【2015年8月】「SUSHI KO」での出会いと再会/日本食がベトナム市場を狙う

春さんのひとりごと

<「SUSHI KO」での出会いと再会>

●「日本料理屋」の夢を抱く二人との出会い ●

7月下旬、「さすらいのイベント屋」のNMさんと「SUSHI KO」でひさしぶりに再会しました。この日はNMさんが私よりも少し先に着いていて、私が席に座ると「後でベトナム人が二人来ますよ」と言われました。

「ああー、そうですか」と言って、先ずは二人で再会の“祝杯”を挙げて、四方山話をしていました。そして、二十分ほど経った頃、その二人のベトナム人が到着しました。まだ若い男性と女性でした。NMさんに聞けば弟と姉ということでした。

お姉さんの名前はNga(ガー)さんで、35歳。弟さんがSon(ソン)さんで、30歳とのことでした。NMさんは、「実はこの二人は将来、南部のCan Tho(カントー)市で日本料理屋を開くのが夢なんです」と、私に話されました。「それで、今日はその調査のためにこのSUSHI KOに私が誘ってきたのです」と。

私はそれを聞いて、(へぇ~)と思いました。「日本料理をどこかで勉強したことがあるのですか」と、私がお姉さんのほうに聞きますと、「ダナンにある<北国>というレストランで五年間働いていました」と答えました。NMさんとは、ダナンのその<北国>で知り合ったというのです。弟さんのほうもサイゴンの日本料理屋で数年間、厨房で働いていたと言いました。

もともと二人の故郷はベトナム南部のTien Giang(ティエン ザーン)省で、今から半年ほど前にNMさんは彼らに招待されて、その実家まで訪問したことがあるというのです。その頃から、二人が「日本料理屋を開きたい!」という夢を抱いているのを知りました。彼らの故郷はTien Giang省ですが、将来店を開くとしたら人口が多いCan Tho(カン トー)市で開く予定だと言いました。

「そうであれば、今サイゴンで路上屋台の日本料理屋として最も賑わっているSUSHI KOを見学に来たら?」というNMさんの誘いを受けて、この日二人が「SUSHI KO」まで来たわけでした。私と初めて会った時、日本式に頭を下げてお辞儀をして、二人ともニコニコした笑顔をしていました。

今「SUSHI KO」は二年半前に最初の一号店が出来て、今年の一月には二号店まで出来ましたが、その二つともが毎日多くのお客さんで一杯です。二号店のほうは一号店より三倍ほども広く、グループで来た人たちは先ず二号店に行きます。その二号店が満席になって座れない人たちが出て来ると、一号店に流れてきます。それでも座れない場合があり、お客さんが路上に立ちながら、しばらく待っている光景を見ます。

驚くべきは、一号店も二号店も、板前さんや従業員は全員がベトナム人であることです。オーナーがベトナム人ですが、オーナーも厨房で働いている板前さんたちも、以前「日本料理屋」で働いていた経験があります。それだけにオーナーは日本流のサービスの仕方を良く知っていて、いかにお客のこころをつかむかを心がけている雰囲気を感じます。

全ての従業員がベトナム人で成り立っている日本料理屋「SUSHI KO」で、「スシ」や「サシミ」や「テンプラ」や「焼き鳥」や「鍋類」を提供し、少ないスタッフの人数で多くのお客さんたちを目まぐるしく接客している彼らの姿を見ていますと、(ここはベトナムなのだろうか・・・)とふと錯覚しそうになります。厨房で「スシ」や「サシミ」を忙しく作っているベトナム人の板前さんたちの必死な姿を見ていますと、ジーンとした感じが胸に込み上げてくることがあります。

この日私たちは一号店に集りましたが、やはりこの日も満席状態でした。ここはサイゴンの下町とも呼べる場所にあるのですが、貝料理やバーベキューの店が路上の屋台で営業しています。今の一区には、そういう路上で食事が出来る場所は少なくなりました。それで、路上の屋台の雰囲気を好む人たちがこの通りに集まって来たのでした。

毎日多くのお客が集る「SUSHI KO」の魅力は、路上屋台の店であるので<安い>。路上屋台の店であるにもかかわらず<美味い>。これに尽きます。ここに来ている日本人、ベトナム人、欧米人の顔ぶれを見ていますと、同じ顔ぶれの人たちが多いので、しっかりと固定客をつかんでいるといえます。

最近の傾向としては、白人のお客さんがグループで来ることも多くなりました。ベトナム人の家族連れも来ています。欧米人やベトナム人の若者たちも、この下町の路上の屋台で「スシ」や「サシミ」を喜んで食べています。昔を知るNMさんや私から見ますと、まさに隔世の感があります。

この日来た二人もそういう光景を直接見ていて、驚いていました。そして渡されたメニューを手にして、その料理の種類や値段などを見ながら、二人でいろいろ話していました。NMさんが「前回はあなたたちの田舎でお世話になったから、今日は好きなものを食べてよ」と勧めていました。そして、刺身や巻き寿司や天ぷらなどを頼んでいました。しばらくしてそれらがテーブルに並び、二人で「市場調査」を兼ねた味見をしていました。

私はその二人が隣りで日本料理を食べながら、日本料理屋を開きたいという話を聞いていた時、自然と今から十年前に出会ったベトナム人の青年Uさんを思い出していました。私がUさんと初めて会ったのは、彼が29歳の時でしたから、今は40歳くらいになっているはずです。

サイゴンでUさんと出会った時、彼は私にハノイで日本料理屋を開く夢と決意について話してくれました。その彼が十年前に開いた店の評判を、以前も触れましたがハノイに住んでいる知人から最近時々聞くことがあります。彼が開いた店の名前は「友楽」と言います。私の知人は次のように話してくれました。

「いや~、いつ行っても多くのお客さんで賑わっていますよ。予約しておかないと、確実に席は空いていないぐらい評判がいいそうです」

それを聞いた時に、感慨深いものがありました。(あの後、必死に頑張ってきたんだろうなぁ~・・・)と想像したからです。Uさんとは十年前に会ったきりで、私がハノイに行く機会も少なくなり、それ以来全然会う機会はありませんが、時折知人からの評判を聞いている時、あの当時若くて、“日本料理屋を開きたい!”という夢を抱いていた彼の姿を懐かしく思い出しています。

それだけに、「将来Can Thoで日本料理屋を開きたい!」という彼ら二人の夢を聞いた時、
Uさんの店「友楽」のように是非成功して欲しいと思いました。彼ら二人は先に店を出ましたが、NMさんと私は「彼らが日本料理屋を開店したら、お祝いを兼ねて二人でCan Thoまで行きましょうね」と話したことでした。

●「居合道」の井浦さんとの再会 ●

「日本料理屋」の夢を抱いた二人のベトナム人と出会った数日後、<ホーチミン市師範大学>「居合道」を教えておられる「井浦あすかさん」に、「SUSHI KO」で再会しました。それもまた、「さすらいのイベント屋」NMさんが彼女と事前に約束していたことから、私も同席することになりました。

振り返れば、私が井浦さんと初めて出会ったのは昨年の9月になります。彼女を囲んでトーク・ショーを行う「サイゴン・カルティベート・トーク」という催しがあり、私もそれに申し込んで、当日参加することが出来ました。

井浦さんとのトーク・ショーに参加した私は、彼女のサイゴンでの活動や、目標をしっかり持ったその生き方に深く感動しました。彼女はそのトーク・ショーの中で、≪これからの夢と目標≫として

◆ 今までの目標 ◆・・・海外で日本語を教える。
◆ これからの目標 ◆・・・ベトナムで広げたものを深めていく。


ということを話されました。井浦さん自身の口からそのことを聞いた私は、強い感銘を受けました。その日参加した全員の人たちも、同じように井浦さんの演武を見た後に、感謝と感動の言葉を述べていました。私自身も同じ気持ちでした。それで、トーク・ショーの最後に、

「このサイゴンで≪日本語の先生≫だけをしている人、≪武道≫だけを教えている人はいることでしょう。しかし、井浦先生のように≪日本語を教えながら武道を指導している≫人は稀というべきでしょう。」

と、その時の私の率直な気持ちを述べたことがありました。そして、その数ヵ月後にダナンから来たNMさんに会った時、井浦さんの活動と、その人となりについて、私が感じたことをそのまま話しました。すると、NMさんも「そういう人がいるのですか。いつか是非会いたいですね!」と言われました。

「実は、2015年8月末に<ダナン・日越文化交流フェスティバル>を予定しています。そういう方がサイゴンにおられるのなら、是非ダナンでその【居合道】の演武を披露してもらいたいと思います」

NMさんがそういう話をされましたので、その後私がその意向を井浦さんに伝えますと、彼女も喜んでくれました。そして、今年の三月に「SUSHI KO」でNMさんと井浦さんの初めての対面が実現しました。

NMさんにとっては初対面、私も半年ぶりの井浦さんとの再会になりましたので、話が大いに弾みました。この時初めて、井浦さんはNMさんの口からダナンでの日越文化交流会の話を具体的に聞きました。これに関しては、2015年1月号のVietnam-Sketchにも以下のような内容でそのことが載っていました。

「2014年7月に、成田─ダナン線就航を記念して開催された<ダナン日越文化交流フェスティバル>。好評につき、2015年8月28日(金)~30 日(日)に第2回目を開催することが決定した。ダナン市市庁舎周辺の広場で2日間にわたり日越文化交流パフォーマンスが行われるほか、文化芸術交流展示 コーナーや両国の食文化を紹介するコーナーなども設けられる予定」

■2015年1月号Vietnam-Sketchより■

実はNMさんはそのフェスティバルの運営側に深く関わっておられるので、井浦さんに「是非ダナンで居合道の演武を披露して欲しい」という依頼のために、この日井浦さんに会うことになったのでした。井浦さんもNMさんから直接そのことを聞いて、大いにその気になった様子でした。具体的な詰め(移動手段や掛かる経費やそのスケジュール)については、またそのイベントが近づいてきた頃に事前に行うことになりました。

しかし、その後にまた三人が再会出来たのは、双方が日本に帰国したりしていてなかなか都合が付かず、結局8月初旬になりました。<ダナン・日越文化交流フェスティバル>の本番まで一ヶ月を切りました。その日は井浦さんが先に着き、NMさんがその後に着き、私が最後になりました。

この日井浦さんは所要があるとかで、NMさんとは正味30分ほどしか話が出来ませんでしたが、双方の確認のためにはそれでも十分でした。ビールで“乾杯!”する暇もなく、井浦さんはバイクに乗って去って行かれました。

後でNMさんに聞きますと、井浦さんはダナンで居合道を演武することには大いに乗り気になられているそうでしたが、問題は居合道の演武で使う「模擬刀」を飛行機内に持ち込めるかどうか、もし持ち込めない場合はどうするかでした。

「模擬刀」については、2010年に我が社の「ベトナムマングローブ子ども親善大使」の参加者の一人が、ベトナムで居合道を披露するために、その「模擬刀」をベトナムに持ち込んで来た時に、困ったことが起きました。日本から持ち込んで来た「模擬刀」をホーチミンまで抱えて来ましたが、やはり税関で引っかかったのでした。

普通ならすぐにその場で没収されたでしょうが、この時は引率の先生が「ベトナムマングローブ子ども親善大使」の10年間に及ぶ活動や、交流会の数々の写真などを係員に見せて、ようやく「そういうことなら持ち込んでいい!」という許可を特別にもらったのでした。

NMさんは「確かに飛行機に模擬刀を持ち込むのはすんなりとはいかないかもしれませんが、不可能ではありません。<日越交流>のためにいろんな方面に当たって手を尽くしてみますよ」と、ベトナム側にも顔の広いNMさんの話を聴いていますと、(NMさんのことだからそういう困難を乗り越えて実現するかもしれないな・・・)という予感がしてきました。

NMさんは井浦さんの生き方についても非常に感心してされていました。井浦さんがバイクに乗って去ってゆく姿をしばらく眼で追いながら、NMさんは私に向かって、「若いのに自分の目標をしっかりと持っている、素晴らしい女性ですね」と、井浦さんのことを褒めていました。私自身も全く同感でした。

さらに私は昨年の「サイゴン・カルティベート・トーク」で見た井浦さんの「居合道」の演武を見ていて、「居合道」という日本で生まれた武道の精神性の高さ・深さに思いを致していました。それは五年前のHくんの居合道の演武を見ていた時にも、井浦さんと同じ印象を重ね合わせていたからです。

五年前のHくんは当時、まだ小学四年生の子どもでした。今は中学三年生くらいになっているはずです。そして、井浦さんは今年26歳の若い女性です。五年前に見たHくんの演武と、その四年後に見た井浦さんの演武から歳月が流れましたが、Hくんと井浦さんが刀を腰に据えて「居合道」の演武を始める前に、しばし息を静かに吐いて呼吸を整えていた時に、二人の顔に共通して表れていたのは

“凛々しさ”

でした。二人が「居合道」の演武をしていた時の姿を思い出しますと、小学四年生の子どもにも、二十代の若い女性にも、同じ“凛々しさ”を感じていたというのはどういうことなのでしょうか。

武道を修練している人の“凛々しさ”については、以前Youtubeで、<世界空手道選手権大会>で優勝した日本人女性空手家の映像を観た時に、深い感銘を受けた思い出があります。彼女が演じる空手の演武は“凛々しさ”“美しさ”に満ちています。(こういう若い日本人の女性がいるのか!)と、こころから感動しました。外国人をも魅了するはずです。
そのYoutubeの説明には、「映像は2012年の11月にフランスのパリで行われた、第21回世界空手道選手権大会、女子個人「形の部」決勝の模様で、見事優勝を果たした宇佐美里香さんの形が収められています。」とあります。以下がそのアドレスです。

「日本人の精神に敬意を」 女子世界一の空手演武に外国人心酔
https://www.youtube.com/watch?v=KTpM0d6lr4A

しかし、この映像の中の「宇佐美さん」といい、小4のHくんといい、井浦さんといい、(武道の修行をしている人たちというのは、何故にこのように“凛々しさ”を漂わせているのだろうか・・・)と、それは私のこころの中でずっと考え続けていた思いでした。

このことについて、私が尊敬している上智大学名誉教授「渡部昇一先生」の本を最近も繰り返し読んでいて、ハタと思い当たることがありました。渡部先生は、以前にも紹介した「知的余生の方法」という本の終章で、以下のようなことを書かれていたのです。

『専門に秀でること、一芸を極めることを「道を極める」といい、そのような達人のことを「道の人」「道の者」というように「道」という言葉を使って表現するようになっていった。日本では、この道を極めて茶道などというものが成り立ってしまう。花にしても、そこに精神性を見出して、華道へと昇華させる。・・・

ひとつのことを徹底的に追求していくと、追求している対象を突き抜けて、あるいはそのものを超越して、人間の道に至るという発想を持つようになった。茶道も華道も香道も装道も、みなそうだ。「道」という単なる物理的な「もの」に、人間的な精神性を与え、だからこそ極めつくすものだと考えたのは、世界広しといえども日本だけのことだと思う。・・・

現在でもわれわれ日本人は、今、この時点の技術や力量だけではなく、高めていけばその先の「道」がつかめる、と考える傾向は強い。今、自分が一生懸命やれば、技量はもちろん、それ以上に自分自身の人間性が高まって、「道」に通じていく、と考えるのだ。・・・』

 ―「知的余生の方法」第七章 余生を極める―

渡部先生がここで触れられている「道を極める」という姿勢が、井浦さんやHくんや宇佐美さんに私が“凛々しさ”を重ね合わせたことに繋がっている気がしてなりません。

NMさんが井浦さんについて話していた「若いのに自分の目標をしっかりと持っている、素晴らしい女性ですね」という言葉は、今も日々「居合道」に勤しんでおられる井浦さんの“ひたむきさ”を、私と同じように感じ取ったNMさんが、井浦さんに贈られた最高の賛辞の言葉だと思います。

8月末にダナンで行われる<ダナン・日越文化交流フェスティバル>での井浦さんの「居合道」の演武の成功を願ってやみません。彼女の演武が実現した時、[世界空手道選手権大会]で優勝し、演武の終わりに観客が立ち上がって拍手した宇佐美さんと同じように、そこに参加した人たちに最高の感動を与えることが出来るだろうと信じています。

ベトナムBAOニュース

「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一番嬉しいことです。

■ 日本食がベトナム市場を狙う ■

ベトナムでは経済成長と共に海外文化の影響を受けて食の多様化が進んでおり、この影響を受けて日本食レストランの数が増加しており、日本の食品メー カーも更なるベトナム進出を進めている。

この動きをベトナム政府は促進させるため、日本貿易振興機構(JETRO)と共同でハノイで7月末に日本の食品を 扱うメーカーとベトナムの輸入業者を結ぶ商談会を実施したことを発表した。

ベトナム政府の発表によると、ホーチミン市とハノイとの2大都市における日本食レストランの数は350以上となっている。これらの日本食レストラン は日本人観光客・滞在者向けだけでなく、ベトナム人の高所得者向けの店も多数あり、日本食は幅広く支持されている状況である。

また、以前は日本食は高級料理としての認識が強かったが、日本食の普及が進むとともに庶民の手に届く食品も一部存在し始めているため、高級スーパーなどからは日本食品の多様化を望む 声が挙がっている状況である。
日本からベトナムへの農産物・食品の輸出量は世界第7位であり、ベトナム政府も今後も日本の食品の受入れに関しては前向きに実施していく方針であることを表明している。

= ASEAN PORTAL =

◆ 解説 ◆

ベトナムにおける二大都市、ハノイとサイゴンの日本料理屋の数ですが、最近の情報ではハノイが約170軒、サイゴンには約260軒くらいあると巷間言われています。サイゴンには260軒もあると聞いて、(そんなにもたくさんあるのか!)と、あらためて驚きました。

何故なら、私がベトナムのサイゴンに来た1997年当時、サイゴンには5軒くらいしか日本料理屋は無かった記憶があるからです。さらには、その5軒の日本料理屋で、今も同じ名前で残っているのは2軒だけです。

その当時の日本料理屋は値段も高く、普通のベトナムの人たちが気軽に足を踏み入れる所ではありませんでした。しかし、1999年にそういう雰囲気をガラリと変えた日本料理屋が出現しました。市内の中心部に近いLe Thanh Ton(レー タン トン)通りにオープンした「SUSHI BAR」の登場です。

この「SUSHI BAR」の登場によって、今まで値段が高すぎて日本料理屋に足を運ぶことが無かったベトナムの人たちも、リーズナブルな値段で「スシ」や「サシミ」を食べることが出来るようになり、多くのベトナム人、さらには欧米人のお客で賑わうようになりました。今「SUSHI BAR」は、ホーチミン市内だけでも6店舗あります。カンボジアにも進出しています。私もカンボジアの「SUSHI BAR」で食べたことがあります。

オーナーのSさんは、私の知人のIT会社の社長のKRさんとも親しく、以前折に触れてKRさんからSさんの話を伺ったことがあります。ちなみに、「SUSHI BAR」のWebsiteを手がけているのがKRさんの会社です。KRさんが言われるには、「Sさんは大変腰の低い方ですよ」と。私自身も何回かお目にかかったことがあり、そういう人柄を感じました。

今月号で触れたサイゴンの下町に出来た「SUSHI KO」の賑わいぶりですが、実際にベトナムという異国で、ベトナム人の家族連れが来て隣りに座り、「スシ」や「サシミ」を両親
とともに、小学生くらいの年齢の子どもたちまでが普通に食べている光景を、初めてベトナムに来た日本人が目にした時には、大いに驚くことでしょう。

今のサイゴンでは「スシ」や「サシミ」を普通のベトナムの人たちが口にするようになり、楽しんで味わうようになって来ました。事実、みんな喜んで、嬉しそうに食べている光景や、出て来た「スシ」や「サシミ」を写真に撮って、Facebookに早速UPしている場面がいつも見られます。ここに至るまでの「日本食の普及」への大きな貢献はどこにありや?

まさしく「SUSHI BAR」が、「スシ」や「サシミ」をベトナムの普通の人たちの口に入れる機会を広げてくれたからだろうと思います。初めて「スシ」や「サシミ」を口にしたベトナムの人たちが「あれ、スシやサシミは案外美味いじゃない!」と、日本料理の旨さに眼を開き、それが友人たちにも伝わり、徐々に日本料理のファンを増やしていったからこそ、それが今の「SUSHI KO」の繁盛振りにも繋がっているのだろうと、私は思います。

ここに至るまで、1999年に「SUSHI BAR」一号店が出来てから、16年の歳月が流れていますが、「SUSHI BAR」のオーナー・Sさんの「日本料理普及」への夢は、まだまだベトナムの他の省や他の国にも広がっていくことでしょう。

Posted by aozaiVN