【2020年7月号】Can Gioのマングローブの森が呼んでいる!/カンザー橋、2022年着工へ

春さんのひとりごと

Can Gioのマングローブの森が呼んでいる!

毎年恒例の「ベトナムマングローブ子ども親善大使」が今年は実施出来なくなりました。その後、毎年この行事に協力、支援して頂いたベトナム側の方たちや団体に<お詫び>の連絡をしましたが、ベトナム側の人たちも大変残念がっていました。特に、サイゴン市内の「村山日本語学校」の先生たちや「Vinh Son Vinh Hoi (ビン ソン ビン ホイ) 小学校」の校長先生、Can Gio(カンザー) 「An Thoi Dong (アン トイ ドン) 小学校」の先生たちです。私も先方からの「残念です!」と言う、その返信を受け取る度に、辛い思いがしました。

我が社の例だけに限らず、今年の「コロナ禍」ではいろいろな「準備」「約束」「予定」「計画」などが大きく変更になったり、中止になったりした会社も数多く現れました。個人では「失業」「転職」なども、私が知っている友人たちの中からも出てきました。幸いにも「失業」までしなくても、毎月の給与が5割減になった人もいました。

6月初め、サイゴン市内の一区をバイクで走っていて、あるホテルの前を通り過ぎた時、思わず「えーっ!」と眼を見開いて、思わずバイクを停めました。そのホテルの中は電気が消されていて薄暗く、誰も働いている気配がありません。玄関入り口のガラスの扉には「このビル売ります!」と張り紙がしてありました。

実は、そのホテルは昨年日本から来た生徒たちが宿泊したホテルなのでした。つい最近もその前を通りましたが、やはり同じ張り紙が貼られたままで、その紙が風に吹かれていました。「親善大使」が関係していた施設や建物が実際に営業を「停止」しているのを見ると、胸の中に穴が空いたような虚しい気持ちになりました。さらには、毎年日本から来ていた「親善大使」の生徒たちの顔を、今年私は見ることが出来ません。そのことをCan Gioのマングローブ森も悲しんでいることでしょう。

そして、とある朝、Can Gioのマングローブの森が夢に出てきました。しばらく目をつぶったまま起き上がることが出来ませんでした。

“Can Gioのマングローブの森が呼んでいる!”

そう思いました。本来であれば8月末にはベトナムを訪問する予定だった日本の生徒たち。今年は彼らがベトナムに来ることが出来ない。しかし、そのことをCan Gioのマングローブの森は知らない。(よし、Can Gioのマングローブの森に<お詫び>に行こう!)と決めました。さらには、サイゴン市内には幾つか変化が起きたような例が有るので、Can Gioに行く途中や、Can Gioのマングローブの森に変化がないか、それも確認しに行こうと思いました。

Can Gioに出発したのは7月5日(日)。せっかくだから、女房も誘って行こうと思い、前日に「Can Gioにバイクで行かない?」と声を掛けました。すると、女房は「わぁー、残念ね!日曜日は娘の塾があるので、送り迎えしないといけないから、ダメよ!」と言う返事でした。それで、今回Can Gioへは私一人だけでバイクで行くことにしました。

良く考えてみると、バイクでCan Gioへ行くのは実に久しぶりのことでした。ベトナムに来た当初は、「マングローブ植林行動計画」浅野さんと一緒にCan Gioへはバイクで良く行きました。Can Gioの地理を詳しく知るためと、「親善大使」の「マングローブ植林」の手配を「森林局」にお願いするためでした。またCan Gioでホテルの予約が必要な時も、直接そのホテルに行きました。当時は、携帯電話も持たず、インターネットも使いこなせず、直接出向いてそれらの依頼をする必要がありました。

その当時、Nha Be (ニャー ベー) フェリーに乗って、Can Gioに入ると、まだ道路は舗装されていなくて、悪路のままでした。我々がバイクで走っている横を車やバスが通過すると、モウモウたる砂ぼこりが舞い上がり、髪の毛も(その当時はヘルメットの着用は不要で、布の帽子だけを被っていました)、顔も、鼻の穴も、ズボンも上着も、全部が真っ黄色になってしまいました。

しかし、2003年を過ぎた頃からは、それら「植林の手配」「ホテルの予約」などは、メールで済ませることが出来るようになり、バイクを走らせてCan Gioに行くことは必要無くなりました。その後、日本から来た生徒たちをCan Gioに連れて行く時には、いつもレンタカーを雇って行きましたので、バイクで行くこと自体が無くなりました。

当日は、午前10時10分に4区を出発。出発した時のバイクのメーターの数字も、紙に書いて記録しておきました。昨年の<バイクでベトナム南北縦断の旅>以来、(いつかまた、同じ道を走るかもしれないな・・・)と思い、出発地点から到着地点までの時間と距離を記録するのがクセになりました。それで、今回も短い距離だとは分かっていても、同じように「出発時間」「到着時間」「距離」「費用」などを記録しておきました。

4区から目指すのはNha Beフェリー乗り場です。この日は、雨季ながら雨模様ではなく、かと言って強烈な陽射しが照り付けているわけでもなく、バイクで行く旅には快適でした。そして、10時30分にNha Beフェリー乗り場に到着。出発してから14kmでした。フェリーの乗車券は、バイク一台と私一人で4,500ドン(約23円)。安いものです。

そして、待つこと5分ぐらいで、対岸から来たフェリーが到着、そのままフェリー内の右側にバイクを入れました。そこは車の置き場ではなくて、人とバイクが通るだけの細い通路になっていますので、窮屈ではありますが安全です。ベトナムに来て以来、数えきれないぐらい、このフェリーには乗りました。

15分ほどで対岸のBinh Khanh (ビン カーン) フェリー乗り場に到着。ここからがCan Gio郡です。フェリーの中でバイクに乗り、一路「マングローブの森」を目指します。Can Gio郡に入った時点で、バイクを走らせればすぐに「マングローブの森」は見えてきますが、私が目指す「マングローブの森」は、今から約15年前に日本の生徒たちだけで植えた「マングローブの森」です。まださほど大きくは成長していないので、「マングローブの林」と呼ぶほうが正確です。

フェリーから車やバイクがビュン・ビュン発進してゆきます。私もその後に続き、バイクの両輪がCan Gio郡の大地を蹴るように進みます。Can Gioに入って、両側の道路を見ていると(おや・・・?)と思いました。意外にも、新しく出来た建物や、新しい店が多くなっていたのでした。サイゴン市内の中心部にあるDong Khoi (ドン コイ) 通りは、シャッターが閉まっている店が多いのと対照的でした。(Can Gioは「コロナ」の影響は少なかったのだろうか・・・)と思いました。

約1年ぶりに走るCan Gioの道路は、昨年まで工事中だった箇所も舗装が済んで、大変走り易くなっていました。でも、あまりスピードは出さないようにこころ掛けて、40km台の速度で走りました。交通警察がどこに潜んでいるか分からないからです。さらに、林やカーブも多いので、交通警察のおじさんも隠れるのに不自由はありません。毎年この道路を通っていた時、交通警察の人がバイクを呼び止めていたのを見ました。それで、この日も「免許証」「バイクの保険証」は持参しました。

そして、ちょうどお昼の12時に、いつもの橋の上に到着。ここまで27km。「いつもの」と言う意味は、橋の上から見える「マングローブの森」が大変キレイなので、毎年この橋の上に日本から来た生徒たちに立ってもらい、「マングローブの森」をバックにして記念撮影をしていたからでした。生徒たちだけではなく、友人がCan Gioを訪れた時にも、いつもここで記念写真を撮りました。

しかし、この時は当然日本の生徒たちはいません。私一人だけの写真を撮ってもらおうとしても、ビュン・ビュン眼の前を走っているバイクを呼び止めるわけにもゆきません。それで仕方なく、私の愛車を橋の中ほどに停めて、「1・2・3、はい、チーズ!」と声を掛けて撮ってあげました。私の愛車は言葉を発しないので、喜んでくれたかどうかは分かりませんが、この後もスムーズに走りましたので、気分は良かったのでしょう。

そしてちょうど12時半、いよいよ目的地の「マングローブの林」に到着。向かい側には「塩田」が有りますので分かり易いです。この場所は今まで日本の生徒たちが「マングローブ植林」をしてきた多くの場所の中で唯一、「道路から見える植林場所」なのです。

バイクの進行方向と同じ右側に有りますので、その前でバイクを停めて、道路上から眼下に広がる「マングローブの林」をじーっと眺めました。15年前に生徒たちがマングローブの苗を手に握って植えたのが、今は広さが約50平方メートル、背丈は2メートルほどの高さに成長しています。

ここの場所に植える前は、森林局に植林場所を決めてもらうこともなく、自分たちで植林場所を探して、好きな場所に自由に植えていました。それで、時にはクリークの中を泳いだり、森の中の小道をずいぶん長い距離歩いた思い出があります。その後、それらの場所も「植林場所」として適当な場所が無くなると、「森林局」に頼んで、ボートに乗せてもらって「植林場所」まで行きました。

しかし、5年ほど前からは、そういう方法でもアクセス出来る適当な「植林場所」が少なくなってきました。それで、今は森林局側が選んでくれた場所に植林をするようになりました。でも、そこも長い距離があり、舗装されていない小道を歩いて行かないといけません。バイクで簡単に行けるような場所ではありません。

この「マングローブの林」はバスやバイクが走っている大きな道路からすぐに見える場所に有りますので、毎年この前でバスを停め、日本の生徒たちを降ろして、その林が近くに見える場所まで連れてゆきます。昨年来た日本の生徒たちにも見せました。そして、私から次のように話してあげました。

「今みなさんたちの眼の前にある、まだ小さいマングローブは、今から約15年前に、みなさんたちの先輩が植えたマングローブですよ。植えた時には鉛筆ぐらいの長さだったけれど、今はあの高さにまで成長しました。みなさんたちが植えたマングローブの苗も、15年ぐらい経てばあれぐらいの高さに成長していることでしょう」

今年は日本から生徒たちが来ないので、そういう話をしてあげることが出来ません。それで、私一人で「マングローブの林」に向かって話しかけました。バスや車やバイクが私の後ろを通り過ぎる音が聞こえてきます。でも、こういう場所でバスや車やバイクを停めたりする人たちは誰もいません。私一人だけです。(こんな所で何をしているのだろう・・・)という様子で、バイクに乗りながら振り向いて行く人もいました。

“今年は残念だけれど、日本の生徒たちがCan Gioに来ることが出来ないよ。
来年まで待ってあげてね。本当にゴメンナサイ!”

そのように、「マングローブの林」に向かって<お詫び>の言葉を叫びました。この時、涼しい風が吹いてきて、林の中の葉っぱがこすれ合い、カサ・カサ・カサという音が聞こえてきました。私は日本語でそう叫んだのですが、ベトナム語に通訳しなくても、「マングローブの林」は分かってくれたのかな・・・と嬉しくなりました。日本語の「言霊(ことだま)」はベトナムの「マングローブの林」にも通じたのかもしれません。

そこを出て、通称「サルの島」と呼ばれている「Can Gio森林公園」には12時45分着。ここまで47km。受付でいつもと同じように入場券を買います。一人が7万ドン(約350円)。でも、今までと変わっていたことが一つ有りました。受付のすぐ横に「バイクの駐車場」が新しく出来ていました。昨年までは「森林公園」の「サル園」の入り口近くまで行けて、そこにみんなバイクを停めることが出来ました。

しかし、今年からはそのずいぶん手前でバイクを預けないといけません。バイクの駐車場代が5千ドン(約25円)。「森林公園」内の「サル園」の入り口近くまで約500mはあります。歩いて行くには少し遠いかな・・・と思う距離です。それで、何と「電気自動車の小型バス」が用意されていたのでした。小型バス往復の利用料金が1万5千ドン(約75円)。

私は「サル園」の入口近くまで歩いて行くことにしました。急ぐ必要もないし、「マングローブの森」をゆっくりと眺めながら歩いてゆくことが気持ち良かったからです。500mぐらいは大した距離ではありません。10分も歩けば着きます。行きの時には歩いているのは私だけでした。みんな電気自動車でビューッと通り過ぎました。

午後1時、「サル園」内に入りました。おサルさんたちがたくさんいます。木の枝にチョコンと座り、旨そうにアイスクリームをペロペロと舐めているおサルさんがいました。お客さんのアイスクリームを奪い取ったのか、お客さんが上げたのか、それは分かりませんが、如何にも旨そうに舐めています。ちょうど昼過ぎなので、暑くなりました。私もアイスクリームを舐めたくなりました。しかし、おサルさんは私にくれないでしょう。

「サル園」に入ったすぐ右手には博物館が有りますが、それは今「閉館」されています。昨年からそうでした。少し先に進むと、右手には以前「熊さん」と「鹿さん」が檻の中に居ましたが、檻自体が解体されていて、「熊さん」と「鹿さん」の姿は見えませんでした。亡くなったのか、食べたのか、どこか他所の場所に移したのか、聞きそびれました。

ここから目指すは「ゲリラの基地」です。ベトナム戦争当時に「ベトコンゲリラ」が潜んでいた「施設」を再現したのが「ゲリラの基地」です。「施設」と言っても、当時のことですから、屋根はニッパ椰子、壁や床はマングローブ材で出来ています。今回来た時、その「施設」の全容と一棟ごとの説明を「写真付きのパネル」にして掲示してありました。ここを訪問した人たちが大変理解し易いように工夫されていました。

「ゲリラの基地」に行くのには「カヌー」「歩き」の二つがあります。「カヌー代」は一艘が60万ドン(約3千円)。一艘に6人が乗ることが出来ますので、みんなは割り勘にしています。但し、「カヌー」が利用出来るのは、潮が満ちている時だけで、干潮の時は利用出来ません。この時は満潮でしたが、私は歩きました。

歩いて行く途中で、昨年の生徒たちが植えた種子が何本無事に育っているのかを見たかったからです。親善大使がカンザーで「マングローブ植林」を行う機会は2回有ります。最初がCan Gioの小学生たちとの「日越友好マングローブ植林」。この時はポットで育てた苗を植えます。2回目が日本の生徒たちだけでの植林。この時は、この「サル園」内でマングローブの胎生種子を拾い、自分の手で植えます。

しかし、「森林公園」内で植えるといっても、主な場所にはすでにマングローブが生い茂り、広々とした適当な場所は有りません。そこで、ようやく見つけたのが、「ゲリラの基地」に行く時に渡る橋の下でした。ここ数年はそこに植えています。他に適当な場所が無いので仕方がありません。

ただ、橋の下に植えたマングローブの種子は苗ではなくて、種子ですので、それから根が出て、葉が伸びてゆくまでには時間が掛かります。この橋の上に立ち、下を見ると、カヌーに乗って「ゲリラの基地」に向かうお客さんたちがいます。カヌーが波を立ててこの橋の下を通るその時、土手をザーッと波が洗い流します。それで、根がまだ発芽していない種子は波とともに流れてしまいます。ですから、運よく活着している種子だけが生き残るのです。

そこに着くまでは「サル園」内からスタートして15分ぐらい掛かりました。途中、欧米人のカップルがいて、マングローブ林内にある道の端で、彼ら二人が腰を下ろして休んでいました。私と眼が合ったので、「ハロー、どこから来ましたか?」と英語で訊くと「フランスからですよ」との答え。「Nice to meet you!」と言って、その場では別れて、私は先に進みました。

そして、昨年の生徒たちが植えた橋の所まで来ました。上から見ると、満潮の水の中で、3本の苗が芽を出していました。もー、本当に嬉しかったですね。この時は満潮でしたので、まだ水面下にあって顔を覗かせていない、子どものマングローブちゃんもいるかもしれないな・・・とも思いました。過酷な条件下でも良くぞ頑張ってくれています。褒めてあげたいです。

その後、「ゲリラの基地」に着き、短時間の内に全ての施設の訪問を終えました。2時を過ぎた頃でした。しかし、ここは今まで通り、同じ内容と展示物で、変化は有りません。それを確かめてホッとした次第です。今回のCan Gio訪問では、いい意味で「変わっていないことが大切なこと」なので、まずは安心しました。

園内のマングローブの森が伐採されていたりとか、枯死していたりということもありませんでした。昔のままの姿で、すくすくと育っています。これからもそうであって欲しいと思います。そこで、先ほど出会ったフランス人のカップルに再会しました。私と眼が合い、ニコッとしてくれました。彼ら二人はこれらの施設を興味深く見学していました。

「ゲリラの基地」を見終えた後、暑くなってきました。「サル園」内の入り口から「ゲリラの基地」までの間の、ちょうど半ばぐらいの場所に飲み物や軽食類を売っている店が出来ています。今までそこで買い物をしたことは有りませんでしたが、この時は暑くなってきたこともあり、入り口でおサルさんが食べていたアイスクリームを思い出し、それが無性に食べたくなり、それを買いました。一つが3万ドン(約150円)。

すぐにその場で包装紙を剥がして食べました。やはり、大変美味しかったです。ふと、前の道路を見ると、おサルさんも同じようにアイスクリームを食べているではありませんか。嬉しくなって、おサルさんに襲われない距離まで近づき、私がアイスクリームを手に持ち、日本語で「美味しいねー!」と言うと、おサルさんはやはり日本語は分からないらしく、キョトンとした顔つきで、アイスクリームにかぶりついています。

そして、また歩いて駐車場へ行きました。駐車場に戻る時、私はまた徒歩でしたが、この時は私の後ろから数組が歩いてきました。駐車場に着いてバイクを出し、ここから最後の確認の場所「Can Gio Resort」に行きます。生徒たちがCan Gioで定宿にしていた「Can Gio Resort」がちゃんと営業しているのかどうかを、この眼で確かめないといけません。

「森林公園」から5分で「Can Gio Resort」に到着。「Can Gio Resort」の外観には変化は有りません。看板も以前のままです。中で働いている従業員たちの姿も見えます。ホテル前には海産物の市が立ち、大変賑わっています。昨年よりも活気が有る雰囲気がしました。ホテルの駐車場に守衛さんがいたので、「ホテルは今まで通り営業していますか」と訊くと、「はい、今も変わらず営業しているよ!」との返事でしたので、安心しました。それを確かめたら、サイゴンに戻るだけです。

ホテルを出たのが3時15分。ここまで何キロ走って来たかメーターを見ると52kmでした。ここから一路サイゴン市内を目指します。途中、交通警察さんに一度お会いましたが、何事も無くパス。3時40分頃、小雨が降り出しましたが、レイン・コートを取り出すほどではなかったので、そのまま走りました。さらに進むと、二度目の交通警察さんにお会いました。私の前に進んでいたアベックが捕まっていたので、私はそのままパス。今回は運が良かったです。

そして、4時20分にBinh Khanhフェリー乗り場に到着。ここまで88km。しかし、驚いたのは車の渋滞です。300mぐらいの車が列をなしていました。でも、バイクは大して混み合うこともなく、4時25分にはスムーズにフェリーに乗ることが出来ました。車と車の間にバイクを入れてしばしの休憩。

4時27分にフェリーが動き出しました。それから5分ぐらいして、私の周りのバイクに乗った若者たちが騒ぎだしました。(何が起きたのだろう・・・?)と、そちらを見やると、一人の若い女性がバイクの上に跨り、頭を下に向けて、咳込んでいるような、嘔吐しているような様子で、苦しそうな表情をしています。その女性を、青年二人が両脇を抱えて、フェリーの窓ぎわに運びました。それから、その女性は川に向かって嘔吐したようでした。

「船酔い」でした。いや、フェリーですから、「フェリー酔い」と言うべきでしょうか。しかし、驚きました。フェリーが岸を離れて、まだ5分ぐらいしか経っていなかったのです。長時間の船旅では「船酔い」も有るでしょうが、フェリーというわずかな時間の乗り物でも酔うとは驚きです。

ベトナムの人、特に女性は車やバスや列車に乗ると、良く「酔い」ます。私の女房を日本に連れて行った時も、「新幹線」に乗った時に酔いました。しかし、フェリーで酔ったこの女性は、ベトナムの女性の中でも珍しいほうでしょう。このフェリーには若い女性たちもたくさん乗り込んでいましたが、「フェリー酔い」していたのは彼女一人だけでしたから。

Nha Beフェリー乗り場から下りた時が4時40分。それから4区を目指します。4区の家に到着したのは5時20分。サイゴン⇒カンザー⇒サイゴンの往復は104kmでした。片道52kmですね。今回、大雨にも遭わず、交通警察にも捕まらず、事故も無く、何とか無事にサイゴンに戻ることが出来ました。「いろいろ確認したかったこと」、「マングローブの林へのお詫び」も無事に果たすことが出来ました。「カンザーへバイクで一人旅」が無事に終わりました。

ベトナムBAOニュース

「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

カンザー橋、2022年着工へ

ホーチミン市のソアイラップ川におけるカンザー郡とニャー ベー郡を結ぶカンザー橋建設案件は、2022年に着工し、2025年末に完成する見通しだ。同市交通運輸局のブイ・ホア・アン副局長が明らかにした。

設計案によると、全長3.4km、4車線の斜張橋(主塔1本)を建設する。カンザー郡の特徴であるマングローブに生育するフタゴヒルギをイメージしたデザインとなる。投資総額は5兆3000億VND (約243億円)の見込み。

同市人民委員会は、BOT(建設・運営・譲渡)方式とBT(建設・譲渡)方式を組み合わせた形での建設を提案していた。しかし、先日の国会で官民連携(PPP)投資法(2021年1月1日施行)が可決され、PPP投資事業ではBT方式が認められないことになった。これにより、投資家の選定を調整する必要が生じたため、案件の進捗も遅れることになる。

<VIETJO>

◆ 解説 ◆

「ニャー ベー・フェリー」については今月号でも触れましたが、今「ニャーベー」から「カンザー」に行く時には、「ニャー ベー」でバスも乗用車もバイクも人もフェリーに乗らないといけません。以前は、カンザー郡内にはもう一つ、「Dan Xay (ヤン サイ) フェリー」が有りましたが、今そこには橋が架かり、フェリーは無くなりました。

以前、その「ヤン サイ・フェリー」が有った時には、フェリーの待ち時間まで、私たちも生徒たちもアイス・コーヒーを飲んだりして、ゆっくりと寛いでいた思い出があります。フェリー乗り場には、お客さん目当ての茶店やその地方特産の果物や軽食類を売っている店が有り、「田舎の風情」を感じさせてくれます。そして、日本から来た生徒たちは、異国で初めて見る、そういう物に強い興味を感じていました。

しかし、橋が出来てからは、その必要も無くなり、バスに乗っている生徒たちはそこで降りることもなく、その橋の上をバスに乗って通り過ぎてゆくだけになりました。ですから、確かに「便利」にはなりましたが、フェリー乗り場でゆっくりと過ごしていた時の「田舎の風情」を味わうことは出来なくなりました。

もし、このカンザー橋が完成すれば、サイゴンからカンザーへの交通は確かに「便利」にはなることでしょう。それは、この区間の道路を仕事や商売で頻繁に利用している人たちにとっては、大いに喜ぶべきことかもしれません。毎日フェリーの切符を買う必要も無く、フェリーの待ち時間もゼロになるからです。

しかし、私のように一年に一回しか利用していない者にとっては、今まで通りのフェリーが存在してくれるほうが、「よし、今からカンザーに行くのだ!」という気持ちの切り替えが出来るような気がします。さらに、私はフェリーの待ち時間の間に、いろいろなことを考えたり、相手先に連絡したりしていました。正直(フェリーが無くなるのは惜しいな・・・)と言う気持ちです。

このカンザー橋の完成予定は2025年ということですが、おそらくいつものごとく、完成予定は遅れることだろうと思います。今現在工事中の、サイゴン市内のベンタン市場前から20kmほど北東にあるSuoi Tien (スイ ティエン) テーマパークまで通じる地下鉄は、最初の予定では2020年完成となっていましたが、大幅にずれて2021年末に完成予定と変更になりました。ですから、個人的には(このカンザー橋も2025年には完成しないだろうなぁー)と予想しています。

Posted by aozai