【2018年2月】Vinh Son Vinh Hoi 小学校を訪問/残留日本兵のベトナム人妻、95歳で死去―天皇陛下とも面会

春さんのひとりごと

<Vinh Son Vinh Hoi 小学校を訪問>

毎年夏休みにベトナムを訪問している「ベトナムマングローブ子ども親善大使」の生徒たちは、カンザーでの「マングローブ植林」活動を終えた後、サイゴン市内に戻ってから「Saint Vinh Son小学校」の生徒さんたちと交流会を行ってきました。しかし、その「Saint Vinh Son小学校」の生徒さんたちとの交流会も、昨年で終わりました。今年の5月で「Saint Vinh Son小学校」がその活動を終えて「閉校」となるからです。

1999年1月に「Saint Vinh Son小学校」は開校しましたが、その19年の間に多くの生徒さんたちがここを卒業してゆきました。「Saint Vinh Son小学校」の校長・ Oanh(オアン)先生の話では、「300人ぐらいが卒業してゆきました」ということです。19年もの間、300人近い生徒たちを「授業料無償」で受け容れて、卒業まで面倒を見てこられたのです。

そして、ついに今年の5月が生徒たちにとって最後の「卒業式」であり、学校としても「閉校式」になります。運営責任者のFさん、奥さんのOanh先生、ここで教えておられた先生たち。ここを今年卒業してゆく生徒たち、さらには卒業していったかつての生徒たちの胸中は如何ばかりでしょうか。

そのため、今年から「Saint Vinh Son小学校」の生徒さんたちとの交流会は出来なくなりますので、新しい学校を探さないといけなくなりました。昨年10月頃、Fさんは一時帰国されましたので、東京におられるFさんに連絡を取り、「またSaint Vinh Son小学校のような学校がほかにあれば紹介して頂けますか」とお願いしていました。自分たちが創った学校はやがて終わられるのですが、今回もまたFさんとOanh先生には手助けして頂きました。12月の末にFさんがベトナムに戻られて、「年が明けたら二人で新しい学校を探してみますね」と、私に言われたのでした。

そして、1月中旬Fさんから連絡があり、「あの後、Oanhと一緒に探しました。一つ見つかりました。そこなら、これからも長く交流会が行えそうな学校だと思います。Oanhも“あそこなら日本人の生徒さんたちも喜んでくれるでしょう”と言っています」という嬉しい返事を頂きました。「そこの住所は1区から遠くありませんよ」と続けて言われました。

そこの場所を聞いて驚きました。私がいつも帰る時に通る道から見える所にあるというのです。「1区から4区に架かるOng Lanh(オン ラン)橋を渡る時に、右下のほうに大きい教会が見えますね。その中に小学校があります。そこのシスターとOanhが知り合いなのです」とFさんが電話で話されました。教会の名前は「Vinh Hoi(ビン ホイ)教会」と言うそうで、その大きい教会の名前は知りませんでしたが、確かに私もいつも見ていた建物でした。あの教会の中に、そういう小学校があることを初めて聞きました。

「そこのシスターに聞くと、生徒たちは平日の朝から勉強しているので、1月25日(木)の朝8時に教会の前で会いましょう」と言われましたので、「分かりました。宜しくお願いします」と私も答えましたが、予想以上に新しい学校を早く見つけて頂いたので、大変嬉しくなりました。おそらく、(Oanh先生はいろんな知人や関係者に問い合わせをされたのだろうなぁ~)と想像しました。

そして、当日の朝8時少し前に私が教会の門の前に到着すると、すぐにFさんとOanh先生も到着されました。遠くからはこの教会を見ていましたが、目の前で見ると門の入口は大きく、教会の敷地も広く、規模が大きい教会です。門の入口にいた守衛の人にOanh先生が来意を伝えますと、事前に連絡が届いていたようで、すぐに私たちを中に入れてくれました。

私たちは階段を歩いてゆき、二階にある部屋に入りました。Oanh先生が先に入り、中におられた、白い上下の服に身を包んだシスターの方に挨拶をされて、Fさんと私を紹介されました。シスターの方がここの小学校の校長だそうで、お名前は「Tham(タム)先生」。年齢は聞きませんでしたが、見た感じは50歳ぐらいの方です。この学校の名前はVinh Hoi教会の中にあるので、「Vinh Son Vinh Hoi(ビン ソン ビン ホイ)小学校」

私たちが来る前に、「Saint Vinh Son小学校」と日本の生徒たちとの交流会のことを事前にOanh先生がTham先生に話されていた様子で、Tham先生は「はい、はい」とニコニコしながら肯かれて聞いておられました。

そして、私に向かい「日本からの生徒さんたちをこころから歓迎いたします。ここのベトナム人の生徒たちも大変喜ぶことでしょう」とその場で、快く受け容れていただきました。わが社の詳しい説明を聞くことも無く、私個人に対する質問もなく、「信頼していますよ!」という感じで、<ベトナムの生徒と日本の生徒との交流会>を快諾して頂いたのは、全てこれ、FさんとOanh先生のご協力のお陰です。

私はTham先生と話しながら、Tham先生の後ろに掛かっているホワイト・ボードに眼がゆきました。そこには小学1年生から5年生までの各学年の人数が書いてありました。その合計は154人でした。昨年度の2017年は140人の生徒数だったそうです。今年の小学1年生は2クラスあり、合計で50人と書いてあります。

さらに、この部屋には男女二人の人物の写真が壁に掛けられていました。その男性のほうの方の名前をFさんに伺うと「この方が<聖人Vinh Son>ですよ!」と答えられました。「Saint Vinh Son小学校」の「Vinh Son」という名前の由来になっている方の写真をこの時初めて見ました。後で調べると、Wikipediaにも詳しい経歴が載っていました。フランス語の「Vincent」、ラテン語の「Vincentius」という名前が、ベトナム語の「Vinh Son」という名前の元になっていたということのようです。

ヴァンサン・ド・ポール、またはビンセンシオ・ア・パウロ(フランス語:Vincent de Paul, ラテン語:Vincentius a Paulo,1581年4月24日-1660年9月27日) は、貧者に尽くしたカトリック教会の司祭である。カトリック教会と聖公会の両方で崇敬されており、1737年に列聖された。-Wikipedia-」

Tham先生には「もし今年の生徒たちがこの学校を訪問するとした場合、ベトナムの生徒さんたちにプレゼントするものは何がいいでしょうか」と軽く打診をしますと「それはお任せ致します」と言う返事でした。Oanh先生が「Saint Vinh Son小学校」の生徒たちが毎年頂いていたものをTham先生に伝えてくれました。

今まで「Saint Vinh Son小学校」の生徒さんたちには「新しい制服」を進呈していました。Oanh先生に事前に「制服進呈」の件を伝えておいて、生徒たちの採寸を済ませて、日本から来た生徒たちが学校に着いた時には、その制服は完成していました。

そして、「新学期から新しい制服を着て、勉強も頑張ってくださいね!」と言う言葉を私から添えて、日本から来た生徒たちの手から渡してもらっていました。形に残るものとしては「新しい制服」は良い記念になったことと思います。しかし、この学校の生徒たちには何を贈ったらいいのかは未定なので、「Oanh先生たちとも相談して、また後で連絡します」と、その場では伝えました。

Tham先生に「この学校の写真を撮ってもいいですか」と尋ねますと、「ええ、構いませんよ。但し、以前ある団体さんが来られた時、この学校で撮った写真を利用して、寄付金を集める手段に悪用されたことがありましたので、そのようなことはしないでくださいね」と、言われました。「分かりました。ご安心ください。ここの写真は、あくまでもわが社の塾の保護者の方たちや、そこに通う生徒たちのための情報として活用させて頂きます。営利目的に使うことは致しません」と、私も答えました。

「ところでここの学校はいつ出来たのですか」とTham先生に聞きますと、「1998年です」と言われました。ということは、今年でちょうど20年目に入るわけです。そして、「Saint Vinh Son小学校」が出来たのは1999年ですから、2つの学校はあまり変わらない時期に出来たことになります。しかも、同じように「聖人Vinh Son」の名前を冠しています。

想像するに、「聖人Vinh Son」の名前を付けた学校は、ベトナム各地や、世界のいろんな国にも存在しているのではなかろうかと思います。狭いサイゴンの中だけでも実際に2つもあるのですから。

「Saint Vinh Son小学校」と同じく、サイゴンの4区にあるこの「Vinh Son Vinh Hoi」小学校に通っている生徒たちも、授業料は無償です。教科書なども学校側が支給しています。この部屋のすぐ横には調理場もありました。お昼ご飯を生徒たち全員に提供しているということです。

この後、Tham先生が先に立ち、各学年の教室まで案内して頂きました。最初に見学したのは5年生のクラス。私たちが教室に入ると全員が立ち上がり、元気な声で挨拶をしてくれます。これは、4年生のクラスでも、3年生でも2年生でも同じです。むしろ、低学年になるほど、声が大きく、元気よくなります。

1年生のクラスに入った時に、ほかの生徒たちよりも体が一回り大きい女子生徒がいました。どう見ても、彼女は5年生以上の体格をしています。こういう生徒は「Saint Vinh Son小学校」にもいました。家庭が貧しいために、本来行くべき年齢(小学1年生であれば6歳から)で行く機会を逸してしまい、遅れてこの学校に入って来たのでしょう。ですから、体は大きくても、小学1年生と同じクラスからのスタートになるわけです。

Tham先生の案内で、各学年のクラスを全部見せて頂きました。それが終わり、上から下を見ますと、教会の中に広い庭があります。「もし日本から生徒たちがここを訪問した時には、あの庭に全学年の生徒さんたちを集めていただくことは出来ますか」と聞きますと、「大丈夫ですよ!問題ありません」とのThamさんの返事でした。

「Saint Vinh Son小学校」には全学年が集まる広さの庭は無かったので、各学年のクラスに入って「交流会」をしていましたが、この小学校にあるような広い庭であれば、みんな全員が一同に集まって「交流会」も行えるし、「制服の進呈」をする時も全員同じ場所で出来ます。

FさんとOanh先生が創られた「Saint Vinh Son小学校」のベトナムの生徒たちと「ベトナムマングローブ子ども親善大使」の日本の生徒たちとの「交流会」は2005年度からスタートしました。それから、12年もの間2つの国の生徒たちによる交流会が続いたのは素晴らしいことです。今まで「Saint Vinh Son小学校」を訪問し、ベトナムの生徒たちと「交流」が出来た日本の生徒たちが得たもの、学んだことは少なくありません。

「Saint Vinh Son小学校」の生徒さんたちとの「交流会」は昨年で終わりましたが、FさんとOanh先生のご協力で、「Vinh Son Vinh Hoi小学校」の生徒さんたちとの「交流会」が、2018年度の夏からまた新たに始まろうとしています。Fさん、Oanh先生のお二人には感謝の気持ちでいっぱいです。

ベトナムBAOニュース

「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

残留日本兵のベトナム人妻、95歳で死去―天皇陛下とも面会

残留日本兵のベトナム人妻で、2017年2月にベトナムを初訪問した天皇、皇后両陛下と面会したグエン・ティ・スアンさんが1月18日14時40分、心臓疾患のためハノイ市ドンアイン郡ビンゴック村ビンタイン村落の自宅で死去した。95歳だった。スアンさんの家族が明らかにした。

スアンさんは2017年5月に突然の病気で入院し、数か月間にわたり闘病生活を送っていたという。

スアンさんと日本人夫は1945年、日本軍の降伏後に結婚。当時インドシナには約10万人の日本兵が駐屯しており、スアンさんの夫をはじめ約600人の日本兵がベトナムに残留し、ベトナム独立同盟会(ベトミン)として第一次インドシナ戦争に参戦した。

約半数の残留日本兵が戦死・病死し、第一次インドシナ戦争が終結した1954年には生存していた残留日本兵の一部が帰国を余儀なくされた。1954年、1回目の残留日本兵引き揚げでスアンさんの夫を含む71人が日本へ帰国したが、家族の同伴は許されなかった。

スアンさんは夫が帰国しても再婚することなく女手一つで子供を育てた。その後、2005年に夫は日本の家族を連れてベトナムを訪れ、スアンさんとの再会を果たした。スアンさんは毎晩ベトナムの国旗の下に日本の軍服を巻き付けた枕と一緒に眠っていた。

夫も既に他界しており、スアンさんの希望で家族により遺骨が4000kmの距離を越えてベトナムに持ち帰られた。生前、地元紙のインタビューにスアンさんは、「一度だけでも彼と再会できたので思い残すことはありません。過去は過去です。前に進む時が来たのです」と語っている。

<VIET JO>

◆ 解説 ◆

この記事を読んだ時、深い感慨に襲われました。グエン・ティ・スアンさんのことは2017年3月号の「BAO」でも触れていますが、昨年2月にハノイで天皇・皇后両陛下にお会いされた16人の旧日本兵の家族の中のお一人でした。しかも高齢でした。

スアンさんは、天皇・皇后両陛下にお会いされたその3ヶ月後に、病気で入院されたというのです。私はスアンさんが話された記事の中の次の内容を良く覚えています。その記事は、何度も読んで感動していました。

“会場に早くから訪れていたXuanさんとその4人の子どもは、両陛下にお会いできることで胸が高鳴り、朝5時には起きていたという。「とても感動しました。何年もの困難な抗戦を乗り越えて、今こうして天皇皇后両陛下が関心を持って訪れてくださいました。これ以上嬉しいことはありません。両国の繁栄が続くことを願っています」とXuanさんは話した。”

スアンさんは天皇・皇后両陛下にお会いされてから、約1年後に亡くなられました。それだけに、生前に天皇・皇后両陛下にお会い出来たことはどれほどの感激だったろうか、慰めになったことだろうかと思います。両陛下に会われた旧家族のみなさんたちは「全員が涙を流していましたよ」と、人づてに聞いたことがあります。

私自身がCai Be(カイベー)にいる元日本兵の家族を直接知っているだけに、スアンさんの境遇が重なってきます。Cai Beだけではなく、ベトナムの各地に日本人の血が流れている家族たちが今もおられるのです。今、スアンさんは長い間会うことが叶わなかったご主人と、天国での再会を喜んでおられることでしょう。謹んでスアンさんのご冥福をお祈りします。

Posted by aozaiVN