが一緒に植えたマングローブですよ!」と説明してくれました。人の背丈と比較すると、それがどれぐらいの高さかが分かるので、彼にその前に立ってもらって写真を撮りました。

Loi Giang橋から見たマングローブ林

「みなさんたちが植えたマングローブは大きく育っていますよ!」と呟きながら・・・。

今から振り返ると、2012年の夏から、日本の生徒たちとベトナムの生徒たちが一緒にマングローブ植林を行う<日越友好植林活動>がスタートしました。それ以来8年間続けて<日越友好植林活動>を続けてきました。ベトナム側からは毎年10人の生徒たちを選んでくれるように、小学校のほうにお願いしていました。

2019年までに参加してくれたベトナムの小学生たちだけでも80人になります。2012年から2019年までに日本から来た生徒たちの合計を後で詳しく調べてみたら、ちょうど60名に達していました。ですから、延べにして140名の生徒さんたちが<日越友好植林活動>に参加していたのです。

一人が最低5本の苗木を植林していましたから、合計では、ちょうど700本のマングローブを植林してきたことになります。併せて、日本とベトナム側から参加した引率の先生たちも同じように植林活動をしていましたので、約900本近くのマングローブの苗を植林していたわけです。

このことは過去の記録を引っ張り出して確かめたものです。それだけに、Hauくんが指し示して「これは6年前にみんなが植えたマングローブです」と話してくれた時の写真を見ながら、あらためてその当時の参加者たちが記載された名前を懐かしく眺めていました。(もう大学生になった子もいるでしょう。みんな元気に頑張っていることでしょうね)

そこを去り、また二人でバイクに乗って「森林保全局」に帰着。ちょうどお昼の12時でした。レストランのほうで昼食会が始まっていました。Hauくんと一緒にそちらへ向かいました。すでにSangくんが席に座っていて、「こっちへ来て!」と手招きしたので、そちらへ行き、彼の隣の席に座りました。

全員がすでに座っていたようで、やはり60名ぐらいの人たちがいました。【女性同盟】と言う名前の通り、ほとんどが女性でしたが、私の一つ隣の席には年輩の男性が座っていました。彼が「こんにちは!」と挨拶し、続けて私の名前を言ったので「どうして私の名前を?」と訊くと、「Sangくんから教えてもらった」とのこと。

Sangくんに「女性同盟の方たちもCan Gioでマングローブ植林活動をされているの?」と訊きますと「はい、そうです。女性同盟の方たちはいろいろな活動をしていますが、ここCan Gioでもマングローブ植林を行っています」との答えでした。私自身は【ベトナム女性同盟】の方たちとはここが初めての接点でしたが、知り合えて良かったです。いつかまたどこかで会えるかもしれません。

しかし、このレストランで頂いた料理は種類も多く、大変美味しいものでした。普段は昼ご飯を摂らない私もついついハシが進みました。そして、40分ほどすると、周りのみなさんたちのテーブルからも少しずつ席を立たれる人が出ましたので、私も【女性同盟】の方たちとSangくんにお礼を述べて、「森林保全局」を後にしました。この時、12時45分。

後は一路サイゴンを目指すだけです。しかし、気がかりなことが一つ・・・。実は植林場所を見に行く時点で、ガソリンのメーターがレッド・ゾーンに近づいていました。それで、「森林保全局」に戻った時にも、Sangくんに「ガソリンが無くなりそうなのだが、この近くにガソリン・スタンドは有る?」と訊くと、「ここからだと、帰り道の7~8km先に有るよ」とのこと。そこまで行きつけるかどうか分かりませんが、行くしかありません。

「森林保全局」を出て3km・4kmと走った頃、針がレッド・ゾーンに入りました。ハノイまでバイクで縦断した時、針がレッド・ゾーンに入っても、案外長い距離を走るのは分かっていましたが、やはり、不安です。すると5kmぐらいの場所に来た時、道路の右手に売店が有り、「ガソリン有ります!」の紙が下がっています。ガソリン・スタンドではありません。しかし、路上で果物なども売っていますが、ガソリンも売っているようです。

(あぁー、助かった!)と思い、そこにいたおばちゃんに「3万ドンぶんください」と言うと、ボトルに入ったガソリンとそれを注ぐ筒を手にして、私のバイクに入れてくれました。(やれやれ、一安心)と思い、お金を支払い、すぐにバイクを走らせました。すると(あれ?)と思ったのは、市内のガソリン・スタンドで3万ドンぶんのガソリンを入れると針はいつも満タンの所まで届いていますが、この時は半分の所までしか示していません。

しかし、また引き返して文句を言うのも時間の無駄なので、そのまま走りました。後で、女房にそのことを言うと、「ガソリン・スタンドで購入したのと同じ料金で同じ量を売ったら、路上で売る人は儲けが無いでしょ!」との返事。そう言われれば、その通り!しかし、ハノイまでバイクで行った時も何十回とガソリンを入れましたが、そういうことは無かったですね。結局、市内に入った時にまた針がレッド・ゾーンに入ったので、今度はガソリン・スタンドで再度入れました。

Binh Khanhフェリー乗り場には午後1時20分着。この日もお客が多くてすぐには乗れず、しばらく待機。そして、対岸のNha Beに渡ったのが午後1時45分。この日は行きも帰りも「交通警察」には出会いませんでした。この後、一路市内を目指します。しかし、Sangくんが言った通り、ちょうどこの時間頃は大変な暑さでした。(そうだ!今日の一仕事は終わったので、「スシコ」で生ビールでも飲んで帰ろう!)と思い、バイクをそちらに向けて走りました。

普段私は昼間からビールは飲みませんが、この日やるべきことはもう終えたので、ビール一杯ぐらいならいいだろうと思いました。2時20分頃「スシコ」に着くと、誰もお客はいません。私一人です。それでも一応、店自体は昼過ぎからは開けています。ここには「サッポロ・ビール」の生が有ります。それを一杯だけ頼みました。それをキューッと一口飲むと(あー、やっとサイゴンに無事に戻ったなぁー)と落ち着きました。日帰りの「カンザー訪問」が終わりました。

すると、ちょうどその時、隣の店から音楽が流れてきました。ベトナムでは「テト(今年は2月12日)」前になると街中に流れてくる恒例の音楽です。毎年「テト」の一か月前頃から流れてきているのですが、今年はほとんど聞けませんでした。「コロナ」のせいでしょう。その毎年恒例の音楽♪♪テトがやって来た♪♪を今年はずいぶん遅く、初めてここで聴けました。YouTubeも有ります。以下です。もうすぐベトナムでは「テト」を迎えます。

山元さんを偲ぶ会

2月3日、「スシコ」で<山元さんを偲ぶ会>を行いました。山元さんは2020年2月3日に日本で亡くなられましたが、あれから早や一年が経ちました。月日が経つのは速いものです。しかし、一年経っても「山元さんの思い出」は忘れることが出来ません。特に、私は山元さんと「ベトナム南北縦断の旅」を二人で実現出来ましたので、これからもずっと山元さんへの<感謝の念>が消えることは有りません。

昨年の一周忌はベトナム料理屋で行いましたが、今年の<山元さんを偲ぶ会>は「スシコ」で行いました。この時期、ベトナム北部から発生した「コロナ」が南部の方にまで広がり、ベトナムの人たちが多く集まる場所を避けたかったからです。「スシコ」のほうが、ベトナムの人たちが「密」で集まる可能性が少ないだろうなと思いました。

<山元さんを偲ぶ会>に集まった方々

事前に私から、昨年の<山元さんを偲ぶ会>に参加した人たちに連絡を取りました。そして、最終的には11人の方々が「参加致します!」と言う返事を寄こしてくれました。昨年も同じく11人でした。「スシコ」の店長にはその前日に人数の確認を入れ、3テーブルを予約しておきました。

今回の参加者の中で一番遠いところでは、ハノイからあの「さすらいのイベント屋の中村雅身さん」が飛んで来られました。しかもこの時期は【1月末からベトナム北部で「コロナ」が再発!】という状況下なのでした。切符の手配・サイゴンまでの移動など、困難な状況になっていたのです。それだけに、その義理堅さには胸が熱くなりました。

山元さんの遺影

集合は夕方6時半からにしていました。私は準備の関係上6時頃には着きました。山元さんの遺影と線香も持ち込みました。この日たまたま「スシコ」のオーナーのLinh(リン)さんがここに立ち寄っていて、山元さんの遺影を見て、(あぁ―、今日が山元さんの一周忌なのか!)と分かったらしく、山元さんの遺影の横に置く「果物」を店長のPhat(ファット)くんに頼んで買いに行かせました。有難いことに、「スシコ」ではいつものことですが、「果物」の代金は請求しません。

山元さんの遺影に<お焼香>

私が着いた後、すぐに中村さんも到着。6時半になり、先に着いた方たちから、<焼香>してもらいました。今年の<山元さんを偲ぶ会>の参加者の11人のうち7人の方が前回も参加。4人の方たちが初参加でした。初参加の方は藤牧さん、「宮城県人会」の窓口のYMさん、古川さんの次男Vuさん夫妻。そして、新しい顔ぶれでは「新潟総合テレビ」のKTさんたちです。KTさんは中村さんが誘って来られました。

日本人の参加者がほぼ揃ったところで、最初に中村さんから挨拶。その後、私も簡単にお礼の挨拶を述べました。「一年が経つのは速いですね。そして、今でも山元さんが亡くなられた実感が湧きません。道路のあそこから山元さんがバイクを停めて現れ“やぁー、みんな元気?今日はたくさん集まって何かあるの?”と、いつもの冗談を飛ばされそうです」と。

夕方7時頃になり、遅れてOanhさんが着き、その後Vuさん夫妻も到着。この日の参加予定のメンバーが全員揃いました。彼ら3人にも線香を渡して<焼香>をしてもらいました。そして、ちょうど一周忌を迎え、<山元さんを偲ぶ会>のメンバー全員が揃ったところで、あらためて「乾杯!」。山元さんがお好きだった「サイゴン・ビール」も遺影の横に置きました。

この日参加した方たちそれぞれが「山元さん」という偉大な先輩の<共通の思い出>を持っています。故人の山元さんを知らなかった「新潟総合テレビ」のKTさんには近くに座った中村さんがいろいろ話してくれていました。この日の参加者の中で、山元さんとのお付き合いが一番長いのは、「元日本兵。古川さん」の次男Vuさんです。

Vuさんは1968年生まれですので、今年53歳です。1963年に山元さんがベトナムに渡り、Cai Beでバナナ園の経営を手掛けた時、彼は5歳になっていました。それ以来の長い付き合いだったわけです。そして、1975年Vuさんが7歳の時、お父さんの古川さんが亡くなられています。父親がいなくなったVuさんにとって、山元さんを父親のように慕っていたのでしょう。

この日、Vuさん夫妻はCai Beに行き、「両親のお墓参り」を済ませて、その帰り道に「スシコ」に立ち寄られたのでした。それで、到着が少し遅くなりました。そして、両手には大きな袋をぶら下げて来られました。この日に限らず、いつもVuさんご夫妻はお土産をいっぱい抱えて来られます。そして、それを皆さんたちに振る舞われます。

この日のお土産は袋いっぱいの「ジャック・フルーツ」と奥さん手作りの「おこわ」とバナナの葉っぱで包んだBanh TET(バイン テット)と言う名前の餅などでした。Banh TETはテト前に店で良く売られています。それらを広げると3テーブルがいっぱいになりました。「ジャック・フルーツ」は外側の皮はすべて捨ててあり、そのまま食べられるようになっていました。

私が「わぁー、これは旨い!」と唸ったのは、奥さん手作りの「おこわ」でした。奥さんの「おこわ」は食べやすいように、おにぎりの形にしてありました。その「おこわ」もBanh TETも食べきれないほどたくさん有りましたので、食べきれないぶんを棄てるのも惜しいので、店員に頼んでみなさんは<お持ち帰り>にしてもらっていました。私も「おこわ」を3つほど持ち帰りました。翌日女房と娘に上げましたら「大変美味しいわ!」と喜んで食べていました。

この日の<山元さんを偲ぶ会>は9時半過ぎに解散しました。「コロナ禍」でみなさんたちも大変な状況下の中で参加して頂いたのだと思います。でも、みなさんたちは努めて明るく、楽しく歓談されていました。一周忌としての参加者も確定してきました。また来年2回目の<山元さんを偲ぶ会>にも同じ方々が参加して頂けることでしょう。

ベトナムBAOニュース

ホーチミン市における学校への登校禁止

 
2月1日、ホーチミン市は新型コロナ対策のため、市内の全ての教育機関(幼稚園、小学校、中学校、高校、職業訓練校、保育グループなど)について、2月2日から生徒の登校を禁止することを発表しました。


登校禁止期間中はインターネット学習などにより、学習指導計画を滞りなく履修させることとしています。
 
当地の在留邦人の皆様及び当地を訪問中の邦人の皆様におかれましては、引き続きこまめな手洗い・手指の消毒、マスクの着用、ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)の確保、自宅やオフィスでの定期的な換気など、正しい知識に基づいた感染症対策に努めてください。


また、今後もベトナム当局が発表する最新情報を収集するなど、十分にご留意ください。

<在ホーチミン日本国総領事館>

解説

1月末にベトナムの北部でコロナが再発した時の<VIETJO>の記事が以下です。

新型コロナ、4省・市で新たに53人が市中感染

【保健省の1月29日午後6時の発表によると、市中感染による新型コロナウイルス陽性患者53人が新たに見つかった。また、1月27日に日本から入国したベトナム人1人も陽性と判明した。これにより、ベトナム国内の新型コロナウイルス感染者数は累計1705人となった。28日と29日に確認された集団感染は計146人に上っている。(1月29日配信)】

それから、人の移動により、一週間も経たないうちにまたたく間に「コロナ」がベトナム全土に広まっているような状況です。それが、2月1日に通達が出た<ホーチミン日本国領事館>からの「通達」です。こういう「通達」を出すのは、ベトナム政府はスピードが速いです。すぐに「決定」し、即座に「実行」します。

しかし、まさか1月末からこういう状況になるとは夢にも思わず、この一週前の時点で「1月27日Vinh Son Vinh Hoi小学校訪問」、「1月28日Can Gio森林保全局訪問」が実現出来てラッキーでした。その一週間後に訪問の予定を立てていたら、小学校と森林保全局の両方とも「コロナの再発により、訪問はお断りいたします!」と、その二つの施設を訪問すること自体が、当分無理だったと思われます。

実際に、娘は大学に通っていますので、2月11日の時点で「大学はいつから始まるの?」と訊くと「2月いっぱいお休みで、3月からの予定だよ」との答えでした。しかし、それもあくまでも「予定」ですから、「コロナ」の蔓延次第で、また状況が変わるかもしれません。

さらにまた、2月8日に新しい「通達」が出ました。「文化、スポーツ、娯楽のすべての活動、美容院、マッサージパーラー、インターネットカフェ、ウェディングセンター、劇場、ジム、ビリヤード台のサービスも、9日火曜日の午前12時から追って通知があるまで停止されます」と、そういう内容です。

「9月23日公園」で毎年開かれている「花市」にも行きましたが、今年はお客も少なく、公園に置いてある花木も昨年の半分以下という様子でした。「テト」になるといつも、女房の家族たちみんなで出かけていた「魚釣り」も、今年は行けるかどうか分かりません。毎年「大晦日(今年は2月11日)」の深夜0時にサイゴン川で打ち上げられる恒例の「花火」も、今年は結局「中止」になりました。残念ながら、今年の「テト」は静かな、そして、寂しい「テト」になりそうです。

Posted by aozai