【2017年9月】『ベトナムマングローブ子ども親善大使』十七周年を終えて/ベトナム元残留日本兵の家族14人が初訪日へ

春さんのひとりごと

<『ベトナムマングローブ子ども親善大使』十七周年を終えて>

今年で17回目を迎えた、ティエラの夏の海外合宿「ベトナムマングローブ子ども親善大使」が無事に終りました。ベトナムで、ひとつの行事としてこれだけ長く続いているのは珍しいことです。しかし、長い歳月の間にはいろいろな変化もあります。

あの鴨長明が述べた如く、川を流れている水は、見た目は同じでも、その水は絶えず入れ替わり、新しい水がその流れに加わり、大河に注いでゆきます。

“行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず”

1995年からスタートしたカンザーでの「マングローブ植林」は17回続いてきました。しかし、最初は日本人の生徒たちだけで植林活動を行っていたのを、今から5年前の2012年から現地カンザーの小学生たちと一緒に「日越友好植林」を行うようになりました。ベトナム側からは毎年10名の小学生たちを選んでもらっています。今年も10名の小学生たちが参加してくれました。

同じく、ベトナムの小学生たちとの交流の場として、「Saint Vinh Son小学校」を訪問して、ベトナムの生徒たちと交流するプログラムが2005年から始まりま した。さらに、ベトナム人の家庭に宿泊する「ホーム・ステイ」も2006年から始まり、今に至っています。

しかし、川の水がいつも同じではないように、「Saint Vinh Son 小学校」と「ホーム・ステイ」にも今年変化が現れました。いつかはそういう時が来るだろうなとは考えていましたが、それが今年訪れました。

●今年が最後の卒業生となった「Saint Vinh Son小学校」●

「Saint Vinh Son 小学校」への訪問は今年が最後になりました。運営責任者のFさんが高齢(今年75歳)になられたことで、今まで日本の建築現場で働いていた仕事も辞められ、小学校の運営が維持できなくなったからです。その結果今年の在校生の小学5年生がこの学校の最後の卒業生になりました。「マングローブ子ども親善大使」の生徒たちがこの学校を訪問するのも、今回が最後になりました。

来年でちょうど20年目を迎える「Saint Vinh Son小学校」ですが、Fさんの話では、今までにここを巣立っていった生徒たちは約350人になるそうです。それだけのベトナムの恵まれない生徒たちを、この学校で小学校教育を授けて卒業させてこられました。ここを卒業していって生徒たちのFさんご夫妻に対する感謝の気持ちは如何ばかりでしょうか。

●今年が最後になるかもしれない二人の生徒たちの家でのホーム・ステイ●

2006年から始まったホーム・ステイにもまた変化が出てきました。男子班の宿泊先であったDuy(ユイ)くんの家でのホーム・ステイは今まで三年間続きました。そのDuy(ユイ)くんは今年の9月からアメリカの大学に留学することが決まりました。当然、本人自身がサイゴンにはいませんから、Duyくんの家での「ホーム・ステイ」が出来ません。

しかし、それでもDuyくんは「夏休みにベトナムに帰りますから、その時は私がいますからホーム・ステイが可能ですよ。ベトナムに帰る日が決まれば早めに連絡します」と言ってくれました。

女子班の宿泊先のNgoc(ゴック)さんのホーム・ステイも、来年度はたぶん無理だろうという感じです。彼女の家でのホーム・ステイは今年で5年目になります。最初は高校生だった彼女も今や大学を卒業して社会人になろうとしています。学生だった時とは周りの環境が大いに変わりました。むしろ、今までこれだけ長く好意的に受け入れて頂いたなぁーという感謝の気持ちがしています。

以上のようなホーム・ステイの状況を「村山日本語学校」の校長のLuan先生に相談しますと、「大丈夫ですよ。来年もし今までの家庭に泊まれないとしても、また別の家庭を見つけておきます」からと言って頂きました。今までホーム・ステイしていた家は全てLuan先生が見つけてくれたのでした。私もそれを聞いて安心しました。

●三年後になるであろう「ホーチミン市友好協会」での交流会●

さらに、2010年から「ホーチミン市友好協会」行っていた交流会が今年は中止になりました。その理由は、「ホーチミン市友好協会」の今までの建物を全面的に取り壊し、新しく建て替えるからです。建て替える期間は二年間ですが、Luan先生の話では「長ければ三年間はあそこを使用できないかもしれませんね」と話されていました。

●「村山日本語学校」との交流会は続く●

しかし、結果的にそこで不可能になった交流会は、「村山日本語学校」でベトナム人の生徒さんたちとの交流が今年も同じように実現出来ましたのでラッキーでした。いろいろな変化や変更がありましたが、その問題点解決の多くにLuan先生が相談に乗って頂いたのは有り難いことです。

そのLuan先生が「今年は私もカンザーに行きたいと思います。そして、日本の生徒さんたちとベトナムの小学生たちがマングローブを植林している光景を、ドローンを使って上空から撮影してあげますよ」と申し出られました。それを聞いた私は「ドローンを使って上空から撮影!」という言葉に驚きましたが、大いに嬉しくなり「いいですとも!!是非一緒にカンザーへ行きましょう!」とその場ですぐに快諾しました。

●「カンザー森林保全局」の担当者が代わる●

「カンザー森林保全局」の責任者は、今までLong(ロン)さんという中年の方が担当でしたが、今年からの担当はSang(サーン)さんという若い人に代わっていて、現地で初めて会いました。いろいろ話を聞いてみると、彼は何と、あのNam(ナム)さんの教え子なのでした。

Namさんは今から18年前の1999年に、ティエラの招きでSinh(シン)さんと一緒に日本を訪問し、その時カリヨンハウスで行われた<全体研修>の場で講演をされたことがありました。彼らの日本訪問時には、<マングローブ植林行動計画>代表の向後さんが二人を屋久島まで案内されることになり、その時私も同行しました。

そのNamさんは「ホーチミン市農業局」に勤めていましたが、その後「農林大学」の教授になりました。そこで教えていた生徒の中に、今回カンザーで初めて対面したSangさんがいたという次第です。私が「Namさんは私の友人だよ!」と言うと、彼も大いに驚き、そのことをこの日、この場で初めて知り、大変喜んでいました。

さらには、もう一人のSinhさんとも今年カンザーで久しぶりの再会を果たすことが出来ました。カンザーからサイゴンに帰る朝、お礼を告げに再度「森林保全局」を訪問した時、たまたまそこにSinhさんが来ていて、大変驚きました。

彼とは約10年ぶりの再会でした。その再会の場面に、Sangさんもいました。それだけに、その後の対応も非常に好意的でした。「ベトナムマングローブ子ども親善大使」の生徒たちが帰国する日に、メールで次のような『感謝状』を贈ってくれました。

この「日本語訳」は、今回女子の世話をしてくれたHaoさんが訳してくれました。以下がそれです。

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カンザー森林保全局

『感謝状』

謹呈:(株)ティエラコム様

貴社は2017年8月21日、日本人の中学生とベトナム人の小学生によるマングローブ植林活動を行い、カンザーの森林保全に大変貢献して頂きました。

共に楽しい時間を過ごし、有意義な活動を行うことが出来ました。今回、カンザーでのマングローブ植林活動をして頂きまして、誠に有難うございます。

貴社のマングローブ植林の活動は1995年より始まり、今日までずっと続いてきました。また、多くの支援金を頂きました。

私たちカンザー森林保全局一同より、心から厚くお礼を申し上げます。
そして、これか らも何卒宜しくお願い致します。

2017年8月24日
カンザー森林保全局

●ベトナム人女子スタッフの活躍●

今年の女子生徒の面倒を見てくれたのは、ホーチミン市の師範大学三年生で21歳のHao(ハオ)さん。今年初めての参加です。彼女は昨年同じように女子生徒たちの面倒を見てくれたTrang(チャーン)さんからの紹介です。ここ最近は、今年の担当者から次年度の担当者への紹介が続いています。私がゼロから探す必要が無くなり、大変嬉しいことです。

さらにはTrangさんHaoさん「井浦あすか」先生の教え子なのでした。「井浦あすか」先生はサイゴン市内の大学で日本語を教えながら居合道も教えていました。Haoさんもまた「井浦あすか」先生の教え子だと聞いて私も大いに驚きました。井浦先生からの恩恵は今も続いているのです。私は井浦先生とは短い期間のお付き合いしか出来ませんでしたが、感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、今回女子班のお世話をするために参加してくれたHaoさんの献身的な活躍は大変素晴らしいものでした。合宿最終日の「閉校式」と空港でのお別れでは、女子生徒たちとの涙・涙の光景が自然発生的に起こったのです。

彼女が私に送ってくれた「履歴書」の自己紹介欄に「人とのコミニュケーション、特に子どもと話すことは自分にとって面白くて、大好きです。今回のプログラムを通じて、言語から文化まで日本人の子どもたちからも色々なことを学ぶことができると思います(原文のまま)」とありましたが、まさしくその通りの活躍をしてくれました。

この夏の「親善大使」のスタッフとしては、日本から引率で来られたTT先生、私、そしてHaoさんの三人で乗り切ってゆきましたが、彼女は自身の「履歴書」に書いている通りに、女子の生徒たちを<自分の妹>のように世話を焼き、生徒たちからは<お姉さん>のように慕われていました。

そして、彼女は今年の9月から大阪の大学に「交換留学生」として一年間留学する予定です。近畿圏に住んでいる生徒たちとは、日本での再会が出来るかもと、生徒たちもHaoさんも楽しみにしています。

●一週間の行事を終えて最終日を迎える●

今年の「マングローブ子ども親善大使たちの参加者たちは、一週間の行事を無事に終えて日本に帰国しました。この一週間のベトナム滞在の間、「村山日本語学校の生徒さんたちとの交流会」「ホーチミン市内観光」「戦争証跡博物館訪問」「ホーム・ステイ体験」「カンザーでの日越友好マングローブ植林」「Saint Vinh Son小学校の生徒さんたちとの交流会」などの行事を積極的に努めてくれました。

そして迎えた最終日。この日は朝から「クチ・トンネル」に向かいました。「クチ・トンネル」では、毎年10m、20m、30m、50mなどのトンネルに潜る体験コースがあります。例年は20m、30mのトンネルに潜るとみんな音を上げて、50mのトンネルに挑戦する生徒は少ないのですが、今年は全員が挑戦しました。

そして、「クチ・トンネル」訪問の後、小島の中にある「Ben Nay(ベン ナイ)」と言う名前のレストランで食事。そこでの昼食を終えて、一路サイゴンに向かいました。この帰りのバスの中で、次のような話をしました。

「このクチ・トンネル訪問で今年の合宿の全ての行事が終りました。後は日本に向けて帰るだけです。病気もなく、怪我もなく、無事にこの合宿を終えようとしています。しかし、家に無事に帰るまで合宿は続いていると思ってください。ご両親もみなさんの帰りを待っています」

「でも、あっという間の一週間でしたね。これからサイゴンに向かいますが、次にいつみなさんがベトナムに来るかは分かりません。窓の外に見えるベトナムの風景を眼にしっかりと焼き付けてください」

3時半頃ホテルに着きました。それから、「ベトナムマングローブ子ども親善大使を終えて」の感想文書きに入りました。私から次のようにまず話しました。

「この合宿でいろんな体験をし、いろんな友達が出来て、いろんな交流をし、いろんな行事に参加出来ました。この合宿で自分なりに感じたことを、今回の<ベトナム訪問>の自分の記録としての感想文を書いて下さい。先生に出すための感想文ではなく、自分のベトナム訪問の思い出として、自分のベトナム訪問の記録として、いつか振り返る時の思い出として書いてください。」

みんなが書いているペンの音が小部屋の中にカツカツと響いてゆきます。30分、40分ぐらいすると、感想文を書き終えてしまった生徒も出てきました。その中で、ある一人の女子生徒が、この一週間のさまざまな思い出が甦り、ベトナムとのお別れが近づいてきたからか、涙を流し始めました。それに釣られて、他の女子も涙を流します。Haoさんもハンカチを眼に当てて下を向いています。

一応、全員が書き終えたところで発表⇒閉校式に進んでゆきます。今回の参加者が書いて発表してくれた内容の一部を紹介します。

SNくん・・・「自分はベトナムに来て、多くのことを知ったり、体験しました。ここに書けなかったこともあります。だけど、自分の中の何かが変わったような気がします。今までインターネットを使って調べるだけで、その国には行っていませんでした。今回の合宿を通して、気になった国のことをインターネットを使って調べて終るのではなく、その国に行って、自分の目で見てまわり、より深くその国のことを知っていきたいです」

FHくん・・・「一週間という短い間で、ベトナム人の優しさに触れることができてよかったです。このことを日本人に伝えて分かってもらいたいです。そして、また今回会ったベトナム人に会えたら“この前はありがとう”と伝えたいです」

TMさん・・・「ベトナムで過ごした一週間を振り返ってみると、とても貴重な体験を自分はできたんだなあと思います。たしかに初めての味、初めての場所、初めて会ったばかりの人たちとの行動など、大変なこともたくさんあります。だけど、胸を張って、この合宿に参加して損はしないと言えます。自分を大きく変えてくれるかもしれません。これから、この合宿で吸収した沢山の知識も思い出も忘れずにいたいです」

YNさん・・・「今回の合宿に参加して、最初は友達もいないし、親もいないし、部屋に二人だけだし、不安とこれから本当に自分はやっていけるのだろうかという自信の無さでいっぱいでした。でも、ベトナムに着いて生活していくうちに、みんなの性格とか、良いところとか見つかっていくうちに仲良くなっていきました。男の子とも絶対にしゃべれないと思っていたけれども、今ではバリバリしゃべれていて、嘘のようです・・・今回の合宿に参加できて本当に良かったです。きつかった時もあったけど、みんなと出会えて良かったです。ありがとうございました」

ASさん・・・「今回、ベトナムを訪れて、一日もベトナム戦争に触れない日がないくらい、戦争を身近に体験でき、やはり、戦争はよくないと思ったし、普段の生活の尊さなども思い知らされました。それに、その国の母国語が話せれば良いけれど、英語の大切さは外国に行く上で本当に必要だと、身を持って分かりました。そして、たった一週間とちょっとくらいの短い間だったけれど、このメンバーに出会えて本当に良かったと思いました。ベトナムを訪れて、学んだ事、思った事、考えた事を大切にして、これからも、将来の夢に向かって、もっともっと励んでいきたいと思っています」

KKさん・・・「私は最初この合宿の前、すごく不安でした。最初の3日間は同学年の人がいず、話す人もいなくて不安だったけど、4日目から他の人ともしゃべるようになりました。・・・私は、この合宿で少しベトナム語が話せるようになりました。これからベトナム語を勉強して20歳、30歳になった時にもう一度、ベトナムに来たいです」

以上の内容を一人・一人が発表してくれました。それに対して私が一言コメント。それから、「閉校式」に移り、今までの振り返りと、生徒たちに対して我々スタッフからの「贈る言葉」を述べることにしました。

「最初にHaoさんからお願いします」とお願いしたら、彼女は涙・涙で、嗚咽して言葉が出てきません。女子の生徒たちもそれを見て、全員が泣いています。男子は涙こそ流してはいませんが、やはり悲しい顔をしています。それで、「ではHaoさんには後でお願いします。先にTT先生からお願いします」とTT先生に先に振りました。

TT先生は「SNくんが言ったことに、まさしく私も同感です。何ごとも体験をすることの大切さを言ってくれましたが、今回のベトナムでの体験はそのことを実践してくれました。これからもいろんな体験を積み重ねてくださいね」と話してくれました。

Haoさんの気持ちをしばらく落ち着かせるために、次に私からの「贈る言葉」。
私は事前に筆ペンでA4の半紙に書いていたものを彼ら一人・一人に渡しました。その半紙に次のような言葉を書いていました。

少にして学べば 則ち壮にして為すこと有り 壮にして学べば 則ち老いて衰えず 佐藤一斎

「これは江戸時代の有名な儒学者・佐藤一斎という人が書いた『言志四録』の中にある言葉です。その意味は、簡単に言えば“子供のころからしっかり勉強しておけば、大人になって重要な仕事をすることができる。大人 になってからもさらに学び続ければ、年を取ってもその力は衰えることがない”と言う意味です」

「今みなさんが学校で勉強している勉強は何のためにしているのか?試験があるからしているのではないのです。将来自分が大人になった時、重要な仕事、やりたい仕事、自分の将来の夢を実現させるため、自分の将来の選択肢を広げるために、今勉強しているのだと思えばいいのです」

「これを自分の勉強部屋に貼っておいて、時々眺めてその意味を味わってください」と、そういう話をしました。さらに、「この合宿中、私自身が大変感心していた出来事があります。男子二人のSNくんとFNくんの姿です。いろんな行事の空き時間に暇があれば、彼ら二人は日本から持ってきていた本を黙々と読んでいました。携帯でゲームをしている姿などを見たことがなく、いつも読書をしていました。そのことに大変感心しました」と話しました。

事実二人はそうでした。まさに「少にして学ぶ」姿勢を身に付けていたのでした。そう話しますと、彼ら二人も照れていましたが、それは私の本音でした。そして、ようやくHaoさんが落ち着いてきたので、彼女からも「贈る言葉」を頂きました。

「今日がみなさんたちと別れる日になりました。本当に悲しいです。最初の一日目、私は寂しくて家に帰りたいと思いました。でもみなさんたちと一日、二日と過ごしてゆくうちに、まるで自分の妹、弟のように思えてきました。本当にみなさんと仲良くなることが出来て嬉しかったです。でも、今日の夜にはみなさんたちとお別れしなければなりません。またいつかみなさんと会える日を楽しみにしています」

ホテルを8時20分に出発!空港に向うバスの中で、いつもはみんなもうすぐ日本に帰るという嬉しさから、大はしゃぎしているのですが、今年は別れる悲しさが勝っているからか、みんなしんみりしています。私が「もうすぐこのサイゴンの景色ともさようならです。みなさん良く見ていてください」と言いますと、早速最後の写真を撮っている生徒もいます。

この日の夜は空港への道は空いていました。8時40分には空港に着きました。いつもお別れする場所に生徒たちを集めて、Haoさんと一緒に最後の記念撮影。それから、私が「いよいよベトナムとのお別れ、Haoさんともお別れです。名残りは尽きませんが、9時まではHaoさんとの別れを惜しんでいろいろ話してください。9時になったらみなさんは空港の中に入ってくださいね」と言って、Haoさんを囲んで話してもらいました。

一番可愛がってもらったKKさんなどは、Haoさんと抱き合って涙を流しています。TMさん、ASさんなども大粒の涙・涙を流しています。もうYNさんなどは、泣いているのか、笑っているのか分からないようなクシャクシャの表情です。

いよいよお別れする時に、ベトナム人女子大生のHaoさんを、女子の生徒たち全員が取り囲んで、抱き合って、涙をボロボロ流しながら別れを惜しんでいた光景、それは今でも私の脳裏に焼き付いています。男の子たちはそういう女生徒の様子を見てボーゼンとして立っています。

いよいよ9時近くになりました。「さあ、Haoさんとのお別れの時間は過ぎました。みなさんは自分の荷物を持って、TT先生の後を離れないようにして付いて行ってください」と言葉を掛けました。Haoさんとの最後の別れの時が来ました。

今回の合宿から受けた、深い感動を胸にしっかり刻んで、みんな荷物を持って、空港の中にトランクを引いてゆきながら消えてゆきました。私とHaoさんはその姿をガラス越しに見ていました。そして、姿が見えなくなり、車を呼んで私たちは空港を離れました。

Haoさんはみんなと別れた後、車に乗り込んだその車内でも 涙を流していました。そして、空港を出たところで車から降りて、自分でタクシーを拾い、そこから30分ほど かかる自宅まで帰ってゆきました。

今回、特に女子生徒たちをうまくまとめて、全員が仲良く過ごし、強い連帯感を創り上げたのは、Haoさんの力だと言っても過言ではありません。それが、「閉校式」での涙、空港での涙になっていったのだと思います。今回意欲的に自ら進んでこの行事に参加してくれたHaoさんには感謝の思いでいっぱいです。

「閉校式」の時に女子の生徒たち全員が、ベトナムの思い出が溢れて、涙が溢れてきた光景が、彼らのこの合宿に対する思いの全てを物語っています。

今回の合宿が終わってから、Haoさんから感想文が送られてきましたので、それを紹介します。彼女が今回の合宿に参加して感じた思いが率直に表れた内容だと思います。

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≪第17回ベトナムマングローブ子ども親善大使に参加しての感想≫

Nguyen Thi Nhu Hao
(グエン・ティ・ニュー・ハオ)

「ベトナムマングローブ子ども親善大使」を知ったきっかけは、昨年私の友人がその活動に参加したからです。私自身、初めて一週間も家に帰らず、日本人の中学生たちと一緒に生活をするのは非常に良い体験でした。マングローブの植林をするのはもちろん、日本人の子供たちとの出会いも楽しみにしていました。

初日、空港まで迎えに行って、なかなか生徒たちが出て来なくて、一時間も立ったまま待ったのは疲れましたが、心の中ではとても緊張していました。そして、生徒さんたちに会った瞬間、意外にみんな身長が高くて、自分よりも大きい子がいるので驚きました。

バスに乗ったとき、日本の会社の看板があるのを見て驚いた子がいるのが、私の記憶に残っています。今年の中学生の子たちは全員が初めてベトナムに来たのだなと実感しました。最初の日はみんな疲れていて、ホテルにチェックインしてから、直ぐにそのまま自分の部屋に行ったので、あまり話すチャンスがありませんでした。でも、これからまだ時間はあるからと自分に言い聞かせて、落ち着きました。

二日目は大変疲れた一日でした。普段はあまり運動しない私は、一日中みんなと一緒に市内観光をして、たくさん歩きました。この日は、自分の人生で初めて会ったばかりの中学1年生のKKちゃんを妹のように見守ってやりたいと思うようになった日なのでした。

KKちゃんは一番年下で、恥ずかしがり屋なので、ベトナム語を習って発表するときは、自信が無いからか泣いていました。その時、自分はKKちゃんに何かやってあげたい、泣いて欲しくないと思いました。それで、自分から話しかけて、KKちゃんとの距離がだんだん近くなってきました。とても良かったです。

三日目の朝はホーム・ステイが終わる日で、ホスト・ファミリーにフォーの店に連れて行ってもらって、おいしいフォーを食べました。生徒たちは初めてフォーを食べて、「美味しい!」と言いました。

ベトナム人の私はとても嬉しく、いつも誇りに思っているフォーのことを日本人の生徒にたくさん紹介してあげました。午後は「村山日本語学校」に行きました。そこで日本人の生徒が、ベトナム人の日本語学習者に折り紙の折り方を教えたり、「ドラえもん」の歌を歌ってあげたりして、とても温かい雰囲気になりました。「日本人とベトナム人の架け橋になりたい」と思っていた私はこういう活動に参加して、本当によかったと思います。

次の三日間は、ほとんどカンザーで過ごしました。ベトナム人の小学生たちと協力して、マングローブの植林をしました。カンザーの蒸し暑い天気の中でも、頑張って、一本ずつマングローブを植えました。以前にもマングローブの植林をしたことがありましたが、今回はとても疲れました。しかし、自分が植えた木が5年後、10年後大きい木になることを想像してみると、疲れもなくなったような気がします。

この三日間では色々な事に気がつきました。YNちゃんは「ハオさんは本当に優しいですね。嫌なことをされても全然怒らないから」と私に言いました。それを聞いた時、自分は驚きました。

自分がなんとなく変わってきたように感じました。ただ子どもたちと接して、自分が大人の立場で考えたからこそ、怒らないようになってきました。子供はイタズラで、人をからかう事をしたいのは普通のことなので、子どもにも怒ったらもう大人ではないと思います。そこから、人間関係を考えてみると、怒りやすい性格の人でも怒らないようにすることが大人になることだと思うようになり、大変勉強になりました。

そして、この合宿中の三日間で、3人で1つの部屋で泊まることを体験しました。3人で1つの部屋だから、距離も近くなって、YNちゃんとKKちゃんとの関係が親しくなりました。一緒に遊んだり、手を繋いだまま寝たりして、本当に楽しい時間でした。

面白くて、甘えたいYNちゃんやイタズラで、恥ずかしがりのKKちゃん、気が合うASちゃんや、しっかりしているTMちゃんのことを一生忘れられないです。彼女たちと出会えたことは、本当に素晴らしいことだと思っています。

見送りの日に空港まで一緒に行って、涙を流したことはずっと忘れられません。別れは悲しくて、寂しいのは避けられないですが、一週間一緒に生活をしていた子どもたちの涙はそのまま記憶に残り、いつまでも大切にしたいと思います。またいつの日か、ベトナムや日本でみんなに再会するのを楽しみにしています。

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何と素晴らしい感想文でしょうか。彼女が初めて体験したわずか一週間のこの合宿で、悩み、努力し、生徒たちと強い絆を作り、彼女自身が成長していった足跡が率直に語られていて、直に彼女の姿を見ていた私は、この感想文を読んでゆきながら涙が出てきました。

今回の「ベトナムマングローブ親善大使17周年」も、参加した生徒さんたちの<やる気、協調性、友情(日本とベトナム双方)、国際交流、環境意識を育てる>という意味で昨年以上に大変充実し、成功した合宿だったと思います。特にいろいろな交流会に生徒たちの参加を促してくれたベトナム側の協力は大きいものがありました。

●変化があっても「ベトナムマングローブ子ども親善大使」の活動 は続く●

今年の「ベトナムマングローブ子ども親善大使」の合宿は今年起きた変更点、次年度に起きる変更点、数年は続くであろう変更点などいろいろありましたが、生徒たちはそれに関係なく、大いにベトナムでの合宿を楽しみ、そして感動的な終章を迎えた合宿だったなぁーと思います。これからもずっとこの「ベトナムマングローブ子ども親善大使」の活動は毎年続いてゆきます。

ベトナムBAOニュース

「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

ベトナム元残留日本兵の家族14人が初訪日へ

ベトナムの元残留日本兵の家族14人およびコーディネーター4人の計18人が、日本財団の招へいにより10月に初めて日本を訪問する。スケジュールは10月18日から24日までの6泊7日。

3月に天皇皇后両陛下がベトナムを訪問された際、両陛下が元残留日本兵の家族と接見したことをきっかけに、ベトナムの残留日本兵と家族という歴史に光が当たった。その後、「元残留日本兵の御家族の日本訪問を支援する会」が設立され、残留日本兵の家族の「父の祖国を訪問したい」という長年の願いが実現することになった。

今回の訪問は、二国間の歴史的な繋がりに対する日越両国民の理解を一層深めるほか、2018年に迎える日越外交関係樹立45周年に向けた友好関係の更なる強化に繋がると期待されている。

「元残留日本兵の御家族の日本訪問を支援する会」の代表・コーディネーターを務めるのは、ベトナムの声放送局(VOV)日本語放送アドバイザーの小松みゆきさん。名誉会長は俳優で歌手の杉良太郎日越・越日特別大使。

<VIET JO>

◆ 解説 ◆

この記事を読んだ時「何と素晴らしい企画だろうか!」と率直に思いました。ベトナムの元残留日本兵の家族14人の方々は「初めての日本訪問」だと言うのです。「父」として、「祖父」としての繋がりのある元日本兵の家族の方が日本を訪問されたときの感慨は如何ばかりだろうかと思います。

そのコーディネーターを務めるのが、ベトナムの声放送局(VOV)日本語放送アドバイザーの「小松みゆきさん」だと知り、さらに感動しました。小松さんは8月29日に、「長年にわたってベトナムと日本の友好親善関係の増進に多大な貢献されてきました」として、ハノイで外務大臣表彰をされたばかりの方です。

その時の小松さんの紹介記事として、同じくVIET JOに「小松さんは1992年からベトナムに在住。16年間は日本語教師、9年間はベトナムの声放送局の専門家として働いてきた。小松さんは元残留日本兵がベトナムに残した息子との出会いをきっかけに、元日本兵の家族について調査を続けており、今年3月の天皇、皇后両陛下と元日本兵の家族との面会実現にも寄与した」と載っています。

さらに、小松さんは松坂慶子さんが主演した映画「ベトナムの風に吹かれて」の原作者としても有名です。その小松さんがコーディネーターを努められるというのです。すごい活躍をされている方だなと思います。

実は、あの「さすらいのイベント屋」のNMさんは、その小松さんとは知り合いなのでした。最近「白石昌也先生を囲む会」がハノイで行われた時に、その会合にNMさんも出ました。そこに、小松さんが来ておられたそうです。

白石先生はベトナムの近現代史を研究されている学者として有名な方です。以前、私もサイゴンにある「スシバー」で行われた「カンパチ祭り」で一度と、昨年行われた白石先生のセミナーで二度ほどお目にかかりました。その二回とも、NMさんが同行されていました。よほど親密な関係だろうなと想像しています。

その「白石昌也先生を囲む会」でも、ベトナムの元残留日本兵の家族の方を日本に招待する話が出たそうです。そのことを9月11日にNMさんがホーチミン市の「SUSHI KO」に顔を出された時に聞きました。実は、その日がNMさんの誕生日で、その「誕生日のお祝い」をそこで行ったからです。

それを聞いて、NMさんと私は自然と、メコンデルタで亡くなられた「元日本兵・古川さん」の話になりました。ここ最近は毎年「古川さんの法要」に私も参加していますが、私たちが話したのは、「あの家族の中で、古川さんの次男のVuさんでも連れて行けないだろうか・・・」と言うことです。

その法要の日本側の世話人の、「ベトナム戦争当時にバナナを植えていたYさん」が、9月末にはベトナムに戻られますので、一度そのことについて話し合ってみたいと考えています。

Posted by aozaiVN